250 大風呂敷
そして中川は、向井にドライブを打たせるため、2球目はフォアストレートへロングサーブを送った。
向井の武器はドライブだ。
けれども、今しがたの妙なカットを封じるため、向井はバックストレートへ合せる返球をした。
そういや・・磯ちゃんが言うてたよな・・
ツッッキとミート打ちで攻略やと・・
それに・・バックカットでは、今のボールは出せるんやろか・・
向井は早くも中川の弱点に気が付き始めていた。
そう、ズボールはフォアカットでしか出せないのである。
そして中川は、ドライブを打たせるため、バックカットでまたフォアへ送った。
向井は試しにドライブで、再びバックストレートへ送った。
中川はなんなくバックカットで返したが、無論、ズボールではない。
やっぱりな・・
あのボールは、フォアでしか出せへんのやな・・
その後、中川はフォアとバックへ分けてボールを返していたが、向井は徹底してバックコースへ送り続けた。
おのれ・・アンドレ・・
なんでバックばっかりなんでぇ・・
これじゃ・・ズボールが出せねぇじゃねぇかよ・・
中川は、まだ向井の意図に気が付いてなかった。
けれども、バックにばかり送って来る向井に、疑義を抱いていた。
皆藤は思った。
うん・・向井くん、さすがです・・
これで中川くんは・・魔球を出せなくなりましたね・・
次の手はあるのですか・・?
どうするのですか・・?
皆藤はニンマリと笑った。
そして長いラリーが続いたあと、向井は決めボールとしてフォアクロスへスーパードライブを放った。
中川は突然フォアに送られたことで、慌ててボールを追った。
舐めんなよ~~~!
中川はボールに追いつき、フォアカットで返したがズボールではなかった。
ミドルに入ったボールを、向井はバックへ打ちに行った。
中川は急いでバックへ戻りかけた。
すると中川の動きを見て、向井は寸でのところでフォアへ打ち込んだ。
完全に逆を突かれた中川は、足の動きが止まりボールは後ろへ転がって行った。
「サーよし」
向井は小さくガッツポーズをした。
「ナイスボールですよ」
「ナイスコースですよ」
「先、1本取りますよ」
三神ベンチからは冷静な声が挙がっていた。
「どんまい、どんまい!」
日置は拍手をしながら、何事もなかったかのようにそう言った。
けれども内心は穏やかではなかった。
なぜなら、早くもズボールを封じられたからである。
「どんまいやで~~!」
「先、1本やで!」
「平気、平気!」
彼女らも懸命に中川を励ました。
「うーん」
浅野が唸った。
「見抜かれたな・・」
小島がそう言った。
「ズボール・・バックでは出されへんの・・わかってしもたな・・」
「これは厄介やな・・」
無論、杉裏ら六人も、そのことは理解していた。
そしてどうするんだ、と困惑していた。
一方で中川も、どうしたものかと思案していた。
やつがバックばかり攻めるのは・・
ズボールはフォアでしか出せないと見破ったからに違いねぇ・・
くそっ・・アンドレめ・・
ここは・・大風呂敷ぶっかますしかねぇな・・
「よーう、アンドレよ」
また中川が呼んだ。
向井は、またか、といった風に中川を見た。
「おめー・・そんなに私が怖ぇのか」
「は・・はあ?」
「ちまちまとバックにだけ入れやがってよ」
「・・・」
「おめー・・それでズボールを封じたつもりだろうが、フォアカットだけだと思ってんだろ」
「・・・」
「まあ、仕方ねぇやな。こうなったらフルコートでお見舞いするぜ」
中川は不敵な笑みを浮かべた。
「中川さん」
向井が呼んだ。
「なんでぇ」
「あなた、わざと1セットを落としましたね」
「おめー・・それを言っちゃあお終めぇさね」
「なんですか」
「こういうのをな、ハンディキャップってんでぇ。知ってっか?」
「なっ・・」
「1セットくれぇ、タダでやんねぇとよ、均衡がとれねぇってもんよ」
向井は憤慨した。
なにを・・どの口が・・と。
「だから私は、このセットが始まる時、ここからが本当の命のやり取りっつったよな」
「・・・」
「まあ、そういうことさね」
向井は思った。
この中川は、皆藤も言った通り、掴みどころのない子だと。
山科がサーブミスをした時も、敵に塩を送るかのような発言をした。
三神戦ともなると、誰でも、どこの学校でも委縮こそすれ牙を向き出して挑んでくる者などいない、と。
それが中川はどうだ。
オーダーを読み上げた時もそうだった。
ロビーで会った時もそうだった。
挙句に、天地やクチビルゲなどと妙な呼び名までつけて、自分はアンドレと呼ばれている。
そして1セットはわざと落とし、それをハンディとまで言った。
ズボールなるものがフォアだけではない、というのもあながち嘘じゃないのでは、と。
「ふふふ・・アンドレよ」
「・・・」
「おめー・・迷ってやがるな」
「もう結構です」
そう言って向井はレシーブの構えに入った。
一方で中川はこう思っていた。
さあ・・とんでもねぇホラ吹いちまったぜ・・
これやぁ~・・無理にでもバックカットでズボールを出さなきゃなんねぇぞ・・
どうすりぇいいんでぇ・・
真似事をしたにせよ・・
すぐに嘘だとバレちまうぜ・・
かぁ~~困った・・
「向井くん」
皆藤が呼んだ。
向井はそのまま皆藤を見た。
「余計なことは考えなくていいです。バックカットで魔球はありません」
「はい」
おのれ・・クラブ探しジジィ・・
中川は振り向いて皆藤を睨んでいた。
「なんですか?」
皆藤はニッコリと笑った。
「けっ。所詮はクラブ探しジジィさね」
「どういう意味ですか」
「私の考えなんざ、なにもわかってねぇってことさね」
「ほーう」
「まあ、その考えとやらは、後でたっぷりと教えてやっからよ、せいぜい高みの見物、ぶっこいてな」
「はい、そう願いますよ」
そして皆藤はまたニッコリと笑った。
おのれ・・ジジィ・・
私を舐めんなよ・・
こうなったら・・
なにがなんでもバックカットでズボールを出してやるぜ!
