312 未来への財産
その頃、阿部ら五人は小屋にいた。
そう、職員会議へ来るなと堤からきつく言い渡されていたからだ。
堤は言った。
「絶対に悪いようにはせんから」
阿部ら四人は待つしかないと納得していたが、中川がこれで済むはずがない。
中川は、今にも小屋を飛び出しそうな様子で、校庭側の窓の外をずっと見ていた。
―――ここは、職員室。
「それでは、今から職員会議を始めます」
工藤は立ち上がって、職員らに向けて口を開いた。
「日置先生」
工藤が呼んだ。
「はい」
「昨日から今日にかけてのことを、まず説明します」
「はい」
「昨日、中川さんが放送室をジャックし、今回のことを全校生徒に報せました」
「ジャックって・・」
日置は、そこまでしたのか、と驚いていた。
それから工藤は、事の顛末を全て話した。
すると日置は「待ってください!」と言って立ち上がった。
「中川が盗みを?絶対にあり得ません!」
「それは嘘だと、既に確認済みです」
「え・・」
「私は旅館へ行き、事実確認をしました」
「そうだったんですか・・」
「日置くん、座りなさい」
「はい・・」
そして日置は座った。
「それで、卓球部員の処分についてですが、私は問題ないと思いますが、先生方、ご意見がある方はどうぞ」
「問題ありません」
「処分対象には値しません」
「見送るべきかと」
これは満場一致での決定だった。
すると日置は、心底胸をなでおろしていた。
「それで、日置先生のことですが。ご意見がある方はどうぞ」
「はい」
堤が手を挙げた。
「堤先生、どうぞ」
そこで堤は立ち上がった。
「昨日も申しましたが、日置くんは生徒や親御さんからの信頼も厚く、それと日置くん自身の日頃の姿勢を鑑みると、今回は処分を見送るのが相当と判断します」
「はい、わかりました。では他の方」
「はい」
加賀見が手を挙げた。
「加賀見先生、どうぞ」
そこで加賀見は立ち上がった。
「私も堤先生と同意見です。それとこうも考えます。ここで日置先生に処分が下ると、生徒たちの混乱は火を見るより明らかです。そうなると授業どころではありません。実際、昨日も混乱しっぱなしで、私語が止まりませんでした。ですので、いずれにせよ、処分というのは相応しくありません」
「はい、わかりました。では他の方――」
こうして次から次へと、処分は見送るべきとの意見が述べられた。
「わかりました。それでは日置先生の処分は見送ることとしますが、賛成の方は挙手を願います」
工藤が言うと、全員が手を挙げた。
「ということです。日置くん、ですから、きみは明日から通常通り出勤し、仕事を全うしてください」
「日置くん、よかったな」
堤が日置の肩を叩いた。
けれども日置の様子がおかしい。
堤に反応しないばかりか、一点を見つめたままだ。
「日置くん」
工藤が呼んだ。
そこで日置は立ち上がった。
「みなさんのご厚意は大変ありがたく思います。ありがとうございます」
日置はそう言って一礼した。
「ですが、僕は教師としてやってはならないことをしてしまいました。今回、処分は全面的に受け入れるつもりでしたし、見送られたとしても僕は辞すると決めていました」
「おい、日置くん、なに言うてんねや」
堤が言った。
「教師という立場を逸脱し、桂山の宴席をぶち壊した罪は免れません。ですので、私は教師を辞めます」
「日置先生!冷静になってください」
加賀見が言った。
「そうですよ、日置先生、考えすぎです」
「会議で決定したんは、きみに教師を続けろということやで」
「堤先生の言う通りですよ。日置先生、決定を無視されるんですか」
「日置くん」
工藤が呼んだ。
「はい」
「きみはもう、罰は十分に受けました」
「え・・」
「きみの教師生活で、過去に謹慎などなかったはずです」
「・・・」
「それでいいではありませんか」
「校長先生」
日置が呼んだ。
「はい」
「確かに謹慎を受けたことはありません。だからこそ、謹慎をくらうような失敗をしたからこそ、僕は教師に相応しくないと判断したのです」
「ちょっと待ってください」
加賀見が席を立った。
そして全員が加賀見へ目を向けた。
「日置先生、憶えてますか?」
「なにをですか」
「私、ここへ赴任した頃、クラスの子、そう、森上さんに対するいじめのことで、私は失敗を恐れて、中尾さんを信用せずに話もろくにきかなかったことです」
「はい」
「あの時、先生、なんて仰ったか、憶えてますか」
「え・・」
「失敗しない教師がどこにいるんだと、先生、そう仰ってくださったじゃないですか」
日置は思い出した。
あの頃の加賀見は、それこそ本人が言うように失敗を恐れて追い詰められていた。
自分は確かに言った。
「失敗しない教師がいたら教えてほしいものだ」と。
「日置先生。人に言っておきながら、辞するやなんて、違うんじゃないですか」
―――一方、小屋では。
中川は、職員室へ行きたくてウズウズしていた。
