243 一歩も引けない
―――「もう1本!」
阿部は3本目のサーブを出すべく、構えに入った。
そして阿部は、ミドルラインぎりぎりのところへナックルのロングサーブを出した。
野間は、舐めるなよとばかりに、バウンドしてすぐに抜群のミート打ちでフォアクロスへ叩き込んだ。
森上は前で止めるのは無理だと判断し、後ろへ下がってバックストレートへドライブを放った。
山科は、やっと思い通りのボールが来たとばかりに、抜群のショートでブロックした。
なんともスピードの速いボールは、阿部のバッククロスを襲った。
阿部は回り込みに間に合わず、ショートで返すしかなかった。
これも、少し動きが遅れたため、合わせるだけの返球になった。
バッククロスへ入ったボールに、野間はすぐさま回り込み、ここまでのうっぷんを晴らすかのように、弾丸スマッシュをフォアストレートへ打ち込んだ。
森上は懸命にボールを追ったが、一歩間に合わずにボールは床に落ちていた。
「サーよし」
野間と山科は、至極冷静に声を挙げた。
「ナイスボールですよ」
「もう1本ですよ」
「挽回しますよ」
ベンチからも、何事もなかったかのような声が挙がった。
「恵美ちゃん、ごめん!」
阿部が詫びた。
「かまへんよぉ、どんまいやでぇ~」
森上はニッコリと微笑んだ。
「どんまい、どんまい!次、1本だよ!」
日置は拍手をしながらそう言った。
「チビ助~~~!ぜってー引くんじゃねぇ!カウンター、食らわしてやんな!」
「どんまいですよ!」
中川と和子は、口に手を当てて叫んでいた。
「山ちゃん」
野間はコートに背を向けて、山科を呼んだ。
「はい」
「ここは、あと2点取りますよ」
「はい」
「ロングでもショートでも、叩きに行きます」
野間はサーブレシーブのことを言った。
「はい」
「そうですね・・もう1本、フォアの厳しいコースに送ります」
「森上さんにドライブさせるんですね」
「はい。だから山ちゃんは、絶対に止めてください」
「わかりました」
そして二人は向きを変えてコートに着いた。
阿部はコンコンとボールをラケットにあてて、出すサーブを考えていた。
ここは・・やっぱり短いんがええな・・
そして阿部は台の下でサインを送った。
森上は黙って頷いた。
阿部は「1本!」と声を発し、ネット際に短い下回転のサーブを出した。
野間はツッツくと見せかけて、森上にドライブさせるため、わざとミドルへボールを送った。
森上は、まるで術中に嵌るが如く、右腕を大きく振り下してフォアクロスへドライブを放った。
山科は、フォアで打つのではなく、すぐさま足を動かし、バウンドしてすぐに抜群のショートでフォアクロスへ送った。
阿部は動きが遅れ、フォアで合せる返球しかできなかった。
待ってましたといわんばかりの野間は、ミドルに入ったボールを万全の体勢からバックコースへスマッシュを打ち込んだ。
森上は回り込みに間に合わず、ショートで返そうとしたが、ボールは森上の横を通り過ぎで後ろへ転がっていた。
「サーよし」
野間と山科は互いを見ながらガッツポーズをした。
「ナイスボールですよ」
「先、1本ですよ」
ベンチの彼女らは、どこまでも冷静な声を挙げた。
そうそう・・それですよ・・
皆藤も心の中で呟いていた。
「ごめん」
阿部は、自分の不甲斐なさに下を向いた。
「千賀ちゃぁん、ここからやでぇ」
森上は、またニッコリと微笑んだ。
「さあ!しっかり!」
日置が檄を飛ばした。
「こらーーーーチビ助!下を向くんじゃねぇ!」
「先輩、1本ですよ!」
ベンチの声に、阿部は森上を真っすぐ見た。
「この1本は、取るでぇ」
森上は優しくそう言った。
「恵美ちゃん」
阿部はコートに背を向けて、森上を呼んだ。
「なにぃ」
「サーブ・・なにがええかな」
「そやなあ・・ここは・・必殺サーブ出したらええんとちゃうかなぁ」
「必殺サーブか・・」
「多分やけどぉ、天地はツッツかへんと思うんよぉ」
「コートは半分やし・・不利にならへんかな」
阿部は、サーブのコースが半面にしか出せないことで、分が悪いと思った。
「もしなぁ、天地がレシーブミスしたり、甘く返したとしたら、中盤から後半にかけてぇ、必殺サーブは使えると思うんよぉ」
「早めに試すってこと?」
「うん~、それがええと思うねぇん」
「そうか・・。うん、そやな」
「どんなレシーブでもぉ、私が決めるから大丈夫やでぇ」
「うん!」
そや・・恵美ちゃんが決めてくれる・・
それが返って来たとしても・・
全力で止める!
