242 森上が狙った先取点
やがて3本練習を終えた四人は、野間と阿部がジャンケンをして阿部が勝った。
この時点で山科のラバーは表だということもわかっていた。
つまり、互いに同じタイプのペアということだ。
「サーブでお願いします」
阿部がそう言うと「こちらで」と野間は自分たちが立っているコートを指した。
そして福田は阿部にボールを渡した。
「ラブオール」
主審の福田が試合開始を告げると、野間と山科は「お願いします」と言いながら両審判に一礼し、振り向いてベンチに一礼し、阿部と森上に一礼した後、二人は顔を見合わせて一礼していた。
阿部と森上も「お願いします」と深く頭を下げた。
「サーブ、私からでええな」
阿部は野間らに背を向けて、森上に訊いた。
「うん」
「出だしから、ガンガン行こな」
「わかったぁ」
そして阿部は、台の下でサインを送った。
森上は黙って頷いた。
「1本!」
阿部は声を発してサーブを出す構えに入った。
レシーブは野間だ。
野間も台の下で、送るコースのサインを出していた。
山科も黙って頷いていた。
阿部はまず、ネット前に下回転の小さなサーブを出した。
すると野間は、寸でまでツッツくと見せかけて、バウンドしてすぐにバックストレートへ叩いて入れた。
森上は回り込むことができずに、ショートで返した。
とはいえ、守りのショートではない。
バッククロスの厳しいところを狙ったボールに対し、山科もショートで返すしかなかった。
バックに入ったボールに、阿部も回り込みが間に合わずにバッククロスへショートで返した。
野間は、先に決めてやるといわんばかりに、素早く回り込んでフォアストレートへ強打した。
森上は後ろへ下がらず、抜群のカウンターでフォアクロスへ打ち返した。
前に着いたままの山科は、ラケットにあてたが合せる返球しか出来なかった。
これも普通なら、打ち抜かれても当然といった鋭いカウンターだったのだ。
そう、山科の返球はファインプレーだったのである。
「おおおおお~~~~!」
早くも館内からは、驚愕の声が挙がっていた。
嘘やん・・
返すんや・・
阿部は驚きつつも、抜群のミート打ちでボールをバックコースへ打った。
少し下がった野間は、回り込みに間に合わず、後方からバックハンドスマッシュをミドルへ放った。
これはコースを狙ったのではない。
ミドルにしか入らなかったのだ。
それほどラリーが速いということだ。
後ろへ下がった森上は、腰をかがめて大きく右腕を振り下した。
来る・・!
山科はどこへ打たれてもいいように、森上の動きを凝視していた。
すると森上は、スーパードライブではなく、なんと山なりの高いドライブをフォアクロスへ放ったのだ。
そう、ロビングである。
え・・なんでなん・・
山科は森上の意図が読めなかった。
それは野間も阿部も同じだった。
チャンスボールじゃないか、と。
一体、どうしたんだ、と。
けれども森上はボールの行方を冷静に見守っていた。
ボールがバウンドすると、背の低い山科は飛び上がってスマッシュを打ちに行った。
けれどもただのロビングではないボールの回転力はすさまじく、山科は威力に押されてオーバーミスをした。
「サーよし!」
阿部と森上は互いを見ながら、力強いガッツポーズをした。
「ナイスボ―ール!」
日置は大きな拍手を送っていた。
「ひゃっはーーーー!今のはなんでぇ!森上よ~~~!」
「ナイスボールです!」
中川も和子も、やんやの声援を送っていた。
「恵美ちゃん」
阿部がコートに背を向けて呼んだ。
「なにぃ」
「今の・・なんでドライブやなかったん・・?」
「いやぁ、ドライブやったでぇ」
森上はニッコリと笑った。
「ああ・・うん、そうなんやけど、なんであんな高いボール・・」
「多分なぁ、天地もきよしも、私のドライブを止めることができてもぉ、スマッシュするんは無理やと思てぇ、試してみたんよぉ」
「どういうことなん・・?」
「きよしってぇ、背が低いし、ロビングやったらぁ苦しいんちゃうかなと思てぇ。ほんでぇ、回転がかかってるしぃ、スマッシュしても入らへんと思たんよぉ」
「そ・・そうなんや・・」
阿部は思った。
確かに森上の放ったドライブを止める技は、天地もきよしも持っている、と。
けれども森上のスーパードライブをスマッシュするという技は、さすがの三神でも無理だろう、と。
ロビングであったにせよ、そこを突いた森上の作戦は、すごいぞ、と。
日頃から口数の少ない森上だが、勝つための作戦をずっと考えているのだ、と。
「なんも言わんと、勝手にやってごめんなぁ」
「なに言うてんのよ!あはは、恵美ちゃん、すごいやん!」
阿部は森上の肩をバンバンと叩いた。
―――一方で、野間と山科は。
「ロビングでも、かなりの回転がかかっていますね」
野間が言った。
「まさか・・あんなボールを返してくるとは思いもしませんでした」
「山ちゃんを試したんだと思います」
「え・・」
「ロビングで返されると、100%の確率で打ちに出ますよね」
「はい」
「でも山ちゃんは背が低いです。ロビングも得意じゃありませんね」
「はい」
