308 乾坤一擲
―――そして翌日。
日置は電話のコンセントを元に戻していた。
なぜなら、学校から連絡があった場合、すぐに対応しなければならないからだ。
僕の教師生活も・・ここまでだな・・
まさか・・こんな形で終わるなんて・・夢にも思ってなかった・・
父も母も・・おばあちゃんも・・悲しむだろうな・・
特に・・おばあちゃん・・
桐花へ呼んでくれたのはおばあちゃんだった・・
ごめんね・・
日置は、懲戒免職を免れたとしても、辞めるつもりでいた。
自分は間違った選択をしたことは確かだ。
けれども後悔はしてなかった。
潔く退くのが、自分が果たす最後の責任だと思っていた。
ただ、あの子たちに処分が下らないことと、近畿とインターハイを見届けてやれないのが、唯一の心残りだったのだ。
一方で、誤解は解けたが、小島とも別れようと決めていた。
それは、日置の「拘り」がそうさせていたのだ。
そして日置は東京へ帰ろうと思っていた。
―――ここは、学校。
中川は登校してすぐに、放送室へ向かった。
そう、「決めたこと」を実行するためだ。
ほどなくして放送室に入った中川は、ドアを閉めて、その前に棚を移動させた。
さらにその後ろには机を積み上げた。
よし・・これで簡単には入って来られねぇな・・
そして中川はマイクをオンにした。
「よーう、全校生徒の諸君よ。私は二年六組の中川だ!これより、臨時放送をおっ始める!」
放送を聴いた阿部も重富も森上も、そして和子も、何事だと唖然としていた。
無論、それは他の生徒も教師らも同じだった。
「今から大事な報せがあるから、おめーら、耳の穴かっぽじって、よーく聴きな!まずは結論から言う!おめーらが愛してやまねぇ日置先生が自宅謹慎させられてんぞ」
報せを訊いた生徒らは「ええええええええ~~~~!」と絶叫していた。
そして各教室で、早速、騒ぎが始まっていた。
職員室では、どの教師もスピーカを見たまま呆然と聴いていた。
「中川さん・・」
校長室では工藤が呟いていた。
「でだ!なんで自宅謹慎になったのかを説明する!私は卓球部員と先生を無理やり引き連れて伊勢へ行った。これにはよんどころない事情があってよ、詳細を説明する暇はねぇが、おめーら、今から言うことを聞いて卒倒すんなよ!」
そこで二年六組のクラスメイトは、阿部らに注目した。
「阿部さん、なんなん?」
「これ、どういうことなん!」
「ひおきんが、自宅謹慎て、なんなんよ!」
「ちょっと、それはあとでええやん。今は放送を聴かな」
一人がそう言うと、クラスメイトはスピーカーに目を向けた。
「先生には彼女がいてよ、まあ、付き合ってっと、色々あってよ。いいことばかりじゃねぇんだよな」
中川がそう言うと、各クラスでは阿鼻叫喚ともいえる声が響き渡っていた。
「でだ、先生と彼女を仲直りさせるため、私は策を練ったのさね。それが伊勢へ行った理由だ。言っとくが、部員のやつらと先生は反対したんだぜ。ここは大事な点だから押さえとくように。話を戻すぜ。そこで作戦を遂行するため、私らは仲居として働き、先生を新人歌手に仕立て上げた。おっと、なんだそれ、という疑問を持つのはまだ早ぇぜ」
「あの子・・なに言うてんねん・・」
阿部が口を開いた。
「また自分だけ責任を被ろうとして・・」
「中川さぁん・・」
重富も森上も、気が気じゃなかった。
「というか、なぜそんなことをする必要があったのか、という疑問は愚問さね。問題はそこじゃねぇ。とある会社の宴席で、私はそれを実行した。先生が歌手ってやつな。でもよ、私の浅知恵なんぞ通用するはずもなく失敗に終わり、結果、宴席を台無しにした。今回の自宅謹慎の理由はそれだ。おめーら、わかるよな?日置先生はよ、自分がやったことだって全責任を被ってよ、工藤の野郎にそう言ったんだ。私は話が逆だ、やったのは私だって言ったのによ、工藤の野郎は、教師の立場がなんだのと、くだらねぇ理由を付けて自宅謹慎にしやがったのさ。おい!ガチガチ頭の工藤を初め、先生どもよ!聴いてんだろ!おめーら、誰も反対しなかったのかよ!反対しなかったから先生は家にいるんだよな!」
