233 好きな人がいる
中川は、トイレから出た後、大河の姿を探した。
男子は・・女子と反対側だよな・・
中川はフロアへ戻り、男子が試合をしている側の通路を歩いていた。
すると一番奥の端で、滝本東の男子たちがたむろして立っているではないか。
いたっ!あの中に大河くんがいるはずでぇ・・
中川が通り過ぎるごとに、他校の男子らは中川に見惚れていた。
そんなことはお構いなしに、中川は一目散に大河の元へ急いだ。
すると大河は、チームメイトと楽しそうに話していた。
あら・・大河くん・・
なんて素敵な笑顔なの・・
中川は、急に心臓がドキドキしてきた。
ここは・・落ち着いて・・
「おはようございます」と言えばいいのよ・・
頑張るのよ・・私・・
そして中川は、さらに近寄った。
すると大河ではなく、チームメイトの男子らが中川に気が付いた。
その中には千里中央の駅前で、大河と一緒にいた男子もいた。
「この子・・」
「センターに来てた子やな・・」
「また・・ジャガイモて・・言いに来たんちゃうか・・」
「事情」を知っている男子は、「ちゃうで」と言いたかったが、大河に口止めされていたため、何も言わずに中川を見ていた。
「あ・・あの・・」
そこで中川が口を開いた。
すると大河は中川に気が付いたが、当然のように唖然としていた。
「たっ・・大河くん・・」
「なに・・」
「お・・おはよう・・でござる・・」
げぇ~~~・・
ござるってなんでぇ!
大河は「クスッ」と笑った。
そして他の者も「ござる・・」と言って笑っていた。
「いっ・・いえっ・・ござるではなくて・・ああっ、そうだわ。試合はどうなってらして・・?」
「これから」
「そっ・・そうなのね・・」
「中川さん」
「は・・はい・・」
「きみ、頑張ってたな」
「えっ」
「あのカット、ええやん」
大河はズボールのことを言った。
見てくれてた・・
大河くんは・・私の試合を見てくれてたんだ・・
きゃああああああ~~~!
中川は思わず叫びそうになった。
―――その頃、観客席では。
「中川さん、トイレ行ったきり、帰って来ぇへんな」
重富は後方の通路に目をやっていた。
「どうしたんやろうなぁ・・」
森上も心配していた。
「やっぱりな・・」
阿部が呟いた。
「どしたん?」
重富が訊いた。
「こんなこともあろうかと思て、これを持って来たんや」
阿部はバッグから小さな双眼鏡を取り出し、それで館内を見回していた。
「阿部さん、もしかして中川さんを探してんの?」
「そやで」
「ひゃあ~~すごいな」
「あの風来坊は、大河くんを探してるはずや」
阿部の勘は的中し、男子側を見ていた。
「おった!」
「ええっ、どこなん?」
「向こう側の一番端や!」
重富と森上と和子は、そこへ目をやった。
「よう見えへんけど、確かに男子の中に女子がいてるな」
重富が言った。
「その女子が中川さんや。大河くんもおるで」
「まったく・・次は三神やと言うのに・・」
「でもぉ、中川さんらしいなぁ」
森上は呑気に笑っていた。
「どういうこと?」
重富が訊いた。
「三神戦を目の前にしてもぉ、全く緊張してないってことやぁん」
「なるほど・・そういやそうやな」
「中川先輩って、かわいい人ですよね」
「なにがかわいいねん!ズボール、バラしよってからに」
阿部はそう言って、双眼鏡を外した。
「貸して、貸して」
重富は阿部から双眼鏡を引き取って、目にあてた。
「あはは、ほんまや。中川さん、男子に交じってる」
「まったく・・」
阿部はまだ呆れていた。
「まあまあ、千賀ちゃぁん。試合まで時間があるしぃ、ええと思うよぉ」
「確かに、緊張するよりはマシかも」
そう言って阿部は、自分を納得させていた。
重富は、和子に双眼鏡を渡し、「な?いてるやろ」と笑っていた。
―――彼女らと離れて座っている日置は。
何度もオーダーを書いては消し、を繰り返していた。
ここは・・トップは重富さんが面白いんだけどな・・
三神は、重富さんを補欠だと思ってるに違いない・・
でも・・出鼻は挫けたとしても・・果たして勝てるかどうかなんだよね・・
やっぱり・・森上さんかな・・
いや・・中川さんでも面白いんだよね・・
ズボール・・?だっけか・・
あれは通用する・・
うーん・・なんとしてでも・・トップは取りたい・・
そしたら・・絶対にうちが有利になるんだ・・
思い返せば三年前、今日と同じように三神と対戦する際、日置はオーダーに苦慮した。
けれどもあの日は、負けるという前提で、杉裏や岩水をシングルとダブルスで出した。
そう、場慣れさせるために。
ところが今日は違う。
