245 中川の異変
―――「ちょっ・・なんなん」
フロアへ足を踏み入れた杉裏ら六人は、第1コートの周りの人だかりを見て唖然としていた。
そう、人だかりは通路だけではなく、遠巻きではあるがコートの周りも囲んでいたのだ。
「いやあ~全然見えへん~」
蒲内は飛び上がりながら、コートを覗いていた。
「ちょっと待ってえな。そもそもうちと三神がやってるんか?」
岩水が言った。
「やってるに決まってるやろ。だからこの人だかりやん」
為所が答えた。
「せやけど、相手はうちと限らへんやん」
「時間的に考えてみぃな。絶対にうちと三神やって」
そして彼女らは人混みの中から、どうにかしてコートを覗いた。
「やっぱり、うちと三神やん!」
井ノ下が言った。
「ほんまや!えっ、あれなんなん!」
外間はカウントボードを見て驚愕していた。
なぜなら、1ポイントが桐花に入っていたからである。
「いやあ~!ダブルス1セット取ったんや~」
蒲内も興奮していた。
「ああっ!ベンチに彩華と内匠頭いてるやん!」
「いやっ、ほんまや!」
「ちょっと私らも行こうや!」
そして彼女らは通路へ回り、「すみません、すみません」と言いながらフェンスを越えてベンチの後方へ到着した。
「ちょっと、彩華!内匠頭!」
為所が怒ったようにそう言った。
「ああ、あんたら」
小島は少し申し訳なさそうに答えた。
「あんたらやあらへんがな!私らにも言うてぇや」
「ほんまやで!」
「もうそんなんええやん~」
「ダブルス、1セット取ってるけど、どうなってるんよ!」
そこで日置は「きみたちも来てくれたんだね」とニッコリと微笑んだ。
「来るに決まってますやん!それにしてもまた二回戦で三神て!」
杉裏が答えた。
「今な、ゲームカウントは1-1で、ほんでダブルスは1セット取ったんよ」
浅野がそう言った。
「ええええええ~~~~!1-1て、それほんまか!」
「うちは誰が勝ったん?」
「誰と誰なん!」
「カウントはなんぼやったん!」
彼女らが矢継ぎ早に訊くと「よーう、先輩方よ」と中川が口を開いた。
「トップは重富が天地に負けたが、二番は森上がクチビルゲを撃沈さね」
中川の話を聞いた彼女らは、「クチビルゲて」という妙な呼び名に笑っていた。
「それにしても・・三神に1-1やなんて・・信じられへん・・」
「それやん・・。しかもダブルス・・1セット取ってるし・・」
「それでか・・この人だかり・・」
「さあ、きみたち。試合が始まるよ」
日置がそう言うと、彼女らは半ば唖然としながらもコートに目を向けた―――
そして試合は誰もが予想した通り、互いに一歩も引かない展開になっていた。
森上のドライブを受ける野間は、さすが三神のエースともいうべき対応をした。
時にカウンターで決め、時に引き合いでコースを狙い、そのボールに阿部は翻弄された。
一方で、野間のツッツキや繋ぐボールに対して、阿部は悉くミート打ちでコースを狙い、山科はミスを繰り返した。
桐花が一点を取ると三神が奪い返すという展開に、杉裏らも興奮を隠せないでいた。
これが、我々の後輩なのか、と。
自分たちの時代は、1ポイントどころか、1セットも取れなかった。
そもそも勝てるなどと思ってもいなかった、と。
それを目の前のこの子たちはどうだ。
まさに打倒三神をかけて、必死に戦っている。
自分たちが卒業してから、たった二年間のことだぞ、と。
「よーし、先輩という強い味方を得たところで、私はトイレに行ってくらぁ」
中川がそう言うと「きみ、次なんだから早めに帰って来なさい」と日置が言った。
「わかってらぁな!」
そして中川は人混みを掻き分けてロビーに向かった。
かぁ~~・・なんなんでぇ・・
郷ひろみのコンサートかよ・・
中川はこんな風に思いながら、やっとのことでロビーに出た。
そしてトイレに向かう途中、なんと大河の姿を見つけたのだ。
あら・・大河くん・・
大河はチームメイトと共に談笑していた。
なんて素敵な笑顔なの・・
ああ・・声をかけたい・・
私は次が試合よ・・
なにか言葉をかけてほしいわ・・
そして中川の足は、自然と大河に向かって歩いていた。
するとその時だった。
チームメイトに囲まれた陰から、一人の女子を見つけたのだ。
どうやらその女子も試合に出ているのか、青いジャージを着ていた。
え・・
あれは誰なの・・
そこで中川の足が止まった。
すると大河は女子の頭を優しく撫でているではないか。
えっ!
