305 日置の嘘
―――そして翌日。
日置はいつものように出勤した。
昨日、ドアノブを換えたことで、日置の心は幾分が整理できていた。
そして今日からは心を入れ替えて、近畿大会、インターハイに向けて卓球に打ち込もう、と。
教師として、生徒と向きう合おう、と。
無論、強がりではあったが、自分はやるべきことをやるだけだ、と。
一方で阿部ら四人は、小島が日置の部屋に寄って、問題は解決したであろうと勝手に思い込み、彼女らも近畿大会、インターハイ優勝を目指して気持ちを新たにしていた―――
「よーう、おめーら」
中川は今しがた教室に入った。
「おはようー」
「中川さん、おはよう~」
「おはよぉ~」
中川は阿部らの席へ走って行った。
「おめーら、聞いてくれるか」
中川は、ニコニコと笑い、やけに嬉しそうだ。
「なに?」
「どしたん」
「ふふ・・これさね、これ」
中川はそう言って、バッグを見せた。
そこにはキーホルダーが付けられてあった。
「これ、なによ」
阿部が訊いた。
「いいか!これは何を隠そう、大河くんとお揃いのキーホルダーなのであ~るっ」
「え・・」
「お揃いて、えっ、もしかして大河くんに貰ったん?」
中川が付けていたのは、大河にプレゼントしたのと同じキーホルダーだったのだ。
これは、「叩いて被ってジャンケンポン」で勝った時にもらったものだった。
「なんで大河くんがくれんだよ。いや、そりゃ欲しいぜ?」
「ほな、なによ」
「ゲームに勝っただろ。西島によ」
「ああ~」
「あの時のさね」
「へぇー、大河くんにあげたん、それと同じなん?」
「そうさね。ってことはだぜ、これゃぁ~運命ってもんさね。おめーら、くっつけよって、神様が言ってんだ」
「あはは、まあええんちゃう」
「中川さぁん、よかったなぁ~」
「おうよ、森上」
「ところでさ」
重富が言った。
「なんでぇ」
「給料・・びっくりしたわ・・」
「とみちゃん、それやん」
「私もぉ、びっくりしたぁ」
「あれだな、伊勢清風っつーのは、桁違いの太っ腹ってこった」
彼女らの報酬は、それぞれ一万円だったのだ。
労働時間は、丸一日にも満たない上、相手は高校生だ。
おまけに宿泊代も食事もタダである。
なんとも「ボロい」アルバイトだったのである。
「伊勢行ったら、絶対、あそこに泊まる」
「私も」
「私もぉ」
「そういや、みっちゃんに挨拶すんの忘れちまったな」
「あっ、一万円の中からさ、みっちゃんや、蓮川さんらに、大阪の土産買ったらええんちゃう?」
「阿部さん、それナイスアイデア」
「よーし、今度私らで行くか!」
「ほんまや~~インターハイ終わったら、みんなで行こ!」
「あはは、行こ行こぉ~」
と、このように彼女らは、無邪気に盛り上がっていた。
―――ここは、校長室。
一時間目の授業が始まってしばらくすると、校長は、とある人物から電話を受けていた。
「お待たせしました、工藤でございます」
「わたくし、桂山化学の久世と申します。突然のお電話で失礼いたします」
久世は、庶務課の課長である。
「はい」
「あのですね、おたくの日置先生のことなんですが」
「はい、日置ですね」
工藤は、卓球関係のことだと思った。
「実は、うちの社員旅行の宴席で新人歌手を装って入り込み、下手な歌を歌った挙句、そのせいで宴会はぶち壊しになったんですよ」
「え・・」
「おまけに、生徒に仲居までやらせて。おたくの教師は一体、どうなってるんですかね」
「生徒に仲居を・・?」
「そうです。女生徒を使って仲居をやらせていたんです」
工藤は俄かに信じられなかった。
間違っても日置がそんなことをするはずがない、と。
「あの・・失礼ですが、人違いではないでしょうか」
「まさか」
久世は、吐き捨てるように言った。
「でもですね・・うちの日置がまさかそんなことを・・」
「では実際、日置先生に訊かれたらよろしいんじゃないですかね」
「はい、そのようにしますが・・」
「ほんとは教員委員会へ報告するつもりだったんです」
「そうですか・・」
「いいですか、校長、武士の情けですよ」
「はい・・」
「二度と、こんな不祥事を起こさないよう、徹底させてください」
「わかりました」
工藤は半ば唖然としながら受話器を置いた。
日置くん・・今の話・・本当なのですか・・
いや・・きっと人違いです・・
日置くんに限って・・そんなこと・・
―――そして昼休み。
阿部ら四人は日置にお金を返すため、弁当も食べずに職員室に向かっていた。
「旅館のこと、ばれたらあかんから、私が呼んでくる」
阿部がそう言った。
「おうよ。じゃ、私らは校庭で待ってるからな」
そして阿部は職員室へ向かい、中川らは校庭に向かった。
職員室に入った阿部は、すぐに日置の席へ行った。
