221 密書
―――あの後、日置は学校に戻っていた。
扉を開けて中へ入ると、阿部ら四人は練習していたが、日置の姿を見てラケットを台に置いて急いで駆け寄った。
「先生、中川さん、どうやったんですか!」
「中川さん、いてたんですか!」
「先生ぇ、中川さん、大丈夫なんですかぁ」
阿部と重富と森上は、畳みかけるように訊いた。
「まあまあ、落ち着いて」
日置はニッコリと微笑んだ。
その表情を見た彼女らは、ひとまず安堵していた。
「中川さんだけどね、部を辞めることはないから」
「よ・・よかった・・」
阿部は、その場にヘナヘナと座り込んだ。
「中川さんの様子、どうやったんですか」
重富が訊いた。
「なんだか、顔もむくんでて、頭もボサボサでさ」
日置は「クスッ」と笑った。
「阿部さん」
そう言って日置は阿部に手を貸した。
阿部は「すみません・・」と言いながら日置の手を掴んで立ち上がった。
「でもね、ちゃんと話し合って、月曜には来るから安心しなさい」
「よかったぁ・・先生ぇ・・ありがとうございましたぁ」
森上も、いたく安堵していた。
「だからもう心配しなくていいから、きみたち練習を続けなさい」
「あの、先生」
阿部が呼んだ。
「なに?」
「私ら・・すみませんでした」
「私も・・すみませんでした」
「私もぉ・・すみませんでしたぁ」
彼女ら三人は、同時に頭を下げた。
「もうそのことはいいから」
「あの・・」
そこで和子が口を開いた。
「ん?」
「私も・・なんか・・すみませんでした」
「あはは、きみは、全く無関係じゃない。なに言ってるの」
「いや・・でもなんか・・」
「いいから、いいから。さっ、練習続けるよ」
その実、和子は無関係と言われれば確かにそうかもしれないと思ったが、三神へ偵察に行ったことは知っていたし、なにより今回の「事件」の発端は、自分が市原に話したことを神田に聞かれたがため表面化したことに、責任を感じていたのだ。
けれども彼女らは「そのことはいい」と言った日置の言葉を素直に受け止めて、「はいっ」と元気な声で台に向かった。
―――この日の夜。
日置は自宅のソファに座って、缶チューハイを片手に「密書」を読んでいた。
なるほど・・野間さんがエースなんだ・・
中肉中背で、ペンドラか・・
えっちゃんタイプだな・・
それで・・オスカルさんが、ペンの前陣で、背が低い・・と。
「きよし」って・・なんだ・・?
でも却下したんだ・・あはは・・
そして・・アンドレさんは、シェイクの攻撃・・
へぇ、体は大きいんだね・・
仲宗根さんタイプだな・・
仲宗根とは、小島らより一学年上の三神の選手でシェイクの攻撃型だった。
小島らが二年の時、二回戦で三神とあたった際、小島は仲宗根と対戦して2-0で負けている。
それで・・イカゲルゲさんは、ペンの前陣でミート打ちが得意なんだね・・
それで・・クチビルゲさんは、カットマンか・・
スッポンのようにボールに食らいつく・・なるほど・・
浅草西の、内畑さんタイプかな・・
浅草西高校とは、小島らがインターハイに出場した際、ベスト4をかけて対戦した相手である。
中でもカットマンの内畑は、それこそスッポンのように徹底的にボールに食らいつき、対戦した為所はコテンパに叩きのめされていた。
それにしても中川さん・・
ほんとに面白い呼び名をつけるよね・・
イカゲルゲとか、クチビルゲって・・
「あははは」
日置は声を出して笑っていた。
そしてページを捲ると、江の記載があった。
コウ・・へぇ・・中国人コーチか・・
なになに・・
――コウのサーブはチビ助よりはるかに上だ。天地らはミスの連続。だが、徐々に返球しやがる。憎たらしいったら、ありゃしねぇぜ。
なるほどね・・
やっぱりサーブ対策をやってたんだ・・
えっと・・監督は不在・・
そうなんだ・・
皆藤さん、この日はいなかったんだね・・
それで・・
――ゼンジーが来た。ゼンジー、おめー最高だぜ!
ゼンジーって、えっちゃんのことだよね・・
最高って・・なんのことかな・・
そう、中川は悦子が江に挨拶した際「ワタシ、ゼンジーあるよ」と言ったことを書いていたのだ。
えっと・・それで・・なになに・・
――きよしがスマッシュを打つ時、風でボールがユラユラと揺れ、きよしは空振りをした。三神野郎の弱点見つけたり!
