211 阿部家
―――「ただいまー」
阿部は玄関を開けてそう言った。
「千賀子、おかえり」
母親の礼子は、玄関まで迎えに出た。
「あら・・お友達?」
礼子は中川を見て、その美貌に驚いていた。
「うん。卓球部の中川さんやねん」
「まあまあ、そうやったの。いつも千賀子がお世話になってます」
「初めまして、中川と申します」
中川は「普通」に挨拶をした。
「それで?どないしたん?」
礼子は時間のことを言った。
なぜなら、今は午後九時を回っていたからだ。
「あのな、学校に泥棒が入って、居残り禁止になってな、それで連れて来たんよ」
「ええっ!泥棒!」
「うん、それでこれ」
阿部はそう言って鞄からプリントを取り出した。
それは校長から、事の経緯が記されたプリントだった。
「ああ・・そうやの。とりあえず上がりなさい。中川さんもどうぞ」
「すみません、お邪魔します」
そして阿部と中川はリビングへ入った。
「おう、千賀子、おかえり」
リビングのソファに座っている信次は、振り向いてそう言った。
すると中川を見た信次は、目が点になっていた。
「お邪魔します」
「えっ・・ああ、はい」
「あはは、お父さん、なにびっくりしてるんよ」
「いや・・この子は?」
「卓球部の中川さん」
「へ・・へぇ・・」
「中川さん、鞄置いて」
阿部がそう促した。
「中川さんも、ご飯まだやね?」
礼子がキッチンから訊いた。
「うん、そうやねん」
「おい・・チビ助・・」
中川は小声で囁いた。
「なに・・」
「飯なんざいいからよ・・ズボール練習しねぇと・・」
「でも、お腹空いてるやろ・・」
「っんなこたぁ・・いいんでぇ・・」
その実、中川は帰宅途中、「いつものあんたでええからな」と阿部から言われていた。
そんな中川は、驚かせてはいけないと、中川なりに気を使っていたのだ。
「中川さんて、めっちゃ美人やなあ」
信次が言った。
「いえ・・そんな・・おほほ・・」
「遠慮せんと、ご飯食べたらええで」
「誠に恐れ入ります・・ですが・・わたくし、ちび・・いえ、千賀子さんと練習を・・」
「腹が減っては戦は出来ぬ。育ちざかりやし、食うもん食わんとな」
「ええ・・まあ・・」
そこで阿部は礼子を手伝った。
「中川さん、座り」
信次はソファに座るよう促した。
「左様でございますか・・恐れ入ります・・」
そう言って中川は仕方なく信次の向かいに座った。
「いつも千賀子が世話になって。で、千賀子、どうなんかな」
「えぇ・・それはもう、頑張ってらしてよ・・」
「そうか。インターハイと口では言うが、なかなか難しいやろと思てな」
「いえ、そんなことございませんわ。ちび・・いえ・・千賀子さんは自らサーブを編み出し、チームをけん引しておいでですのよ」
「それにしても中川さん、上品やなあ。千賀子も見習わんといかんなあ」
ぐぬぬ・・
自分を出すタイミングを外してしまった・・
これじゃあ出せねぇじゃねぇか・・
つーかよ、飯なんざいいってのに・・
「あの、千賀子さん」
中川が呼んだ。
その実、阿部は礼子の横でずっと笑っていたのだ。
「千賀子さん」
チビ助、振り向けよ!
