249 門外不出の伝承技
―――1セット目を終えた三神ベンチでは。
「向井くん」
向井は皆藤の前に立っていた。
「はい」
向井は汗一つかいておらず、なんとも拍子抜けの試合に戸惑いすら見せていた。
「次のセットですがね、今しがたと違いますよ」
「そうなんですか?」
「このセットから始まると考えなさい」
「さっきの中川さんが・・なにをどうすると・・」
向井にすれば、魂の抜けた中川になにが出来るのかと疑問に思った。
「真相のほどはよくわかりませんが、おそらくさっきのセットは、わざと落としたのです」
「えっ!」
向井は絶句した。
落とすことに、何の意味があるのだ、と。
それが作戦といえるのか、と。
「きみが驚くのも無理はないですが、おそらくそれが本当のところです」
「そうですか・・」
「いいですか。ここは締めてかかりなさい」
「はい」
「我々三神相手に、舐めた真似をしたこと、嫌というほど後悔させてやりなさい」
「わかりました」
向井は軽く一礼した。
「向井ちゃん、頑張りますよ」
「出だし1本ですよ」
「このセットで決めますよ」
「先輩、頑張りますよ」
彼女らは、ダブルスを取られた時点では若干の危機感も覚えていたが、今しがたのラブゲームを見て、次は変わるという「不気味さ」など、なんら意に介することがなかった。
なぜなら、崖っぷちに追い詰められているのは、桐花だからである。
中川「如き」が、このセットを取って、3セット目も取れるとは、到底思えなかったのだ。
現実は、そんなに甘くないぞ、と。
三神を見くびってもらっては困るぞ、と。
―――桐花ベンチでは。
中川は日置の前に立っていた。
「さあ、勝負だよ」
「おうよ!」
「きみなら、絶対に勝てる」
「あたぼうさね!」
「いいかい。何があっても絶対に焦らないこと。迷ったらタイムを取ること」
「わかってらぁな!」
「よーし、じゃ、徹底的に叩きのめしておいで」
日置は中川の肩をポンと叩いた。
「中川さん、しっかりな!」
阿部は椅子から立ち上がって、中川の手を握った。
「中川さんなら大丈夫!あんたは絶対に負けへん!」
重富も中川の手を握った。
「中川さぁん、苦しくなったらぁ、三島くんの歌詞、思い出してなぁ」
森上も手を握った。
「おめーら、心配するこたぁねぇぜ」
三人は中川の顔をじっと見ていた。
「約束する。アンドレをぜってーに倒す!」
するとそこへ小島ら八人も加わった。
「中川さん、頑張るんやで」
「ぜひとも、ズボールをこの目で見たいわ!」
「みんながついてるから~大丈夫やで~」
「いや、ほんまに、マジで徹底的に叩きのめすんやで!」
「いける、いける。あんたやったら大丈夫や!」
「勝ったら、ご飯奢ったるからな!」
「ええか、今は2-1でうちがリードしてるんやからな。あくまでも追い詰められてるんは、三神やねんで!」
「あんたはカットマンや。拾ってなんぼやで。しっかりな」
最後に浅野がそう言った。
「おうよ!先輩方よ、任せてくんな!」
そして中川はゆっくりとコートへ向かった。
その際、ギャラリーたちは一人、また一人と減り始めた。
そう、もう勝負はついたということだ。
「よーーう!おめーら!」
中川は、立ち去ろうとするギャラリーに向けてそう叫んだ。
するとその者たちは、立ち止まって中川を見た。
「この試合、観ねぇと損すんぞ!」
するとその者らからは、何を言ってるんだとばかりに、笑い声が挙がっていた。
0点のくせに、どの口が、と。
「私が三神野郎をぶっ倒すっつってんだよ!」
そして中川は、胸を張って三神側のコートに着いた。
「えらい大風呂敷広げたな」
「そうまで言うんやったら、観たろやないか」
「さっきと別人のようやな」
「へぇーおもろいやん」
そして、その者たちは、再びコートに目を向けた。
中川の豹変ぶりに、やはり皆藤は確信していた。
1セットはわざと落としたのだ、と。
それは向井も同じだった。
そうか・・
先生の言わはった通りや・・
ほんま・・舐めた真似してくれるやん・・
「ラブオール」
主審の関根が試合開始を告げた。
「よーう、アンドレよ」
中川はボールを手にしたままそう言った。
向井は返事をせずに、レシーブの構えに入っていた。
「ここからが本当の命のやり取りさね!覚悟しな!」
そして中川はサーブを出す構えに入った。
1セット目に中川が出したサーブといえば、単純な下回転だけだった。
特にコースを狙ったわけでもなく、ブチ切れでもなく、いわゆる練習の際になにも考えずに出すようなサーブだった。
よーし・・ここは、由紀サーブでご機嫌を覗うとするか・・
『由紀サーブ』とは、必殺サーブに及ばないまでも、かつてセンターで三宅と多田を相手にした時に出したサーブのことである。
その際、中川は「ナイフサーブ」と名付けたが、多田に「ナイスサーブに聞こえるで」と指摘され、「由紀サーブ」に変更したのだ。
そして中川はボールをポーンと高く上げ、複雑な回転をかけてバックコースへ送った。
向井はなんら意に介することなく、すぐに回転を見破り、絶妙なバックハンドでバックコースへ送った。
くそっ・・
取りやがったか・・
中川はなんなくバックカットで返した。
フォアストレートへ入ったボールに、向井はドライブをかけに行った。
そしてボールはミドルへ入った。
おめーのドライブなんざ・・
屁でもねぇよ・・
中川は足を右へ動かし、バックカットで返した。
こうしてドライブ、カットとラリーの応酬が続いた。
ぜってー先取点を取る!