そして出て行く隙を狙っていた。
「トイレ行ってくらぁ」
中川はそう言って、靴も履き替えずに小屋を出て行った。
すると阿部ら四人は「中川さん!」「先輩!」と言いながら、当然のように追いかけた。
あっという間に職員室へ到着した中川だったが、ここは森上に取り押さえられ、身動きができなかった。
「じっとしときやぁ」
森上の腕力は半端なかった。
「森上!離せよ!」
「あかんでぇ」
「恵美ちゃん、しっかり頼むで」
「任せといてぇ」
そして五人は会議の内容を聞いていた。
「確かに僕は言いました。けれども、あの時と僕の事情は違います。ですので、辞する気持ちに変わりはありません」
「先生!」
「日置くん、きみ、ほんまに考えすぎやで」
阿部らは「辞する」と言った日置の言葉を聞いて、愕然としていた。
処分ではなく、自ら辞めるのか、と。
「おい、森上。離せ」
「あかんていうてるやろぉ」
「ちげーんだ。おめー、今の聞いただろ。先生は辞めるっつってんだ。だから離せ!」
「あかん・・」
「ちげーんだって!混乱させるつもりはねぇ!先生、頭どうかしてんだよ。止めなきゃダメだろ!」
それでも森上は離さなかった。
くそっ・・森上・・
よし・・こうなったら・・
そこで中川は森上の手を、思い切り噛んだ。
「いたっ」
さすがの森上も思わず手を離した。
その隙に中川は、職員室のドアを開けた。
「中川さん!」
「先輩!」
阿部ら四人も慌てて中川に続いた。
「きみたち、なんですか」
工藤が言った。
「きみら、小屋にいとけて言うたはずやぞ!」
堤が叱った。
けれども中川は、工藤も堤も無視して、「おい、先生よ」と日置を呼んだ。
「きみたち、今は会議中だよ。出て行きなさい」
日置がそう言った。
「先生よ、さっき、なんつったよ」
「・・・」
「辞めるっつったよな」
「きみには関係ない。出て行きなさい」
「関係ないだと?バカ言ってんじゃねぇよ!」
「中川さん!」
日置は怒鳴った。
「そうかよ、おめーが辞めるってんなら、私も辞めるからな」
「きみ、なに言ってるんだ」
「先生、私も同じです。先生が辞めはるんやったら、私も辞めます」
阿部が言った。
「私も同じです!」
重富が言った。
「私も同じですぅ!」
森上が言った。
「私は・・先生に教えてほしくて・・ここへ入学しました・・先生が辞めたら・・私は何しにここへ来たんなら・・」
和子の声は小さかったが、それだけに日置の胸に刺さった。
いや、和子だけではない。
彼女らの、嘘とは思えない言いぶりに、日置は困惑した。
「日置くん」
工藤が呼んだ。
「はい・・」
「きみ、この子たちまで引き連れて辞めるつもりですか」
「まさか・・そんな・・」
「きみが辞めれば、この子たちは本当に辞めますよ。それでもいいんですか」
「・・・」
「先生よ、どうなんでぇ!はっきり答えてみろ!」
「きみたちって子は・・どうしてそうなんだ・・」
「なにがだよ」
「僕のために辞めるなんて・・どうしてそんな無茶を言うんだ・・」
「っんなもんよ、決まってんだろうが!」
「・・・」
「先生が必要だからさ。こちとら、いなくなられちゃ困るってもんさね!試合はどうなんだよ!私らだけで戦えってのか!それだけじゃねぇ!ここの生徒もみんな先生が必要なんだよ!好きなんだよ!」
「・・・」
「おめーが辞めたら、私はマジで辞めるぜ」
「日置くん」
工藤が呼んだ。
「きみ、それでも意思は変わりませんか」
「・・・」
「こんなに生徒から必要とされている教師は、見たことがありません」
「・・・」
「日置くん、答えを聞かせてください」
僕が辞めたら・・
この子たちは・・ほんとに辞めるつもりだ・・
そんなこと・・させてはいけない・・
絶対に・・させてはいけない・・
そして日置は、静かに口を開いた。
「もう一度・・もう一度だけ・・チャンスをくださいますか・・」
日置がそう言うと、彼女らの表情は安堵したものに変わっていた。
「無論です」
「本当に・・ご迷惑をお掛けして・・申し訳ありませんでした・・」
日置は職員全員に頭を下げて詫びた。
「よしっ、これで会議は終わりや。日置くん、よかったな」
堤は日置の肩をポンと叩いた。
「よかった・・よかった・・」
加賀見も、他の者たちも胸をなでおろしていた。
「校長」
中川が呼んだ。
「なんですか」
「今回、校長や先生方に、酷いことを言って申し訳なかった」
中川はそう言って深々と頭を下げた。
「中川さん」
工藤が呼んだ。
「きみの暴走には、度々驚かされますが、私も今回のことで学んだことがありました」
「・・・」
「教師と生徒の信頼関係は、何よりも尊いということ。それこそが教育者としての本分であり、きみたちの未来に大切な財産として残るということです」
「・・・」
「無論、教育者としての財産でもあります」
「うん・・」
「でも、放送室ジャックは、今後慎むようにね」
工藤がそう言うと、この場は笑い声に包まれた。




