247 重富の懇願
―――三神ベンチでは。
「どうやら阿部くんは、足を痛めたようですね」
皆藤がそう言った。
彼女らは全員で皆藤の前に立っていた。
「さっき転んだ時ですね」
野間が答えた。
「となると・・ラストで出て来ても、阿部くんの勝ちは100%ありません」
「そうですね」
「次が鍵です。向井くん」
「はい」
「中川くんは、なにやら魔球らしき技を身に着けています」
「はい」
「気を付けるのはそこだけです」
「はい」
「ここは、絶対に取りなさい」
「はい」
向井は力強い返事をした。
「向井ちゃん、頑張りますよ」
野間は向井の肩をポンと叩いた。
「ミート打ちで攻めましょう」
磯部が言った。
「魔球を封じればいいだけです」
山科が言った。
「出だし、頑張りますよ」
仙崎が言った。
そして須藤ら後輩も「先輩、頑張りますよ」と、みなで向井を励ました。
向井は「はい」と厳しい表情で答え、ラケットを持ってコートに向かった。
―――一方で桐花ベンチでは。
「小島さん」
日置が呼んだ。
「はい」
「中川、どうしたの?」
「多分やと思いますけど、大河くんが原因やと・・」
「えっ」
日置は唖然とした。
またか、と。
「なにがあったの?」
「それは訊いても話したくないと言うて・・」
「そうなんだ・・」
「あの・・」
そこで重富が口を開いた。
二人はそのまま重富を見た。
「大河くんが原因って、ほんまですか」
「うん、確実にそうやと思う」
「そうですか・・」
そこで重富は考えた。
トイレへ行く前までは中川はいつもの中川だった。
となると、トイレに行った際に何かがあったに違いないと。
「恋敵」である須藤はずっとベンチにいたし、ここは須藤は無関係だ、と。
おそらく大河とロビーで会い、何か言われたのだろう、と。
そこで重富は大河を探しにロビーへ向かった。
ほどなくしてロビーに出た重富は、辺りをウロウロと歩いた。
そういや・・私って大河くんって見たことないやん・・
双眼鏡で確かめた時は・・わからんかったしな・・
それにしても大河くん・・この肝心な時に・・なにやってくれてんねや・・
重富は、大河を怨んでいた。
嘘でもいいから「頑張れ」とか「勝たなあかんで」とか励ませよ、と。
今の状況を嫌というほどわかっている中川が、あれほど落ち込むにはそうとう酷いことを言われたのだろうと、完全に勘違いをしていた。
そして少し歩いたところで、『滝本東』という校名の入ったジャージを着た集団を見つけた。
あれや・・
重富はその集団に近づいて、誰が大河なのかと探した。
「でもさ、大河」
一人の男子がそう言った。
そして重富は大河と呼ばれた男子を見た。
えっ・・
この子なんや・・
なるほど・・ジャガイモやな・・
「あの、すみません」
そこで重富は大河に声をかけた。
見知らぬ女子に声をかけられた大河は、戸惑った表情で「なんですか」と答えた。
「ちょっと、話があるんですけど」
「え・・」
「こっち、来てもらえませんか」
重富がそう言うと、男子らは「大河、モテモテやな」とからかった。
「あほか」
「中川さんもそうやん」
「僕には関係ないって言うてるやろ」
「ええからええから」
「なに言うてんねや・・」
大河は辟易としながら重富に目を向けた。
「その中川さんのことで話があるんですけど」
「え・・」
「私、チームメイトの重富っていいます」
「そうなんや・・」
「大河くん、中川さんになんか言いました?」
「え・・」
「さっき、なんか言いました?」
「言うてへんし、そもそもさっきっていつのことなん」
「さっきです。まだ十分も経ってません」
「というか、言うも言わんも、僕、中川さんと会うてないし」
「え・・」
嘘やん・・
私の思い違いやったんか・・
ほなら・・なんで中川さんは・・あんな死んだようになってたんや・・
「えっと・・あの、私の勘違いでした。すみません」
「別にええけど・・」
「あのっ・・あのですね、すみませんけどお願いがあるんですが」
「えぇ・・なに・・」
大河は、それこそ辟易としていた。
