283 言い争い
食事を終えた後、小島と別れた中川は、難波の繁華街をブラブラと歩いていた。
そして雲がかかっていた心にも、徐々に晴れ間が射すようになっていた。
明日は・・チビ助たちに、謝んねぇとな・・
ほんとに私は・・迷惑ばっかりかけて・・どうしようもねぇな・・
そして中川は、何組ものカップルが通り過ぎるのを見ていた。
あいつらにも・・色々とあんだろうな・・
「あ、中川さんやがな」
そこで一人の男性が声をかけてきた。
「あっ!おめーは、吉住さんじゃねぇか」
そう、その男性は吉住だった。
「おう、久しぶりやな」
「こんなとこで、なにやってんでぇ」
「きみこそ、なにやってんねや」
「私は、その・・買い物さね」
「練習は?」
「ああ・・今日は、休みなんでぇ」
「それよりきみら、優勝したんやてな」
「え・・」
「インターハイ、行くんやろ?」
「おうよ、そうさね」
「日置くんな、めちゃくちゃ喜んでたで」
「そうかよ」
「よう頑張ったな。おめでとう」
「うん、ありがとな」
「あっ、ちょっと待ってや」
そこで吉住は何かを思い出したように、鞄の中を探っていた。
「あった、あった。これや」
吉住は一枚の紙を中川に見せた。
「これ、なんでぇ」
「オーディションや」
「へ・・?」
中川は紙を受け取り、説明文を読んでいた。
「今度な、うちの会社で新人オーデションやるんや」
「へぇ」
「よかったら、きみ、出てみぃひんか」
「なんで私が」
「無理にとは言わん。よかったらでええねや」
吉住は、まったく期待はしていなかった。
ただ、偶然ここで会ったのもなにかの縁だと考え、渡すだけ渡したのだ。
そう、「点」の一歩だと。
「私には関係ねぇよ」
中川はそう言って、紙を返そうとした。
「いらんかったら、捨ててくれてええで」
吉住は受け取らなかった。
「ほな、僕、行くとこあるから。またな」
「おう」
「インターハイ、頑張りや」
「おうよ」
そして吉住は、この場を去った。
ふーん・・オーディションか・・
新人女優発掘ねぇ・・
私には関係ねぇやな・・
中川はそう思いながらも、紙をズボンのポケットにしまった。
そしてのちに、中川は興味本位でオーディションを受けることとなるのである。
―――そしてこの日の夜。
小島は日置のマンションに訪れていた。
日置は式に出席した後、二次会にも参加し、上機嫌で帰宅していた。
「それでさ、愛豊島の同期も、出席しててね」
日置は着替えも済ませ、ソファに座って話をしていた。
「そうですか。同窓会も兼ねられたわけですね」
小島は酔っている日置に、日本茶を淹れていた。
「もう懐かしくてさ~」
「よかったですね」
「やっぱり学生時代の仲間って、あの頃に戻るんだよね」
「そうですね」
小島はそう言いながら、テーブルに湯飲みを置いて日置の隣りに座った。
「ありがとう」
日置はニッコリと微笑んだ。
「でさ、白鳥さんの花嫁姿、すごく綺麗でさ~」
「そうですか」
「女性って、花嫁姿が一番きれいだっていうけど、ほんとだね」
「そうなんですね」
「秀幸もね、もうデレデレでさ。あはは」
「八代さん、嬉しいんでしょうね」
「そうなんだよ。ずっとニヤケてるの」
「わかります」
淡々と答える小島を、日置は変に思った。
「彩ちゃん、どうしたの?」
「なにがですか?」
「あっ、わかった。妬いてるんだ」
日置は呑気にそんなことを言った。
「は?」
「白鳥さんのこと、綺麗だって言ったからでしょ」
「まさか。なに言うてるんですか」
「バカだなぁ。彩ちゃんが一番に決まってるでしょ」
日置はそう言って、小島を抱きしめた。
「彩ちゃ~ん、好きだよ」
「あの、先生」
小島はそう言って日置から離れた。
「なに?」
「今日、郡司さんの試合やったんですよ」
「あ・・ああっ!そうだった」
「まったく・・」
「どうだったんだろう。明日、訊かないと・・」
「私、行って来ました」
「え・・」
「試合、観てきました」
「ええっ!行ってくれたんだ。で、どうだった?」
「一回戦は、問題なく勝ちましたが、二回戦は三神の榎木さんって子にボロ負けしました」
「ええ~~、また二回戦で三神だったんだ」
「はい」
「そうか・・でも一回戦は勝ったんだね」
「はい」
「それでいい。とにかく実戦で一つでも多く勝つことが大事だからね」
「そうですね」
「彩ちゃん、ありがとね」
日置はそう言って、また小島を抱きしめた。
小島は、やはり中川のことを話さなければならないと思った。
「あのね、先生」
「ん?」
「中川さんのことなんですけど」
「中川が、どうかしたの?」
