282 小島の過去
2セット目、和子は森上のアドバイス通り、スマッシュを打っていった。
「もっとミートを効かせてぇ~素早くやでぇ~」
いつもは口数の少ない森上だが、この日は積極的に声を挙げていた。
「そうそう!ミスしてもええよ!」
「もう1本!」
阿部と重富も檄を飛ばした。
そんな中、何も言わない中川を、やはり小島は心配した。
とはいえ今は試合中だ。
そう思った小島は「郡司さん!強気、強気!」と声を挙げた。
一方で市原は、和子のプレーも細かくメモしていた。
――森上さんのアドバイスを受けて、郡司さんは強気な攻撃に転じる。するとスマッシュは悉く決まり、桑原さんは手も足も出ない。うーん、さすが三神に勝った先輩たちだ。見事なアドバイス。
フロアの隅で観戦している神田も、和子のプレーに見入っていた。
郡司さん・・上手いな・・
点を取ったら・・サーよしって言うんや・・
そうか・・そうなんや・・
神田は何ともいえない疎外感に襲われていた。
なぜなら多くのギャラリーは和子を注目し、そんな和子は先輩らに後押しされて活き活きと動いている。
方や自分は、ギャラリーの一人なだけで、誰も自分を知らないし自分も誰も知らない。
和子のようになりたい、と。
あの輪の中に入りたい、と。
こう思った神田だったが、卓球部を混乱に陥れた張本人の自分が受け入れられるはずがないと、静かにこの場を後にしたのだった―――
コートでは、和子は1セット目より低い21-9という大差で勝利を収めていた。
「よしよし、ナイスゲームや!」
「よう攻めたな。よかったで!」
「郡司さぁん、よかったよぉ~」
阿部らは拍手で和子を迎えていた。
「うん、2セット目は完璧やったで」
小島もそう言った。
「はいっ」
和子は一勝できたことで、ホッとした表情を見せた。
「郡司さん、すごいやん!」
市原も大喜びしていた。
「ありがとう」
そこで和子は中川に目を向けた。
「おう。郡司よ、いい試合だったぜ」
「はいっ」
「ほな、ロビーに行こか」
阿部がそう言うと、一行はロビーに向かった。
ほどなくしてロビーに出た彼女らは、空いているベンチにそれぞれ分かれて座った。
「中川さん」
中川の隣に座った小島が呼んだ。
「なんでぇ」
「あんた、どしたんよ」
「さっきも言ったけどよ、まあ色々とあったんでぇ」
「色々って?」
「色々は色々さね」
「大河くんのことちゃうの」
小島が訊くと、中川は口を噤んだ。
「それにあんた、私服て、あり得へんやろ」
「なんでだよ」
「ジャージは、いわば部の制服や」
「・・・」
「そらな、着てるもんでなにもかも決まるわけやないけど、私服はないで」
小島も阿部と同様、中川は部を辞めるのでは、との懸念を抱いた。
なぜなら、小島の言うようにジャージは部の制服だ。
それを身に着けてない上に、中川らしさがまったく消えているからである。
予選の際、中川は大河のことで落ち込み、死んだようになっていたが、いわば「感情」があった。
けれども今の中川は、その感情さえも見せない。
それだけに、事は深刻だ、と。
「試合が終わったら、話しよか」
「別に、話なんてねぇよ」
「あんたに選択肢はない」
小島がそう言うと、中川は苦笑した―――
その後、和子は榎木と対戦したが、圧倒的な榎木の前ではなにも成す術がなかった。
1セット目、21-4、2セット目、21-6と、ダブルスコア以下で負けた。
その際、皆藤はいつも通りベンチには着かず、榎木もチームメイトらも、何事もなかったかのようにコートを去った。
けれども一つだけ違う点があった。
そう、阿部ら四人の存在である。
榎木ら一年生は、この四人に先輩たちは負かされたんだと、時々阿部らを気にしていたのだ。
中でも仙崎に対して4点と5点で勝った森上を、近畿大会で観るのが楽しみでもあった。
和子は審判も終え、彼女らはロビーに向かっていた。
「中川さん」
阿部が呼んだ。
「なんでぇ」
「私ら、今から学校に行って練習するけど、あんた・・なんも持って来てないよな」
「ああ」
「どうするん・・」
「わりぃが、今日は帰らせてくんな」
「そうか・・」
「中川さん」
重富が呼んだ。
「なんでぇ」
「あんた・・ほんまに大丈夫なんか・・」
「おうよ」
