215 言い出せない
―――練習後。
彼女らは学校を出て、最寄り駅に向かって歩いていた。
「なあ・・」
阿部が深刻な表情で口を開いた。
「なんでぇ」
「先生さ、予選に関してのことやったら、絶対に許さないって言うてたやん・・」
そこで五人は立ち止まった。
「ああ、郡司。おめーは先に帰んな」
「え・・」
「遅くなると、母ちゃんが心配すんぞ」
「そやで。郡司さん、先に帰り」
重富もそう言った。
「そうですか。ではお先に失礼します」
和子は一礼して、先に駅に向かって行った。
「あれやな・・こうなったら偵察のこと・・絶対にバレたらアカンな・・」
重富は和子の後姿を見るともなく見ていた。
「私ぃ思うんやけどなぁ」
森上が口を開いた。
三人は黙ったまま森上を見上げた。
「偵察のこと、怒られるかもしれんけどぉ、やっぱりほんまのこと言うべとやと思うよぉ」
「せやかて恵美ちゃん」
阿部が呼んだ。
「なにぃ」
「もう・・誠愛のことやて言うてしもたし・・」
「そやけどぉ、三神の情報を先生に言うてもぉ、怒らんと思うんよぉ」
「そうやろか・・」
「だってなぁ、先生にしたらぁ、プラスにこそなれ、マイナスになるはずがないやぁん」
森上の言葉に、三人は黙って頷いていた。
「よし、わかった」
中川は、何かを決めたような言いぶりをした。
「今回のことは、全て私の責任だ。私から先生に話すぜ」
「いや、みんなで言おうや」
阿部が言った。
「いや、おめーらは、いわば巻き込まれただけさね。だから明日、私から話す」
「中川さぁん」
森上が呼んだ。
「なんでぇ」
「そんなぁ、水臭いこと言うんじゃねぇぜぇぇ」
森上は愛くるしい笑みを見せながら、中川を真似た。
「え・・」
「私らぁ、同じ部員やぁん」
「森上・・」
「それになぁ、偵察したかった気持ち、わかるねぇん」
「・・・」
「三神にぃ、勝ちたい気持ちはぁ、みんな同じやぁん」
「・・・」
「だからぁ、みんなで話そう」
「そやで。恵美ちゃんの言う通りや。私ら同じ部員やん」
「うん、私もそう思う」
「おめーら・・バカだな・・」
中川はそう言いつつも、彼女らの言葉が「心の臓」に響いていた。
―――その頃、日置は。
職員室で大阪府下の学校の資料に目を通していた。
ええっと・・大阪誠愛高校・・誠愛・・
あっ・・これだな・・
えっ!創立は今年・・?
そう、誠愛高校はピカピカの新設校だったのだ。
だとすると・・創立と同時に精鋭を集めたってことか・・
だから昨年の一年生大会には出てなかったのか・・
えっと・・住所は・・
東大阪市か・・
強豪チームなら・・この時間でも練習はやってるはずだ・・
そこで日置は、誠愛高校に向かうことを決めた―――
阿部と重富と中川は、阿部家に到着し、今日もズボール完成に向けてガレージの中にいた。
「にしてもよ、誠愛高校がほんとにあったなんてよ、驚き桃の木さね」
「それやん。まさかと思たで」
阿部が答えた。
「試合に出て来るんかな」
重富が言った。
「まさか、そこまでの偶然なんざありゃしねぇだろうよ」
「そやな。男子校かもしらんし」
阿部が言った。
「よーし、今日もおっ始めるか!」
中川はそう言って台に着いた。
―――最寄り駅に到着した日置は、誠愛高校に向かって歩いていた。
ここは、昔から住んでいる人家が多く、いわゆる下町だった。
小さな商店街を抜けると、とてもきれいに整備された地域の公園があり、その先に誠愛高校は建っていた。
道路を挟んだ向かい側には、十階建てのマンションが建っており、これも新築と思しきマンションだ。
都市開発地域なのかな・・
日置はふとそう思った。
ほどなくして校門に到着すると、紺色のセーラー服を着たクラブ帰りの女生徒たちとすれ違った。
「あの、きみ」
日置が声をかけると、女生徒らは立ち止まって目を輝かせていた。
「はい、なんでしょうか」
「訊きたいことがあるんだけど、いいかな」
「はい!」
声を弾ませて返事をする女生徒の後ろでは、「きゃ~」と小さな声が挙がっていた。
「卓球部って、体育館へ行けば練習してるのかな」
「はい!今もやってます」
「そうなんだね。どうもありがとう」
「体育館は、校庭を抜けた右側にあります!」
