29 どこへ行った
―――ここは桂山の体育館。
「ひぃ~・・遅なった~」
蒲内は、老女を梅田コマに送り届けた後、たったいま戻って来た。
「蒲ちゃん、どこまでケーキ、買いに行っとったんや」
杉裏が訊いた。
彼女らは車座になり、休憩をとっていた。
「ちゃうねん~直ぐに戻ろうと思たらな~知らんおばあさんが、梅田コマ行きたい言うてな~」
「へぇー」
「ほんで~、行き方を教えても無理やと思てな~、梅田コマまで連れて行ってん~」
「そやったんか。お疲れさん」
「蒲ちゃん、肝心のケーキは?」
為所が訊いた。
そう、蒲内は手ぶらだったのだ。
「うん~おばあさんにあげてん~」
「あはは、蒲ちゃんらしいな」
「あっ!」
蒲内は、いきなり叫んだ。
「どしたんよ」
井ノ下が訊いた。
「彩華は?」
蒲内が訊くと、みんなの顔が曇った。
「彩華・・なんでいてないの~」
「帰ったんや」
浅野が答えた。
「え・・なんで・・」
「さあ、用事でもあったんちゃうか」
浅野は、まだ怒っていた。
「蒲ちゃん・・」
外間が小声で呼んだ。
「なに・・?」
そこで外間は、蒲内を座らせた。
「いや・・多分やで」
「うん・・」
「彩華な、先生とこ行ったと思うねん」
「そうなんや・・」
蒲内も驚いた。
いくら日置に会いたいとはいえ、練習をサボって帰るなど、小島らしくない、と。
けれども、日置のことで思い悩んでいる小島の気持ちも、わかる気がしていた。
「今日、仕事場で彩華見た?」
「いや・・見てないけど・・」
「あの子さ、どぎつい化粧してな、服装も、なんやホステスみたいでな」
「えっ・・」
「わかる、わかるんやけどな、あんな彩華見たら、先生もびっくりして、そっちへ行ってしまうんちゃうかなと思てるんや」
「そっち」とは、二股だと誤解している加賀見のことだ。
「あああ、ちゃうねん、それちゃうねん!」
「なにが違うんよ」
井ノ下が訊いた。
「いや、実は私な――」
蒲内は、中尾らが不良に脅されていたところ、偶然出くわしたこと、その後、日置と加賀見が助けて解決したことなどを話した。
「え、それって、ほな勘違いってことやん」
浅野が言った。
「そやねん~、だから、はよ彩華に言わんとあかんと思てたら、おばあさんに道訊かれて~」
「これはえらいことやで」
「彩華・・あのまま先生に会うてたとしたら・・」
「ほんで、彩華のことやん。話する言うたかて、怒り出すと思うねや」
「先生にしたら・・全くの濡れ衣やがな・・」
「疑いをかけられたら・・先生、怒ると思うで・・」
彼女らは、二人がとんでもないことになっているのではと、不安になった。
そして、自分たちも、よく確かめもせず、日置が二股かけていることを、さも事実のように勝手に決めつけたことを反省していた。
「そうやん・・よう考えたらさ、朝に電話かけていてなかったんも、朝練とちゃうか?」
岩水が言った。
「ほんまや!」
他の者が声を揃えて言った。
「ちょっと・・どうする・・?」
外間が訊いた。
「どうするて、なあ・・」
井ノ下が答えた。
「いや・・私、責任感じてんねん・・」
「ああ・・」
井ノ下は、日置と加賀見を見て「出来た仲」だと思い込んだ外間の気持ちがわかった。
しかも、そのことを小島に話したのも外間だからだ。
「いや、そとちゃんが勘違いするんも、わかる」
井ノ下は、外間の負担を少しでも軽くしてやりたかった。
「もう、今さらそんなことはええ。誰が悪いとかちゃう。悪いんは私らみんなや」
浅野が言った。
「内匠頭、どうしたらええと思う?」
杉裏が訊いた。
「とりあえず、帰ったら彩華に電話してみるわ」
「そうか・・」
「彩華かて、勘違いやとわかったら、あほやないねんから、すぐに納得するはずや」
「そやな。しかも先生、生徒のために忙しかったんやからな」
―――その頃、日置は。
あらぬ疑いをかけられ、小島に対して「幼さ」を感じていた。
自分には、全く心当たりのないことで、ああまで人は変わるのか、と。
いや、女性は変わるのか、と。
そう考えると、今後が思いやられる気がしていた。