「阿部さん、重富さん」
小島が呼んだ。
「はい」
「この、魂ふぬけ野郎のことは、私に任せといて」
小島はそう言って笑った。
「そうですか・・じゃ、私らはこれで失礼します」
「魂ふぬけ野郎のこと、よろしくお願いします」
「なに言ってんでぇ」
中川はバツが悪そうに、ソッポを向いた。
そして阿部らは学校へ向かい、小島と中川は近くの公園に向かった。
ほどなくして公園に入った二人は、並んでベンチに腰を落とした。
「それで、あんた、どないしたんや」
「どうしたってよ・・別に」
「あのな、別にっていいわけなんか、この私に通用するとでも思てんのか」
「・・・」
「ええから、言うてみ」
「もうさ・・なんつーか、なんもやる気が起こらねぇっていうかさ」
中川の言いぶりは、けしてやけになっての「それ」ではなかった。
「なんでやの」
「何度も大河くんにフラれたけどよ、今回ばかりはきつかったってことさね」
「なにがあったんや」
「それがよ――」
そこで中川は事の経緯を説明した。
すると小島は、「あはは」と笑っていた。
「なに笑ってやがんでぇ」
「そら笑うやろ」
「なんでだよ」
「あ~小さい、小さい」
「はあ?」
「あんたな。あんたも知ってると思うけど、私と先生って付き合ってるやろ」
「おうよ」
「付き合うまでに、それこそ色々とあったんやで」
中川は確かにそうだと思った。
よく考えれば、小島が卒業してからまだ二年も経っていない。
二人が付き合い始めたのは、いつからなのか。
なにがきっかけでそうなったのか。
日置は「マジメルゲ」だ。
まさか在学中から付き合うはずもない。
そもそもどっちが好きになったのか。
なにもかも、知らないことだらけだ、と。
「先輩よ」
「ん?」
「先生と先輩って、どっちが好きになったんだ」
「私やで」
「へぇ・・」
「私さ、一年の時から先生が好きでな」
「えっ・・い・・一年?」
「でもな、先生と生徒やん。私は自分の気持ちをずっと隠してたんやけど、ある時、我慢でけへんようになって、告白しかけたことがあってな」
「マジかよ!」
「でもさ、言うなって言われて。それ以上言うと、監督も教師も辞めるって言われてな」
「そりゃそうだろ・・」
「しかも、僕は恋愛をしにここへ来たんじゃない。今後もきみには恋愛感情なんて湧かないから、よく覚えといてって」
「うわ・・それ、きついな・・。で、先輩、どうしたんでぇ」
「そらもう、必死に気持ちを押し殺すしかないやん」
「それで、練習を続けたのか?」
「うん」
「よく・・できたな・・」
「私は、先生を困らせたくなかった。先生の笑ってる顔が一番好きやったからな」
「っんなこと言ってもよ・・感情ってもんがあるだろうさ」
「自分のことはええねん。とにかく、チームのため、先生のためにインターハイ出場に向けて必死で頑張ったんよ」
それから小島は、二人で朝練したこと、旅館で夜空を見上げた時、木の葉を取ってくれたこと、試合で倒れた時、つきっきりで見守ってくれたこと、日置に逆らい「帰れ」と言われたことなど、様々なエピソードを話してやった。
「で、先生が好きになったのは、いつだったんでぇ」
「後でわかったことなんやけど、三年生のインターハイの頃やったって」
「まっ・・マジかーーー!それって在学中じゃねぇか」
「だから、先生も気持ちを押し殺して、見合いもしはったんよ」
「え・・」
「私に諦めさせるために、そうしたって」
「・・・」
「もちろん、それは自分ためでもあるし、それが一番ええ選択やと」
「そうか・・そんなことが・・」
「だからさ、言うたら悪いけど、あんたのフラれたんなんか、屁でもないで」
「でっ・・でもよ・・迷惑って言われたんだぜ・・」
「私なんか、恋愛感情なんて湧かない、やで」
まるで二人は、ネガティブ言葉を競っているかのようだった。
そして二人は、思わず苦笑した。
「そんなん言われた後で、私はどないせぇっちゅうのよ」
「まあ・・な・・」
「あんたの気持ち、嫌というほどわかる」
「・・・」
「やる気が出ぇへんのも、わかる」
「・・・」
「でもな、あんたにとって大事なもんはなによ。大河くんだけじゃないやろ」
「そ・・そりゃあ・・」
