315 迷惑じゃなかった
その後、日置は阿部ら各家庭にも足を運び、今回のことを詫びた。
無論、親たちはなんら問題視することなく、「今後も娘をよろしくお願いします」と日置を励ましていた。
中でも、中川の母親、亜希子は「何が問題なのですかね~」と不思議に思っていたのだ。
こうして日置自身の出処進退も、小島との関係も元のさやに納まり、近畿大会は一週間後に迫っていた―――
「いよいよ近畿は一週間後。きみたちもわかってると思うけど、目標は優勝以外ない」
日置は練習前、彼女らに向けて話をしていた。
「はいっ」
「おうよ!」
「そこで今日からは、ここの練習後、きみたちにはセンターへ行ってもらうからね」
「はいっ」
「おうよ!」
「郡司さんは初めてだと思うけど、阿部さんによく聞いて、従えばいいからね。阿部さん、頼んだよ」
「はいっ」
「じゃ、始めるよ」
そして彼女らはそれぞれ分かれて台に着いた。
「センターか・・」
中川が台に着いてポツリと呟いた。
「どしたん」
相手の重富が訊いた。
「いや、久しぶりだなと思ってよ」
「そやな」
その実、中川は大河に会えるのではないかと期待していた。
でもな・・
大河くんは・・基本、センターには来ねぇんだよな・・
行くとしたら・・梅田さね・・
そう、梅田の卓球専門店の二階では、練習ができるのだ。
私だけ・・梅田っつーわけにはいかねぇよな・・
色々問題起こしたしな・・
ここで勝手な行動しちゃ・・やっぱ・・いけねぇよな・・
「中川さん、どしたんよ」
また重富が訊いた。
「いや、別に。さっ!基本やんぞ!」
その実、中川の勘は当たっていた。
なぜなら梅田の専門店は、大河の自宅から、そう遠くはない。
大河は学校の練習後、ほぼ毎日のように専門店で練習をしていたのだ。
滝本東も、近畿とインターハイを控えている。
練習に余念がないのは当然のことであった。
―――練習後。
彼女らは学校を出てセンターへ向かっていた。
「上手い人、たくさんいてるから、積極的に声をかけて相手してもらいや」
歩きながら阿部が和子に話していた。
「はい」
「そやな、郡司さんやったら、裏の前陣とやるんがええと思うで」
「そうですか」
「うちには、先生と恵美ちゃんもいてるけど、二人ともドライブマンやしな。とみちゃんも裏で打てるけど、板やしな。私は表やろ」
「はい」
「あと、カットマンな。中川さんは一枚やけど、イボと打つ方がええし。それと左の人とかもな」
「はい」
「まあ、向こうに着いたら、最初は私が探したるわ」
「はい、よろしくお願いします」
そこで和子は、神田の話をしてみることにした。
「あの、先輩」
「なに?」
「うちのクラスに神田さんって子がいてるんですけど」
「え・・神田さんて、あの手紙書いた子ちゃうん」
あの手紙とは、中川が三神に偵察へ行ったことを日置に隠していた時、和子が市原にその話をしていた際、神田が盗み聞きをし、和子の名を使って「内部告発」した手紙のことだ。
「はい、そうです・・」
「で、神田さんがなんなん。またなんかあったんか」
「いえ、なにもないんですが、どうもあの子、卓球に興味があるようなんです」
「へぇ・・」
「それで私、誘おうかと思ってるんですけど、いいですか」
「入部ってこと?」
「はい」
