272 刃傷事件
―――そして翌日。
彼女ら四人は、臨海スポーツセンターへ向かうため、新今宮のホームで電車を待っていた。
「ちょっと、中川さん。どしたんよ」
重富が訊いた。
そう、中川は大河がいないかと、キョロキョロ探していたのだ。
「別に、どうもしねぇさ・・」
中川は一週間ぶりに会えるのが、とても嬉しくて仕方がなかったのだ。
「大河くん、探してるやろ」
「悪いかよ!」
「別に悪ないけど、あんた試合やで」
「先輩って、ほんまに大河さんのこと、好きなんですね」
「おうよ、郡司。おめーはまだガキだからわからねぇだろうがよ、この、なんつーか、五臓六腑に染みわたる熱い感覚・・」
「酒飲みのおっさんか」
「重富よ、おめーにもわかんねぇだろうな・・」
「いや、わかるし!」
「え・・とみちゃん、好きな人、いてんのぉ」
「森上よ・・訊くだけ無駄ってもんさね」
「なんでなぁん」
「どうせこいつぁ~おんどれはアンドレって言うに決まってんだろうがよ」
「あはは」
思わず森上は笑っていた。
「そう・・おんどれはアンドレもそうやし、メスカルもそうやし・・」
「メスカルてぇ、なんなぁん」
「あはは!重富よ、うめぇこと言いやがるぜ」
「もう~あんたに感化されてしもたわ!」
そこへ電車が入って来た。
「森上よ・・オスカルだろ。で、メスカルって寸法さね」
「寸法てぇ・・」
「いや、おめー、そこじゃねぇし」
やがて電車が停車し、彼女らは乗り込んだ。
土曜日の朝とあって、車内は通勤ラッシュで混雑していた。
彼女らは人波に押されて、それぞれ別の位置で窮屈そうに立っていた。
ぐぬぬ・・
これじゃあ、大河くんを探すのは無理ってもんさね・・
ま・・体育館で会えるし・・いいさね・・
そして電車は出発した。
一駅、また一駅と走り続け、車内は単なる日常の「それ」でしかなかった。
ところがである。
中川を取り囲んでいた男子高校生四人が、中川にちょっかいを出し始めたのである。
「なあ、お前さ」
一人がそう呼んだが、中川は無視をしていた。
「めっちゃ美人やな」
「制服とちゃうけど、どこ行くん?」
「俺らと遊びに行かへん?」
それでも中川は無視をした。
重富も森上も和子もその様子を見て心配していたが、場所が離れて助けようがなかった。
中川の周りにいるサラリーマンやOLたちは、不良に関わると面倒なので知らんふりを決め込んでいた。
「そのジャージ、どこの学校なん」
「試合かなんか?」
「そんなしょーもないことより、俺らと行こうや」
「なかなか・・ええ体しとるで・・」
一人の男子は中川を上から下まで見ていた。
「俺が最初な・・」
「いや、俺やぞ」
「全員でやったらええやん」
「お前・・声押さえろよ」
これらの話を聞いた森上は「ちょっとすみませぇん」と言いながら、人を掻きわけて中川の元へ行こうとした。
そして重富も和子も、人を掻きわけていた。
「ちょっと、あんたらぁ。男のくせにぃみっともないでぇ」
森上が離れた位置でそう言った。
そこで中川は森上を見た。
「森上よ、こんなクズ野郎ども、相手にすんじゃねぇぞ」
「うおっ!なんと威勢のええ女や」
男子の一人がそう言った。
「ほんまや、これはたまらんな」
「お前、大阪とちゃうやろ」
「まさに、東女に京男やで」
「お前、それ逆や」
そこで一人の男子が中川の左腕を掴んだ。
「触んじゃねぇ!」
中川は右手で、男子の頬を張り倒した。
「痛いなあ!なにすんねや!」
そこで別の男子がカッターナイフを取り出した。
すると車内は、次第に騒然となっていった。
「お前のその顔、傷つけ甲斐があるな」
