30 解けた誤解
―――その頃、小島は。
はあ・・
もう、先生に嫌われてしもたな・・
日置のマンションを出た後、行く当てもなく「ミナミ」の街をうろつき、そこから天王寺へ移動して、今は茶臼山公園のベンチに一人で座っていた。
六月といえども、夜は冷える。
肌を露出した小島の体は、冷たくなっていた。
腕時計を見ると、時間は十時半になっていた。
そろそろ帰らな・・お母さん、心配するしな・・
そして小島が立ち上がろうとした時だった。
「お嬢さん、ここでなにしてるん?」
スーツを着た、上品そうな中年の男性が小島に声をかけた。
小島は、少し戸惑ったが「いえ・・別に」と答えた。
「僕、ここ帰り道で、偶然通りかかったんやけどね」
「そうですか」
「こんな遅い時間に、若い子が一人やなんて、危ないよ」
「もう帰りますから」
「なんか、悩みでもあるんやったら、聞いたげるよ」
「いえ、結構です」
そして小島は立ち上がり、公園の出入り口に向かおうとした。
「ちょっと、待ちぃな」
男性は小島の腕を掴んだ。
「なにするんですか!」
小島は手を振り払おうとしたが、男性の力には適わなかった。
「そう言わんと。僕がええとこ連れて行ったるよ」
「や・・止めてください!」
「えらい色気のある服着て。実は、ここで「客」を待っとったんとちゃうの」
「なっ・・離して!」
「ええやん。払うもんは払うって」
そこで小島は、靴で男性の足を蹴った。
「痛っ!なにすんねや」
「このスケベジジイ!」
小島は、もう一発蹴った。
ヒールで足を二度も蹴られた男性は、「ふんっ、尻軽女!」と捨て台詞を吐いて去って行った。
小島は、あまりにも惨めだった。
自分は一体、なにをやってるんだ、と。
こんな服を着て、派手な化粧もして、挙句には売春婦と間違われた。
日置のためと思ってやったことが、なんなんだ、これは、と。
そして今では、その日置にさえ嫌われる始末だ。
日置は、自分から離れて別の彼女の元へ行き、捨てられた私は何者なんだ、と。
そこで小島は、座り込んで泣いた。
もう・・明日から・・どうやって生きていけばええんや・・
ああ・・そう言えば・・森上さんのバイト・・私がせなあかんねやった・・
そんなん・・無理やん・・
卓球かて・・もう・・
ううっ・・うううう・・
先生・・
「先生、ここに来てると思います?」
遠くから浅野の声が聴こえた。
「おそらく。小島さんと一度来たことがあるんだよ」
そして日置の声も聴こえた。
「ほな、手分けして探しましょか」
「でも、もう遅いし、きみ一人だと危険だから、一緒に探そう」
「わかりました」
え・・先生と、内匠頭・・
私を探してここに・・
けれども小島は、自分の惨めな姿を見せたくなかった。
そして木の陰に身を隠した。
「彩華~~!いてたら返事して!」
「小島!小島!」
けれども辺りはシンと静まり返っている。
「彩華~~~!」
「小島~~!」
やがて二人は、小島の近くまで来た。
「返事がないですね・・」
「僕の見当違いだったのかも・・」
「先生、どうします?」
「行くところか・・学校はどうかな」
「ああ、確かに。彩華やったらそうかもしれません」
「じゃ、学校へ行こう」
そして二人は、出入り口に向かって走り出した。
学校へ・・
今から・・
ちゃう・・学校にはいてない・・
「内匠頭!」
そこで小島は木陰から出て、浅野だけを呼んだ。
「えっ」
日置と浅野は立ち止まって振り返った。
「彩華!」
「小島!」
二人は慌てて引き返し、小島の元へ行った。
「彩華!あんた、こんなとこでなにやってるんよ!」
「小島!」
日置は思わず、小島の頬を叩いた。
小島の目は、マスカラが剥がれて、真っ黒になっていた。
浅野は日置が叩いたことで驚いてはいたが、日置の気持ちは十分わかった。
「きみは、一体、なにをやってるんだ!」
「・・・」
「彩華、今回のことな、全くの誤解やねんで」
「え・・」
小島は力のない目で、浅野を見た。
「誤解か何かしらないけど、そうだとしても、なんだ、きみの行動は!」
