302 騒動のあと
―――その頃、日置は。
傷心を抱えたまま、難波へ向かう近鉄電車に乗っていた。
日置は真っ暗な車窓に、自分の顔が映っているのを見ていた。
お前は・・なんてバカなんだ・・
彩ちゃんの心には・・もう僕はいないんだ・・
それを・・あんな下手な歌で・・なにがどうなるっていうんだ・・
とんだ恥を晒したけど・・
これでもう・・なにも思い残すことはない・・
それに・・西島くんって・・
良さそうな人だったし・・
僕よりも若いし、きっと彩ちゃんを幸せにしてくれるはずだ・・
うん・・そうだよ・・
別れよう・・
「あはは、嫌やわあ~、ケンちゃん」
通路を挟んだ席では、若いカップルが楽しそうに話していた。
「なんでやの」
「だって~、私はハワイがええって言うてんのに~」
「いや、一生に一度やで」
「わかってるけど~そんな、ヨーロッパやなんて、贅沢やん~」
この二人は新婚旅行の話をしていた。
「だから、贅沢すんねやん」
「あかんあかん、生活のことも考えんと~」
「いや、僕はきみをヨーロッパへ連れて行きたいんや」
「なんでやの~」
「き・み・を」
ケンちゃんは、彼女の顔を覗きこんでそう言った。
「あはは、ケンちゃん、近いし~」
「あきちゃん」
「なに?」
「僕のこと、好き?」
「ケンちゃん・・他にもお客さんいてるんよ・・」
「ええやん、なあ~好き?」
「うん、好き」
「あきちゃぁ~ん」
ケンちゃんはあきちゃんの肩に、頭をもたげた。
日置は二人の様子を見て目を細めていたが、自分の立場を思うと絶望的な孤独感に苛まれていた。
―――一方、旅館では。
中川ら三人は、後片付けに大わらわだった。
「阿部さんは?」
みっちゃんが訊いた。
「あの子、トイレ長いんですのよ」
中川が答えた。
「そうなんや。ほら森上さん、重富さん、そっちが終わったら、ここもな」
「はいっ!」
彼女らは、客が食い散らかした残飯を、バケツに放り込んでいた。
「もったいねぇな・・全部食えよ・・」
中川は思わずこぼした。
「こらっ、中川さん!その言葉遣いはなに」
「はっ、隊長、申し訳ございません!」
中川はそう言って、また敬礼した。
「あはは、あんたはおもろい子やな」
「さあ~~頑張りますか!」
「ここが終わったらな、もう部屋に戻ってもええよ」
「えっ、そうなんですね!」
「こんな時間まで、なんも食べんと、お腹空いたやろ」
「それゃあ~もう、腹の虫がグーグー鳴ってらぁな」
「え・・」
「ああっ、お腹の虫さまが、鳴いてらっしゃいますのよ」
「あはは、さっ、あと少しやで」
それにしても・・チビ助・・遅すぎんじゃねぇかよ・・
なにやってんでぇ・・
その実、阿部は日置を思いやると切な過ぎて、トイレで泣いていたのだ。
先生がかわいそうだ、と。
あまりの「結末」に、今回の作戦は、間違っていたのではないか、と。
そして大広間に小島らが訪れた。
「あら、お客さま、何かお忘れ物でしょうか」
別の仲居が訊いた。
そう、中川らは、他の部屋を片付けていたのだ。
「あ・・いえ・・あの、見習いの仲居さんたちは、どこですか」
小島が訊いた。
「ああ・・あの方たちでしたら・・どこでしょう、探して参りましょうか」
「いえ、こちらで探します」
「さようでございますか。またご用があれば、なんなりとお申し付けください」
「はい」
そして小島らは部屋を後にした。
「どこやろな」
浅野が言った。
「ここ、めっちゃ広いし~探すん大変やで~」
「お嬢ちゃんたち~」
そこへ大久保と安住がやって来た。
「あ、大久保さん、安住さん」
浅野が返事した。
「こんなとこで、なにやってるの~」
「中川さんら、探してるんです」
「いやあ~それにしても今回の大芝居、びっくりしたわ~」
「事の真相を確かめたくて、探してるんです。それと先生も」
「それにしても、小島ちゃん~」
「はい・・」
「慎吾ちゃんと、よっぽどのことがあったんやね」
「はい・・」
「なにがあったの~言うてみ~」
「はい・・実は――」
小島は浅野らに説明したのと同じ話をした。
すると大久保も安住も、なんとも気の毒そうな表情になった。
「小島ちゃん」
「はい・・」
「その女性ね、朱花ママっていう人よ」
「え・・あやか・・」
「そう。小島ちゃんと同じ名前よ。字は違うけどね」
「そうなんですか・・」
「ママは、安永ってクラブで働いててね、私が最初に慎吾ちゃんを連れて行ったんよ」
「そうですか・・」
