295 役者が揃う
―――そして旅行前日。
大久保は練習を終えて、安住と共に『安永』に訪れていた。
「あんた、アホのくせに、長引いたな」
大久保は風邪のことを言った。
「アホて、なんですか」
「まあまあ、それでも来週に間に合うて、よかったやん」
来週は「後続隊」が出発するのだ。
「また大久保さんと一緒やし・・」
「あんたな!私がおらんとなんもでけへんくせに」
大久保が安住の頭をユラユラさせていると「まあまあ・・あはは」と笑いながら朱花が席に来た。
「朱花ママ~いらっしゃい」
「はい、お邪魔します」
朱花は大久保の冗談に乗って、そう言いながら腰を落とした。
「ママ、お久しぶりです」
「ほんまにそうですよ。淋しかったですよ、安住さん」
「このアホな、風邪ひいててね~」
「あらあら・・大丈夫なんですか」
「はい、もうすっかり」
「そうですか。それはよかったです。お二人とも水割りでよろしいですか」
「それでいいのよ~ん」
「はい、お願いします」
朱花は大久保の言いぶりに、いつも笑っていた。
「承知しました」
朱花はニコニコと笑いながら、水割りを作っていた。
「あ、そうそう、ママ」
「はい」
朱花は手を動かしながら返事をした。
「この間、慎吾ちゃん来たでしょ」
「ああ~、はいはい、来られましたよ」
「えらい酔ってたらしいね~」
「ええ・・気持ちよく酔うてはりましたよ。どうぞ」
朱花は大久保と安住の前にグラスを置いた。
「ママが送って行ったんよね」
「はい、お送りさせていただきました」
「ママも、飲んでね~」
「ありがとうございます。では、いただきます」
そして朱花は自分の水割りも作った。
「大久保さん。日置さんて、一人でここへ来たんですか」
「そうよ~」
「へぇー、珍しいな」
「で、ママ」
「はい」
「慎吾ちゃんの様子、どうやったの~」
「お客さまのプライベートを話すのはご法度ですが、大久保さんと安住さんなら、ええですわね」
「そうよ~、で、どんな感じやったの~」
「恋仲の方のことで、えらい悩んではりましてね」
「あ、それ小島ちゃんのことよ」
「そうですか、小島さんと仰るんですね」
「それで?」
「なんでも・・社員旅行に行かせたくないと仰って」
「そうなんよ。慎吾ちゃん、私にもそう言うてたのよ」
「まあ、私は日置さんの気持ちもわかりましたけど、差し出がましくも意見させていただいたんですよ」
「王様ゲームのこと、言うてなかった?」
「はい、仰ってました。それが嫌だということも」
「そうなんよ~、もう心配しぃでね~」
「へぇ・・そんなことがあったんや・・」
安住は風邪のせいで、何も知らなかった。
「それで結局、酔い潰れられまして、私がお送りさせていただいたんです」
「そうやったの~。でも、よう住所、わかったわね」
「ええ・・免許証で確認させていただきました」
「さすが、ママやわ~、ありがとうね」
「いいえ、当然のことです」
「ほんで、ママが部屋まで連れて行ったの?」
「ええ・・それはもう・・途中で躓かれて起こすのに大変でした」
朱花は苦笑した。
「あらら~、ママ、細いのに、えらいめしたわね~」
「日置さんね、私を彩華さんと間違われて」
「え?」
「帰らないでくれって、すごく切なそうに仰ったんですよ」
「いやあ~~慎吾ちゃん、私にも言うて~」
「大久保さん、なに言うてるんですか」
「安住っ、おだまりっ!」
大久保は安住の頭をパーンと叩いた。
「痛っ、また、もう~~」
「あはは、お二人は、ほんま仲がよろしいですね」
「とんでもないですよ、こんなおっさん」
「安住っ!あんた、ついに禁句を言うたな」
「えっ・・」
「まあええわ。罪名はあとで言い渡すわ。それで、ママ。続きを」
「あはは、ええ、それでですね、きみを離さない、誰にも渡さないと仰ってね。私はもう胸が張りさけそうになりました」
「いやあ~~小島ちゃんが羨ましい~~」
「日置さん・・そんなこと言いはるんや・・」
「あんたの口からは、一生出て来ん言葉やな」
「なっ・・僕かて、それくらいは言いますって」
「ほな、私に言うてみぃさ」
「げっ・・百万やるいうても、言いませんよ」
「私かて、あんたに言われたら、耳が腐るわ~」
朱花は漫才のような二人のやり取りに、涙を流して笑っていた。
「日置さんと彩華さんには、仲良くされることを願うばかりです」
「ほんまよね~、大体、慎吾ちゃん、真面目すぎんのよ」
「そこが日置さんのええとこやないですか」
「うるさいっ!あんたに言われんでもわかってるちゅうねん」
大久保がまた安住を叩こうとすると、「まあまあ、大久保さん。おかわりされます?」と訊いた。
「はい~お願いするわね~」
大久保は寸でのところで手を止めた。
「それにしてもさ~慎吾ちゃんが王様ゲームの心配をするんは、わかるんよね~」
「ええ・・私もよくわかります。大事なお嬢さんですものね。嫌に決まってます」
「よーし、決めたわ!」
「え・・なんなんですか」
安住は何事かと、大久保を見た。