息を吹き返したんやろけど・・この程度か・・
二人は互いにこのように思いながら、ラリーを続けた。
「根負けするな~~~!」
「ストップも警戒せなあかんで~~!」
「この1点は絶対に取れ~~~!」
桐花ベンチから、このような声が挙がっていた。
うん・・
確かに、ドライブはうまいこと返すな・・
よし・・ここは前後に揺さぶろか・・
こう思った向井は、突然ストップを入れて来た。
これも絶妙なタイミングでのストップだ。
けれども、前後左右のフットワークを死ぬほど熟してきた中川にとっては「当たり前」のストップだ。
中川は全速力で前に駆け寄り、十分な体勢でボールを拾った。
そやで・・
中川さん・・
あんたは、この私のストップを簡単に拾えるんやから・・
そんなストップ・・屁でもないよな・・
杉裏はこんなふうに思っていた。
そして向井は、台上のボールを手首のスナップを効かせて叩きに行った。
中川は、もう一度ストップもあると読んで、あまり台から下がらずに構えた。
すると向井は本当に叩いて入れた。
そう、このチャンスを見逃すはずがないのである。
しゃらくせぇやね!
中川はすぐさま後ろへ下がり、フォアカットで返そうとした時だった。
よし・・このボールだ・・
中川は床に着きそうなくらいの位置で、ラケットを複雑に動かした。
そう、ズボールである。
中川のカットを見た皆藤と三神の彼女らは、その妙技に仰天していた。
なんなんだ、これは、と。
しかも、どっちへ回転をかけたのかがわからないではないか。
そしてボールはポーンと高く上がり、ミドルでバウンドした。
右さね・・
向井からは中川のカットが見えない。
向井は絶好のチャンスボールを、当然のように打ちに出た。
するとボールはククッと右へ曲がった。
えっ!
向井は空振りしそうになったが、なんとか右腕の動きを止めて、ポコンと当てて返した。
おいでなすったぜ~~~~!
待ってましたといわんばかりの中川は、矢のようなスマッシュをバッククロスへ打ち込んだ。
向井はラケットを出せずに、ボールは後ろへ転がっていた。
「サーよしっ!」
中川は渾身のガッツポーズをした。
「ナイスカット!」
日置はパーンと一拍手した。
「よーーーし!ええぞ~~~!」
「ナイスボールや~~~!」
「中川さぁん~~ズボール決まったぁ~~!」
ベンチからもやんやの声援が送られた。
「アンドレよ」
中川は向井を呼んだ。
向井は黙ったまま中川を見た。
「おめー、空振りしなかったのは、さすがだぜ」
「・・・」
「けどよ、ズボールはこんなもんじゃねぇぜ」
「ズボール・・?」
「そうさね。ズボールは末代まで受け継がれる門外不出の伝承技さね・・」
「・・・」
「あれはいつだったか・・」
中川は、またあさっての方を向いた。
「ないしょうあたまという、仙人がいてよ・・」
「・・・」
「山にこもること幾星霜・・」
「あの」
向井が呼ぶと、中川は我に返ったように向井を見た。
「なんでぇ」
「そんな話は結構です」
向井はうんざりしていた。
「まあいいさね。とっとと続きをおっ始めようぜ!」
主審の関根は、右太ももをきつく抓って、必死に笑いを堪えていた―――