誰をどこで出せば面白い試合になるか、或いは勝てるか、という本気で勝ちに行くためのオーダーだ。
日置の胸は、ある種、ワクワクしていた。
そのワクワクの一因は、まさに彼女たちの姿勢だった。
彼女たちは委縮するどころか、阿部などは中川がズボールを見せてしまったことで、本気で怒り心頭になっていた。
これは、とりもなおさず、勝ちに行く決意の表れだ。
そして今は、席が離れているとは言え、彼女らの会話は耳に入っていた。
ある意味、呑気に双眼鏡で中川を探している。
全く緊張してないぞ、と。
とはいえ、不安要素は一つある。
そう、中川が大河の元から戻った時、どうなっているかだ。
頼むから、落ち込んでくれるな、と日置は願っていた。
―――その頃、中川は。
「じ・・じゃ・・大河くん・・頑張ってね」
中川は、叫びたい気持ちを懸命に堪えていた。
「うん。中川さんも」
「あっ・・あのっ・・私、次は三神なの・・」
「うん」
いや・・うんじゃなくて・・なにか言ってほしいんだけど・・
「三神って・・とても強いの・・」
「知ってるで」
いやいや・・そうじゃなくて・・
きみは、僕のために頑張れ・・とか・・
勝てば・・付き合ってあげるとか・・
「私・・勝てるかしら・・」
「あのさ、はよ戻った方がええんとちゃう」
「え・・」
ぐぬぬ・・
やっぱり・・ダメなのね・・
「あっ・・あのっ・・」
「なに」
「試合を・・観てくれるのかしら・・」
「須藤さん、出ぇへんやろし、時間があれば観るかも」
なにっ・・
なぜ・・
須藤の名前を・・
も・・もしかして・・
須藤と・・
いやだ・・
嫌だああああああ~~~!
「じ・・じゃ・・私、行くわね・・」
「うん」
中川は、走ってこの場を去った。
チームメイトは、二人の「事情」を完全に悟った。
そして、あんな美人に好かれている大河を羨ましいと思った。
「なあ、大河」
一人が呼んだ。
「なに?」
「あの子、完全にお前のこと好きやん」
「僕には関係ない」
「冷たいな。かわいそうに」
「お前ってさ、須藤さんと、どういう関係なんや」
別の男子が訊いた。
「なんも関係ないで」
「ほな、なんで名前を出したんや」
「あの子とは中学の時から友達やし、単にそう言うただけやで」
大河の言葉に嘘はなかった。
須藤とは、単なる友達だったのだ。
「中川さん、多分、勘違いしてるで」
「もうその話、止めてくれへん。須藤さんも中川さんも、僕には関係ない」
―――一方、中川は。
傷心のまま、阿部らが待つ観客席に戻った。
「こら!中川さん。勝手に離れたらあかんやろ」
阿部が叱った。
「チビ助・・」
「なによ・・」
「大河くんさ・・好きなやつがいるんでぇ・・」
中川の言葉に、重富も森上も和子も驚いていた。
「あんた、まさか、こんな時にまた告白したんか?」
阿部が訊いた。
「いや・・」
「ほな、なんでそんな話になってるんよ」
「須藤のことが・・好きなんだとさ・・」
「え・・三神の?」
「おうよ・・」
「いやいや、ちょっと待ちぃな。一旦それは、横に置いて」
「え・・」
「あんた、これから試合なんやで!そんなん言うてる場合か!」
「でもよ・・須藤が出ねぇから・・試合には興味がないんだとさ・・」
「そんなん知らんがな!もう~~大河くん、こんな時に!」
「千賀ちゃぁん、落ち着いてぇ」
「そやで。阿部さん、落ち着いて」
森上も重富も、どうしたものかと困惑していた。
そこへ日置が「中川さん」と言いながら歩いてきた。
中川は「なんでぇ・・」と悲しげな眼をしていた。
「あのね、今の話、聞いてたんだけど」
「うん・・」
「僕は男だからわかるんだけど」
「なにをさね・・」
「大河くんだっけ。おそらくきみのことが気になってると思うんだよ」
恋愛は三流の日置が、大河の気持ちなどわかるはずもなかった。
日置は、なんとか中川を立ち直らせたい一心でそう言った。
「えっ」
「だから、わざと須藤さんの名前を出して、きみをからかったんだよ」
「そ・・そうなのかよ・・」
「こういうことは、男にしかわからないんだよ」
「ほんとか・・そうなのか・・」
「だってさ、誠だって愛お嬢さんが好きなのに、高原由紀とドライブしたでしょ」
「あっ!」
「そういうこと」
「なるほどさね!そーか、そーか!」
一方で、これまた恋愛に三流の中川は、いとも簡単に納得してしまった。
例えが『愛と誠』だっただけに、尚更だ。
「だから、大河くんのことは阿部さんの言うように一旦横に置いて。いいね」
「おうよ!打倒三神に力が漲ってきやがるぜ!」
日置は、大河に申し訳ないと思いつつも、中川が立ち直って一安心していた。
そして阿部らも、やれやれ・・と胸をなでおろしていた。




