246 緊急事態発生
―――コートでは。
阿部と森上は、やっとの思いで1点をもぎ取り、20-19とラストを迎えていた。
「ラスト1本!」
「ここは、しっかりと確実にな!」
「絶対に取るで~~~!」
「頑張れ~~~!」
彼女らは懸命になって声援を送っていた。
「さあ、1本だよ!」
日置も手を叩いて檄を飛ばしていた。
「先輩!いけますよ!」
和子も大きな声を挙げていた。
「恵美ちゃん」
阿部はラケットで口元を隠しながら呼んだ。
「なにぃ」
森上はここまで、ずっと冷静だった。
そしてラストを迎えた今でも同じだった。
「デュースにはさせへんで」
「わかってるよぉ」
「最後は、恵美ちゃんのスーパードライブ、決めてな」
「わかったぁ」
そしてサーブの阿部は、台の下でサインを送り「ラスト1本!」と声を発した。
レシーブの山科も台の下でサインを送り「1本!」と声を挙げた。
阿部はナックルのロングサーブをミドルへ出した。
森上にドライブを打たせるためだ。
山科は、そうはさせじとバックストレートの厳しいところへ、抜群のミート打ちで返した。
バックへ来ると読んでいた森上は、すぐさま回り込み、カウンターでバッククロスへ打った。
既に回り込んでいた野間は、後ろに下がったまま、スーパードライブをフォアストレートに放った。
阿部は無理をせずに、合わせる形でバックへ送った。
すると山科も無理をせず、ショートでフォアストレートに送った。
そう、互いは野間と森上に決めさせるために繋ぎに徹していた。
森上はすぐさまフォアへ移動し、万全の体勢からスーパードライブを放った。
野間も負けじと、後ろに下がったまま引き合いに応じた。
「おおおおおお~~~~!」
ギャラリーから、驚嘆の声が挙がった。
まるで男子じゃないか、と。
野間のボールはとても低く、一瞬ネットに引っかかるとさえ思えた。
引っかかれ・・
引っかかれ・・
浅野らは、心底そう願った。
そして今にも「よっしゃあ~~~~!」と声を挙げそうになっていた。
するとボールはネットに引っかかったものの、桐花のコートに入った。
そう、ネットインである。
阿部は慌てて前に駆け寄り、懸命にラケットを出して拾った。
けれどもその際、足をくじいて転んでしまった。
阿部を見た森上は、ここで決めなければデュースに持ち込まれると思った。
阿部は転んだまま森上を見上げていた。
恵美ちゃん・・
頼む・・
決めてや・・
「チャンスボール」が返って来た山科は、万全の体勢からスマッシュを打ちに出た。
絶対に抜かせへん・・!
フォアへ入ったボールに、なんと森上は追いつき、再びスーパードライブを放った。
天地・・これで最後や・・!
ボールは野間の体をめがけて飛んだ。
野間は、まだ転んだまま立てない阿部を見て、どこへ送ってもいいとばかりに、無理をせずに合わせに行ったのだ。
そう、入れるだけでいい、と。
これが野間の「気の緩み」であった。
野間はラケットコントロールが微妙に狂い、なんとオーバーミスをしたのだ。
「サーよしっ!」
森上はそう言ったあと、阿部に手を貸した。
「恵美ちゃん・・決めてくれたんやな・・そうなんやな・・」
「そやでぇ」
そして阿部もやっと立ち上がった。
「よーーーし!よーーーし!」
日置は両手で大きくガッツポーズをしていた。
「やったあ~~~~!」
「きゃあ~~~すごいいい~~!」
「うわあ~~~これで2-1やん!」
「あんたらすごいわ~~~!」
浅野らも、やんやの声を挙げて興奮していた。
「嘘やろ・・三神が2-1で負けてる・・」
「でもラストまでわからんで」
「相手は王者三神や。このまま引き下がるわけないやろ」
「これ・・事実上の決勝戦やんな・・」
ギャラリーからこのような声が挙がっていた。
確かに事実上の決勝戦であることは間違いない。
けれども実際は、まだ二回戦なのだ。
ギャラリーの中には、なんとも納得がいかない思いを持つ者もいた。
そしてベンチに下がった阿部と森上は、全員から健闘を称えられていた。
けれども阿部の様子がおかしい。
阿部はニコニコと笑っているが、無理をしているように日置には思えた。
「阿部さん」
