24 複雑に絡む糸
この日の夜遅く、日置は帰宅した―――
日置は阿部との練習を終えた後、西藤の店に寄り、小島との交際が順調なことを報告した。
その際、西藤は大変喜んでいたが、「小島さんは十八や。滅多なことしたらあかんで。とにかく大事にしぃや」と釘を刺されていた。
西藤の若い時代は、結婚前に交渉を持つなどあり得ないと考えられていた。
それでも西藤の考え方は、割と先端をいっていたが、相手が十八とあっては、釘を刺さざるを得なかったのである。
日置は、西藤の思いを十分理解していたが、そこは日置も男だ。
つい魔がさす瞬間があるのだ。
だからこそ、今後も小島を泊めるつもりは一切なかった。
あれ・・
日置はダイニングのテーブルに置かれている、青い包みと置手紙を見つけた。
『先生へ。今日、写真立てを買いました。部屋に飾ってくれると嬉しいです。彩華より』
彩ちゃん・・来てたんだ・・
日置は包みを開けた。
すると中から、写真立てが出てきた。
そっか・・彩ちゃん、これを僕に渡そうとして来てくれたんだ・・
もっと早く帰ればよかったな・・
悪いことをしたな・・
日置は今度、小島と二人で写真を撮って、部屋に飾ろうと思った。
そして日置は、写真立ても包み紙も置手紙も、小物入れの引き出しに大事にしまった。
あ・・もう遅いから電話は無理だな・・
日置は時計を見てそう思った。
時間は午後十時半を回っていた。
ルルルル・・
そこで電話が鳴った。
あ、彩ちゃんかな・・
日置は直ぐに受話器を取った。
「もしもし、日置です」
「あ・・日置先生、こんなに遅く、すみません」
相手はさっきかけてきた女性だった。
日置は、聞き覚えがある気がしたが、誰かはわからなった。
「どちら様ですか」
「私、加賀見です」
そう、電話の主は加賀見だったのだ。
「ああ、加賀見先生。どうしたんですか」
「いえ、明日にしようと思ったんですが、実は今日、中尾さんから電話がありまして」
「ほう、中尾から」
「なんでも・・以前、南仁和高校の男子生徒と中尾さんたちは、あの店へ行きましたでしょう?」
「はい」
「それで、昨日の帰宅途中、その男子生徒たちに偶然会ったそうなんですが、なんでも酷く脅されたらしいんです」
「え・・どういうことですか」
「店の代金の十万払えだとか、生徒手帳を取り上げられて住所と電話番号を知られたり、挙句の果てには「覚えとけよ」と捨て台詞を吐いたそうなんです」
「それは酷いですね」
「それで、私、どうすればええのかと・・日置先生に相談したくてですね、それでお電話を差し上げました」
「中尾の親御さんは、ご存じなんですか」
「いえ・・話してないらしいんです」
「それは一度、親御さんと話をして、それと南仁和高校にも、出向いた方がいいですよ」
「あの・・日置先生・・」
「はい」
「お力を貸していただけませんか」
「はい、もちろんです」
「よ・・よかった。実は私、とても心細かったんです」
「僕に限らず、校長や他の先生方とも話し合いましょう」
「はい、そうですね。わかりました。夜分にすみませんでした」
「いいえ、では明日、学校で」
そして日置は電話を切った。
―――一方、小島は。
日置と加賀見が電話中、そうとは知らない小島は、日置から連絡がないことに不安を抱いていた。
日置なら、直ぐにかけてきて「彩ちゃん、ありがとう」と礼を言うはずだ。と。
小島は、遅い時間だとはわかっていたが、日置に電話をかけた。
幸い、両親も弟も、寝室だ。
ツーツーツー
え・・話し中やん・・
小島は番号を間違えたのだと「都合よく」考え、もう一度かけ直してみた。
その際、番号の一つ一つを確認するように、ボタンを押した。
ツーツーツー
やっぱり話し中や・・
きっと・・あの女の人に違いない・・
こんな夜遅くに話することなんてあるか・・?