「ママの話はほんとよ。それは私が保証する」
「・・・」
「せやから~慎吾ちゃんと仲直りして~」
「でも・・先生にあんなことさせて・・私もう・・どうしたらええんか・・」
「大丈夫よ~慎吾ちゃんなら、わかってくれるわ~」
「・・・」
「それに、今度のことは、小島ちゃんが誤解するのも無理ないわ~」
「・・・」
「だから~見てたってことを話せば、きっとわかってくれるわ~」
「はい・・」
「おちおちしてたら、私が奪うわよ~」
「それは地球がひっくり返っても無理やと思います」
安住はまた余計なことを言った。
「安住っ、あんたうるさいねん!」
大久保は安住の頭をパーンと叩いた。
「もう~~また!」
「自業自得よ~」
「それで、僕らどこで寝るんですか!」
「あんたは外よ~」
「なんでですか!」
「あの、ほなら私ら行きますね」
浅野は、また始まったと思った。
「わかったわ~」
そして彼女らは、この場を後にした。
―――一方、中川らは。
片付けも終わり、阿部を探していた。
「ったく、チビ助、どこ行ったんでぇ」
「広いからぁ迷ってるんかなぁ」
「いや、あいつは宴会の途中、先生を迎えに部屋へ行ってんだ。だから迷うのはおかしいぜ」
「そやな・・どこ行ったんや・・」
するとそこへ、阿部がシュンとしながら、姿を現した。
「ああっ、いたっ!」
「千賀ちゃぁん!」
「阿部さん、どこ行っとったんや!」
三人は阿部に駆け寄った。
「おめー、どこ行ってやがったんでぇ」
「千賀ちゃぁん、どしたぁん」
「阿部さん・・?」
「ううっ・・ううう・・」
阿部は彼女らの姿を見て、また泣き出した。
「おいおい・・チビ助、どうしたってんでぇ」
「あっ・・あのな・・先生・・ううっ・・」
「先生がぁ、どうしたぁん」
「阿部さん、泣かんと」
「先生・・帰ってしもたんや・・ううっ・・」
「えっ!帰ったって、それほんとなのかよ!」
「うん・・」
「おめー、なぜ引き止めなかったんでぇ」
「もう・・おらんかってん・・」
そこで阿部は、手紙と封筒を見せた。
「これ、なんでぇ」
「置手紙・・」
「なにっ!」
そして中川は手紙を受け取り、重富も森上も一緒に読んだ。
「なんだよ、これ・・」
「先生・・辛かったんやと思う・・」
重富が言った。
「先生ぇ・・なんて悲しい手紙なぁん・・」
「もう・・帰っちまったもんは仕方ねぇやな・・」
「私ら・・どうしたらええんや・・」
「重富よ」
「なに・・」
「私らはここで働くと約束したんだ。明日もそうするぜ」
「ええ・・ほんまに?」
「ああ・・桐花の名を汚すわけにはいかねぇ」
「でも・・校名は知られてないと思うけど・・」
日置が校名を口にした時は、桂山の者たちしかいなかった。
「っんな、万が一ってこともあらぁな」
「そやな。確かにそうや」
「私もぉ賛成ぇ」
「チビ助、おめーもだぜ」
「うん・・」
「みっちゃんがよ、部屋に食事の用意がしてあるって言ってたぜ」
「ほな、部屋に行こか」
そして彼女らは部屋へ向かった。
ほどなくして部屋に到着して中へ入ると、客に出すのと同じ料理が用意されてあった。
「うわあ~~すげーじゃねぇかよ!」
「ほんまや!刺身の船盛もあるやん!」
「天ぷらもあるぅ~」
彼女ら三人は、すぐに座卓の前へ移動した。
「おい、チビ助、なにやってんでぇ」
「千賀ちゃぁん、座ろぅ」
「阿部さん、ほら、ここおいで」
「うん・・」
そして彼女らは、中川と森上、阿部と重富がそれぞれ横に並んで座った。
「チビ助、おめー、元気出せよ」
「なあ・・」
阿部が口を開いた。
「なんでぇ」
「小島先輩さ・・」
「うん」
「先生の歌、聴かんと・・なんで途中で出て行ったんやろ・・」
「ああ・・それさね・・」
「なんかさ、酷くない?」
阿部は語気を強めた。
「私の思い違いだったのかねぇ・・」
中川がそう言った。
「それ、私も思た。先輩、西島さんのことが好きなんちゃうかな」
重富が言った。
「かもしんねぇけどよ・・私はまだ信じられねぇんだ」
「なにが」
「先輩は、ぜってー先生が好きなはずなんだ。あの話しぶりは、ぜってーそうだった」
中川は、公園でのことを言った。
「っんなよ、西島如きを好きになるはずがねぇんだ」
「なんか・・わけがあるんかなあ・・」
「ま、考えてもしょうがねぇやな。食おうぜ」
「そやな。もうお腹ペコペコやし」
そして彼女らは「いただきます」と言って箸を手にした。