「中川さんですけど、今、三神と試合してるんです」
「そうなんや」
「それで、さっきまで元気やったのに、急に死んだようになってしもて・・」
「・・・」
「それで、チームの阿部さんって子が足を怪我して、ラストで出られへんようになって・・」
「・・・」
「せやから、中川さんが勝たんと、うちは負けてしまうんです」
「だから、なんなん」
「中川さん、大河くんに励まされたら、復活すると思うんです」
「いや・・きみらチームメイトが励ますべきやと思うけど」
「そんなんとっくにやってます!」
重富は時間もない中、焦りも手伝って思わず大きな声を挙げた。
「えぇ・・」
「お願いします、時間がないんです。このままやと1点も取れんと負けてしまうんです」
「そんなん言うてもやなあ・・」
「せっかく・・ダブルスも勝って・・2-1になって・・」
「・・・」
「中川さん・・ズボールいう魔球を編み出して・・必死になって・・」
そこで大河は、一回戦のあのカットのことか、と理解した。
「だから、一言でええですから、頑張れと励ましてくれませんか」
「なんで僕が・・」
「迷惑やとわかっててお願いしてます」
「おい、大河」
そこで一人の男子が呼んだ。
「なに」
「お前、行ったれよ」
「・・・」
「一言、頑張れと声かけたるだけやろ」
「そうやけど・・」
「お願いします!」
重富は深々と頭を下げた。
「わかった・・」
大河は仕方なく了承した。
そして重富と大河は、フロアに向かって歩いた。
―――コートでは。
言うに及ばず、中川はボロボロだった。
魂が抜けたような中川は、ミスをしても声すら出せずに、ただ惰性でボールを打っていた。
ここで驚いたのが向井であり三神ベンチだ。
「私は一体、夢でも見ているのでしょうか・・」
皆藤は思わずそう呟いた。
「夢ではないですが、確かに信じられませんね」
野間も、ただただ唖然としていた。
「なにかあったんでしょうか」
山科が言った。
「何かがあったことは確かですが、とはいえ、こんな試合・・しますか・・?」
仙崎も、信じられないといった様子だ。
「あの子・・自分が負けると桐花の負けが決まるということ、理解できてないのですかね」
皆藤が言った。
「それでも試合に出てるんです。責任はすべて中川さんにあります」
野間は、どんな精神状態に陥ったにせよ、コートに着く限り甘えは許されないことを言った。
けれども山科の心境は、なんとも複雑だった。
なぜなら、サーブミスで1セット落とした際、ある意味中川に励まされたからだ。
その中川が、一体なにをやってるんだ、と。
あの時の勢いはどこへ行ったんだ、と。
そしてカウントは10-0と、中川はまだ1点も取れないままサーブチェンジした時だった。
「中川さん!」
山科が突然声を挙げた。
中川はぼんやりと山科を見た。
「そんなやる気のない試合で、三神を倒せると思ってるんですか!」
山科の言葉に、皆藤もチームメイトも、さらには桐花ベンチも驚いていた。
「中川さんの様々な言動、あれは虚勢だったのですか!」
「・・・」
「桐花の選手として誇りがないのですか!」
きよし・・
おめー・・私を励ましてんのか・・
くそっ・・きよしよ・・
おめー、いいやつだな・・
でもよ・・
力が出ねぇんだ・・
声を出そうと思っても・・出ねぇんだ・・
「中川さん!」
日置が呼んだ。
中川は黙ったまま振り向いた。
「タイム取って!」
中川は小さく頷き、タイムを要求してトボトボとベンチに下がった。
先輩・・どうしたんですか・・
副審に着いた和子も、まるで別人を見るかのように中川の後姿を見ていた。
「中川さん」
中川は日置の前に立っていた。
「きみ、なにやってるの」
中川は下を向いたままだ。
「点数なんて関係ない。負けたとしても0点でもいい」
「・・・」
「でも今のきみは、全く勝とうとしてない。一体、どうしたんだ」
「・・・」
「きみにかかってるの!」
日置は思わず怒鳴った。
「先生!」
そこへ重富が大河を連れて、慌てて走って来たのだった―――




