256 やっぱりこうなる
―――「大番長・・」
椅子に座ったままの阿部が、ポツリと呟いた。
「え・・」
重富は振り返って阿部を見た。
「中川さん・・高原由紀になってるんや・・」
阿部も小島の話を聞いて、納得していた。
なぜなら、森上のことを「権太」と呼んだからだ。
それに中川の言葉遣いが、高原由紀とそっくりだからである。
「阿部さん・・大丈夫か・・」
重富は、阿部までおかしくなったのかと思った。
「ああ・・大丈夫やで」
「高原由紀って・・ほんまなん」
「うん、ほんまやと思う」
「そうなんや・・」
そして重富はコートへ目を向けた。
―――コートでは。
向井は二球目のサーブを出そうとしていた。
早めに仕掛ける・・
そう思った向井は、バックから上回転のロングサーブをバッククロスへ出した。
中川は、すっと後ろへ下がり、なんなくカットで返した。
フォアストレートへ入ったボールを、向井はストップをかけた。
バック前に入ったボールに、中川は追いつき、再びフォアへ送った。
すると向井は、またストップをかけに行った。
中川は、その場でボールを待った。
これや・・
こう思った向井は、寸でのところで打ちに出た。
台上のボールを、向井は瞬時に手首を返して、フォアクロスへ強打した。
中川は、懸命にボールを追った。
そしてやっとの思いで追いついたが、ボールはラケットの端にあたりオーバーミスをした。
「サーよし」
向井は小さくガッツポーズをした。
「ナイスボールですよ」
「先、1本ですよ」
「向井ちゃん、それやで」
悦子がそう言うと、向井は振り向いて「はい」と答えた。
「中川さん!どんまいだよ!」
日置は手を叩いていた。
「こっからこっから~~!」
重富がそう言った。
「1本取るよぉ~~!」
森上もそう言った。
けれども中川は振り向くことなく、返事もしなかった。
中川は無視しているのではなく、集中するがあまり聴こえてなかったのだ。
ここは・・
なにがなんでも・・
やつの心臓に・・ズボールというナイフを突き刺さないと・・
私の人生と釣り合いが取れないのさ!
中川には高原由紀が「憑依」していた。
その後、試合は進むものの、前後に揺さぶられ続けた中川は再び肩で息をするようなにり、徐々に点差が開き始めたのである。
そしてとうとう、10-6で向井がリードした時点で、コートチェンジとなった。
「ちょっと・・大丈夫か・・」
浅野が心配した。
「先生も、全くタイム取らへんし・・」
小島はチラリと日置を見た。
「中川さん~、相変わらずなんも言わへんしな~」
蒲内が言った。
「そもそも高原由紀て・・やる意味があるんか」
為所は、全く効果がないと言いたかった。
「このままやと・・ほんまに負けてしまうで・・」
杉裏が言った。
「どうすんねや・・」
岩水もそう言った。
「ちょっと、彩華。先生に言うた方がええんとちゃうか」
外間はタイムのことを言った。
「そやで。ここはしっかり、アドバイス受けんと」
井ノ下が言った。
「中川さん!」
日置が呼んだ。
けれども中川には、日置の声など届いてなかった。
そしてそのまま、三神側のコートへ向かったのだ。
「あの子は・・まったく・・」
日置は、いよいよ呆れていた。
そして、高原由紀だかなんだか知らないが、結局、リードされているじゃないか、と。
挙句の果てには、監督である自分の声も、チームメイトの声も聴かずに、なにをやってるんだ、と。
そんな中川を見て、悦子も不可解に思っていた。
なぜ、ベンチに下がらないんだ、と。
あんたはリードされてるんやぞ、と。
「中川さん」
悦子が呼んだ。
けれども中川は、悦子のことも無視した。
「あら・・」
朝倉も妙に感じていた。
「どないしたんや・・」