そして中川はサーブを出す構えに入った。
すると向井は、皆藤をチラリとみてすぐに中川に目を向けた。
ふんっ・・どうせ・・バックに送って来るんだろうぜ・・
そして中川は下回転のロングサーブをフォアへ出した。
すると向井は寸でのところまでバックへ打つと見せかけて、抜群のミート打ちでフォアの厳しいコースへ打って出た。
なにっ・・
当然バックへ来るものだと思っていた中川は、少し出遅れてフォアへ動いた。
しゃらくせぇやね!
中川は懸命にボールを追ったが、一歩間に合わずにボールは後ろへ転がっていた。
「サーよし」
向井はまた小さくガッツポーズをした。
向井がレシーブに着いた時、皆藤はフォアへスマッシュ、というサインを出していたのだ。
「ナイスボールですよ」
そう言ったのは皆藤だった。
そして他の者も冷静に向井のプレーを称えていた。
「どんまいだよ!」
日置が大きな声を挙げた。
すると日置と少し離れて立っている小島は「こらああああーーー!中川!ボールを追わんかい!」と檄を飛ばした。
「あんた、カットマンやろ!なに諦めてんねや!」
浅野もそう言った。
「わかってらぁな!」
中川は左手を挙げて二人に応えた。
日置は思った。
そうだよね・・
中川さんに「どんまい」なんて、響かないんだった・・
彩ちゃんも浅野さんも・・よく理解してるよね・・
日置は苦笑したあと「中川!ボールに食らいつけって、何度言えばわかるんだ!」と怒鳴った。
「誰に言ってやがんでぇ!わかってらぁな!」
この時点でカウントは2-1と向井が一歩リードした。
うぬぬ・・
ここは・・
逆転してだな・・
3-2でこっちがリードでサーブチェンジだ・・
そのためにも・・
バックカットでズボールを出さねぇと・・
失敗しても構わねぇ・・
このまますっこむよりは・・何倍もマシさね・・
そして中川は4球目のサーブを出した。
これはバックコースへ送った短い下回転のサーブだ。
向井はなんなくツッツキでバックへ返した。
中川もツッツキでバックへ送った。
すると向井はツッツくと見せかけて、バックハンドスマッシュを打ち込んできた。
味な真似をしやがるぜ・・
中川は、バックに入ったボールをすぐさま下がってバックカットでミドルへ返した。
これもズボールではない。
向井はなんでもないボールを、フルパワーでドライブをかけに行った。
これもバックコースだ。
よし・・これさね・・
フォアカットと同じ要領で返すだけだ・・
前後に振って・・
離れる瞬間・・回転をかけるんだ・・
中川はラケットを前後に振り、ボールが離れる瞬間回転をかけた、つもりだった。
そう、いきなり出来ようはずもないのだ。
「左だぜ」
中川は出まかせを言った。
けれども回転をかけた分、バウンドしたボールは、ほんの少しだけ左に曲がった。
これは偶然だ。
中川はどっちに曲がるかわからなかったのだ。
「左だ」と言われた向井は、本当に左に曲がったので少しだけ体を詰まらせた。
そして向井は、簡単なツッツキで返した。
甘めぇぜ・・アンドレよ!
中川はバックに入ったボールにすぐさま回り込み、フォアストレートへ矢のようなスマッシュを放った。
すると向井は後ろへ下がりドライブで返した。
けれどもコースはフォアへの返球となった。
来た来た~~~~!
中川はボールに追いつき、ラケットを複雑に動かした。
そしてボールはポーンと高く上がり、向井のフォアコースでバウンドした。
どっちに曲がるんや・・
向井はボールを凝視した。
そして一か八かで右へ少し動いた。
なぜなら、左に曲がってもツッツキで対応できるからだ。
するとボールは曲がらずに、真っすぐ飛んだのだ。
完全に体を詰まらせた向井は、またツッツキで返すしかなかった。
そして中川は、もう一度打ちに出た。
向井は思わず後ろへ下がった。
すると中川は寸でのところでストップをかけた。
ボールは台上でツーバウンドしていた。
「サーよしっ!」
中川はどうだと言わんばかりに、わざわざ振り向いて三神ベンチにガッツポーズをした。
「よーーし!ナイスボール!」
日置は口に手を当てて叫んだ。
「よっしゃあ~~~!」
「中川さん!ナイスや~~~!」
「さあ~~ここ1本取るよ!」
彼女らもやんやの声援を送った。
「よーう、じいさんよ」
中川は皆藤を呼んだ。
「なんですか」
「私の考えとやらを言ってやるよ」
「ほーう」
「ズボールは、フォアだけじゃねぇ。しかも曲がらねぇ場合もあるんだぜ?」
「そうですか」
「今の、わかったか」
「なにがですか」
「私は、わざと曲げなかったんだぜ」
そう言われた皆藤は、一瞬、血の気が引く思いがした。
いや、バックカットのズボールなるものは、フェイクだ。
けれども今しがたのフォアカットを、わざと曲げなかったというのは、果たして本当なのだろうか、と。
中川のことだ。
出まかせも十分あり得る。
けれども、曲げたり、或いは曲げなかったりを自在に出来るとなれば、向井の立ち位置を見て曲げる方向が狙える。
「そうですか」
皆藤は何事もなかったかのように、ニッコリと笑った。