そこで日置は小島から離れた。
「実は――」
そして小島は、今日起こったことを丁寧に話し始めた。
すると日置は、次第に辟易とするように、表情が変わった。
また大河か、と。
「でも中川さん、なんとか立ち直って、頑張ると言いましたよ」
「そうなんだ・・」
「せやから、中川さんになにも言わん方がええですよ」
「うん・・」
「あの子かて、年頃なんです。そら、好きな人のことで悩みもしますって」
「ほんと、恋は邪魔なんだよな・・」
「え・・」
「卓球に恋は邪魔なだけ。恋愛なんて卒業してからいくらでもすればいいんだよ」
「・・・」
「きみもそうだったよね」
「え・・」
「僕のことで悩んで苦しんでさ」
「そうですけど、私は頑張りました。せやから中川さんかて同じです。いえ、あの子は私以上に頑張れる子です」
「どうなんだろ・・」
「だから私ね、先生との色々なことも話ました」
「え・・?」
「先生にフラられたことや、色々です」
日置は唖然とした。
なにを軽々しく喋ってるんだ、と。
「色々って、なんだよ」
そこで小島が内容を話すと、日置の顔色はさらに変わった。
「きみ、どうして話したんだよ」
「中川さんを立ち直らせたかったからです」
「だけど、そんなプライベートなことを話すなんて、どうかしてるよ」
「なんでですか」
「きみ、考えてみろよ。あの子は生徒なんだぞ」
「そうですけど」
「その生徒に、教師のプライベートを話すなんて、ダメに決まってるだろう」
「ほなら訊きますが、あのまま中川さんを放っといても良かったんですか」
「そんなことは言ってない」
「私かて、話したくて話したんやありません。せやけど、ああするより他に方法がなかったんです」
「だからといって、見合いのことや卒業式の日のことまで、どうして言わなきゃならないんだよ」
「先生!」
小島は思わず大きな声を挙げた。
「なんだよ」
「そんなに私とのこと、知られるのが嫌なんですか」
「だから、そんなこと言ってない!」
「私は先生とのこと、誰に知られたって構いません!」
「あの子は生徒なんだ!まだわからないのか!」
「生徒やから、なんなんですか。生徒に知られたらあかんのですか」
「僕は嫌なんだよ!きみ、知ってるだろう!」
小島とて、日置の気持ちは嫌というほどわかっていた。
ただでさえ生徒に言い寄られるのに、彼女がいると知れ渡れば、それこそ冷やかしを受けるだろう。
そんな煩わしいことなど、最も避けたいはずだ、と。
「そうですか。私が悪かったです。すみません」
「・・・」
「でも中川さんは、誰にも喋りません」
「・・・」
「あの子が喋りなんやったら、先生との関係は、とっくに学校中に広まってるはずです」
「・・・」
「とにかく、立ち直ったとはいえ、あの子は揺らいでます。女子高生の気持ちもわからん先生が、余計なこと言うたら最悪ですから、なにも言わんといてくださいよ」
「なんだよ、その言い方」
「なにがですか」
「どうせ僕は、生徒の気持ちなんてわからないダメ教師だよ」
「しょうもないことで、絡まんといてくださいよ」
「もういい。とにかく、今後は絶対に喋っちゃダメだよ」
「・・・」
「ほんと・・女性って、なんでこうもお喋りなんだ・・」
「・・・」
「まったく理解できないよ」
「頼まれても喋りませんから、どうぞ安心してくださいな!」
小島はテーブルをバンッと叩き、立ち上がった。
日置は唖然として小島を見上げていた。
「あ~あ、アホらし。なんでこうなんねん。秘密主義にもほどがあるっちゅうねん。なにがあかんねん。先生の大事な生徒を立ち直らせるためにしたことが、こんな言われようになるとはな。それやったら、別れたらええねん。一体、私はなんなんや!」
小島は一気にまくし立てて喋り、「ほな、さいなら!」と言い残して部屋を後にしたのだった。
日置は引き止める間もなく、呆然と玄関を見ていた。
すごい剣幕だったな・・
僕の言ったこと・・そんなに間違ってたのか・・?
あ~あ・・今日は、せっかくいい気分だったのに・・
どうしてこうなるんだよ・・
それにしても・・中川だよ・・
あの子は彩ちゃんより、危なっかしい・・
彩ちゃんは・・キャプテンとしていつも冷静だったけど・・
中川はそうじゃない・・
まいったな・・
このように日置は、今しがたの小島については深く考えてなかった。
つい興奮して、あんな風に言ったくらいにしか思ってなかったのだ。
けれどもこの先、このやり取りが「引き金」となり、日置と小島の間に溝が生まれるとは、二人とも知る由がなかったのである。




