224 盗まれた心
学校での不審者侵入事件で、クラブ活動は教師同伴でなければ認められなかったが、その後、犯人も捕まり、職員会議で話し合った結果、居残りや朝練も再開できることとなった。
この結果を受け、中川と阿部と重富は、阿部家ガレージ練習を止め、小屋で居残りをするようになっていた。
季節は五月に入り、中川は大河との対戦を、明日に控えていた―――
「ぐぬぬ・・」
中川は、まだズボールを完成できないでいた。
「もうちょっとなんやけどな」
阿部は気の毒そうに言った。
「でもさ、曲がるようにはなったやん?」
重富が言った。
そう、中川は浅野より曲げる確率は高かった。
その意味では、成功といってもよいのだが、中川は全く納得していなかった。
「いや・・どっちに曲げるかを狙ってできるようになんねぇと、意味がねぇんだ」
「まあ、それができたら怖いもんなしやけどな」
「天地らに勝つには、ぜってーズボールは完成させねぇとダメなんだ」
「よし。ほな続けるで」
阿部がそう言った。
「おうよ!やってくんな!」
インターハイ予選は、まず団体戦が五月二十二日の土曜日。リーグ戦が翌日の日曜日、一週間後の二十九日がシングル、翌日の三十日にダブルスが行われる。
まだ二十日以上の余裕があるといえばあるが、無いといえば無いという、なんとも微妙な期間だった。
「くそっ・・できねぇ・・」
中川は右手首を痛そうに擦っていた。
「明日、大河くんと対戦なんやろ?」
阿部が訊いた。
「そうさね・・」
「無理せんほうがええんとちゃう」
「そやで。あくまでも本番は予選であり、三神やん。ここで無理して、ほんまに痛めでもしたら本末転倒やで」
重富もそう言った。
「おのれ・・ジャガイモ・・」
「このまま続けても、明日までには間に合わんし、今日は帰ろか」
「阿部さんの言う通りやで。手首、休めた方がええと思うで」
「くそっ・・そうするしかねぇか・・」
中川がこう判断したのは賢明だったのである。
もし、このまま続けていれば、危うく腱鞘炎になり兼ねない状態に追い込まれていたかもしれないのだ。
「それと明日やけど、止めた方がええと思う」
阿部が言った。
「なに言ってんでぇ。止めたとなれば、私は逃げたことになるんでぇ」
「そんなん、どうでもええやん」
「どうでもよくもぇ!」
「あんたさ、大河くんに勝つんと、三神に勝つんと、どっちが大事なんよ」
「なに言ってやがる・・」
「なにをそこまで大河くんに拘るんよ」
阿部がそう言うと「私も前からそれは疑問やった」と重富が言った。
「あんた・・ひょっとして・・」
阿部がそう言うと、中川は「はあ?」と呆れて答えた。
「いや・・なんもない」
そう、阿部は、中川が大河のことが好きなのでは、と思ったのだ。
その実、重富も阿部と同じことを感じていた。
勝気な中川が、「してやられた」相手に拘るのは無理もないだろう。
けれども中川の場合、初めて「しれやられた」のは、小谷田の本多である。
小谷田なら桐花と近い。
中川なら「たのもう~~」と言って、乗り込んでも不思議ではない。
けれども、中川が拘っているのは、あくまでも大河一人だからである。
「なんだよ、チビ助。言いたいことがあるなら言えよ」
「なんもない」
阿部は、もし中川の図星をつくと、また騒動になり兼ねないと考え、思い留まった。
―――そして翌日の練習後。
阿部ら五人は最寄り駅に向かって歩いていた。
「手首、どうなん?」
阿部が中川に訊いた。
「なんともねぇよ」
「ほんまなん?」
「チビ助よ、心配すんななって。昨日はあれから湿布もしたし、今日の練習でも平気だったぜ」
「それならええけど・・」
「中川さぁん、ほんまに無理したらあかんよぉ」
「おうよ、森上、ありがとな」
「それより中川さん」
重富が呼んだ。
「なんでぇ」
「センター行きも中止な」
「はいはい、わかってますって」
けれども中川は、無論行くつもりにしていた。
「行く」と言ってしまえば、またうるさく止められるに違いないと、呆れ口調でわざとそう言った。
そして中川は、この後、一人でセンターへ向かったのである。
おのれ・・ジャガイモ・・
ズボールは完成してねぇが・・
「もどき」くれぇは・・出せる・・
せいぜい・・泡吹かしな!
