285 言い争い その2
―――ここは桂山の社員食堂。
小島と浅野は、一緒に昼食を摂っていた。
「そうかあ・・中川さん、大変やったんやなあ」
小島はたった今、昨日の試合のことと、中川と公園で話したことを浅野に説明し終えたところだった。
「せやけど、最後には立ち直った感じやったし、よかったわ」
「せやけどさ、大河くんて、中川さんみたいな超美人のこと、なんとも思わんのやな」
「ああ・・そうみたいやなあ」
「普通、男子やったら、イチコロやで」
「まあ、人それぞれ好みとかあるやろしな」
「まあ、そうやけど」
「それでさ・・」
小島は小声になった。
「なによ・・」
「私、昨日、先生にそのこと話したんや・・」
「うん・・」
「ほなら先生、めっちゃ怒ってさ・・」
「え・・なんでやの」
「教師のプライベートなことを言うなって・・」
「ああ・・まあ先生やったら、そう思うやろな」
「ほんでさ、そこから言い争いになって、私、もうブチ切れてさ・・」
「えっ」
「文句言いまくって、出て行ったんよ・・」
「え・・なんて言うたんよ」
そこで小島は、部屋を後にする前、捲し立てて喋った内容を話した。
「ええ~~、それって大丈夫なんか」
「まあ・・言い過ぎたと反省はしてるんやけどな・・」
「先生、びっくりしたやろな」
「そやろけど、なんかさあ、別に知られたってええと思わん?」
「先生は、異常なくらいの秘密主義やからな」
「それやん。ほっんま、理解できんわ」
「まあまあ、彩華。先生は一回りも年上やけど、恋愛に関しては小学生やから、抑えて、抑えて」
「小学生て、なによ」
「あはは、だって小学生レベルやん」
「まあ・・確かにそうかも・・」
「小島さん」
そこへ、小島と同じ部署の男性が声をかけてきた。
「あ、西島さん」
西島は、小島より五歳年上で独身の先輩だ。
日頃から小島は、西島になにかと世話になっていた。
入社した際も、一から仕事を教わったのも西島だった。
「さっき決まったんやけど、今日、飲み会するねんけど、小島さん、どうする?」
「そうなんですか・・」
「練習があるから無理かな」
「そうですね・・すみません」
「いや、ええねん。僕、幹事やってるから、人数把握しとかなあかんからな」
「いつも西島さんばかりに任せてしまって、すみません」
「あはは。僕、こんなん好きやから」
そう言って西島はこの場を去った。
「西島さんて、ほんま世話好きやよな」
浅野が言った。
「うん。めっちゃええ人」
西島は部内でも人気者だった。
面倒な役回りをいつも買って出ては、何一つ嫌な顔をせずに熟すような人物だった。
それに、なかなかのイメケンでもあり、女性社員の中でも憧れる者も少なくなかった。
「それより先生のことやけど、やっぱり彩華が折れる方がええで」
「そうなんやろか・・」
「そうやって。先生って優しいけど、めっちゃ意固地やん」
「うん」
「あんたの方が大人にならなな」
「小学生・・か・・」
小島は疲れたように呟いた。
―――そして放課後。
「きみたち、昨日はお疲れさまでした」
練習前、日置は彼女らに向けて話をしていた。
「郡司さん、試合はどうだった?」
「はい、一回戦は淀川南高校の桑原さんに、13点と9点が勝ちましたが、二回戦は三神の榎木さんに4点と6点で負けました」
「三神とやって、どうだった?」
「はい、力の差を感じました。もっと練習をしないといけないと思いました」
「そうだね。榎木さんもそうだけど、一年生の子たちはいずれきみのライバルになるからね」
「はい」
「でも一回戦を勝ったことは大きいよ。それはわかるよね」
「はい」
「よし。じゃ、今日からは近畿とインターハイに向けて、より一層、厳しい練習をするから、みんな、そのつもりでね」
「はいっ!」
「おうよ!」
