263 祖母と孫
―――ここは郡司家。
家に帰った和子は、母親の節江とともに夕食を摂っていた。
「それでの、明日はリーグ戦なんじゃけに!」
和子は声を弾ませた。
「へぇー、大したもんよのぉ」
「私も、一回だけじゃが、勝ったんよ!」
「おお、そらすごいが」
「先輩らは、三神いうての、ものすごく強いチームに勝ったんじゃが」
「へぇー」
無論、節江には三神の強さなど想像もつかなかった。
「での、インターハイじゃけど、香川なんよ!」
「えっ!そうなんか」
「ばあちゃんに会えるんじゃが!」
「いや、和子よ」
「なんなら」
「まだ出ると決まったわけじゃなかろ?」
「もう決まったようなもんじゃけに!」
「勝負は、やってみんとわからんが」
「ああ~~もう、先輩ら、強いんじゃけに!」
和子は、要領のえない節江に、苛立ちさえ覚えていた。
「ほな、明日行ってみようかの」
「うんうん!観に来て!」
和子は自分の試合より、森上らのすごさを見せたかった。
ピンポーン
そこで呼び鈴が鳴った。
節江は立ち上がって玄関に向かい、「はいはい」と言いながらドアを開けた。
「こんばんは」
玄関前では、隣人の主婦が立っていた。
「あら、池野さん。こんばんは」
「これ、作ったんやけど、よかったらどうぞ」
池野は、紙皿に乗せた手作りクッキーを差し出した。
「あらあら・・いつもすみません」
「ええんよ。こっちこそ、いつもようさん頂いて」
節江は、母親であるトミから送られてくる野菜や果物などを、池野におすそ分けしていた。
それからしばらく主婦同士の会話が弾み、節江はなかなか戻って来なかった。
和子は少々呆れもしたが、楽しそうに笑う節江の声に、嬉しさを感じていた。
プルルル・・
そこで電話が鳴った。
和子は立ち上がって、電話台まで行き受話器を取った。
「もしもし、郡司ですが」
「あ、郡司さん?」
「はい」
「私、市原です」
相手は和子の友人である、同じクラスの市原だった。
「ああ、市原さん。どうしたん?」
「今日、どうやったん?」
「ああ、それなんじゃけど、勝って、明日リーグ戦なんじゃけに」
「ええ~~すごいやん」
「そうなんよ、もうすごかったんじゃが」
「それで、リーグで勝ったらインターハイ?」
「そうなんよ!」
「へぇー!」
「もうな、勝ったようなもんじゃけに!」
「え・・そうなん?」
「それがの――」
そこで和子は三神の話をした。
すると市原は、とても驚いていた。
「それやったら、私、明日行くわ!」
「なんでなら」
「新聞部の取材でーす」
「ああ~そうじゃったな」
「試合、何時から?」
「九時なんよ」
「わかった!カメラも持って行きますから、よろしくー」
「うん、待っとるけに!」
そして二人は電話を切った。
和子は玄関を見て、まだ喋っている二人に苦笑していた。
―――ここは西藤の店。
「おばあちゃん」
日置は入口の扉を開けて中へ入った。
「おお、慎吾」
西藤はカウンターの、いつもの定位置で座っていた。
「久しぶりだね」
日置は、狭い店内を窮屈そうに西藤の元まで歩いた。
「ほんまやで!顔、忘れてしもたがな」
「あはは」
「で、なんか用か」
「ちょっとおばあちゃん・・」
日置は、今日が予選だということを忘れたのか、と呆れていた。
「なんや」
「今日、予選だったんだよ」
「あっ、そやそや、今日やったな!」
西藤は、カウンターに置いてある卓上カレンダーを見ていた。
「年・・取ったね」
「あほなこと言いな!で、どやったんや」
「あのね、三神に勝ったんだよ」
日置は満面の笑みを見せた。
「・・・」
西藤は目が点になっていた。
「おばあちゃん・・?」
「え、なんて?」
「だから、三神に勝ったの」
「三神て・・あの三神か・・」
「そうだよ」
「ほっ・・ほっ・・ほっ・・」
「あはは、なに言ってるの」
「ほんまかーーーー!」
西藤は、思わず後ろへ転びそうになった。
「あああ~~!」
日置は咄嗟に腕を掴んで支えた。
「大丈夫?」
「慎吾・・ようやったな・・ほんまにようやったな」
西藤は日置の手を握り、涙を浮かべていた。
「うん、ありがとう」
「もう店じまいや!」
西藤はすっくと立ち上がり、そのまま入口へ行ってカーテンを閉めた。
「ええ~いいの?」
「店なんかやってられるか。あんた、上がりや」
「うん」
「たっぷりと話を聞かせてもらうで!」
そして二人は奥へ上がり、日置は座卓の前に座った。
「あんた、晩御飯食べたんか?」
台所へ行った西藤が訊いた。