「でもさ、素振り500回やで。できるん?」
「わかりませんけど、一年生は私だけじゃし、一人でも増える方がええと思いまして」
「なるほど」
「それで、あんなことした子やけに、一応、先輩の意見を訊いとかんと、と思いまして」
「そうなんや。本人にやる気があればええんちゃうかな」
「そうですか。ほな、私、そやな・・夏休みが終わったら、声をかけてみます」
この会話がきっかけで、神田は二学期になって入部することとなる。
まだ先の話ではあるが、「郡司、神田ペア」のダブルスは、大阪でも一目置かれる強豪ペアとして成長を遂げるのである。
天王寺に着いた彼女らは、地下鉄のホームへ急いだ。
そこで中川は思っていた。
やはり大河くんに会いたい、と。
近畿大会で会えるのはわかっている。
けれども予選と違って、大河自身も試合に集中したいはずだ、と。
無論、自分たちもそうだ。
そうなると最悪、口も利けないで終わるのではないか、と。
あれだよな・・
チビ助たちは・・難波で降りる・・
そこで私は・・うっかり乗り過ごしたことにすりゃいいんじゃねぇのか・・
幸い・・電車は混んでるしな・・
こう考えた中川は、乗り過ごすことにした。
「難波~~難波でございます」
難波駅に到着した電車は、乗降客で入り乱れ、中川は降りられるはずなのに、「あれぇ~」と言いながら、人波に押されるフリをした。
「ああっ!中川さん!」
阿部ら四人は先に降りたが、ドアはすでに締まり、ゆっくりとホームを出発したのだ。
「あの子!おおーい!」
阿部は中川に手を振っていた。
すると中川は、「後で行く」と口パクで答えていた。
「ああ~・・行ってしもた」
阿部は電車が走り過ぎるのを見ていた。
「中川さぁん、ここで待っとくぅ?」
森上が訊いた。
「いや、ええんちゃうか」
「うん、先に行っとこか」
そして阿部ら四人は、千日前線のホームへ向かった。
一方、中川は梅田まで行き、その足で専門店に向かった。
ちょっとばかし・・顔を見るだけでぇ・・
すぐに戻ればいいのさね・・
きゃ~~・・大河くん、来てるかな~~
中川のバッグに付けた、ペンギンのキーホルダーも、嬉しそうに揺れていた。
「こんばんは~」
店に到着した中川は、店員に挨拶をした。
「ああ、きみ。久しぶりやね」
「はい~ご無沙汰しております」
「どうぞ、ゆっくり見て行ってな」
「あの、大河くん来てるかしら」
「ああ、二階で練習してるよ」
「あらっ、なんて偶然!私も練習させていただこうかと、参ったのでございますよ」
「そうなんや。でも、二台とも埋まってるんやけどなあ」
「あらら・・さすが人気店は違いますわね。よろしいんですのよ、ちょっとご挨拶だけでも」
「大河くんに?」
「ええ」
「うん、まあええけど」
「では、上がってもよろしくて?」
「どうぞ」
そして中川は階段に向かった。
前は・・迷惑って言われたが・・
っんなこたぁ、関係ねぇぜ・・
明るく笑って、「久しぶりね」って言えばいいんでぇ・・
中川はキーホルダーを握りしめながら、ゆっくりと階段を上がった。
すると大河はチームメイトと練習していた。
あら・・大河くん・・なんて素敵なの・・
中川の胸はときめいた。
ああ・・ダメだ・・ドキドキしてきやがったぜ・・
かぁ~~静まれぇ~心の臓よ!
