301 真相
―――そして、トイレでは。
「だから、彩華、なにがあったんか言うてくれんと、わからんやん」
小島は、ただ泣くばかりで、浅野も蒲内も困っていた。
「実はさ・・ううっ・・あんたらには言うてなかったんやけど・・」
「うん」
「先生な・・他に好きな人がいてんねん・・」
「えっ」
「彩華~、それまた勘違いとちゃうの~」
「ううん、ちゃうねん。私ははっきりこの目で見たし、この耳で聞いたんや・・ううっ・・」
「なにをよ」
「先生な・・女の人とマンションの部屋の前で抱き合ってて・・」
「嘘やん・・」
「それで・・帰らないで、きみを離さない、誰にも渡さないって言うてん・・ううう・・」
「それ・・聞き間違いとちゃうの」
「ううん。だってな・・その女の人も、帰りませんとか、わかってますよって、言うたんや・・」
「マジか・・」
浅野も蒲内も、それ以上言葉も出なかった。
あら・・この話って・・私のことよね・・
そう、個室には朱花がいたのだ。
そしたら・・話してるんは・・彩華さんなんやね・・
あらあら・・これは大変なことに・・
彩華さん・・見てはったんやね・・
そこで朱花はドアを開けて出た。
小島は俯いたままで、朱花だとは気づいてなかった。
浅野と蒲内は、朱花に軽く会釈をし、手洗い場を譲った。
「あの・・」
朱花が声をかけた。
「はい」
浅野が答えた。
「このお嬢さん・・小島彩華さんやね」
そこで小島は朱花に目を向けた。
すると驚いたのが小島だ。
この女じゃないか、と。
しかも、なんで名前を知ってるんだ、と。
ああ、そうか。
日置が言ったんだな、と。
そこで小島はトイレを出て行こうした。
「彩華さん」
朱花が引き止めた。
浅野と蒲内は唖然とするばかりだ。
誰なんだ、この人は、と。
なぜ小島の名前を知ってるんだ、と。
そして小島は、思わず立ち止まった。
「私の話を聞いてくれますか?」
朱花はとても落ち着いていた。
「話なんか・・ありません・・聞きたくもありません・・」
小島はソッポを向いたままだ。
「まあまあ、そう言わんと。あのね、あなたとんでもない誤解をしてるんよ」
「え・・」
「彩華さん、私と日置さんを見ていたんやね」
「・・・」
「あれはね、日置さんがとても酔ってらして、私は送り届けただけなんよ」
「・・・」
「日置さんね、あなたが心配で心配で、うちの店に来てくれはってね」
そこで小島は朱花を見た。
「心配て・・なんですか・・」
「この旅行のことよ」
「え・・」
「なんでも・・王様ゲームをさせられるとかで、それはそれは心配してはってね。日置さん、旅行に行かせたくないとまで仰ってね」
小島は思った。
確か、大久保もそんなことを言ってたぞ、と。
慎吾ちゃんが心配してるから、電話してあげて、と。
「私は色々と話をさせて頂いたんやけどね、結局、日置さん酔い潰れられて」
「・・・」
「それで、送り届けさせていただいたんやけど、その時、日置さん、私をあなたと勘違いしはってね」
「勘違い・・」
「彩ちゃんって仰って」
「え・・」
「絶対に行かせないって」
「でも・・あの・・帰りませんとか、わかってますよって、言うてはりましたよね・・」
「はい。彩華さんにはわからんやろけどね、この商売はそんなこと日常茶飯事なんよ」
「・・・」
「悩んでおられるお客さまを、突き放すはずがないんよ」
「・・・」
「優しく何でも受け入れて、慰めさせていただくんも、私らの仕事でね。あ、もちろん一線は超えませんよ」
「でも・・一緒に部屋に入りましたよね・・」
「はい。日置さんを寝かせて、私はすぐにお暇しました。時間にして三分もいてなかったんよ」
「ほ・・ほなら・・全部私の・・勘違いやったんですか・・」
「そうです」
朱花はニッコリと笑った。
「で・・でも・・ここには一緒に・・」
「いえいえ、私はお客さまの御呼ばれで来たのよ」
「でも・・なんか・・日置さんは二名で・・と聞いたんです・・」
「あらあら、それは私の与り知らないことよ」
「・・・」
「もし、疑うてはるんやったら、お客さまの所へお連れしてもいいわよ」
「あ・・いえ・・そんな・・」
「とにかく、全ては彩華さんの勘違い。ま、そうさせた私も悪かったね。ごめんなさいね」
「いえ・・」
「これだけは言うとくわね」
「・・・」
「日置さんが店に来てくれはったのは二回だけ。その二回とも、あなたのことで悩んではった時よ」
「・・・」
「それにね、日置さんがここへ来はったのは、あなたを守るためよ」
「・・・」
「王様ゲームから守るため」
「・・・」
「せやから・・信じて差し上げてね」
「・・・」
「日置さんは、あなたに夢中よ」
朱花は手を洗った後、トイレから出て行った。
小島の頭は混乱していた。
女性が言うように、自分の勘違いなら、日置になんてことをさせてしまったんだ、と。
電話で突き放し、工場前でも突き放した挙句、西島の腕に手を回した。
そしてさっきの歌だ。
日置なら死んでも断るはずの歌を、しかもあんな大勢の前で。
日置は自分を見つめながら「ねぇ彩ちゃん」と歌っていた。