「まだなの」
「よっしゃ」
西藤はそう言って、料理を作り始めた。
「そうか、そうか~三神になあ~・・」
西藤は独り言を呟きながら、包丁で野菜を切っていた。
日置は丸い背中を見たまま、子供の頃を思い出していた。
なんだか・・ついこの間のことのように思えるな・・
色々とあったけど・・おばあちゃんが教えてくれたから・・
今の僕があるんだよね・・
ほどなくして座卓には簡単な料理が並び、二人は食事を摂り始めた。
「それで、何回戦であたったんや」
「それがさ、二回戦なの」
「えええええ~~~~!」
西藤が驚いたのは、三神が近畿にも行けないことだった。
「二回戦て・・そうなんや・・」
「うん」
「せやけど、よう勝ったよな!」
「それが、とても大変だったんだよ」
「そらそやろ」
「あのね――」
そこで日置は、試合の内容を時間をかけて詳しく説明した。
すると西藤は、中川の話しになると腹を抱えて爆笑していた。
「あははは!あの子・・うん、あの子はそういう子や。それにしても、あははは!」
「おばあちゃん、笑い過ぎ」
「せやかて、オーバーしたボールを追いかけるて・・あははは」
「それも、二度もだよ」
「え?」
「ラケットミスのこと言ったのに、また同じことをやったの」
「えええええ~~!ほんで、どないなったんや」
「結局、左手で取ったんだよ」
「へぇー!なんでまた」
「みんなをびっくりさせるためだって」
「あははは!肝が据わっとるなああ」
「まあね」
西藤は思い出していた。
中川がこの店に来た時、この子は絶対に慎吾を支えてチームを引っ張って行くと確信したことを。
自分の目に狂いはなかった、と。
「それにさ、皆藤さんのこと、クラブ探しジジィとか言っちゃって」
「クラブ探しジジィ?なんやねん、それ」
「さあ、詳しくは知らないけど、そんな風に呼んでるの」
「皆藤くん、面食らっとったやろ」
「それがさ、皆藤さん、優しいでしょ。それで「おじさんに変えてもらえませんかね」と仰ったんだけど、中川は「変更は効かねぇ」とか言っちゃって」
「あははは、さすがの皆藤くんも1本取られたな」
「それにさ、オーダーを中川が読み上げたんだけど「ただ今より、命のやり取りをおっ始める!」って言ったんだよ」
「あははは、なんやねんそれ!」
「あの子さ、試合のこと、命のやり取りって言ってるの」
「あかん・・おもろ過ぎる・・あははは」
西藤は涙を流して爆笑していた。
それから試合の話は延々と続き、西藤は「うんうん、そうか、そうか」と嬉しそうに聞いていた。
「慎吾」
「ん?」
「これから桐花は追われる立場やで」
「ああ・・まあそうなんだけど」
日置は、三神に一度勝った程度では、その立場にないと思っていた。
むしろ、まだまだこっちが追う立場だと。
「せやけど、ほんまの勝負は来年やで」
「そうだね」
「来年も勝ってこそ、桐花は王者になるんや」
「うん」
「ま、その前に、近畿も全国も優勝せなな」
「うん」
「あんたとあの子らやったらできるで」
「うん」
「ああ~~ええなあ~、いよいよ全国トップか~」
「僕もそのつもりだけど、けして気は抜けないよ」
「当たり前や!気を抜こうもんなら、しばくぞ!」
「あはは、怖いなあ」
そこで西藤は「よっこらしょ」と言って立ち上がり、台所へ行った。
「あんた、お酒呑むか?」
西藤は冷蔵庫を開けて覗ていた。
「いや、いいよ」
「ありゃ、そうかいな」
西藤は残念そうに、冷蔵庫のドアを閉めた。
「ほな、食後のコーシーやな」
「あはは、コーシーって」
西藤はカップを二つ用意して、インスタントコーヒーを淹れていた。
そしてカップを持って、座卓の上に置いた。
「そういや、彩ちゃんとは、うまいこといってんのか」
西藤は座りながらそう訊いた。
「うん」
日置はカップを触りながら、嬉しそうに頷いた。
「また連れて来ぃや」
「そうだね」
「もう付き合うて、どれくらいや」
「一年は過ぎたね」
「そろそろ決めんといかんのとちゃうか」
西藤は結婚のことを言った。
日置も、それはわかっていた。
「あの子が二十歳になったらね」
「いつやねん」
「十月」
「そうか。もう決めてるんやな」
「うん」
「はよ、ひ孫の顔見せてや」
「おばあちゃん・・気が早いよ」
「ええがな!五穀豊穣、子孫繁栄や!」
「あはは」
そして日置はコーヒーを飲み終えると、店を後にしてマンションへ向かった。
三神に勝ったんだな・・
日置は夜空を見上げて、しみじみとそう思っていた―――




