227 森上の言葉
―――翌日。
中川は、学校を休みたかったが、母親にも日置にも阿部らにも、もう心配はかけたくないと、何とか力を振り絞って登校していた。
「中川さん、おはよう」
教室に入って来た中川に、阿部が声をかけた。
「おう」
「あのさ、ズボールのことなんやけど」
「おう」
中川は気のない返事をして、自分の席へ行った。
その後を阿部も続いた。
「中川さん、どしたんよ」
「どうもしねぇ」
「でな、ズボールのことなんやけど、私、思いついたことがあってな」
その実、阿部はズボール完成に向けて、ガレージでずっと試行錯誤していた。
「ラケットにあたった時、今までやったら左右に振ってたやん?それを前後に振って、ラケットから離れる瞬間に左右どっちかに回転をかけるねん」
「・・・」
「昨日、それやってみたら、ほぼ100%の確率で自分が思う方にボールが曲がったんよ」
「おめー・・どうやって台の下で回転かけたんでぇ・・」
「壁打ちやん」
壁打ちとは、ボールを壁に強くあてて、跳ね返ったボールを打ち返す、という練習だ。
阿部は、返球のボールを、台の下でカットしたというわけだ。
「おめー・・ペンだろが・・」
「そんなん、シェイクに持ち替えて、なんぼでもできるっちゅうねん」
「そうか・・おめー・・そうだったのか・・」
「っていうか、あんたどしたんよ。全然元気がないし、ズボール完成のヒントを見つけたのに、なに・・その反応」
「チビ助・・」
中川は情けない表情で、阿部をぼんやりと見た。
「なによ・・」
「私って・・そんなに魅力がねぇか・・」
「え・・」
「普通に話しても・・ダメなんだ・・」
「ちょ・・なに言うてんのよ」
そこへ重富と森上も教室に入って来た。
「おはよ~」
「千賀ちゃん~中川さぁん、おはよう~」
「あれ・・二人ともどしたん?」
重富は二人の様子が変だと、すぐに察した。
「中川さん・・なんか変やねん・・」
阿部はそう言いつつも、おそらく大河と何かあったに違いないと思っていた。
―――そして昼休み。
阿部ら四人は一緒に弁当を食べていた。
中川はちっとも箸が進まず、時折、一点をじっと見ていた。
「中川さん、どしたん?」
重富が訊いた。
「え・・」
中川はぼんやりと重富を見た。
「朝から・・というか、あんたここ最近、おかしいで」
「・・・」
「中川さぁん、悩み事があったらぁ、なんでも言うてなぁ」
中川は森上の言葉に、ほんの少しだけ微笑んだ。
「もしかしてやけど・・大河くんのこととちゃうの・・?」
阿部が訊いた。
すると中川は「チビ助・・」とため息をつくように言った。
「なんかあったん・・?」
「おめーら・・聞いてくれるか・・」
「うん、聞くで」
「私よ・・実は、こんなことがあったんでぇ」
そこで中川は、センター前で男性に絡まれ、大河に助けられたことを話した。
「えっ、あんた、やっぱりセンターへ行ってたんか」
阿部は、少々呆れていた。
「いやぁ・・中川さぁん、危なかったなぁ。怖かったやろぅ」
「せやけど大河くんて、柔道の嗜みがあったんか・・」
重富はまだ大河と会ったことはない。
それゆえ、さぞかし大柄な男子だと想像していた。
「それでよ・・私、なんだかしんねぇけど・・大河くんのことが頭から離れねぇんだ・・」
阿部は驚いた。
あの中川が、ジャガイモと言わずに大河くん・・などと。
そしてこれは、かなりの「重症」だと思った。
「あんた・・大河くんのことが好きなんやな・・」
阿部がそう言うと、中川は「うん・・」と小さく頷いた。
「そうなんやぁ。大河くんのことがぁ・・」
優しい森上は、辛そうに頷く中川を切ない思いで見ていた。
「でもさ、好きなら好きでええんとちゃうの?」
重富が言った。