「・・・」
「浅野さんや、みんなにこれだけ心配かけて、恥ずかしいと思わないのか!」
「先生、彩華に話をします」
浅野は日置を制するように言った。
そして日置は、一旦、口を閉じた。
「あのな、彩華」
「・・・」
「あんたが心配してたこと、全部誤解やねん」
「・・・」
「あんたがな、先生の家におった時、女の人から電話がかかってきたやろ?あれな、加賀見先生や」
「え・・」
「ほんでな、あんたが先生に電話した時も、加賀見先生と話してはったんや。それに、朝もな、あれは朝練やったんや」
「う・・そ・・」
「写真立ての礼は、先生、学校で問題抱えてはって、失念しただけでな。その問題いうんが、えらいことで、桐花の子らが他校の男子に脅されて、それを解決するために出向いたんや。その時に、そとちゃんが先生と、加賀見先生を見たってわけや」
「そ・・そんな・・でも・・なんで加賀見先生が一緒に・・」
「脅されてた子の、担任やからやん」
「・・・」
「だから、単に連絡の行き違いいうんか、それだけのことやったんやで」
「そ・・そんな・・」
小島は、日置の顔を見ることができなかった。
「きみさ」
日置が口を開いた。
小島は下を向いたままだ。
「今後も、自分勝手に誤解したり、その挙句は、こんなことするの」
日置の話しぶりは、とても冷たかった。
「どうなんだよ」
「まあまあ・・先生」
浅野は少し冗談めいた言いぶりをした。
「今の彩華は、答えることはできません」
「だってさ・・」
「無理ですって。一旦、頭を冷まして、それからです」
「まったく・・なにを考えてるんだ」
「先生、彩華も無事、見つかりましたし、私が彩華を送って行きますんで、先生は安心して帰ってください」
「わかった。浅野さん、頼むね」
日置はそう言って、この場を去った。
「内匠頭・・」
「もうええやん。これで解決」
「そやけど・・私・・とんでもないことを・・」
「もうやったもんはしゃあない。それより今後やん」
「そやけど・・」
「さて、帰ろか」
「でも私・・これでほんまに嫌われたかも・・」
「あはは、ないない」
「なんでやの・・」
「先生な、彩華を探し回ってる時、もう死にそうな顔してたんやで」
「え・・」
「どこ行ったんだ・・どこなんだ・・言うてな」
「・・・」
「だから嫌われてない。でもな、今後は、気ぃつけんと、ほんまにそうなってしまうで」
「・・・」
「見た目の大人より、気持ちが大人にならなな」
「ううっ・・ううう」
また小島は泣き出した。
「あんた、上野動物園行った方がええで」
「ううっ・・なんでよ・・」
「パンダやん」
「もう・・内匠頭は・・」
そこで浅野はポケットからハンカチを取り出した。
「ほら」
そして小島に渡した。
「ありがとう・・」
小島はそれで涙を拭った。
「あははは」
「なんやの・・」
「目だけやなくて、顔が真っ黒やで」
「え・・ほんま?」
「どうやって、電車乗るんよ」
「うわ・・どうしょう・・」
「ま、ええやん。ほな帰ろか」
小島は思った。
日置に、誠心誠意、詫びよう、と。
そして二度と、勝手に決めつけたりしない、と。
なにかあれば、必ず話をしよう、と。
そして小島は、次の日から化粧も服装も元に戻した。
小島を見た彼女らも、胸をなでおろしていた。
「みんな、ごめんな」
練習前、小島は彼女らに詫びた。
「いや、こっちこそ、一旦は、けしかけるようなことして、ごめんやで」
「ほんまや。今度先生に会うたら、謝らなあかん」
「彩華~よかったな~」
「これでまた、練習、頑張れるな」
彼女らは口々にそう言っていた。
そして小島は、大久保の元へ行った。
「大久保さん」
「なにかしら~」
「昨日は、すみませんでした」
「ううん~もうええのよ~」
「練習、頑張りますので、よろしくお願いします」
「はいはい~こちらこそよ~」
そして小島は、遠藤や、他の部員たちにも詫びた。
もちろん、安住や高岡にも詫びた。
こうしてすっかり誤解は解けたが、日置と話すことが、まだ残されていた。