「先生」
「あ、阿部さん」
「あの、ちょっと来てください」
「どうしたの」
「ええから、来てください」
そして阿部と日置は校庭に向かい、ほどなくして中川らが待つ場所まで行った。
「よーう、先生よ」
「きみたち、昨日はどうだったの」
「午前中に仕事を終えてよ、まあ~いい経験させてもらったぜ」
「そうなんだね」
「私ら、給料も貰ったんです」
重富が言った。
「そうだったんだ、よかったね」
「それで先生、これお返しします」
阿部はポケットから封筒を取り出した。
「え・・これ払わなかったの?」
「宿泊代もタダにしてくれたんだよ」
中川はニッコリと笑った。
「そうなんだ・・なんだか、清風さんに申し訳ないね」
「いいんでぇ。また、何度も行けばいいのさね」
「うん、そうだね」
そして日置は封筒を受け取った。
「でよ、先生」
「ん?」
「小島先輩と・・ふふっ・・」
「なに・・」
「あの後、どうなったんでぇ」
「もうきみたちは、なにも心配することないよ」
日置はそう言って、いつものニコニコスマイルを見せた。
その表情で、彼女らは安堵していた。
「先生、よかったな」
「安心しました」
「結局、なんやかんやあったけど、作戦は成功ですね!」
「よかったですぅ」
「うん、きみたちのおかげだよ。色々とありがとう」
日置はそう言って頭を下げた。
「いいって、いいって。んじゃ、私ら弁当食うから」
「うん」
「放課後な~」
中川らは手を振って教室に戻って行った。
きみたち・・
ありがとう・・
でも僕は・・別れることにしたんだ・・
だから・・もう心配しなくていいよ・・
日置は思っていた。
彼女らに、これ以上心配をかけるわけにはいかない、と。
大事なあの子たちを、巻き込んではいけない、と。
ここは何も言わずに、時が過ぎるのを待てばいいんだ、と。
ここで中川らが「誤解は解けたのか」と訊いてさえいれば、問題はすぐに解決へ向かっただろう。
けれども一方で、誤解だとわかったとしても、日置は、ある拘りを抱えていたのだった。
―――ここは職員室。
「日置くん」
職員室に戻った日置を、工藤が呼んだ。
「はい」
日置は呼ばれて立ち上がった。
「ちょっと、来てください」
工藤は手招きをして、校長室へ入った。
日置も、ちょうどいいと思った。
なぜなら、旅館でのことを報告するつもりだったからである。
そして日置は校長室に入った。
「そこへ座ってください」
「はい、失礼します」
そして日置はソファに腰を落とした。
工藤は日置の正面に座った。
「訊きたいことがあるんですがね」
「僕もです。報告しなければならないことがあるんです」
「それは、なんですか」
「大変、お恥ずかしいことなんですが、実は、土日にかけて僕は生徒と一緒に伊勢へ行きまして」
「・・・」
「その際――」
日置がそこまで言うと「待ってください」と工藤が制した。
「私が訊きたいというのは、そのことなんですよ」
「え・・」
「実は、今朝、桂山化学の久世さんと仰る方から電話がありましてね」
「はい」
「きみが生徒に仲居をやらせた挙句、きみは歌手に扮して宴席をぶち壊したと。それは事実ですか」
「はい、事実です」
工藤は愕然とした。
本当だったのか、と。
なぜなんだ、なぜきみがそんなことを、と。
「きみ、どうしてそんなことを・・」
「全ては僕の責任です。お詫びのしようもございません」
「いえ・・なにかわけがあるはず。なにがあったのですか」
「僕の勝手な事情で生徒を巻き込んでしまいました」
「その生徒とは、誰ですか」
「生徒は関係ありません。悪いのは僕です」
「いやいや・・きみ、何を言ってるんですか」
「・・・」
「生徒の名を明かしなさい」
「生徒を処分しないとお約束してくださるなら、明かします」
「日置くん、冷静になりなさい」
「え・・」
「先方はですね、教育委員会に報告するつもりだったのですよ」
「・・・」
「そうなればですよ、きみの処分は免れません。生徒も事と次第によっては、処分もあり得るのですよ」
「はい・・」
「だから、言いなさい」
「校長」
「なんですか」
「僕はどんな罰でも受けます。でもあの子たちには、どうか及ばないようにしてくださいませんか」
「あの子たち・・と言いましたね」
「・・・」
「そうですか。卓球部員ですね」
「・・・」
「どうなんですか。はっきりと答えない」
日置はそう訊かれ、静かに頷いた。
「それで、なぜ部員を連れて伊勢へ行き、きみは歌手、生徒に仲居をやらせたのか、理由を答えなさい」
「はい、申します」
そして日置は、事の顛末を全て明かした。
けれどもその際、自分が考案し、生徒に手伝わせたと話したのである―――




