294 嵐の前の静けさ
その後、中川ら四人は、「小島先輩奪還作戦」と銘打って、連日策を練っていた。
そして、伊勢に向かうまで、あと六日と迫っていた日のこと―――
「んでよ、みんなジャージで行くんだぜ」
教室で中川がそう言った。
「うん、合宿の体でな」
「そうでぇ。で、私、考えたんだけどよ」
「おお、なになに」
「実はよ――」
中川は自身が考え出した「作戦」を話した。
すると彼女らは「ええええ~~!」と驚きの声を挙げていた。
「いやいや、それはバレるって」
阿部が否定した。
「バレねぇって」
「だってさ・・恵美ちゃん・・大きいし・・」
「女子でも、でかいのいんだろ」
「あ、ほな、男の人ってことにしたら?」
重富が言った。
「おうよ、重富。それだぜ」
「で、先生はどうすんの?」
阿部が訊いた。
「ふっふ・・」
中川は不気味に笑った。
「なによ」
「先生は主役さね」
「うん」
「だから、ここぞって時に、満を持して登場ってわけさね」
「登場すんのはええとして、なにするんよ」
「まあまあ、ここは私も思案中さね」
「そうなんや」
「でもま、大体のメドは立ってんだけどよ」
「それ、なんなん」
重富が訊いた。
「当日のお楽しみってわけさね」
「ちょっと、先生に変なことさせたらあかんで」
阿部は、自分たちの「仕事」でさえ、どうなるかわかったもんじゃないのに、ましてや先生に、と心配した。
「この作戦は、まず、西島の野郎をギャフンと言わせることにある!」
「うん」
「そして小島先輩を諦めさせ、取りもどーーす」
「そやな」
「晴れて先生の元へ戻った二人は、めでたしめでたし、という寸法さね・・」
「寸法て・・」
「そもそも、寸法って、長さのことやろ」
重富が言った。
「あめーぜ・・」
「なによ・・」
「寸法ってのはだな、段取りのことも言うんでぇ」
「へぇーそうなんや。知らんかったわ」
「ほなら、これから私も寸法って言おかな」
「あはは、チビ助。おめーが言ってみろよ、みんな卒倒すんぞ」
「いや、私、学級委員やん。せやから会議とかで言う」
「あははは、おめー、おもしれぇな」
「うまいこと行くとええなぁ・・」
森上がポツリと呟いた。
「ちげーぜ、森上よ」
「なにがぁ」
「うまいこと行かせる。この作戦は、ぜってー成功させるんでぇ」
「ああ~・・そやなぁ」
中川が思案中といったのは、いわば留めの「一発逆転」のことだった。
どうすれば、小島の心に響くか、元通りになるのかを、大河を想像しながら考えていた。
大河に何をされれば嬉しいか。
何を言われれば嬉しいか。
好きだのなんだのは、平凡中の平凡だ。
それより、「あの日置が」と思わせてなんぼだ、と。
そして、この二日後、中川は「一発逆転」を思いつくのである。
―――それから三日後。
「先生よ」
昼休み、中川は職員室へ入り、日置の席へ行った。
「あ、中川さん。どうしたの?」
「ちょっと来てくんな」
そう言って中川は日置を校庭に連れ出し、向かい合って立った。
「どうしたの?」
「先生よ」
「なに?」
「おめー、ボロボロになる覚悟はあるんだよな」
「ああ・・うん・・」
「じゃ、これ読んでくんな」
そこで中川は一枚の紙を渡した。
日置はそれを受け取り、書いてある文字を読んだ。
すると日置の顔色は、見る見る変わり「これ・・」と言って中川を見た。
「それ、私が書いたんだ」
「これ・・歌詞なの・・?」
「おうよ」
「で・・これ、なにするの・・」
「実はよ――」
そこで中川は「作戦」を説明した。
「え・・そんな・・僕が・・」
「おいおい、先生よ」
「・・・」
「泥にまみれろって言ったはずだぜ」
「そうだけど・・」
「先輩を奪われてもいいのかよ」
「いや、それはダメ・・」
「だろ」
「だけど・・」
「なんだよ」
「この歌詞・・ほんとにきみが書いたの?」
「そうさね。昨晩寝ずに作ったんでぇ」
「そうなんだ・・」
「気に入らねぇってんなら、書き換えるぜ」
「いや・・この歌詞・・僕の気持ちそのものだよ・・」
「そうだろうぜ」
「よくこんな・・ほんとによく書けてるよ・・」
日置は改めて歌詞を読んでいた。
「曲も出来てるしよ。でだ。放課後、音楽室で録音すっから、先生、そのテープ持って帰んな」
「うん・・」
「いいな、ぜってーやり抜くんだ」