日置の小島に対する印象は、年の割には大人びた性格で、自分は我慢してでも人のことばかり考える子だと。
それは小島が自分に対する想いをずっと抑えてきたことや、貴理子への気遣いを見てもわかっていた。
なにより小島は、自分の知らないところで、自分の心配ばかりしていた。
そんな小島が愛おしく、自分もいつしか惹かれた。
彩ちゃんは・・まだ十八だ・・
未成年なんだ・・
恋を知らなかった子が・・
卒業してすぐに・・僕と付き合い始めた・・
仕方のないことも・・あるよ・・
日置はそう思いながらも、一方では納得しかねていた。
そう、心当たりがあることならまだしも、見当すらつかないことで、いつまた、今回のようなことになるかもしれないのだ。
そうなると、自分には無理だ、と。
対処のしようがない、と。
そして一方では、なにか疑念を持ったとしても、どうして僕を信じてくれないんだ、と。
なぜ、ちゃんと話をしないんだ、と。
そんなこんなが頭をよぎり、日置の心は沈んでいった。
―――浅野家では。
浅野は練習から帰宅し、すぐに小島に電話をかけた。
「もしもし、小島です」
出たのは母親の誠子だった。
「あ、おばさん、こんばんは。浅野です」
「ああ~浅野さん。久しぶりやね~」
「はい、ご無沙汰してます」
「なあ、浅野さん」
「はい」
「ちょっと彩華の様子がおかしいんやけど、なんか聞いてる?」
「ああ・・」
「あの子さ、お化けみたいな化粧して、あの服、知ってる?」
「はい、知ってます」
「あんな彩華、初めてやのよ。もしかして先生となんかあったんちゃうかと、心配してるんよ」
「いえ、大丈夫です」
「そうなん?」
「はい」
「浅野さん、今、家から?」
「そうですけど」
「練習から帰ったん?」
「ああ・・はい」
「え・・彩華、まだ帰ってないんやけど」
「え・・」
浅野はとても嫌な予感がした。
そう、今も日置と揉めているのではないか、と。
「ああ、なんか、帰りにチームの子らと、パフェ食べに行くて言うてましたんで、もうすぐ帰って来ると思います」
「あら、そうなんや。浅野さんは行かんかったの?」
「はい、用事がありまして。ほんでもう帰ってるかなと思て、電話させてもらいました」
「そうなんやね。せっかくかけてくれたのに、悪かったね」
「いえ、大した用事やなかったんで。では、失礼します」
そして浅野は電話を切った。
これは、えらいことになってるかもしれん・・
ケンカ中やったら・・
電話するんも悪いしな・・
いや・・ケンカ中やからこそ、電話せな・・
誤解を解かな・・
そして浅野は、日置の家へ電話をかけた。
「もしもし、日置です」
「あっ、先生」
「ああ、浅野さん。どうしたの?」
「今・・ええですか・・」
「うん、いいよ」
あれ・・彩華、いてないんかな・・
「あの・・彩華は・・」
「来てたけど、帰ったよ」
「え・・」
「それがどうかしたの?」
「帰ったて・・何時ごろですか」
「んーと、僕が帰宅したのは、六時半くらいだったかな。だから小島さんが帰ったのは、七時くらいだと思うよ」
「え・・」
そこで浅野は壁掛け時計を見た。
すると時間は、十時を回っていた。
「嘘やん・・」
浅野は思わず呟いた。
「どうしたの」
「いや・・彩華、まだ家に帰ってないんです」
「え・・」
「先生、彩華とケンカになりました?」
「ああ・・ケンカというか・・浅野さん、どうしてそう思うの」
「いや・・今は話してる時間がありません。先生、彩華の行きそうな場所、知りませんか?」
「行きそうな場所・・っていうか、僕、今から探すよ」
「私も探します。どこへ行けばええですか」
「そうだな・・とりあえず天王寺に出てみる」
「わかりました。ほな改札で待ってます」
そして浅野は受話器を置いた。
彩華・・あんた、なにしてんねん・・
ほっんま、あほやねんから!
浅野は急いで家を飛び出した。
その際、母親には「心配せんでええ、直ぐに帰る」と言った。
一方で日置も、直ぐに家を出た。
彩ちゃん・・きみは一体、なにをやってるんだ・・
家にも帰らず・・
どれだけ僕を心配させたら気が済むんだ・・
そして日置と浅野は、天王寺駅に向かったのである。