「きゃあ~~!」
OLや女子高生らは、慌ててその場を離れた。
いや、サラリーマンたちも同じだった。
誰一人として中川を助ける者はいなかったのである。
中川は腕を掴まれたまま、相手を睨みつけていたが、さすがに抵抗はできなかった。
「こらあああああーーー!」
そこで森上は、カッターを手にしていた男子に、スポーツバッグを放り投げた。
すると男子はひょいとよけて、なんと中川の腕を切りつけたのだ。
「ああああ!」
森上と重富と和子は、慌てて中川に駆け寄った。
中川は、切られた右腕を押さえて、顔をゆがめていた。
「なにすんねや!」
森上の怒りは半端なかった。
まさに森上は、一年の時、いじめられた相手に立ち向かうが如く、一人の男子を蹴飛ばしたのだ。
「中川さん!」
「せっ・・先輩~~~!」
重富と和子は中川の腕を見た。
するとタラタラと血が滴り落ちているではないか。
「これ・・どうしたらええんや・・」
「止血・・止血せんといかんけに!」
「心配すんじゃねぇ。っんなもんかすり傷さね。それより森上!」
その森上といえば、戦闘モードである。
「私は平気だ!おめー、クズ野郎を相手してる場合じゃねぇぜ!」
それでも森上には中川の声が届いてなかった。
そして再び男子に襲い掛かったのである。
相手はカッターナイフを持った男子だ。
「森上ーーーー!止めろーーー!」
そこで中川は滴り落ちる血などおかまいなしに、森上に向かって走った。
すると森上は、男子の腕を足で蹴り上げ、ナイフは床に落ちた。
それを森上は急いで拾ったかと思うと、男子に向かって切りかかったのだ。
「森上ぃぃぃぃーーーー!」
寸でのところで中川は森上の背中へ飛び込み、森上は思い留まった。
「おめー、落ち着け、落ち着け!」
森上は振り向いて、中川を呆然と見ていた。
「それ、貸せ、貸せ!」
中川はカッターナイフのことを言った。
「あ・・ああ・・」
森上は我に返ったように、中川にナイフを渡した。
「中川さぁん・・大丈夫?」
「バカッ!おめーだよ!」
「中川さん、はよ止血せな!」
「こ・・これ・・」
和子はそう言って、タオルを差し出していた。
それを重富は受け取り、中川の腕に巻いた。
けれどもタオルはすぐに血が滲んでいた。
「あかん・・止まらへんやん・・どうしたらええんや・・」
「先輩・・病院行った方がええけに」
「ああ・・そやな・・。でも、どこ行けばええねや・・」
「次の駅で降りて、駅員に訊けばええんじゃなかろか」
「そや・・そやな・・」
「病院は私だけで行く。おめーらは体育館へ行きな」
「そんなんあかんって!」
「先輩、一人やこ、無茶じゃけに!」
そこへ乗客から報せを受けた車掌が、顔面蒼白で走って来た。
「だっ・・大丈夫ですか!」
車掌は床に落ちた血を見て、卒倒しそうになっていた。
「車掌さん!あの男子ら、この子にちょっかい出したんです。ほんであの男子がこの子に切りつけたんです!」
重富がそう言うと、「きみら、ほんまか・・」と訊いた。
けれども男子らは黙ったままだ。
「ほんまですって!ここにいてるみんなが証人です!」
すると乗客たちは、「その通りです」と誰ともなく声を挙げた。
納得した車掌は、「きみら、次の駅で降りや」と言った。
「きみ、その傷、酷いな・・」
車掌は中川に言った。
「っんなもん、屁でもねぇさね・・」
「救急車、呼ぶわな」
「なに言ってんでぇ・・大袈裟さね・・大袈裟・・」
中川はそう言って、その場に倒れたのだ。
「きゃあ~~~!中川さん!」
重富は中川の体を抱き上げた。
「先輩!」
「中川さぁん!」