あはは・・この時点では、きよしを採用してたんだね・・
風の影響を受けると・・誰でも空振りすると思うけどな・・
それを弱点って・・中川さん・・ほんと面白いよね・・
日置は、ズボールが完成しつつあるとは、夢にも思わなかった。
そして日置は次のページを捲った。
すると、中川が三神へ出向いた時の風貌が、絵で描かれていた。
しかも、とんでもなく下手な絵だったのだ。
正面を向いて立っているその絵は、髪の毛はラーメンのように描かれ、顔から下は首がなく体が直接描かれてあり、両腕は腰から生えているし、しかも脚より長いのだ。
両眼には、グルグル巻きのメガネ、口には顔からはみ出ているマスク、と言った具合だ。
おまけに吹き出しには「私は、ある国から送られた諜報部員さね・・」と書かれてあった。
「あははは」
日置はまた声を出して笑った。
「どこの国に、こんな諜報部員がいるの。すぐに捕まっちゃうよ。あははは」
日置はその絵を見て、しばらく腹を抱えて笑っていたが、次のページを捲ると、こう書かれてあった。
――正直、三神野郎はとんでもねぇ集団だ。こいつらに勝つためには並の心の臓じゃあダメだ。叩きのめされても折れねぇ心が必要さね・・。いやっ、叩きのめすのはこっちでぇ!なあ?森上よ、チビ助よ、重富よ!そうだよな!
うん・・そうだよ・・
こっちが叩きのめすんだよ・・
そして日置は、次のページを捲った。
なになに・・
――滝本東にも行った。うちの小屋とは比較にならねぇくらい、なんてぇ贅沢な体育館だ。おのれジャガイモ・・こんなところでぬくぬくと練習しやがって。でも伝言は言い渡した。来なかったら逃げたと見做す!
え・・中川さん・・
滝本東にも行ったんだ・・
確か虎太郎の出身校だったよね・・
でも滝本東って、男子校だよね・・
ジャガイモって・・誰なんだろう・・
伝言って・・なんのことなのかな・・
これは本人に訊いてみないとね・・
そして日置は、またページをペラペラと捲ったが、何も書かれてなかったので閉じようとしたが、最後のページが目に留まった。
それはこう書かてあった。
「誠さん・・」
「愛子・・」
愛子は誠の胸に顔を埋めているのだ!きゃ~~
「私・・ジャガイモに勝てるかしら・・」
「愛子お嬢さんよ・・今さら、なにを言ってやがる・・」
誠さんは、愛子の髪を優しく撫でているのであ~る!
「でも・・ジャガイモは、とっても強くて・・」
「これだからブルジョア育ちのお嬢さんは、いけねぇやな」
「そんな・・」
「試合は命のやり取りだと、何べん言ったらわかるんだ」
ここで愛子は、誠さんを見上げるのであ~る!
そして二人は見つめ合うのだ!きゃ~~
「わかっていてよ・・」
「いや・・お前はわかっちゃいねぇ・・」
「どうしてなの・・」
「それを訊きなさるのが・・お嬢さんの甘さよ・・」
「誠さん・・そんな冷たいこと仰らないで・・」
「愛子お嬢さんよ」
「なんですの・・」
「答えは・・てめーで見つけな」
ここで誠さんは愛子を突き放すのだっ・・ううっ・・
誠さん・・愛子はどうすればいいの・・
そして愛子の目から一筋の涙がこぼれるのであ~る。
誠さん・・見ていて・・
愛子はきっと・・ジャガイモを叩きのめしてやってよ・・
ここで文章は終わっていた。
中川さん・・
そうとうジャガイモに拘ってるよね・・
あっ!もしかして・・センターでフラれた相手じゃないのか・・
それが・・ジャガイモ・・
その実、中川は大河に拘っていた。
それこそ日置が思ったように、いわば生まれて初めて「フラれた」相手なのだ。
しかも大河は相当な実力者だ。
なんとかしてギャフンといわせたい気持ちが、中川の心の中にはずっと残っていたのだ。
そこで日置がノートを閉じると、裏表紙には「諜報部員」の絵が描かれてあった。
けれどもそれは、セーラー服を着て、ラーメンのような髪は腰まで長く伸びでおり、脚より長い右腕の手にはラケットを持たせていた。
しかし、ラケットを握っているのではなく、手は広げたままで手にくっついている状態だ。
そして吹き出しにはこう書かれてあった。
――私は中川愛子。でもこれは・・仮の姿さね・・
「あははは」
日置はまた声を挙げて笑った。
いや・・でも待てよ・・
中川さんって、ある意味、謎めているよね・・
行動が読めないっていうか・・
その意味では・・謎の諜報部員かも知れないな・・
あははは・・
こんな風に思う日置であった。