「基本をやった後、郡司さんは僕と特訓。重富さんはフォアとバックでラケットの反転の徹底。阿部さんはツッツキから回り込んでミート打ちの徹底。これもバッククロス、ミドル、フォアストレート三点に打ち分けること。森上さんはボールを出してもらって、後方からのドライブスマッシュ。これもコースを打ち分けて。中川さんはズボールを出した体でカットして、前に寄ってスマッシュ。これはバックハンドもね。これもコースを打ち分けること」
「はいっ!」
「おうよ!」
そして日置と彼女らは、それぞれ分かれてコートに着いた。
日置もそうだが、彼女らは大阪で優勝したという責任を果たすため、まずは近畿での優勝を目指していた。
問題の中川も、なんとか立ち直り、小屋には元気な声が響き渡っていた。
―――そしてこの日の夜。
小島は就寝前、日置に電話をかけることにした。
浅野の言うように、自分が大人にならなければ、と思ったのだ。
そして受話器を手にしてボタンを押した。
「もしもし、日置ですが」
「あ、先生、私です」
「彩ちゃん・・」
日置は少し戸惑った。
なぜなら、あんなに怒って出て行った小島が、まさか昨日の今日で連絡してくるとは思わなかったのだ。
「昨日は、言い過ぎました。すみませんでした」
「いや、僕の方こそ言い過ぎた。ごめんね」
「それで・・今日は、どうでしたか・・」
「どうって?」
小島は一瞬、イラッとした。
そう、中川のことに決まってるだろう、と。
「中川さんのことです」
「ああ・・」
「彼女、練習に参加しました?」
「うん。いつも通りに元気だったよ」
「そうですか・・よかった」
「僕さ、中川に訊いたんだよ」
「え・・」
「大河くんとのこと」
小島は正直、唖然とした。
なにも言うなと釘を刺したはずだぞと。
「それで・・中川さんはなんて・・?」
「もう大丈夫だって。それと二度と振り回されないって」
「そうですか・・」
「それでね、僕ときみのことも話したんだよ」
「え・・」
「やっぱり言っておかないと、万が一ってこともあるからね」
「釘を刺したということですか・・」
「そんな大袈裟なもんじゃないけど、小島から聞いた話は忘れてくれって言ったんだよ」
嘘やろ・・先生・・
大河くんのことはまだしも・・
そこは触れたらあかんやろ・・
釘を刺すってことは・・中川さんを信じてないって言うてるようなもんやんか・・
あり得へん・・
「そしたらさ、私が誰かに喋ると思ってるのかって、言われちゃったよ」
「あの・・先生」
「なに?」
「私、言いましたよね」
「え・・」
「なにも言うなって、言いませんでしたっけ」
「いや・・言ったけど・・」
「だったら、なんでそんなこと言うたんですか」
「だってさ、ちゃんと聞いておかないとダメでしょ」
「なにがあかんのですか」
「僕だってね、中川を傷つけないようにって、これでも気を使ったつもりだけど」
「気を使うんやったら、触れん方がええってことまで気を回してくださいよ」
「なんだよ、その言い方」
「あの、先生。言うときますけど、一つ間違えば、へそを曲げて喋り倒されることかてあるんですよ」
「・・・」
「私、言いましたよね。あの子は誰にも喋らへんって」
「・・・」
「中川さんやからよかったものの、普通の子やったら傷ついてますよ。いや、中川さんかて傷ついてますよ」
「僕の何が間違ってるんだよ」
「先生・・」
「そもそも、きみがペラペラと喋ったことが発端じゃないか」
「・・・」
「きみが話さなかったら、僕だって中川を傷つけることなんかなかったよ」
ほんまにもう・・
まさに小学生や・・
ほなら・・あのまま中川さんを放っといてよかったんか!
それで一番困るんは、先生やろ・・
ああ・・わかってない・・
なんもわかってない・・
そもそもやな・・
彼女がおるってわかって、生徒に冷やかされようがなんやろうが・・かまへんやろ!