「なんか、ようわからかんけど、とにかくどっかの会社の宴会を台無したってことやんな・・」
「その会社に・・先生の彼女がいてるってことか・・」
「どんな人なんやろ・・」
「ちょっと、黙ってて」
二年六組の生徒らは、またスピーカに目を向けた。
「おめーら全校生徒は、私の言いたいことがわかってるはずだよな。つまり!何の罪もありゃしねぇ先生を処分だのなんだのと追い込み、最悪、クビって寸法よ!そうだろうがよ、工藤よ!」
工藤は、机に肘をついて両手を顔の前で組み、黙って聞いていた。
「校長!放っといていいんですか!」
教頭が慌てて校長室に入って来た。
「最後まで、聴きましょう」
「そんな・・」
教頭はそう言って、放送室に向かって行った。
「こんな理不尽なこたぁ、私は許さねぇぜ。罰せられるべきは、この私だ!おめーら教師どもは、一体、今まで日置先生の何を見てやがったんでぇ!ちったぁ考えろってんだ!」
一年五組でも、和子は注目の的だった。
けれども行かなかった和子は、説明のしようもなかった。
「さて、ここからが本題だ。なぜ、私が罰せられるべきかの理由を話してやっから、よーーく聴きな!」
そこで阿部らは、本題とはなんだ、なんのことだ、と不安に思った。
もう全て話したじゃないか、と。
「おめーらも、先生らも私という人間を知ってるよな。そう!とんでもねぇ問題児だ。その私がだぜ?先生如きを助けるために、わざわざ伊勢くんだりまで行くはずがねぇんだよ」
「なに言うつもりや・・」
阿部が呟いた。
「ちょっと・・なんなんよ・・」
重富もそう言った。
「中川さぁん・・」
森上も不安に思った。
「私がなぜ、仲居として働いたか。仲居といやぁ、あらゆる客と接触する。おめーらも旅館くれぇ泊まったことがあんだろうから、知ってるよな」
「なによ・・なんなん・・」
阿部はそう言った。
「ちょっと、これ・・止めんと・・」
重富がそう言った。
「うん、行こぉ」
そして三人は一目散に走って放送室へ向かった。
ちなみに向かう際も、放送は聴こえる。
「でよ、仲居といやぁ、客の部屋にも入れんだよ。私は何人かの客の鞄から、金をせしめた。ふっ、実をいやぁ、それが目的だったのさね。ってことで、あいつらと先生は、まんまと騙されったってわけさね。どうだ、工藤!今すぐ私を退学にしろ!っんなよ、日置先生のやったことなんざ、私の仕事に比べりゃ、屁でもねぇよな!」
この話を聞いた一年五組の三人は、いたく納得していた。
そう、かつて学食で中川にこっ酷く脅かされた、あの三人である。
「やっぱりそうやと思てたわ」
「なんやねん、ただの不良やん」
「そうや。退学やで」
この話を聞いた和子は、黙っていなかった。
「違うけに!中川先輩は、そんなことせんけに!」
「だって、今、自分でいうたやん!」
「あれは嘘じゃ!中川先輩は、お金を盗った人を懲らしめる方じゃけに!」
「やってもないこと、言うはずないやろ!」
「郡司さん」
市原が呼んだ。
「なに」
「私はわかってるで。中川先輩は、そんな人と違う」
「市原さん・・うん、ありがとう」
そして中川は続けた。
「でよ、盗んだ金だが、とっくに使っちまったから、出せと言われても、ねぇぜ。さあ、今話したことが真実だ。おい、工藤!今からそっちへ行くから、とっとと私を処分しな!」
中川はマイクをオフにして「さて、工藤よ、どうするつもりでぇ」と言った。
中川は机を元に戻し、棚も移動させた。
そして扉を開けると、教頭と阿部ら三人が立っていた。
「中川さん!」
阿部が怒鳴った。
「チビ助、怒んなって」
「あんた、あんな嘘を言うてやな!」
「なんで嘘だとわかんだよ」
「なに言うてんのよ!」
今度は重富が怒鳴った。
「まあまあ、私は今から工藤の野郎に会いに行く。おめーらも付いて来な」
「中川さん!きみって子は、一体、何を考えてるんですか!」
教頭が怒鳴った。
「うるせぇ!おめーも先生の自宅謹慎に反対しなかったクズ野郎だろがよ!」