小島は一瞬、貴理子かと思ったが、声が明らかに違っていた。
貴理子とは、かつて日置の婚約者だった。
日置と貴理子は見合いをして、結婚寸前までいったが、日置がフラれて破談になっていた。
その理由は、日置は小島のことが好きだったからである。
小島は仕方なく諦め、自室へ行った。
先生・・ほんまは私のこと・・
小島はベッドであおむけになり、天井を見つめていた。
先生にしたら・・
私て・・子供みたいなもんやもんな・・
もっと大人の女性っていうか・・
貴理子さんみたいな・・
そこで小島は、なんともバカな考えを巡らせた。
化粧を濃くして、肌を露出するような服に替えよう、と。
そして言葉遣いも、大阪弁を封印しよう、と。
冷静に考えれば、日置に直接訊けばすぐに解決することを、恋愛経験のない小島にとって、初めての「壁」にどう向き合えばいいのか困惑していた。
少なくとも日置は大人だ。しかも超モテモテ男だ。
そして自分は子供である、と。
日置に嫌われたくない、捨てられたくない、という恐怖心が、小島から冷静さを奪っていた。
―――そして翌日。
小島はなんと、朝から日置に電話をかけた。
時間はまだ七時で、しかも公衆電話だ。
ルルルル・・
何度かコールしたが、日置は出ない。
先生・・なんでやの・・
まさか・・あの後・・女性の家へ泊まりに・・?
小島は一旦切って、もう一度かけた。
けれども、日置は出なかった。
う・・嘘やん・・
これって・・どういうことなん・・
そう、小島は冷静ではなかった。
日置は、森上の朝練に行っているのだ。
そんなこともわからないほど、小島は動揺していた。
そして日置に別の彼女がいると、小島は確信してしまったのだ。
日置とて、小島に連絡して、写真立ての礼を言たくないはずがない。
けれども、早朝に電話をかけるのは、非常識だと判断したまでのことなのだ。
―――ここは桐花学園の校長室。
「ということなんです・・」
加賀見はたった今、校長の工藤に事の経緯を説明し終わった。
加賀見の他に、日置、中尾、木元、石川もいた。
「それで、中尾さん」
工藤が呼んだ。
「はい・・」
「相手の名前はかわりますか」
「えっと・・杉本と北野と森田です」
「学年は?」
「三年生です」
「わかりました。加賀見先生」
「はい」
「一度、南仁和高校へ出向いてくれませんか。その際、私から事前に連絡を入れておきます」
「はい」
「それで、その子たちの担任と話をして下さい」
「承知しました」
「日置先生も同行してください」
「わかりました」
そして日置と加賀見は、南仁和高校へ行くことが決まった。
中尾らは、日置と加賀見に「すみません・・」と、申し訳なさそうに小さくなって詫びた。
「いいのよ。私がきっと何とかする。それと、親御さん方にも話をしますからね」
加賀見は、前のめりになっていた。
以前のいじめ問題の「減点」を取り戻すためではなく、元来、真面目な加賀見は、心を入れ替えたと同時に担任としての責任を果たそうとしていた。
けれども、力が入り過ぎて、今にも糸が切れそうだった。
日置は、それが心配だった。
だからこそ工藤も、日置に同行するよう命じたのだ。
その後、日置は昼休み、阿部に放課後の練習は中止との旨を告げた。
そして日置と加賀見は二人で南仁和高校へ向かったのである。
―――「先生、ほんとにすみません」
最寄り駅へ向かう途中、加賀見が日置に詫びた。
「いいえ。こういうことは早め早めが肝心です。きちんと対処しておかないと、取り返しがつかなくなる場合もありますからね」
「えぇ。そうですね」
「加賀見先生」
「はい?」
「あまり力を入れ過ぎないようにね」
「私、力が入ってます?」
「めちゃくちゃ入ってます」
日置はそう言ってニッコリと笑った。
「あら・・そうでしたか・・」
「大丈夫。僕がちゃんとサポートしますから」
「よろしくお願いします」
ほどなくして、二人は天王寺に到着した。
南仁和高校は、市内の大正区という地域に所在していた。
環状線で行けば、二十分とかからない距離だ。
日置と加賀見は、券売機で切符を購入していた。
そこで間の悪いことに、外間が日置を見つけてしまったのだ。
外間は体調を崩し、仕事を早引けして帰宅する途中だったのだ。
あ・・先生やん・・
外間は声をかけようと思ったが、躊躇した。
なぜなら、偶然にも日置と加賀見は、互いにニッコリと微笑み合っていたからだ。
加賀見が小銭を落とし、それを日置が拾ってやった時に外間は見たのだ。
え・・あれ、誰なん・・
小島もそうだが、外間も彼女らも加賀見の顔は知らない。
ちょ・・これ、あかんのとちゃう・・
彩華が知ったら・・
いや・・あかんあかん・・
言われへんで・・
そして日置と加賀見は改札を入り、環状線のホームに向かうため、階段を下りて行った。
外間は、二人の後姿をずっと見ていた。
そして、呆然としたまま、地下鉄の駅へ向かった。