そんなん一時のことや・・
それくらいのこと・・受け流せっちゅうねん・・
小島はこれらの思いが喉まで出かかっていたが、さすがに口にはしなかった。
「わかりました」
「なにがだよ」
「私が悪かったです」
「悪いと思ってないのに、謝ることないよ」
「え・・」
「僕が悪かったんだ。生徒の気持ちもわからないダメ教師だから、こんなことになったんだよ」
「先生、いい加減にしてくれませんか」
「きみこそ、変なお節介してさ、僕の気持ちなんてなにもわかってないじゃないか」
「・・・」
「僕は、愛だの恋だの、好きだの嫌いだので、余計な気を使いたくない。それは部員のあの子たちもそうだ。中川みたいにフラフラとなられちゃ困るんだよ」
「あの子ら、卓球をするロボットですか」
「え・・」
「強くて勝てるだけでええんやったら、ロボット造ったらええんとちゃいますか」
「なに言ってるんだ」
「もうええです。話は平行線です」
「僕こそ、ウンザリだよ」
「そうですか。わかりました」
「なんだよ」
「ガチャン」
いきなり電話は切れた。
日置は憤慨しながら「なんだよ、一方的に」と言って受話器を乱暴に置いた。
一方で小島は、ほとほと呆れ返っていた。
生徒の気持ちが理解できないなら、なぜ私の言うことを聞かなかったんだ、と。
中川は他言する子ではないと、先生も知ってるだろう、と。
挙句には、捻くれてダメ教師だのなんだのと。
小島は、まさか別れる気などさらさらなかったが、ここは互いに頭を冷やすためにも、少し距離を置こうと考えた。
時間が経てば、いくら日置とはいえ大人だ。
少しは考えるだろうし、その時が来れば、また元通りになるはずだ、と。
一方で日置は気分転換を図るため、部屋を出て一人で飲みに行くことにした。
難波まで出る際、歩きながら日置は今しがたの言い争いが頭を駆け巡っていた。
自分の何が間違ってるのか、中川に対してどう接すれば正解だったのか、と。
あれこれ考えを巡らせたが、すぐに答えなど出るはずもなかった。
ほどなくして居酒屋に到着した日置は、扉を開けて中へ入った。
時間はもう十一時を過ぎているというのに、店はとても繁盛しており、日置は二人席に案内されて座った。
そしてチューハイと揚げ出し豆腐を注文して、周りを見渡していた。
「いやいや、僕はやっぱり小島さんやな」
日置の席から少し離れたところに、おそらく二次会かと思われるサラリーマン四人が楽しそうに話していた。
「小島さんはあかんで」
「なんでやねん」
「彼氏がいてんねや」
「えっ、そうなんか!」
「あはは、お前知らんかったんか」
「僕、名前も好きやのになあ」
「彩華ちゃんな」
日置は思わず彼らを見た。
この人たち・・桂山の社員なのか・・
「小島さんはしっかり者で、ええ子やもんなあ」
「西島」
「ん?」
「お前はどうやねん」
「どうって?」
「小島さんやん」
「ええ子やと思うで」
「可能性があるとしたら、西島やな」
「なにがやねん」
西島はそう言いつつも、やけに楽しそうだ。
可能性とか・・なに言ってるんだよ・・
日置は彼らから目が離せなかった。
「せやけど十九で彼氏いてんのかあ」
「西島、お前、奪えよ」
「あほか」
さすがに西島も呆れていた。
無論「奪え」と言った男性も、冗談を口にしただけだ。
「あの子は単なる後輩。ましてや彼氏がいてんねんから、あかんに決まってるやろ」
「せやけど、お前、男前やし」
「あほか」
「そうか。ほなら野口さんはどうや」
「僕さ、そんな目で女子社員見てないし」
「お前、もう二十四やろ。彼女もいてんと、結婚どうすんねや」
「お前かて同期やん」
「俺は彼女、いてます~」
「俺は、奥さんいてます~」
「ほなら、僕と西島だけか」
この四人は同期入社で、既婚者と彼女がいるのと、あとの二人は「フリー」だった。
そのうちの一人が西島である。
「それより、今度さ、社員旅行あるやん」
「うん」
「また西島に任せっきりになるな」
「僕は、むしろ好きやし、余興とか考えるん、楽しいんや」
「知ってるか?最近な、王様ゲームっていうんが流行ってるんや」
「それ、なんやねん」
「王様の命令には絶対に従わなあかんってゲームや」
「へぇー」
「割り箸に1本だけ王様と書いて、それを引いた人は王様ってことで、家臣に命令できるんや」
「命令って?」
「なんでもええねん。例えばやで・・誰かと誰かをキスさせるとか・・」
「えええええ~~~!」
「俺が王様になったとするやろ。ほんで、西島と小島さんにキスを命じる、とかな」
「ヒューヒューええぞ~~」
既婚者が冷やかした。
「あかんあかん。そんな下品なゲーム却下や」
西島はすぐに否定した。
この会話を聞いて、愕然としたのが日置である。
こんな野獣のような連中と、旅行などさせられるか、と。
日置はとっくにテーブルに置かれたチューハイと揚げ出し豆腐にも手を付けず、気分を害して店を後にしたのである。