「うん、ありがとう」
日置がニッコリと微笑むと、女生徒らは「かっこええ~~」と見惚れていた。
そして日置は案内通りに体育館へ向かった。
ほどなくして日置は入口に立って見た。
すると中では女子部員が五人と、男子部員が三人の計八人が、四台の卓球台を使って練習をしていた。
フロアの隅では、女性教師と思しき者が、床に座って練習を見ていた。
うーん・・
中川は三神より少し下だと言ってたけど・・
これは・・ずいぶん下だぞ・・
どういうことだ・・
そう、卓球部員は素人同然の集まりだったのだ。
―――そして翌日の放課後。
彼女らは準備体操も終え、日置が来るのを待っていた。
「練習後に言う・・?」
阿部が口を開いた。
そう、偵察に行ったことを、いつ話すのか、ということだ。
「そら、練習後の方がええんちゃう・・」
重富は、日置が激怒し、練習どころではなくなることを心配した。
「それがええと思うよぉ」
森上も賛成した。
「ま、そりゃそうだな」
「昨日の、ノートのことですか?」
和子が中川に訊いた。
「おうよ。でも、おめーは無関係だから、安心しな」
「そうですか・・」
ガラガラ・・
そこへ日置が扉を開けて入って来た。
彼女らは一瞬、体が硬直する思いがした。
「体操、終わったの?」
日置は靴を履き替えながら訊いた。
「はい・・終わりました・・」
阿部は、元気をなくしていた。
「阿部さん、どうしたの?」
「え・・」
「具合でも悪いの?」
「いえ、そんなことありません」
「そっか」
そして日置は「集まって」と彼女らに来るよう促した。
彼女らは、急いで日置の前に立った。
「昨日のことだけどね」
彼女らは、練習後に話すつもりが、日置から持ち出したことで困惑した。
そして中川は、今言うべきだと覚悟を決めた。
「僕、誠愛に行って来たんだよ」
「えっ」
「中川さん」
日置が呼んだ。
「な・・なんでぇ・・」
「きみ、誰の何を見て強いって思ったの?」
「え・・」
「誰が天地さんかイカゲルゲかわからなかったけど、三神より少しだけ下っていうのは、見当違いも甚だしいよ」
「いやっ・・待ってくんな。先生・・誠愛に偵察に行ったのか・・」
「偵察ってほどのもんでもないけど、ちょっと覗いてみたの」
「・・・」
「だって、そんなに強いなら、事前に見ておかなくちゃね」
「偵察・・」
そう言って中川は、阿部らを見た。
阿部らも複雑な表情を浮かべていた。
そう、偵察はありなのか、と。
「きみさ、もっと見る目を養うべきだよ」
日置はそう言って笑っていた。
「そもそも誠愛って、今年が創立の新設校だよ」
「今年・・」
中川は「引っ越してきた」という出まかせが、ある意味当たってるじゃないか、と思った。
けれども、そんなことはどうでもいい。
偵察がありなら、話しても大丈夫だ、と。
「誠愛の監督は、椎名っていう女性教師」
「先生・・監督の名前まで調べたのかよ・・」
「女子部員は五名。水島さん、東雲さん、加瀬さん、徳野さん、白石さんで、みんな一年生だよ」
「選手の名前まで・・」
「だって、見てそのまま帰るっていうのは、失礼でしょ。だからご挨拶したの」
そう、日置はあの後、椎名や水島らが出て来るのを待ち、事情を説明していたのだ。
椎名は「うちが強豪校やなんて、何の冗談でしょうか~」と呆れて笑っていたが、わざわざ挨拶をしてくれた日置に、好感を持っていた。
先生よ・・
仕事が細けぇ・・細けぇんだよ・・
私なんぞ・・挨拶どころか、ゼンジーに見つかっちまってよ・・
さんざんな始末だってのに・・
これじゃ・・言い出せねぇじゃねぇか・・
「そういうことで、誠愛は敵じゃない。きみたちの目標は打倒三神。それと、卓球に関すること、特に予選に関しては、どんなことでも報告すること」
「・・・」
「中川さん、変な呼び名を付ける前に、今回の誠愛のことも僕に報告すること。いいね」
「お・・おうよ・・」
「じゃ、練習始めるよ」
中川と阿部らは、完全に話す機会を逸してしまった。
どうするんだ、と。
先延ばしにすればするほど、状況は悪くなるばかりだ、と。
彼女らは互いの顔を覗うように、なんとも言えない表情で見ていた。