「うん・・」
「じゃな」
そう言って中川はこの場を後にした。
日置は思った。
その後も小島から連絡がない。
自分からかけようと思ったが、突き放されるのが怖かった。
けれども今しがたの「泥にまみれろ」という中川の言葉を、今一度胸に刻んだ。
そうだよね・・
せっかく中川が徹夜して作ってくれた歌詞・・そして曲を、無駄にしちゃいけないよね・・
これでもダメなら・・その時は・・別れよう・・
うん・・それでいいんだ・・
日置はまた歌詞を読み返していた。
なんて・・いい歌詞なんだ・・
あの子は・・どうして僕の気持ちがここまでわかるんだ・・
ほんとに、そうなんだよ・・
このままなんだよ・・
―――ここは桂山化学の庶務課。
「小島さん」
西島が声をかけてきた。
「はい」
小島は振り向いて答えた。
「しおりのことなんやけどな、全員分コピーするから手伝ってくれる?」
「はい、わかりました」
そして二人はコピー室に向かった。
ほどなくしてコピー室に入った二人は、機械にスイッチを入れた。
「ほな、手分けして、小島さんがこれな」
西島は用紙を数枚渡した。
「全員で三十人やから、30×5な」
「はい、わかりました」
そして二人はコピーし始め、ゴーッという音だけが、部屋に響いていた。
「あっ」
二人は同時に声を挙げた。
「あはは、なに」
「西島さんこそ、どうしたんですか」
そう、二人は「あの日」のことが、少し胸に残っていたのだ。
小島が西島の胸で泣きじゃくった日のことである。
翌日から、いつも通りに接していた二人だったが、コピー室には二人っきりだ。
おまけに部屋は狭い。
それで二人は、なんとなく気まずくなったのである。
「いや、特にこれというわけでもないんやけどな。きみは?」
「ああ・・私も特には・・」
「あはは、二人とも可笑しいな」
「そうですね」
二人は顔を見合わせてニッコリと笑った。
「それにしても、このスケジュールの組み方、小島さん、才能あるなあ」
「いえ、とんでもないです。西島さんがヒントをくれはったからです」
「そういや、旅館には卓球台もあるんやな」
「そうなんですよ」
「僕、教えてもらおうかなあ」
「はい!私でよければ」
「小島さんのコーチか・・なんか怖そうやな・・」
「いやっ、西島さん、なに言うてはるんですか~」
「あはは、冗談や、冗談」
「西島さんって、趣味はなんですか」
「聞いたら驚くで」
「え・・」
「僕な、これでも空手やっとったんや」
「えっ!ほんまですか」
「ま、いうても通信教育やけどな」
「あははは」
小島は、吉本新喜劇のギャグを言った西島が面白いと思った。
そして西島も、受けたことで嬉しそうに笑った。
「で、ほんまは、なんなんですか」
「僕な、旅行が趣味やねん」
「おおっ、西島さんらしいですね」
「日本中を旅して歩くんが夢やねん」
「いいですね~」
「いつか、自転車で日本一周したいなあと思てんねん」
「わあ~それって大変とちゃいます?」
「大変なんがええねん」
「へぇーそんなもんなんですね」
「だから僕、彼女いてへんねん」
西島は、少し照れたように笑った。
「そうなんですか?」
「彼女とデートするより、旅行の方がええねん」
「今まで、彼女いたことないんですか?」
「ううん。おったんやけど、私と旅行、どっちが大事なんって言われてフラれたんや」
「一緒に行きはったらええやないですか」
「その子、出不精でな」
「そうなんですか・・」
「まあ、僕は結婚も無理やと思う」
「そんなことないですって。西島さんを好きな人、何人も知ってますよ」
「僕は、社員の女の子、そんな目で見てないねん」
「そうですか・・」
「それより、大丈夫なん?」
「え・・」
「彼氏のこと」
「ああ・・はい。あの日、大泣きに泣いて、すっきりしました」
「うん、それならよかった」
「西島さんのおかげです」
「そんなことないけど、また話したくなったら、いつでも聞くから」
「はい・・ありがとうございます」
小島は西島の優しさが身に染みて嬉しかった。
日置のことを忘れていられるのは、実際に西島のおかげだ、と。
西島は大阪人でもあるし、笑いのツボも同じだ。
おまけに温厚で優しい。
小島は、西島がいてくれることで、何とか自分を保っていられるのだと実感していた。