「重富よ・・」
「なに?」
「私は・・フラれたんでぇ・・」
「ええええええ~~~!」
阿部と重富は、告白したのかと驚愕していた。
それこそ「仕事」が早すぎるだろ、と。
「実は昨日さ――」
そこで中川は、昨夜の顛末を話した。
「私は・・どうしたらいいんでぇ・・」
「ど・・どうしたらって・・」
阿部にわかるはずもなかった。
「そやなあ・・私もそんな経験ないし・・」
重富もそう言った。
「中川さぁん」
森上が呼んだ。
「フラれて元気ないんはぁ、わかるけどぉ」
「・・・」
「予選はもう目の前やんかぁ」
「・・・」
「中川さんがぁ、そんなんやとぉ、三神に勝たれへんと思うねぇん」
「うん・・」
その実、森上は普段はあまり口数は多くないが、その心には打倒三神で炎が燃えていたのだ。
なぜなら、森上は自分のためというより、日置のために勝ちたいと思っていた。
それはとりもなおさず、これまでどれだけ日置に迷惑をかけ、世話になったかしれない。
いじめから救ってくれたのも日置だ。
あれがなければ、自分は卓球どころか学校を辞めていたかもしれないのだ。
そんな森上は、ここに来て中川の「異変」は、悪影響以外の何物でもないと思っていた。
「うん、恵美ちゃんの言う通りやで」
「そうやで、中川さん」
阿部と重富がそう言えども、中川の心には届かなかった。
「でもよ・・でもよ・・頭から離れねぇんだ・・」
三人は黙って聞いていた。
「私さ・・こんなに人を好きになったのって・・初めてなんだ・・」
阿部と重富は顔を見合わせて、どうしたものかと困惑していた。
「中川さんらしくないよぉ」
森上がそう言った。
中川は黙ったまま森上を見た。
「フラれたくらいがぁ、どないしたんよぉ」
「・・・」
「中川さんやったらぁ、振り向かせるくらいやないとぉ」
「森上・・」
「フラれた言うてもぉ、一回だけなんやろぅ。それくらいでめげる中川さんやないやろぅ」
中川は森上の言葉に衝撃を受けた。
そうか・・フラれたっつっても・・一回だけなんだ・・
何度でも・・好きだって言えばいいんだ・・
そうだよ・・
森上の言う通りでぇ・・
「おうよ!そうだな!」
中川は突然大声を上げた。
「一回くれぇ屁でもねぇぜ!そうさね、ナイフが突き刺さっても、倒れなけりゃいいんでぇ!」
「そうやで!それでこそ中川さんやん!」
「中川、復活!」
阿部と重富がそう言うと「あはは!おめーら!」と言って二人の肩をパンパンと叩いていた。
中川は「復活」したように見えたが、女心はそんなに単純ではない。
予選の日、中川がどうなるのか、それは自身でも全く想像すらしていなかったのである。
―――そして放課後。
日置は中川を心配しながら小屋に入った。
「よーう、先生よ」
中川は、いつもの中川だった。
「準備体操は終わったの?」
日置は阿部に訊いた。
「はい、終わりました」
「そっか。じゃ、練習始めるよ」
日置はあえて、中川を気にする素振りを見せなかった。
中川とて年頃の女子高生だ。
監督である自分が、ましてや男性の自分に恋愛のことに触れられるのは、最も避けたいはずだからである。
「郡司さんは僕とフォア打ち。きみたちはそれぞれ基本をやった後、ダブルスね」
「はいっ!」
「おうよ!」
「それで、今日はペアを代えるからね」
「ほーう」
「森上さんと阿部さんはそのまま。相手は僕と中川さん」
「はいっ」
「ほーう、先生とか。よーし!やってやろうじゃねぇか!」
「中川さん」
日置が呼んだ。
「なんでぇ」
「まず、基本だよ」
「わかってらぁな!」
そこで彼女らは声を挙げて笑った。
日置は中川の話しぶりを見て、胸をなでおろしていた。
そして、どうかこのまま予選を迎えてくれと願うばかりだった。




