318 一回戦前
開会式の後、中川は早くも各選手たちに注目されていた。
「あの子や・・」
「ようあんな・・」
「すごい度胸やな・・」
「せやけど、めっちゃ美人・・」
日置ら一行はロビーに集まっていたところ、横を通り過ぎる者からこのような声が挙がっていた。
その中には、選手宣誓をした男子もいた。
そして中川を睨みつけていた。
「まったく、何様やねん」
男子は中川に聞こえるようにわざとそう言った。
男子にすれば、いわば一生に一度の晴れ舞台だったのだ。
にもかかわらず、「恥」をかかされたわけだ。
憤慨するのも無理もない話である。
「なんだよ」
中川は言い返した。
「中川さん、止めなさい」
日置は語気を強めて言った。
「中川さん!」
阿部も叱った。
「きみ、本当に済まなかった。この通りです」
日置は男子に詫びた。
けれども男子は何も言わず「ふんっ」と言ってこの場を立ち去ろうとした。
「おい、おめー」
中川は男子を呼び止めた。
「中川!止めろと言ってるのが、わからないのか!」
日置は怒鳴った。
「ちげーよ、先生」
「なに」
そこで中川は、男子に目を向けた。
「おめーの宣誓を台無しにしたのは悪かった」
中川はそう言って頭を下げた。
すると男子は戸惑った表情を見せた。
「けどよ、選手宣誓と言やあ、まさに読んで字のごとく!この大会に賭ける我々の想いを代表して言うもんだよな。言わされるんじゃなくてよ」
「・・・」
「それならよ、ここ一番でぶっかますのが、男ってもんよ」
「・・・」
「それによって、我々選手の士気もあがるってもんさね」
「ふんっ・・」
「まあいいさね。おめーも頑張んな」
そう言って中川は、男子から目を逸らした。
男子は思った。
確かに一理あるぞ、と。
言わされるのではなく、言う、ということに。
けれども中川の宣誓は、あまりにも乱暴だった。
あんな風には言わないまでも、自分の言葉で言うべきが、代表選手としての決意なのでは、と。
「きみ」
男子が呼んだ。
「なんでぇ」
「学校、どこなん」
「大阪の桐花学園だ」
「そうか。ほな、きみの試合、よーう観させてもらうから」
「おうよ、目を皿にして観やがれってんでぇ」
そして男子はこの場を去った。
「まったく・・きみって子は・・」
日置は呆れ返っていた。
「先生よ」
「なんだよ」
「私はみんなの前で啖呵を切った」
「うん」
「だから、ぜってー負けられねぇんだ」
「わかってるけどね・・」
「しかしよ、どいつもこいつも、生ぬるいったらありゃしねぇぜ」
「・・・」
「もっとこう、自分を追い込んでだな、プレッシャーかけて命懸けで臨めってんだ」
「言わないだけで、みんなそうなの」
「まあ、いいやね。で、一回戦はどこだ」
「紀伊南高校」
「よーーし!おめーら、紀伊野郎をぶっ倒しに行くぞ!」
中川はそう言って、フロアへ移動しようとした。
「中川さん」
日置が呼んだ。
「なんでぇ」
「うちは、第三試合。だからまだだよ」
「むっ」
「きみ、少しは落ち着きなさい」
「こちとら、高野山の坊さんくれぇ落ち着いてらあな」
「なんだよ、それ」
日置はそう言って、苦笑した。
「あんた、なんで高野山知ってるんよ」
阿部が訊いた。
「中学んときによ、家族旅行で行ったんでぇ」
「そうなんや」
「あんときの坊主は、微動だにせず、護摩焚きをやってやがった」
「へぇ・・」
「その火の熱さと来たらよ、すげーんだぜ」
「あんた、もっかい高野山行って修行したらええんとちゃうか」
「なっ!おめー、うるせぇよ!」
「ほらほら、観客席に行くよ」
日置はそう言って先に歩いた。
「チビ助・・おめー坊主にしてやんぞ」
中川は歩きながら言った。
「なんでやねん」
「おめー、案外、似合うんじゃねぇか」
「どこがやねん」
「マルコメみてぇによ」
中川はそう言って、いたずらな笑みを見せた。
「千賀ちゃぁん、マルコメ、似合うかもぉ」