「おまけに試合開始すぐに、まさかと誰でも思いますね」
野間はロビングのことを言った。
「はい」
「たとえ回転がかかっていても、打ちに出ます。そこを森上さんは突いたんだと思います」
「なるほど・・だから試したってことですね」
「この後も、いつ、今のボールを出してくるかわかりません」
「・・・」
「山ちゃん」
「はい・・」
「ロビングは打たなくてもいいです」
「え・・」
「バウンドしてすぐに、対応すればいいです」
「それだと阿部さんに打たれます」
ロビングのボールというのは山なりなだけに、カウンターで返すとなると、タイミングが難しい。
しかも森上の放ったボールの回転力は半端なく、合わせるしかなくなる。
つまりそれは、チャンスボールになるということだ。
山科はそのことを言った。
「コースを狙えばいいです」
「ああ・・はい」
「まだ始まったばかりです」
「はい」
「頑張りますよ」
野間は山科の肩をポンと叩いた。
「はい」
山科は力強く頷いた。
―――三神ベンチでは。
「ふむ・・」
皆藤はポツリと呟いた。
今のは・・日置くんの指示なのでしょうか・・
いや・・日置くんなら、1本目からあのような策に出るはずがありません・・
なぜなら・・チャンスボールだからです・・
出だしはどちらも、先取点を取りたいはず・・
言わば・・今しがたのは危険な賭けです・・
その証拠に・・阿部くんも驚いてました・・
とすると・・森上くんが独断でやったことなのですか・・
皆藤は思った。
感情をあまり表に出さない森上だが、その実、大胆な面を持っている、と。
うちに勝つためには、奇をてらうことにも躊躇がないぞ、と。
森上は、このダブルスを取らなければ桐花は負けると思っていた。
ならば、エースである自分がシングルとダブルスを取って、その責任を果たさねばならない、と。
それは言わずもがな、日置のためでありチームのためだ、と。
そして阿部はボールを手にして、台の下で森上にサインを送った。
森上は黙って頷いた。
「1本!」
阿部はそう声を発し、サーブを出す構えに入った。
そして阿部はバックサーブで、短い下回転を出した。
野間は叩かずにストップで返した。
フォアのネット前に落ちたボールに、森上はすぐさま反応し、打つ体勢に入った。
けれども森上は、寸でのところでバック前にストップをかけた。
打たれると思っていた山科は、慌ててボールを拾った。
阿部は、これを逃してなるものかと、台上のボールを強打した。
フォアへ入ったボールに、野間は後方からドライブをかけてバックストレートに入れた。
森上はすぐさま回り込み、抜群のカウンターでバッククロスへ強打した。
ドライブを打って来ると読んでいた山科は、対処に慌てた。
けれども懸命にラケットを出し、なんとかショートで返した。
山科の、いわゆる「消極的」なショートは、コースが甘く入った。
――コースを狙うこと。これは絶対に怠らないこと。
阿部の頭に日置の言葉がよぎった。
ミドルに入ったボールに、阿部は素早いミート打ちでバッククロスを逃げるような厳しいコースへ打った。
すると野間は、誰もが唖然とするようなフットワークを駆使し、ボールに追いついたのだ。
あれを・・取るんや・・
阿部はまた唖然とした。
けれども野間は、バックハンドで返すのが精一杯だった。
そして森上は、万全の体勢で打つ構えに入った。
何を仕掛けてくるかわからない不気味な森上に対して、山科は困惑した。
そう、またロビングではないのか、と。
すると森上は、山科の「期待」を裏切るかのように、正攻法の爆弾スマッシュを打ち込んだ。
バシーン!
まるで台に穴が開くような激しい音と共に、ボールはバッククロスを抜けていた。
山科はラケットすら出せずに、呆然と台の前で立ち尽くしていた。
「サーよし!」
阿部と森上は力強くガッツポーズをした。
「恵美ちゃん!ナイスボール!」
「千賀ちゃんもぉ、ナイスコースやでぇ!」
二人の顔は輝いていた。
「よーーし!いいよ~~~!阿部さん、それだよ、それ!」
日置は送るコースのことを言った。
「はいっ」
阿部は振り向いて答えた。
「チビ助~~~~!天地はおめーの速攻についていけてないぜ!もっと動かしてやんな!」
「先輩~~!ナイスボールです!」
「おうさね!」
阿部は中川と和子にガッツポーズで応えた。
―――通路では。
「す・・すごい・・すごいぞ~~~~!」
植木は、小島と浅野より興奮していた。
「ス~の言う通りや・・このペアは確かに凄い・・」
早坂も驚愕していた。
「あの子らて・・私らの後輩やんな・・」
浅野がポツリと呟いた。
「これは・・もしかすると・・」
小島がそう言うと「あかん。まだそれ言うたらあかん」と浅野が制した。
「相手は三神や。もしかなんて考えた時点で流れが変わる」
浅野はそう言いつつも、その目は期待に膨らんでいた。
「そやな。21点の声を聴くまで、ゲームオーバーの声を聴くまで・・」
「ここは、絶対に押さんといかん。何点取ろうが徹底的に叩きのめす根性で挑まんと」
二人は思っていた。
今まさに、徹底的に叩きのめすという日置の信条が、何よりも大事なんだ、と―――