なに・・
どうして・・その子の頭を撫でているの・・
しかも・・とても優しく・・
中川は愕然としていたが、大河はさらに女子の後ろへ移動し、なんと女子の右手を持って素振りを教えているではないか。
そして大河は、女子の下手ぶりに「あはは」と笑っているではないか。
どういうことなの・・
私がセンターで申し込んだと時は・・
全く違うじゃない・・
まさか・・須藤ではなくて・・その子が本命なの・・
どう見ても・・恋人同士の振る舞いよ・・
中川はとてつもなく落胆し、トイレへ行くことさえ忘れていた。
ううっ・・大河くん・・
どうして今なの・・
私は三神を倒さなければならないのよ・・
これじゃ・・倒すどころか・・
ボールを打つのも無理・・
そして中川は大河に背を向け、フロアへ向かった。
―――コートでは。
試合は大接戦となり、再び19-19の同点となっていた。
この頃には皆藤も椅子から立ち上がって試合を観ていた。
そして三神の彼女らも「1本取りますよ!」と大きな声を挙げるようになっていた。
方や桐花ベンチも、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「先、1本やで!」
「追い詰められてるんは三神やで!」
「ここは、絶対に取るで~~~!」
彼女らは必死の声援を送っていた。
けれども日置は、中川がまだ戻らないことを気にかけていた。
なにやってるのかな・・
日置は出入り口に目を向けたが、人だかりで見えるはずもなかった。
「先生」
小島が呼んだ。
日置はそのまま小島を見た。
「どうかしたんですか?」
「いや、中川がまだ戻らないと思ってね」
「私、見てきます」
「そうしてくれると助かるよ」
そして小島は人を掻き分けてロビーに向かった。
ほどなくしてロビーに出た小島は、中川の姿を探した。
トイレにしては遅すぎる・・
どこ行ったんや・・
そう思った小島だっが、とりあえずトイレに向かって歩いた。
やがて中を覗いてみたが、中川の姿はどこにもない。
「中川さん」
小島は個室にいるかもしれないと思い、声をかけたが返事はなかった。
おかしいな・・
どこや・・
そして小島は再びロビーを探した。
けれどもどこにも中川の姿はなかった。
もしかして・・戻ったんかもな・・
小島はフロアへ戻ろうとした時、人混みの後ろで中川がポツンと立っているのを見つけた。
「中川さん」
小島が呼べども、中川は呆然としたまま返事をしなかった。
「中川さん」
小島はさらに近づき、中川の肩に触れた。
すると中川は死んだような目で小島を見た。
「あんた・・どしたんよ・・」
小島は当然、唖然としていた。
「中川さん!あんた次、試合やろ」
「小島先輩・・」
「なに?なに?」
「私・・試合は無理だ・・」
「は・・はあ?」
「できねぇよ・・」
「えっと・・ちょっと落ち着こか」
そこで小島はロビーのベンチに中川を連れて行った。
そして二人は並んで座った。
「なにがあったんか、話してくれる?」
小島は中川の肩を抱いたまま、覗き込むように訊いた。
「・・・」
「今の状況、わかってるよな?」
すると中川は小さく頷いた。
「もしかすると、2-0でダブルス勝つかもしれん」
「・・・」
「もう時間がない。なにがあったん?」
「口に出すと・・もっと無理だ・・」
「え・・」
「喋ってしまうと・・もう試合なんかできねぇ・・」
「うん、うん、わかった。ほなら言わんでもええから、とりあえずベンチに戻るで」
「戻ってもよ・・無理なんだ・・」
そこで勘のいい小島は、原因が大河ではないのかと悟った。
「もしかして、大河くんって子と関係してる?」
すると中川は「言わねぇでくれ」と、なんとも切ない表情を見せた。
やっぱりそうか・・
なにがあったんかしらんけど・・
これは大変や・・
どうしたらええねや・・
さすがの小島も、どうしたものかと困り果てていた―――