「旅行や、旅行」
「それがなんなんですか」
「私は、明日の先遣隊に参加するわ~」
「ええええ~~!明日ですよ、明日」
「だからなんやのよ」
「もう泊まる人数も、スケジュールも決まってますよ」
「私一人増えたところで、どうってことないわ~」
「食事かて、大久保さんの、ありませんよ」
「誰かのを奪うわ~」
「げぇ~~」
「大久保さん」
朱花が呼んだ。
「なに~」
「社員旅行って、どちらへ行かれるんですか」
「伊勢よ~伊勢」
「あらら・・そうでしたか」
「ママ、どしたん?」
「いえ、私も明日、伊勢へ行くんですよ」
「ほんまかいな!」
「ご宿泊先は、どちらですか」
「伊勢清風旅館よ~」
「ええっ、私もそこへ行きますのよ」
「ええええ~~、ほんまに?」
「ええ、お客様のご招待で、御呼ばれしておりますの」
「あはは、すごい偶然やわ~~」
「ほんとですね」
「よーし、これで何も迷うことはなくなったわ~」
「なんでそうなるんですか」
安住は呆れていた。
「安住っ!あんたも行くんやでっ」
「えええ~~泊まる部屋、ないんですよ!」
「あんたは、外で寝たらええ」
「なに言うてるんですか!」
「まあまあ、これは楽しい旅になりそうですね」
こうして、大久保と安住も、伊勢に向かうこととなった。
そして朱花も同じ旅館に訪れるという偶然が、果たして明日、どんなことが起こるのか、まだ誰も知る由がなかったのである。
―――ここは桐花の小屋。
「じゃ、明日と明後日は、練習を休みにします」
日置は彼女らに向けて話をしていた。
「はいっ」
「おうよ!」
阿部ら四人は、その意味がわかっていたが、和子だけは不思議に思った。
なぜなら近畿大会前の、大事な時期だからである。
「あの・・」
和子が口を開いた。
「なに?」
「なんで、休みなんですか」
「うん・・それなんだけどね・・」
「はい・・」
「なんていうか・・」
「おい、郡司よ」
中川が呼んだ。
「はい」
「ここは、休みを取って英気を養うのさね・・」
「英気・・」
「おうよ。バカみてぇに続けるより、休んで心の臓の洗濯をするんでぇ」
「心の臓・・」
「郡司さん、心の洗濯な」
阿部が言った。
「ああ・・はい」
「だからおめーは、休みを利用して、母ちゃんの手伝いをしな」
「そうですか・・」
「肩でも揉んでやったら、母ちゃん、泣いて喜ぶぞ」
「はい、わかりました」
和子は納得した様子だ。
「郡司さん」
日置が呼んだ。
「はい」
「月曜から、また特訓するから、そのつもりでね」
「はいっ」
「じゃ、解散」
日置はそう言って、阿部に目配せした。
そう、後で集まるようにとのサインだ。
阿部はコクッと頷いた。
そして日置は小屋を出て行き、彼女らは交代で着替え始めた。
阿部は、和子に先に帰るよう促し、彼女ら四人は日置が待つ職員室へ向かった。
ほどなくして職員室へ入った彼女らは、日置の席へ行った。
ここには、他の職員は誰もいなかった。
「あ、きみたち」
日置は立ち上がって、彼女らを迎えた。
「明日だけど、授業が終わったらすぐに駅に向かうからね」
「はい」
「おうよ」
「難波の近鉄電車のホームね」
「はい」
「おうよ」
「ほんとに、僕のために、きみたちに迷惑かけて、申し訳ない」
日置はそう言って頭を下げた。
「なに言ってんでぇ、事の発端は私だ。てめぇのケツはてめぇで拭かねぇとな」
「ケツ・・」
「おうよ」
「でも、僕ね」
「なんでぇ」
「きみたちに嘘までつかせて・・お家の方にも申し訳なくてね・・」
今回の旅行は、合宿という建前で、各家庭にそう言い渡していた。
家の者は、全幅の信頼を置く日置にすべて任せていた。
そして、近畿大会とインターハイ前であることが、合宿という計画をいとも簡単に納得させていたのだ。
「おいおい、先生よ」
「ん?」
「よーく聞きな!」
「なに」
「小島先輩のことが解決しねぇ限り、近畿もインターハイもあったもんじゃねぇぜ」
「え・・」
「っんなよ、先生がドロリンと落ち込んでみやがれ。私らはどうすりゃいいんでぇ」
「・・・」
「それをなんていうか、知ってっか」
「なに・・」
「本末転倒ってんだよ」
「・・・」
「だから、気にするこたぁねぇんだ。嘘も方便、三味線ベンベンっとくらぁ!」
「あははは、あんた、なに言うてんのよ」
阿部は爆笑した。
それにつられて、重富も森上も笑っていた。
「先生」
阿部が呼んだ。
「ん?」
「中川さんの言う通りです。先生に頑張ってもらわんと、私ら困ります」
「そうですよ。先輩のことを解決して、近畿とインターハイ、優勝です!」
「私もそう思いますぅ。だからぁ、嘘とかそんなんちゃうと思いますぅ」
「ほらよ、こいつらもこう言ってんでぇ。だから、先生よ。気にすんなって」
「うん、わかった。きみたち、ほんとにありがとう」
「礼はまだ早ぇぜ」
「え・・」
「小島先輩を西島の野郎からひっぺがした後だ」
「うん、そうだね」
そして明日、日置ら一行も、伊勢に向かうのであった―――