「なっ・・」
教頭は言葉に詰まった。
そして五人が校長室へ向かう途中のことである。
「うわっ、中川さんや!」
「窃盗犯や!」
「なにが作戦やねん。お金を盗むために先生を騙した、とんでもない不良や!」
「あの子らかて、被害者やで」
と中川には非難轟々が浴びせられていた。
「きみたち、静かに!席に着いて!」
教頭はその者らをたしなめていた。
その実、中川は昨日、自宅で思案していた。
そう、どうすれば日置を救えるか、と。
そこで考えたのが早乙女愛のことだった。
『愛と誠』で早乙女愛は、座王権太を救うため、全校生徒の前で嘘の証言をした。
その際、愛には物が投げつけられ、極悪不良を以てしてでも愛の証言に対して「人非人!」と言わしめたほどだ。
自分もそうしよう、と。
そもそもが、自分の「愚策」が元で、日置を追い込んでしまった。
さらには「愚策」を考えるに至ったのも、自分のせいで日置と小島がケンカになったからである。
そんな中川にとって、今しがたの非難など屁とも思っていなかった。
ほどなくして中川らは職員室に入った。
「中川さん・・」
加賀見が口を開いた。
「中川、今のやり方は、無茶がすぎるぞ」
堤が言った。
「中川さん、落ち着きなさい」
担任の東原が言った。
「うるせぇ!おめーらなんざ、相手にしてねぇんだよ!」
「中川さん、やめとき!」
阿部が怒鳴った。
「けっ、クズ教師どもが」
中川はそう言って、校長室へ入った。
すると工藤は、立って待っていた。
「中川さん、座りなさい。そしてきみたちも」
彼女らは並んでソファに座った。
「中川さん」
工藤が呼んだ。
中川は黙ったまま工藤を睨みつけた。
「お金を盗んだというのは、本当なのですか」
「ああ」
「校長先生!違います!あれは嘘です!」
阿部が口を開いた。
「私ら、ずっと一緒にいてました。だから嘘やとわかってます!」
重富が言った。
「そうですぅ、中川さんがそんなことするはずがありませぇん!」
「どうなのですか」
工藤は中川に訊いた。
「こいつら、バカなんだよ。私の本性も知らねぇでよ」
「なに言うてんのよ!」
阿部が怒鳴った。
「阿部さん、ちょっと黙って」
工藤が制した。
「で、本当のところはどうなのですか」
「盗ったんだよ!私自身が言ってんだ!とっとと退学にしな!」
「違います!絶対に違います!」
今度は重富がそう言った。
「おい、重富よ」
「なによ!」
「おめー、なんで私が盗ってねぇと言えんだよ」
「だって、盗ってないもんは盗ってない!そもそも一緒におったやんか!」
「ふっ・・これだからいけねぇやな」
「なによ」
「一分一秒でも離れなかったのかよ」
「え・・」
「おめーらもわかってんだろうがよ。客を案内する時、各々でやったよな」
「え・・それはそうやけど・・」
「私は、その隙に盗んだのさ」
「嘘や!ちゃう!絶対にちゃう!」
「じゃよ、違うってこと証明してみろよ」
「しょ・・証明って・・」
「やってねぇっつう証明だ」
重富はそう言われ、なにも返せなかった。
その実、中川が彼女らを連れて来た意味は、ここにあったのだ。
実際に一緒にいたからこそ、彼女らの「証言」により信憑性が増すというわけだ。
「それで、本当なんですね」
工藤が念を押した。
「そうだって言ってんだろがよ!」
「わかりました。きみの処分も会議で諮ります」
「先生!処分やなんて、やめてください!」
「中川さんは嘘を言うてます!」
「先生ぇ!中川さんを退学にするつもりですかぁ!」
「それは、我々が決めることです。中川さん、きみは帰りなさい」
「言われねぇでも、そうするさ!」
「でも、お金を盗んだことで帰れと言ったのではありません」
「なんだよ」
「勝手に放送し、授業時間を奪った挙句、校内を混乱に陥れたその罰です」
「けっ、っんなことかよ。くっだらねぇ」
そう言って中川は職員室を出て行った。
残された阿部らは、とんでもない事態に、もはや近畿大会どころではなかったのである―――