センター近くまで来ると、「ちょっと」と言って、ガラの悪そうな男性二人に呼び止められた。
「なんだよ」
中川は二人を睨んだ。
「さっきから、きみのことずっと見てたんやけど」
「はあ?」
「俺らと一緒に行ってほしいとこがあるんやけど」
「はっ。バカじゃねぇのか」
中川はそう言って、二人を置いて歩こうとした。
「おっと」
男性はそう言って中川の腕を掴んだ。
「なにすんだよ!」
中川は振りほどこうと抵抗したが、男性の力には適わなかった。
「離せよ!このクソ野郎が!」
「大人しくしてたら、痛い目に遭わせへんから」
そう言って、もう一人の男性が中川の口を塞いだ。
「ううっ・・うぐぐ・・」
「これはかなりの上物やから、手荒いことはしたらあかんぞ」
「おう。そやな」
男性二人は、そう言って笑っていた。
こいつら・・なんなんでぇ!
くそっ・・腕も掴まれてるし・・
なんてぇ力だ・・
中川は声を出すことができず、やがて人気のないところへ連れて行かれようとした、その時だった。
前方から大河が歩いてきたのだ。
あっ・・ジャガイモ!
助けてくれ・・ジャガイモ!
いや・・でもあいつは・・ケンカなんてやったことねぇだろうし・・
ここで巻き込んだら・・大変なことになる・・
というか・・そもそもあいつが私を助けるはずがねぇさ・・
中川は、なんとか男性らを振り払おうと抵抗し続けたが、ますます暗がりへ連れて行かれるばかりだった。
そこで大河は男性らに気が付いた。
なにやってんねや・・
大河は、連れ去られる女性が、中川だとは気づいてなかった。
ここは・・助けるべきなんやろな・・
人のために技を使うんは・・ええやんな・・
「ちょっと、なにやってんねや」
そこで大河は男性らに声をかけた。
「は?お前、誰や」
「ガキには用はないんや」
おいおい・・ジャガイモ・・
来るな・・
おめー・・ぶっ殺されんぞ・・
「この人、嫌がって・・えっ!」
そこで大河は女性が中川だと気が付いた。
「中川さんやん!」
中川は「うんうん」と頷いてはいたが、すぐに首を横に振っていた。
そう、逃げろという仕草だ。
「この子、僕の知り合いなんやけど、離したってくれへんかな」
「あはは、ガキがえらそうに」
「どうやら、痛い目みんと、わからんらしいで」
そこで一人の男性は、大河に襲い掛かった。
すると大河はスッと腰を落として、それをよけたと同時に、鞄で相手を張り倒した。
「痛いなあ!なにすんねや!」
男性は再び襲い掛かったが、大河は男性の胸ぐらを掴んで投げ倒した。
地面にたたきつけられた男性は「いたたたた・・・」と腰を擦っていた。
「お前、変な技使いやがって!」
今度は中川を押さえていた男性が、大河に襲い掛かった。
すると大河はその男性も投げ倒した。
「あかん・・こいつ、腕に覚えのあるやつや・・」
「ガキのくせに・・」
男性二人は立ち上がり「ほんまに、しょーもない!」と言って足早に立ち去った。
「あんなんが多いな・・」
大河は鞄を拾い、逃げて行く二人の後ろ姿を見ながら、まるで他人事のように呟いた。
「中川さん、大丈夫なんか」
声をかけられた中川は、ずっと放心状態だった。
あの憎たらしいジャガイモが・・まさか・・と。
自分を助けるために、男性二人をバッタバッタと投げ倒したのだ。
信じられない、と。
「え・・」
「ケガ、ないんか」
「う・・うん・・」
「僕、別にきみやから助けたんやないで。女子は弱いから助けたんや」
「えっ・・」
中川は胸が震えた。
なぜなら、まさに誠が愛を死のスロープから助けた時、「金持ちの子だから助けたんじゃないぞ。女の子は弱いから助けたんだ」と言ったことと、大河の今しがたの言葉と重なったからだ。
「誠さん・・」
中川は、上の空でそう呟いた。
「え・・?」
「あっ・・いえ、なんでもないの・・」
中川は、完全に早乙女愛になっていた。
これは、わざとではなく、自然とそうなっていたのだ。
「あ、それと。夜道を歩く時は気を付けなあかんで」
「ええ・・」
「ほんで、もう対戦とかはええんちゃうん」
「どうしてなの・・」
「前も今回も、僕もきみも来た。それでお相子やん」
「・・・」
「ほな、僕は帰る」
「あの・・待って・・」
「なに」
「大河くんって・・どうしてそんなにお強いの・・」
「僕な、昔は柔道やっててん。それだけ。ほなな」
大河はそう言って、この場を立ち去った。
中川は大河の後姿をずっと見つめていた。
なんだ・・
この気持ちは・・
私はどうしたってんでぇ・・
さっきの私は・・愛お嬢さんをやろうと思ってやったんじゃねぇ・・
自然に・・そうなってた・・
なんだ・・
なんだってんだよ!
中川は、完全に大河に「盗まれて」しまった。
そう、心を。




