278 月一の土曜日
―――そして翌日。
「郡司さん、おはよ~」
今しがた登校してきた和子に、市原が声をかけた。
「市原さん、おはよう」
「なあなあ、郡司さん・・」
市原は和子の傍へ行き、小声で囁いた。
「どしたんなら」
和子は何事かと驚いた。
「昨日さ・・私、見たんやけど・・」
「なにを?」
「小屋の前でさ・・神田さんがずっと立ってたんよ・・」
市原は下校時、神田の姿を見ていたのだ。
「え・・」
「なんかまた・・妙なことでも企んでるふうに見えたで・・」
「そがなことやこ・・あるんじゃろか」
「ちょっと、気ぃつけた方がええと思うねん・・」
そこへ神田が教室に入って来た。
神田は誰とも挨拶を交わすことなく、自分の席へ進んだ。
すると市原は和子を引っ張って、神田から離れた。
「もし・・なんかあったら、すぐに日置先生に言うんやで・・」
市原はそう言ったが、和子は神田が卓球に関心があるんじゃないかと、やはりそう思えた。
「なあ、市原さん」
「ん?」
「神田さん・・やっぱり卓球に興味があるんじゃなかろか・・」
「えぇ・・そんなことないって・・」
「私・・声かけてみるけに」
「えっ!嘘やろ」
そして和子は神田の席まで行った。
当然、その後を市原も続いた。
神田は頬杖をついて、また校庭を見ていた。
「神田さん・・」
和子が呼ぶと、神田は驚いて振り向いた。
「なに・・」
「神田さん・・もしかして卓球に興味があるん?」
「え・・」
「前に、一年生大会のこと訊きよったけに・・」
「ああ・・」
「で、さっき、市原さんから聞いたんじゃけど、昨日、小屋の前に立っとったん?」
そこで神田は市原に目を向けた。
けれども市原の目は、警戒心を募らせていた。
「ああ・・うん」
「なにしとったん?」
「なにて・・別に・・」
「今度の日曜やけんど、一年生大会があるんよ。もしよかったら、観に来る?」
「え・・」
「よかったらでええけに。場所は府立の別館。難波にあるけに」
「そうなんや・・」
「私も行くからな」
市原は、まるで制するように強い口調で言った。
そう、来るのは構わないが、妙なことするなよ、と言わんばかりだ。
「うん・・行けたら行く・・」
神田は力のない声で返事をした。
―――そして土曜日。
「でね、明日なんだけど」
練習後、日置は彼女らに向けて話をしていた。
「僕は、秀幸の結婚式に出席するから、郡司さんのことはきみたちに任せたよ」
「なにーーーっ、秀の字、結婚すんのかよ!」
「いやあ~よかったですね!」
「お似合いの二人やもんな!」
「白鳥さぁん、綺麗なお嫁さんでしょうねぇ」
「秀幸さんて・・誰ですか」
和子は八代も白鳥も知らなかった。
「八代くんっていう、僕の親友なの」
「へぇ・・」
「それで、きみには頼もしい先輩たちが着いてるから、大丈夫だよ」
「はい」
「よーーし、郡司よ。明日は大船に乗ったつもりで、この中川さまに任せな!」
「あんたの船・・船酔いしそうやけどな・・」
阿部がポツリと呟いた。
「チビ助!おめーうるせぇよ」
「明日は、よろしくお願いします」
和子は彼女らに、丁寧に頭を下げた。
「頑張るんやで」
「私らが着いてるからな」
「ファイトやでぇ~」
「先生よ」
中川が呼んだ。
「なに?」
「秀の字と白鳥さんに、おめでとうって伝えてくんな」
「うん、そうするね」
「私らからも、そう言うてたと、伝えてください」
「ありがとう」
そして日置は一足先に小屋を後にした。
「さてさて~ふふっ・・」
中川は着替えようと、部室へ行こうとした。
「なに笑ろてんのよ」
阿部が訊いた。
「わたくし・・これから大河くんとデートですの」
「えっ!」
「チビ助よ、おめー忘れたのかよ」
「あ・・ああっ、月一の土曜日!」
「ふふっ・・そうさね・・」
「なるほど、それでか」
「ってことで、わたくしは、うーめだに向かいますのよ」
「あはは、うーめだってなんやねん」
「中川さん、めっちゃ嬉しそうやな」
重富が言った。
「当然ですわ。いいこと?あなたたち着いて来るんじゃないわよっ」
「そんなん言われたら、着いて行きたくなるよなあ」
「あはは、とみちゃぁん、ほんまに着いて行くのぉ」
「おいおい、冗談じゃねぇって。マジで着いて来んなよ」
「私、場所、知ってるし~」
阿部は、わざとそう言った。
「かぁ~~!おめーらな、人の恋路を邪魔する奴は、ブタに蹴られてなんとやらって、知らねぇのか!」
「あはは、それブタやなくて、馬やで」
「なっ・・細けぇことはいいんでぇ!」
「わかった、わかった。行かへんって」
「ったくよー、油断も隙もありゃしねぇぜ」
中川はそう言って、部室に入った。