「無理に忘れようとせんでもええ。いや、好きなら好きで想い続けたらええ。でもそれとは別に、あんたにはすることがあるやろ」
「・・・」
「それを疎かにしたら、あんた、一生後悔するで」
「・・・」
「そんなふぬけたあんたを見て、大河くんはどう思うやろな」
「え・・」
「そんなあんたを、大河くんが好きになると思うか?」
「・・・」
「大河くんを振り向かせたかったら、今までのあんたでおるしかないで」
「でもよ・・振り向かせるまで・・私は耐えられねぇ気がするんだ・・」
「ちょっと、なに言うてんのよ」
小島は改めて中川を見て、呆れていた。
「あんたの大河くんに対する気持ちて、その程度なんか?」
「え・・」
「その程度やったら、すぐに忘れられるし、忘れたらええと思うで」
「・・・」
「でも、ちゃうんやったら、耐えるしかないで。私なんか二年以上も耐え抜いたで」
「それは・・先輩ができた人間だからだよ・・」
「アホか。私は今でこそ十九やけど、あの時はまだ高校生やで。しかも一年やったし」
「・・・」
「だから、今のあんたより、まだ一つ下やで」
「・・・」
「まあ、人を好きになるっていうんは、楽しいことより辛いことの方が多い。それはみんな同じ。あんただけやと思たら大間違いやで」
「そうか・・」
「とにかく、これだけは言うとく。ここで卓球を放り出したら、あんたは一生後悔するし、先生やあの子らとの絆もぶち壊し。おまけに大河くんもあんたを好きになることは絶対にない」
「・・・」
「でも、ここを耐え抜いて頑張ったら、あんたは生涯の宝物を手にできる。あの時、辞めんでよかったと必ず思える。もし、卒業するとき、宝物なんてなかったと思たら、私は土下座をしてあんたに詫びる」
「先輩・・」
「辛かったら、また話したらええ。私はなんぼでも聞くで」
「うん・・ありがとな・・」
「さてさて、お腹も空いてきたし、なんか食べに行こか」
小島はそう言って中川の肩を抱いた。
「先輩ってよ・・」
「ん?」
「先生と結婚すんのか」
「それはまだわからん」
「先輩は、どう思ってんでぇ」
「そら、結婚したいに決まってる」
「先生は、どうなんでぇ」
「多分、同じように考えてくれてはると思うけど、こればっかりは、わからんしな」
「そうか・・」
「なによ」
「いや・・不安とかねぇのかなって」
「無いて言えば嘘になるけど、私は先生の気持ちに任せてるんや」
「先輩って・・強ぇよな」
「あんだけ色々あったら、強くもなるっちゅうねん」
小島はそう言って笑った。
中川は思った。
目の前の小島は、過去のことであるにせよ、並々ならぬ辛い思いをして乗り越えて来たんだ、と。
おそらくそんな話を好き好んでしたくなかったはずなのに、自分を救おうとして話してくれたに違いない、と。
そして小島の言うように、卓球を放り出した自分に、大河が振り向くはずもない、と。
落ち込んでばかりでは、何一ついいことなどありはしない。
今は辛いが、ここは耐え抜いて前に進むしかない。
なにより近畿大会、インターハイは、すぐ目の前だ、と。
「ところで先輩よ」
「なに?」
「前に先生の家に泊まってたよな」
「え・・」
「私が早朝に電話した時さね」
「あ・・ああ・・」
「するってぇと・・先生とはもうそういう関係なんだな」
中川はいたずらな笑みを見せた。
「アホか」
「なんだよ」
「あの日は、内匠頭もおったんや」
小島は咄嗟に出まかせを言った。
「ないしょうあたま先輩か」
「ぷっ・・そう、ないしょうあたまもおったんや」
「嘘つけって。あたまはそんな野暮なこたぁしねぇって」
「あはは。あたまて」
「まあまあ、照れなさんなって」
「ほらほら、そんなんもうええから、なんか食べに行くで」
「おうよ。こちとら、バカみてぇに落ち込んだせいで、朝飯も食ってねぇんだ」
「ほれみぃ。食うもんも食わんと」
「先輩」
「ん?」
「ありがとな。私、頑張るからよ」
中川がそう言うと、小島は安心したように「そうでなくちゃ」と微笑んだ。
「きゃ~~先生の口癖だわ~~いやらしい~~」
「なに言うてんねん!」
小島は中川の頭をパーンと叩いた。
「痛っ!ったくよー」
「あはは。さ、行くで」
そして二人はベンチから立ち上がり、公園を後にしたのだった―――