「心・・ここにあらずって感じね・・」
そんな中川は、台の下のポールにタオルをかけていた。
さて・・どうやって挽回するかだ・・
絶対に負けは許されないのさ・・
なぜならそれは・・誠に負けることを意味するからさ・・
高原由紀の誇りにかけて・・
必ずナイフを突き刺す・・
そして中川はレシーブの構えに入った。
向井は「1本」と言って、サーブを出す構えをした。
前半通りにやればええな・・
向井は悦子のアドバイス通り、前後に揺さぶることに徹そうと思った。
そして向井は、バックコースに上回転のロングサーブを出した。
フォアへ送るとズボールで返されかねないからだ。
中川は、バックでもズボールを出そうと思ったが、ミスを恐れて単純なバックカットで返した。
向井はそれを、ドライブでバックへ返した。
中川は、今度こそズボールだと思ったが、タイミングが合わずに、再び単なるバックカットで返した。
そして向井は、またドライブを打つと見せかけて、寸でのところでストップを入れた。
フォア前に入ったボールを中川は全速力で前に駆け寄り、一か八かで打って出た。
バックストレートに入ったボールを、向井は後ろへ下がらずに、カウンターで打ち返した。
このボールも、バックコースだ。
中川は動きが遅れ、ラケットを出したものの、ボールは中川の横を通り過ぎていた。
「サーよし」
これで5点差になってしまった。
「中川!」
日置が大声で呼んだ。
けれども中川はまた無視をした。
「聴こえてないのか!タイムを取るんだ!」
すると中川は背を向けて、男子が試合しているのを見ていた。
5点差か・・
これはちょいと、厳しいね・・
というかさ・・
高原由紀のままでいいのか・・
この時点で中川は、自身に戻っていた。
そう、いくら「憑依」したとはいえ、本当に憑依したわけではないのだ。
高原由紀でやってはみたものの、あくまでも「にわか」でしかない。
2セット目、向井に勝ったのは誠である中川なのだ。
これ以上離されると・・マジでやばいぜ・・
結局よ・・
高原は物語でも・・誠に負けてんじゃねぇか・・
するってぇと・・私はアンドレに負けるってことさね・・
誠に戻ると・・またみんなに迷惑かけるかもしんねぇ・・
でもよ・・負けることが・・一番の迷惑じゃねぇか・・
あ~あ・・
私は何を考えてんでぇ・・
――中川さん・・
そこへ再び、高原由紀が現れた。
高原・・
――どうしたってのさ・・
いや・・おめーに力を借りたかったけどよ・・
どうにも・・うまくいかねぇんでぇ・・
――ふっ・・
なに笑ってやがんでぇ・・
――そりゃそうさ・・
なにがでぇ・・
――お前ごときが・・私になりきろうったって・・そうはいかないのさ・・
ど・・どういうことでぇ・・
――私の生い立ち・・知ってるだろうよ・・
ああ・・知ってらぁな・・
――お前に私の苦しみなんざ・・理解できるはずもないのさ・・
・・・
――誠にお戻り・・
え・・
――お前にはそれがお似合いさ・・
ここで高原由紀は姿を消した。
そうか・・
そうだよな・・
私にはやっぱり・・誠さんしかいねぇ・・
よし・・
先生やあいつらがどう思おうが・・っんなこたぁ・・どうでもいいやね・・
そして中川は、三神ベンチに目を向けた。
「よーう、おめーら。待たせたな」
中川がそう言うと、ベンチの者は呆れていた。
また変わったぞ、と。
ほんまに、この子はなんなんだ、と。
「あんた、なに言うてんの」
悦子が訊いた。
「ったくよー、役者も疲れるってもんよ」
「はあ?」
「いかに試合を盛り上げるか。あれこれ考えると苦労するぜ」
「・・・」
「けどよ、三文芝居はもう終わりでぇ」
「・・・」
「せいぜい震えて見てやがれ」
中川はそう言って、コートへ向きを変えた―――