日置が呼んだ。
「はい」
「どうかしたの?」
「いえ、どうもしません」
「そうなの?」
「はい」
阿部はさらに笑顔を見せた。
その実、阿部は転んだ際にくじいた右足が痛くて仕方がなかったのだ。
そして今も、ほんの少しだけ宙に浮かせていた。
「阿部さん」
浅野が呼んだ。
「はい」
「あんた、足、痛いんとちゃうの」
「いえ!痛くありません」
「ほなら、なんで浮かしてんのよ」
「こ・・これは・・」
そこで阿部は、右足を床に着けた。
すると阿部は痛そうな表情を見せた。
「ちょっと阿部さん」
日置が呼んだ。
「はい」
「足を痛めたんじゃないの?」
「いえっ・・あの、今だけです」
「なに言ってるの」
「時間が経てば治ります」
「ちょっと座りなさい」
日置は阿部を床に座らせた。
「こっちだね」
日置はそう言って阿部の右足首を触った。
すると阿部は「痛っ」と言って顔をゆがめた。
これは大変だ・・
阿部はラストに出るのは無理だ・・
日置も彼女らも、緊急事態に困惑した。
「私、大丈夫ですから!動けますから!」
阿部は懇願した。
「ダメ。これでは試合は無理」
「そ・・そんな!」
「千賀ちゃぁん、そんな足で無理したらぁ、長引くでぇ」
「恵美ちゃん!私、動けるって!」
「あかん、あかん。阿部さん、無理は禁物やで」
「そやで。中川さんが勝てばええ話や」
「無理してええことなんか一つもないで」
彼女らも阿部を止めた。
この緊急事態に、勝敗の行方は中川の背中に襲いかかっていた。
なぜなら阿部は事実上、棄権だ。
となると中川が負けてしまえば、それは桐花の負けを意味するからだ。
そして日置は、まだ戻らない中川を気にしていた。
―――その頃、ロビーでは。
「三神・・ダブルス取られたで」
フロアから出て来た者がそう言った。
「はよ、トイレ行かな」
連れの者がそう言うと、二人は急いでトイレに向かっていた。
小島は二人の後ろ姿を見ながら「中川さん」と呼んだ。
中川はベンチに座ったまま、下を向いていた。
「あんた、今の聞いたやろ」
「・・・」
「ダブルス、取ったんやで」
「・・・」
「あんた、試合やで」
すると中川は小さく頷いた。
「あのな、試合が終わったら、なんぼでも話聞いたるから、ここは頑張らんと」
「・・・」
「ほら、行くで」
小島は中川を立たせて、フロアへ向かった。
そして小島は人混みを掻き分けながら、中川を無理やり引っ張ってやっとの思いでベンチに戻った。
そこで驚いたのが日置であり、彼女ら全員だった。
なんだ・・どうしたんだ、と。
中川が死んだようになっているではないか、と。
「中川さん」
日置が呼んだ。
中川は下を向いたままだ。
「どうしたの」
「・・・」
「きみ、今から試合だよ」
「・・・」
「あのね、阿部さんは試合中に足を痛めて、ラストに出るのは無理になった」
そこで中川はやっと顔を上げた。
そして阿部を見た。
阿部は床に座ったまま、なんとも言い難い複雑な表情を見せた。
「だから、勝敗はきみの肩にかかってるの」
「・・・」
「きみが勝たないと、桐花は負けるんだよ」
「そ・・そんなこと・・」
「きみ、どうしたの?さっきまでは元気だったじゃないか」
そこで中川は、また下を向いた。
「もう時間がない。準備して」
「中川さぁん、どうしたぁん」
「中川さん、勝つんとちゃうの?」
森上と重富は、半ば唖然としながらそう言った。
なにをやってるんだ、と。
「わかった・・」
中川は仕方なく、バッグからラケットを取り出した。
「きみ、わかってるの?」
日置は少し苛立っていた。
「うん・・」
「なにがあったか知らないけど、今の状況、理解してるの?」
「・・・」
「とにかく、コートへ着きなさい」
日置はそう言って、中川の背中を押した。
先生よ・・
みんなよ・・
わかってんでぇ・・
勝たなきゃいけねぇってことくれぇ・・
わかってんでぇ・・
でもよ・・
力が出ねぇんだ・・
それにしてもチビ助・・
おめー・・ラストが無理って・・ほんとなのかよ・・
おめーが勝ってくれねぇと・・
私はどうすりゃいいんでぇ・・
中川は肩を落として、トボトボとコートへ向かった―――