森上が言った。
「もう~恵美ちゃんまで~」
「そうですよ~先輩、小さいですし、いいかもですよ」
「郡司さんまで!」
「実際に、頭刈るんは無理としても、坊主のカツラ被ったらええんとちゃう」
重富が言った。
「おうよ、重富。インターハイでそうすっか」
「げ~~全員、坊主頭?」
「そうさね。ついでに先生もな」
「あはは、想像しただけで笑える~」
「あれやん、旅館で被ったカツラでもええんちゃう?」
阿部は機嫌を直してそう言った。
「あはは!そりゃいいな!」
「ついでに化粧もして」
重富が言った。
「ぎゃはは!ババア高校とかに代えてよ」
「あはははは」
阿部ら三人は爆笑した。
「私、見てないですし、そうしてください~」
「おうよ、郡司は知らねぇんだったな」
「はい~」
「おい、郡司よ」
「はい?」
「先生よ、新人歌手やっただろ」
「ああ・・はい」
「なんつー名前だと思う?」
「うーん・・なんですかね・・」
「ちったぁ考えて見ろよ」
「そうですねぇ・・先生のイメージからして・・西園寺エドワード・・とか」
「あはは、おめーそれ、外人じゃねぇかよ」
「だって、わかりませんよ~」
「聞いて驚くんじゃねぇぜ・・」
「はい・・」
「これ以上ねぇくらいのピッタリな名前だぜ?」
「ほほう・・」
「岩窟屁太郎さね・・」
「げっ」
和子は驚いたものの、すぐに爆笑していた。
この会話を聞いていた日置は、振り向いて「なにか言った?」と顔をしかめていた。
「いやっ・・岩窟・・いや、日置先生、なんでもござんせんわ」
「まったく・・」
それにしても・・郡司さん・・
西園寺エドワードって・・なんなの・・
僕って・・そんなイメージなんだ・・
日置は首をかしげながら、階段を上がった。
―――その頃、観客席では。
「ええか、お前ら」
紀伊南高校の監督、小野が彼女らに向けて話をしていた。
小野は四十代の男性監督だ。
「さっき選手宣誓したんは、桐花の選手や」
すると彼女らは、あんなのがいるチームと対戦するのか、と驚いていた。
「桐花は三神に勝って大阪で優勝やしな」
「そういえば・・三神、出てないですよね」
一人が訊いた。
「どうも三神は、二回戦で負けたらしいぞ」
小野の言葉に彼女らは絶句していた。
二回戦敗退とは、とても信じられない、と。
同時に、桐花の強さとは、どれほどのものなのか、と。
「それでも試合はやってみんとわからん」
「はい」
「三神に勝った桐花。どや、倒し甲斐があると思わんか」
すると彼女らは「うん、そうやで・・」や「こっちも一回戦なら向こうも一回戦。条件は同じや」などと、徐々にやる気を漲らせていた。
―――一方、市原は。
「あっ、おったおった~」
一行の姿を見つけた市原は、走って彼女らの座る席まで行った。
「郡司さん!」
市原が呼ぶと和子は振り向いて「あっ、市原さん!」と嬉しそうに笑った。
「先生、おはようございます」
「おはよう。わざわざ来てくれてありがとうね」
「いいえ~、これも新聞部の仕事ですから」
「よーう、ブン屋」
「中川先輩~さっきは、すごかったですね~」
市原はそう言いながら、阿部らにも一礼していた。
「そりゃよ、おめー、あれくれぇかまさねぇとな」
「あはは、そのことも記事にします~」
「おうよ、書きたいだけ書きな」
「市原さん、座って」
和子は隣に座るよう促した。
「一回戦はどことなん?」
市原は座りながら訊いた。
「紀伊南高校ってとこ」
「へぇー和歌山なん?」
「うん」
「そうか。応援してるわな」
「ありがとう」
「先生」
市原が呼んだ。
「なに?」
「試合が始まったら、私もベンチに行ってもいいですか」
「うん、いいよ」
日置は優しく笑った。
「よーし、写真もようさん撮るで~」
けれども市原の撮った写真は、のちにちょっとした「騒動」を巻き起こすこととなる。
このことは、まだ誰も知る由がなかったのである。