その様子を男子らは、まさかこんな大事になるとは、と呆然と見ていたのである。
その後、男子らは警察に引き渡され、気絶した中川は救急車で運ばれた。
こうなると彼女らは試合どころではなかった。
中川が死んだらどうしようと、そればかり心配していたのである―――
―――一方、体育館では。
日置は館内の時計をチラリと見ていた。
あの子たち・・なにやってんのかな・・
もう九時じゃないか・・
まさか・・場所を間違えたとか、あり得ないよね・・
昨日、ちゃんと言ったし・・
えっ・・学校に行ってるとか・・
まさかだよね・・
「えー、それでは練習を止めて、選手の皆さんは集合してください」
本部席に座る三善が放送をかけた。
すると選手たちは、バッグを抱えて中央に移動していた。
そこで日置は、体育館の入口に向かった。
誰もいない・・
日置は外にも出てみたが、ちらほらと遅れて来る選手たちがいたものの、彼女らの姿はなかった。
ほんとに、どうしたんだろう・・
もう試合が始まるというのに・・
―――一方、学校では。
ルルルル・・
職員室の電話が鳴った。
「はい、桐花学園でございます」
受話器を取ったのは教頭だった。
「あー、こちら、大阪府警ですが」
「えっ!」
教頭は、何事だと唖然としていた。
「おたくの生徒さんの、中川さんがですね、今朝、電車内で襲われましてね」
「えっ!どういうことですか!」
「カッターナイフで切りつけられまして、現在、病院で手当てを受けています」
「きっ・・切り付けられたとは・・どういうことですか!」
「詳しい事情は、署で説明しますので、出向いていただけませんかね」
「はっ、はいっ!」
そして教頭は警察署の場所を聞き、電話を切った。
たっ・・大変や!
「校長!校長~~~!」
教頭は慌てて校長室に入った。
「どうしたのですか」
工藤はお茶を飲んでいた。
「たっ・・大変です!中川が、電車で切りつけられたと・・」
「えっ!」
「そ・・それで・・わたくし、今から署へ出向きます・・」
「中川って・・卓球部のですか!」
「さあ・・それはわかりません・・」
「きみ、ここは任せました。私が出向きます」
工藤はそう言って、ハンガーにかけてある背広の上着を手にした。
そして場所を聞き、工藤は慌てて学校を後にした。
教頭は、卓球部の中川ではないかと、二年六組へ行った。
教室に到着した教頭は、扉を開けた。
すると授業中の石坂は、「どうしたんですか」とキョトンとしていた。
「な・・中川さんは・・」
教頭は中川の姿を探した。
「中川は、公休で試合へ行ってますよ」
「そっ・・そうですか・・」
「中川が、どうかしましたか」
「そ・・それが・・」
教頭の狼狽ぶりを見て、阿部は「中川さん、なにかあったんですか!」と訊いた。
「それが・・大変なことに・・」
そこでクラスの者も、何事かと教頭の言葉を待っていた。
「電車で・・刺されたと・・」
教頭は頭が混乱し、思わず刺されたと間違って伝えた。
「えええええええええ~~~~!」
クラスは一斉に、驚愕の声が挙がった。
「刺された・・て・・」
阿部は呆然としていた。
「阿部さん、中川さん・・刺されたて、どうするんよ!」
隣りの席の者は、どうすることも出来ないとわかりつつも、そう言っていた。
「ちょっと、助かったんか!」
「どこを刺されたんですか!」
「いやあ~~怖いわあ~~」
「まさか・・殺されたとか・・」
「そんな縁起の悪いこと、言わんといて!」
このように、クラス中は大騒ぎとなっていた。
「中川さん・・中川さん~~~!」
阿部は教室から飛び出し、一目散に職員室へ向かったのである―――