「千賀ちゃぁん・・まさか、ほんまに着いて行かへんよなぁ・・」
森上は小声で訊いた。
「でもな・・なんか心配なんよな・・」
「えぇ・・阿部さん、行くん?」
重富が訊くと、阿部は小さく頷いた。
「嘘やろ・・ほなら・・私も行く・・」
「私はぁ、家の手伝いするからぁ・・帰るわぁ」
「うん・・恵美ちゃんは帰った方がええ・・。あ・・郡司さんも帰りや・・」
「はい・・」
こうして阿部と重富は、中川と別行動で卓球専門店へ行くこととなった。
―――昨晩のこと。
「もしもし」
大河は自宅で電話をかけていた。
「はい、須藤です」
そう、相手は三神の須藤だった。
「僕、大河ですけど」
「えっ、大河くん。どしたん」
須藤は、わざわざ電話など珍しいと驚いた。
「あの、突然でごめんな」
「いや・・ええけど、どしたんよ」
「実は、明日の夜なんやけど、僕と練習してくれへんかな」
「え・・なんでなん」
「実はな、中川さんと約束してるんやけど、きみにも来てほしいねん」
「なんで私が」
その実、大河は中川との距離を置きたかったのだ。
とはいえ、けして中川が嫌いなわけではない。
けれども、ここ最近の「急接近」に、これ以上は危険だと判断したのだ。
なぜなら、大河も中川を好きになり始めていたからである。
そこで須藤も一緒に練習することで、僕たちはあくまでも友達だと、中川に伝えたかったのだ。
「あかんのやったら、ええけど」
「いや、別にあかんことないけど、中川さん、大丈夫なん?」
須藤は中川が大河に気があることは、とっくにわかっていた。
「なにが」
「中川さん、大河くんのこと好きやろ」
「そ・・そんなんちゃうし」
「大河くん、迷惑なん?」
「うん、はっきり言うて、迷惑やねん」
大河は心にもないことを言った。
「それやったら、私が行かんでも、断ったらええんとちゃうの」
「いや・・とりあえず約束してしもたし・・」
「あのな、こんなん言うたらあれやけど、嫌やったら嫌って、はっきり言うた方が中川さんのためやと思うで」
「約束を反故にするんは・・あかんし」
「そうか・・」
「うん・・」
「大河くん、律儀やもんな」
「・・・」
「わかった。で、どこへ行ったらええの」
「梅田の卓球店」
「え・・あそこって、練習できるん?」
「うん・・」
「そうなんや。わかった」
こうして大河は須藤に「協力」してもらい、中川に自分を諦めさせることにした。
いや、むしろ自分が、これ以上中川を気にしなくていいようにとの策だった。
それがお互いのためであると思ったのだ―――
一方で、そうとは知らない中川は、梅田に向かう足取りも軽く、その美しい顔は輝いていた。
そして中川は、梅田に到着すると、とある雑貨店に入った。
そう、お見舞いに来てくれたお礼に、プレゼントしようと考えたのだ。
「いらっしゃいませ」
気の良さそうな中年女性店員が、快く中川を迎えた。
「どうも」
中川は輝くような笑顔で応えた。
「どうぞ、ゆっくりご覧になってくださいね」
「ありがとうございます」
中川は軽く会釈して、店内を見て回った。
その頃、中川の後をつけてきた阿部と重富は、入口から店内を見ていた。
「なにしてんねやろ・・」
阿部が呟いた。
「ここ・・卓球と関係ないで・・」
「ちょっと、見てみ。あの嬉しそうな顔・・」
「あれちゃう。大河くんに、なんか買うんとちゃうか・・」
「なるほど・・それやな・・」
なにがいいかしら・・
大河くんが喜んでくれそうなものといえば・・
あら・・私ったら・・大河くんのこと・・なにも知らないわ・・
そういえば・・大河くんって・・柔道習ってたのよね・・
「どなたかに、プレゼントですか?」
店員が声をかけた。
「そうなんですの」
「あ・・もしかして、彼氏?」
店員はいたずらな笑みを見せた。
「いやですわ~、でも、そうとも言えるかしら」
「お嬢さん、とってもお美しいですものね」
「ふふふっ・・」
「彼氏も高校生?」
「ええ・・そうなんですの」
「それやったら・・そうですねぇ・・」
店員は、男子高生が喜びそうなものを探していた。
「あっ、これなんかどうでしょうね」
店員は、丸々と太ったペンギンのキーホルダーを手にした。
「あらっ!それとってもいいですわ」
中川は、そのペンギンが大河に似ていると思った。
「通学鞄につけるのに、ピッタリですよ」
「仰る通りですわ。じゃ、それください」
「ありがとうございます」
そして店員は、小さな花柄の紙袋に青いリボンを付けてやった。
中川はお金を払い、袋を手にした。
「喜ばれるといいですね」
「ええ。どうもお世話様でした」
「また、いらしてくださいね」
店員は優しく微笑んだ。
中川は、ニッコリと笑って店を後にした―――