「あ・・中川さん・・」
中川に気が付いた大河は、打つのを止めた。
するとチームメイトも、打つのを止めて中川を見ていた。
「あっ・・ああっ、あのっ、なんだか・・気が付いたらここに来てて・・」
「え・・」
「いえっ、その・・宇宙人に攫われて・・それで・・ここに・・」
「あはは、なに言うてんの」
大河くん・・その笑顔は罪よ・・
胸が苦しい・・
「大河」
チームメイトの森田が呼んだ。
「なに」
「休憩しよか」
森田は中川に気を使った。
「うん」
そして他の二人も休憩を取り、三人は階段を下りて行った。
「ああ・・なんだか・・申し訳ないわ・・」
「いや、そろそろ休憩の時間やったし」
そう言って大河はベンチに腰を下した。
「きみ、練習しに来たん?」
「いえ・・私は・・この後、センターへ行くの・・」
「え・・」
そこで大河は時計に目をやった。
「もう九時回ってるで。今から行ってもあんまりでけへんのとちゃう」
「いえ・・チームメイトが待ってるから・・」
「ほな、はよ行った方がええで」
「ああ・・ええ、そうね・・」
「そういえば、中川さん」
「なっ・・なにかしら・・」
「僕、悪かったと思てんねん」
「え・・」
「前な、ここで迷惑って須藤さんが言うたやろ」
「ええ・・」
「僕、迷惑と思ってないから」
「えっ・・」
「それだけ言うときたかってん」
「ほ・・ほんとなの・・」
迷惑じゃないと・・今・・確かにそう言ったわ・・
聞き間違いではないのよね・・
それを言うときたかったと・・
きゃあ~~~~そうなんだわ!
迷惑じゃなかったんだわ~~~!
中川は嬉しさで気絶しそうだった。
「もうすぐ近畿やな」
「ええ・・そうね」
「きみら、優勝候補やな」
「大河くんだって・・」
「あ、それとキーホルダー、ありがとうな」
「いえっ、あんな安物・・」
「あはは、安物なんや」
「いっ・・いえっ、お値段は安くても・・なんというか・・大河くんに似てるな・・なんて・・」
「あはは、きみ、それ何気に酷いこと言うてるで」
「ち・・違うの!なんていうか、あっ!ほらっ、私もここに!」
中川はバッグのキーホルダーを見せた。
「あ・・」
「そうなの、お揃いなのよ~」
「そうなんや」
大河は優しく微笑んだ。
ああ・・ダメよ・・大河くん・・
なんて慈悲深い微笑みなの・・
私・・気絶しそうよ・・
「きみ、練習するんやったら、はよセンター行った方がええで」
「あっ、そ、そうよね」
「暗いから気ぃつけなあかんで」
「うん・・ありがとう」
「近畿とインターハイ、頑張ろな」
「ええ!私、頑張るわ!」
「ほな、またな」
「うんっ!じゃ、行くわね。またね!」
そして中川は階段を下りた。
やった!
やっぱり来てよかった!
人生、悪いことばかりじゃないんだわ!
幸せの絶頂に達していた中川は、チームメイトらも店員も無視して、店を後にしたのだった。
―――「なあ、大河」
中川が店を出て行った後、チームメイト三人は二階へ戻り、森田が声をかけた。
「なに」
「お前、言うたんか」
「いや」
「なんでやねん」
「言うたらんと、かわいそうやで」
「そやで」
他の二名もそう言った。
そう、大河は夏休み中に中国へ留学することが決まっていたのだ。
以前は断ったものの、再び誘われた大河は、自分の力を中国で試したくなった。
無論、中川の存在も無関係ではなかった。
なぜなら、大河も中川のことが好きになっていたからである。
中川は積極的な子だ。
このままだと、おそらく自分は中川の意思に応えてしまうという不安があった。
そうなると自分を見失いかねない。
そこで大河は中国へ行くことで、距離を置けると考えたのだ。
しかも中国は卓球王国である。
今後も卓球を続ける大河にとって、いわば願ってもない成長の場というわけだ。
「中川さん、聞いたら落ち込むやろけど、黙って行くやなんて、あんまりやぞ」
森田が言った。
「うん」
「はよ言うたれよ」
「わかってる」
「でも、森田」
チームメイトが呼んだ。
「なに」
「よう考えたら、近畿やインターハイ前に言うたら、あの子、落ち込んで試合どころやないで」
「まあ、そらそうやろけど」
「俺もそう思う。言うんやったら、インターハイが終わってすぐがええんとちゃうか」
もう一人もそう言った。
そして大河も、インターハイが終われば報せようと思っていた。