なんてことをやらせてしまったんだ、と。
「彩華・・」
浅野が呼んだ。
小島は呆然自失状態だ。
「今の人、水商売の人やったけど、あの人の言うてることがほんまなんとちゃうか」
「・・・」
「私もそう思う~、嘘を言うてるようには思われへんかったで~」
「なあ、彩華」
浅野は小島の肩をゆすった。
「あんたが見て聞いたんは、ほんまやろけど、先生、さっきの人とあんたを勘違いしただけやで」
「・・・」
「彩華~、私かてな~、お父さんが酔っぱらって、康子~いうて抱きつかれたことあるもん~」
康子とは、蒲内の母親である。
「あんた、先生と何があったん?」
「わ・・私な・・さっきの人と先生が付き合ってると思て、それで・・前みたいに・・動揺するまいと決めて・・」
「うん」
「それで・・自然消滅させようと・・電話がかかって来ても・・突き放したり・・」
「うん」
「ほんで・・工場の前で先生・・待ってたことあったんや・・」
「ああ、それ知ってるで」
「うん・・その時、西島さんと一緒やったんやけど・・先生、話がある言うてな・・」
「うん」
「私はあの女の人との話やと思て、ご飯食べに行くいうて断って・・それで・・西島さんの腕に手を回して・・先生を置き去りにしたんや・・」
「嘘やろ・・」
浅野と蒲内は顔を見合わせて、なんとも複雑な表情を見せた。
「でもあれやな。あの子ら、先生とあんたの関係、知ってるってことやな」
「うん・・そやな・・」
「まあ、ようわからんけど、あの子ら、今回の事情を知ってることは確かやな」
「あ・・」
そこで小島は、何かを思い出した。
「どしたん」
「あれや・・あのことや・・」
「なによ」
「中川さんな・・ほら、大河くんのことで悩んでたやん」
「うん」
「それで、私、先生との過去のこと話して、励ましたって言うたやん」
「うん」
「それ、先生が怒ってケンカしたやん」
「うん」
「中川さんな・・自分が原因でケンカになってると思て、電話してきたんよ」
「そうなんや」
「私は、ちゃうというたんやけど・・あの子・・ずっと気にしてたんや・・」
「・・・」
「ほんで私は、先生に酷い態度を取り続けたやろ・・」
「うん」
「先生のことやん・・態度に出てたに違いない・・」
「なるほど・・それであの子らが先生を気にして・・」
「うん・・そうやと思う。まさか先生がこんなことするはずないもん。ましてや歌なんか・・」
「彩華~・・」
蒲内が呼んだ。
「なに・・」
「先生とこ、行った方がええんとちゃう~」
「それや!彩華。先生、絶対に傷ついてるはずやで」
「なあ・・内匠頭・・・蒲内・・」
「なに」
「私・・どうしょう・・どうしたらええの・・」
「どうしたらって、誤解してましたって言えばええだけやん」
「そんなんで・・先生・・納得するやろか・・」
「納得もなにも、それしかないやろ」
「そやで~彩華、はよ行かな~」
「先生の部屋て・・どこなんやろ・・」
「あの子らに訊けばわかるやん」
「そやな・・」
そして小島らは宴会場へ向かった。
―――一方、中川らは。
日置が出て行ったあと、宴会もお開きになり、しばらく経ってから部屋に向かっていた。
「あ、ちょっと、あんたら」
みっちゃんが声をかけてきた。
「はいっ」
四人は立ち止まった。
「どこ行くんよ」
「そのっ・・トイレに・・」
「後片付けがあるから、はよ戻って来てや」
「イエッサー!」
中川は敬礼して答えた。
そしてみっちゃんは、宴会場の後片付けに向かった。
「ここは、全員で先生の部屋へ行くってのは、無理だな」
「私、行って来る」
阿部が答えた。
「おうよ、じゃ、チビ助、頼んだぜ」
「わかった」
そして阿部は部屋に向かった。
中川ら三人は、そのまま宴会場へ引き返した。
ほどなくして日置の部屋に入った阿部は、唖然としていた。
そう、日置がいないのだ。
そして座卓の上には置手紙があった。
阿部はそれを手に取って読んだ。
――阿部さん、森上さん、重富さん、中川さんへ。申し訳ないけど、僕は帰ります。封筒の中に宿泊代と交通費をいれておきますので、これで支払ってください。僕のために仲居までやってくれて、ほんとうに申し訳なかった。せっかくきみたちが考えてくれたことだったけど、失敗に終わりました。だからもう、僕のことは気にしなくていいから、仲居の仕事も終わりにして明日、帰りなさい。本当にごめんね。でもきみたちの気持ちは、とても嬉しかった。ありがとう。日置より。
う・・嘘やろ・・
先生・・帰ってしもたんや・・
なんか・・先生・・校長に報告するとかいうてはったけど・・
これって・・問題になるんとちゃうやろか・・
まさか・・懲戒免職とか・・
せやけど・・先生・・
先輩に逃げられて・・
そら・・帰りたくもなるわな・・
先輩・・ほんまに先生のこと・・もう嫌いなんやろか・・
西島さんが・・好きなんやろか・・
それにしたって・・途中で席立つことないやん・・
それに・・宿泊費と交通費・・先生が負担するつもりやったんや・・
なんでやねん・・
そんなんあかんて・・
阿部は手紙と封筒を手にして、急いで宴会場へ向かったのである―――