そして阿部は必殺サーブを出すと決めた。
阿部はこれまでと同じフォームから、複雑な回転をかけてミドルラインへ出した。
これがフォアライン側だと、野間の実力からすれば、回転を上回るミート打ちで返す可能性があるからだ。
ミドルだと、多少なりとも体を詰まらせる。
すると回転力に負けるかもしれない。
阿部はそれに賭けたのだ。
来た・・
野間は一瞬にして必殺サーブだと判断し、ボールを凝視した。
どっちや・・
時計回りか・・反時計回りか・・
けれども野間は回転を見抜けず、一か八かでフォアクロスへ叩き込んだ。
するとボールはネットに引っかかり、野間の前でコロコロと転がっていた。
そう、阿部の出したサーブは下回転も入っていたのだ。
「サーよし!」
阿部と森上は渾身のガッツポーズをした。
「ナイスサーブ!」
森上は大きな声を発した。
「よーーし!よーーし!ナイスサーブ!」
日置は大きな拍手をしていた。
「見たかーーー天地よ!これぞチビ助伝家の宝刀!ガレージサーブさね!」
「先輩!ナイスです~~~!」
中川と和子は飛び上がって喜んでいた。
「どんまいですよ」
山科が言った。
「はい」
野間は何事もなかったかのように、ニッコリと笑った。
これでカウントは3-2と阿部らが一歩リードした―――
こうしてゲームは一進一退を繰り返し、どちらも一歩も引かない展開になっていった。
日置も皆藤も、時折タイムを取り、勝つための作戦を彼女らに言い渡していた。
双方とも、絶対に落とせないダブルス。
そのためには1セットを先取した方が、試合の行方を左右することを、嫌というほど痛感していた。
そう、ダブルスを落とした方が負けるのだ、と。
そして試合は終盤に差し掛かり、なんと19-19の同点となったところで双方はタイムを取っていた。
この頃には、ギャラリーはますます増え、通路は人でごった返していた。
「三神が1-1やて・・」
「で、今はナインティーンオールか・・」
「桐花て、一昨年インターハイ行ったチームやんな・・」
「ちょっと、押さんといてよ!」
「ここやと見えへんわ・・」
このような声が、あちこちから挙がっていた。
小島ら四人は、人が増え始めた時点で通路の最前列に移動していた。
「なんやねん・・天神祭りか」
早坂は、人の多さで歩行もままならない、大阪の祭りの一つである天神祭りに例えた。
「今宮戎でもええですよ」
植木は、「えべっさん」で知られている十日戎の混雑ぶりに例えた。
「確かに、すごい人ですよね・・」
小島は振り返りながらそう言った。
「これ・・あの子らが取ると、ますます増えるで」
浅野は第1セットのことを言った。
「それにしても、なんなんでぇ・・この人だかりはよ」
そこで中川は通路に目を向けた。
「あっ!先輩じゃねぇか!」
中川は小島と浅野を見つけた。
彼女らは、軽く手を振って応えた。
「ようよう、先輩よ」
中川はズカズカと通路前まで移動し、「こんな二等席でなにやってんでぇ」と笑った。
「え・・?」
「二等席て・・」
「ベンチという特等席へ来な」
「いや・・私らはここでええわ」
小島は日置に気を使わせたくなかった。
「なに言ってやがんでぇ!ベンチで応援してくんな!」
中川はそう言って二人の腕を掴んだ。
小島と浅野は戸惑いながらもフェンスの間を通り、フロアへ移動した。
その際、「空席」を奪い合うかのように、後ろの者が前に出ていた。
日置は、阿部と森上に作戦を言い渡している最中で、二人に気が付いてなかった。
「いいかい、ここは勝負だ」
「はいっ」
「はいぃ」
「そこで森上さん」
「はいぃ」
「最初に1点を取った、あのボールを出そうか」
回転のかかったロビングのことである。
「はいぃ」
「かなり高く上げること。もちろん回転をかけてね」
「はいぃ」
「で、山科さんは必ず合わせて来る。それを阿部さん、きみが打つんだよ。コースを狙ってね」
「はいっ」
「よし、先に1点を取ろう。いいね」
「はいっ」
「はいぃ」
「じゃ、行っておいで」
日置はそう言って二人の肩をポンと叩いた。
「おめーら!このセットはぜってー取るんだ。チビ助、死ぬ気で決めろよ!」
「先輩、行けますよ!ファイトです!」
阿部と森上は、力強く「うん」と頷いた。
そして二人はコートに向かった。
そこで日置は、小島と浅野がいるのに気が付いた。
「きみたち、来てくれてたんだ」
「はい」
二人はニッコリと笑った。
「すみません。通路で観てたんですけど、すごい混雑で・・」
小島が言った。
「ほんとだよね」
日置は苦笑した。
「ここで応援してもいいですか」
「もちろんだよ」
日置は優しく微笑んだ。
「おらおら~~、誠さんと愛お嬢さんじゃあるめぇし、そんなこたぁ、あとだ、あと!」
すると日置は顔をしかめ、小島はクスクスと笑っていた。
中川の言葉に、和子は不思議そうな表情をしていた。
「郡司よ」
「はい」
「このお二人はだな、我らが桐花卓球部の先輩なんでぇ。こっちが小島の姉御。こっちが、ないしょうあたま」
「姉御・・」
「あはは、あんた、まだないしょうあたまって言うてんねや」
浅野はケラケラと笑った。
和子は「ないしょうあたま」の意味はわからなかったが、「こんにちは」と二人に一礼していた。
「いいってことよ!さあ~~~森上~~チビ助~~~!ガンガン行け~~~!」
そしてコートでは、山科がサーブを出す構えに入っていた―――