聴こえてんだろうが・・
「なに?」
阿部は半笑いになりながら振り向いた。
「あの・・もう時間がなくってよ。急いでズボールの練習をしなくてはいけなくてよ」
「ズボール?」
信次が訊いた。
「あはははは」
阿部は堪えきれずに、ついに爆笑した。
「千賀子、なにが可笑しいねん」
「いや・・もう・・あははは」
チビ助・・おめー・・
笑ってんじゃねぇぞ・・
「中川さん」
阿部が呼んだ。
中川は阿部を睨んでいた。
「もう我慢せんでもええよ」
「なんのことかしら・・」
「いつもの中川さんでええって」
「あら・・千賀子さん・・異なことを仰るのね・・」
「お父さん、それとお母さんも。今から中川さん、ガラッと変わるから、びっくりせんといてな」
「変わるて、なんやねん」
「よーーし、わかった!チビ助がそこまで言うなら、仕方ねぇやな!」
中川は立ち上がってそう言った。
「よーう、おとっつぁんに、おっかさんよ」
すると信次は口を開けたまま中川を見上げ、礼子は動きが止まっていた。
「改めて挨拶をするぜ。私は中川愛子ってんだ。夜分に勝手に来ちまって済まねぇが、ちょっくらガレージで練習させてくんな!」
「・・・」
「迷惑はかけねぇぜ。練習が終わったら直ぐに帰るから安心しな」
「あの・・中川さん・・?」
信次が呼んだ。
「なんでぇ」
「きみ・・そんな喋り方なんか・・」
「そうさね」
「さね・・て・・おい、千賀子」
「なに?」
「この子・・どうなってんねや・・」
「だから言うたやん。びっくりせんといてって」
「せやかてやな・・」
「ええやないの。うん、ええわよ」
礼子はそう言って微笑んでいた。
「あはは、おっかさんよ、ありがとな」
「練習するんやったら、はよご飯食べんといかんよ」
「中川さん、おいで」
阿部がダイニングに来るよう促した。
「んじゃ~ちょっくら食って、とっととおっ始めるとするか!」
そう言って中川は、阿部と並んで椅子に座った。
「おっかさんよ、世話かけてすまねぇな」
「ううん、ええんよ」
礼子はご飯をよそっていた。
「千賀子」
礼子は、みそ汁を椀に注ぎながら呼んだ。
「なに?」
「練習て、何時までするの?」
「そうやなあ・・今からやと、一時間やったとしても・・十時半か・・」
「帰りが遅くなったら危ないんと違う?」
「おっかさんよ、心配ご無用。センターに通ってる時なんざ、もっと遅いぜ」
「そういや、千賀子もそうやけど・・こんなきれいなお嬢さんを一人で帰すわけにはいかんわ」
礼子はテーブルに料理を並べていた。
「いやいや、私は大丈夫でぇ」
「ほな、食べよか」
阿部がそう言うと「いただきます」と言って、二人は食べ始めた。
「泊まって行ったらどないや」
リビングから信次がそう言った。
「あ、それがええわね。中川さん、ぜひ、そうして」
「いやいや、とんでもねぇ。練習したら帰るぜ」
「中川さん、泊まったらええよ」
阿部がそう言った。
「なに言ってやがんでぇ。今日は泥棒騒動もあったしよ。帰って父ちゃんと母ちゃんに説明しねぇとな」
「ああ・・そうか。心配するもんな」
「それより、早く食おうぜ」
「うん、そやな」
そして二人は急いで食事を済ませ、ガレージに移動した。
その際、練習で着ていたTシャツは汗まみれになっていたがため、中川は阿部のTシャツを借りていた。
「おお、ここかよ」
中川は、内心「せめぇーな・・」と思った。
なぜなら阿部はサーブ練習のために台を購入したのであり、後ろへ下がれるような広さは確保されてなかったからである。
「狭いやろ」
「正直、そうだな」
「これやとラリーが無理やねんな。車を出してくれたら縦に置けるけどな」
「まあ、いいさね。贅沢は言ってらんねぇやな」
そこでガレージのシャッターが開き、前方から信次が姿を現した。
「お父さん、どしたん」
「出したるがな」
信次はそう言って、車に乗り込みガレージの外に出した。
するとこの場はすっかり広くなり、阿部と中川は顔を見合わせた。
「練習終わったら言うてや」
信次は車から降りて、阿部にそう言った。
「お父さん、ありがとう!」
「お安い御用や」
「おとっつぁん!恩に着るぜ!」
「あははは」
信次は笑いながらシャッターを閉め、玄関に向かって行った。
阿部と中川は、早速台を縦に置き替えた。
するとどうだ。
中川が下がってカットする広さが確保できたではないか。
「やったな!」
阿部は信次の気遣いが嬉しかった。
「おうよ!んじゃ、ズボール完成に向けて、おっ始めようぜ!」
こうして阿部と中川、のちに重富も加わって、ガレージ練習を繰り返し行うこととなる。
一方で森上がなぜ居残り練習をしなかったかというと、できるだけ早く帰って家の手伝いをするためだった。
慶三も恵子も、「遅そなってもかめへんよ」と言ったが、バイトも辞めさせてくれ、卓球を続けさせてくれるだけでもありがたいと感謝していた森上の、せめてもの気持ちだったのだ。
そんな森上を阿部も中川も気遣ったが、なんと森上は「私は放課後の練習だけで十分やでぇ。それよりあんたらはぁ、私に負けんようにぃ居残りやったらええよぉ」と彼女らを後押ししていたのだ。
重富は、自分も居残りに参加すると、いわゆる三人だけ、という図に、森上を気の毒に思っていた。
けれども森上は「とみちゃんもぉ、早く私に追いつかなあかんよぉ」と言い、重富はガレージ練習に参加しようと決めたのだった。




