210 事件
―――それから三日後の朝。
「なっ・・なんやこれは・・」
一番早く出勤して職員室に到着した堤は、扉を開けて愕然としていた。
そう、校庭側の窓ガラスが割られ、職員室が何者かによって荒らされていたのである。
堤は、割れたガラスを片付けようとしたが、もしや窃盗ではないかと、踏みとどまった。
なぜなら、犯罪であれば現場検証をしなければならないからだ。
ほどなくして次から次へと出勤した教師らは、室内を見て唖然としていた。
その中には校長の工藤もいた。
「警察へ連絡しましょう」
工藤は校長室へ行き、すぐさま電話をかけた。
少し遅れて出勤した日置は、騒然とするこの場を見て、慌てて駆け寄った。
「どうしたんですか!」
日置は加賀見に訊いた。
「泥棒が入ったらしいんです」
「えっ!」
「窓ガラスが割れてて、犯人はそこから侵入したようです」
「なんてことだ・・」
「おお、日置くん」
堤が呼んだ。
「泥棒って・・」
「今、校長が警察へ電話しとる。それで、我々教師は生徒の身の安全を確保するため、今から各教室に回って、他にも被害がないか確かめるぞ」
「はい、わかりました」
「全校生徒の皆さん――」
工藤が放送をかけた。
「いいですか、よく聞いてください。みなさんは教室へ行かずに、校庭で待機しててください。おそらく昨夜か未明にかけて、何者かが侵入し職員室が荒らされています。そこで他にも被害がないか確かめますので、教室へ行かないように。いいですか、校庭で待機してください。繰り返します――」
工藤は、これを三回繰り返した。
この放送を聴いた生徒たちは、「ええええ~~泥棒!」と大騒ぎになった。
教師らは、各教室へ行き、異状がないか隅々まで確認して回った。
「おいおい、なんだってんでぇ」
今しがた登校した中川は、この騒ぎに唖然としていた。
「あっ!中川さん!」
阿部が見つけた。
「この騒ぎはなんだってんでぇ」
「なんか、泥棒が入ったらしいねん」
「なにぃーーーーっ」
「恵美ちゃんと、とみちゃん、見た?」
「いや、見てねぇけど、泥棒って、どこに入ったんでぇ」
「職員室らしいねん」
「学校に金なんかあるわけねぇだろ。バカじゃねぇのか」
「ほんで、私らは校庭で待機やねん」
「なんでだよ」
「今、先生らで各教室回ってはって、被害がないか確かめてはんねん」
「なるほど。おい、チビ助」
「なによ」
「小屋は大丈夫なのかよ」
「いや・・知らんし」
そこへ森上と重富も登校してきた。
当然、この騒ぎに驚き、何があったんだと阿部に訊いた。
そして阿部は、同じ説明をしていた。
中川は三人を置いて、小屋に向かっていた。
ほどなくして小屋に着いた中川は、まさかと思いながら扉を開けた。
するとどうだ。
部室のドアが開いており、ボールが転がっていた。
えっ・・
嘘だろ・・
慌てた中川は、靴も脱がすに中へ入り、部室の前に移動した。
すると籠に入ったボールは散乱し、卓球日誌も床に落ちてページが開いているものもあった。
けれども幸いにも、被害はこの程度だった。
ここにも入りやがったんだ・・
くそっ、とんでもねぇやつだ!
中川は小屋を出て、阿部らの元へ急いだ。
「おい、おめーら!」
「中川さん、どこ行ってたんよ」
「おめーら、驚くんじゃねぇぜ」
「なによ」
「小屋にも侵入してやがったぜ」
「えええええ~~~!」
阿部ら三人は、驚愕の声を挙げた。
「先生に言わんと!」
重富が言った。
「せやけど、先生、どこなん!」
阿部はかなり動揺していた。
「おめーら、落ち着きやがれってんだ」
「せ・・せやけど・・小屋にも入ってたやなんて・・なんか・・怖い・・」
「ほんまや・・気持ち悪い・・」
「千賀ちゃぁん、とみちゃぁん、落ち着いた方がええよぉ」
「小屋・・どうなってたん・・」
阿部が訊いた。
「部室が開いててよ、んでボールが散乱して、日誌も床に落ちてたぜ」
「うわああああ~~~」
「でも他は、なんともねぇ。だからチビ助、落ち着けよ」
「ああ・・めっちゃ気持ち悪い・・」
重富が言った。
「あっ、きみたち、校庭に行きなさい」
そこへ日置が走って来た。
「先生~~!小屋にも泥棒が入ってたみたいです・・」
阿部が言った。
「どうしてわかったの?」
「中川さんが確かめに行って・・それで・・」
そこで日置は中川を見た。
「ボールが散乱して、ノートが床に落ちてた」
「そうなんだ・・あっ、中には入らないで。警察が来るから」
「っんなこたぁわかってらぁな。現場検証ってやつさね」
「きみ、よく知ってるね。それより、早く校庭へ行きなさい」
「教室は・・教室はどうなってるんですか!」
「阿部さん、落ち着いて。今、先生方でそれを調べてるの」
「そ・・そうですか・・」
そして日置は、また走って行った。
「チビ助、おめー落ち着けって」
「千賀ちゃぁん」
森上はそう言って、阿部の肩を抱いていた。
「おめーら、後はサツに任せて、校庭へ行くぜ」
「中川さん・・めっちゃ落ち着いてるな・・」
重富が言った。
「っんなもんよ、慌てたってしょうがねゃやな」
「うん・・そうなんやけど・・」
「ほら、行くぜ」
やがて警察が訪れ、現場検証も終えた。
検証の結果、被害に遭ったのは職員室と小屋だけで、結局、犯人は何も盗らずに逃走中とのことだった。
当然ながら、この日は授業どころではなかった。
その殆どが自習となり、教師たちは今後の対策をとるべく、職員会議に追われていた。
―――ここは一年五組。
「それにしてもさあ、泥棒って、めっちゃ怖いよな」
「でも、大した被害もなくてよかったで」
「先生ら、大変やな・・」
「今日は、一日中、自習か・・」
このように、彼女らは自習どころではなく、事件の話題でもちきりだった。
そんな中、神田は誰とも口を利くことがなく、犯人が小屋にも侵入したことを「ざあまみろ」と思っていたのだ。
「なあなあ、郡司さん」
最近、和子と仲良くなった市原美代子が声をかけた。
「なに?」
「卓球部も被害に遭って、大変やな」
「でも・・被害は少なかったようじゃし」
「それ、不幸中の幸いやったよなあ」
「うん、そうじゃの」
「それより、どう?」
「どうって?」
「卓球やん。頑張ってる?」
「うん。今は素振りじゃけど、先生がもうじき打たせてくれるみたいじゃけに」
「そうなんや!素振り500回、やったんや」
「それをせんと、次に進めんのよ」
「いやあ~郡司さんすごいわ」
「そがなこと、ねぇけに・・」
和子は少し照れた。
「ああ、先輩に中川さんていてるやん」
「うん」
「どう?怖い?」
「ううん。優しいええ人じゃけに」
「えええ~~そうなんや。八つ裂きにするとか言うとったらしいやん」
「あれは言葉だけ。ほんまええ人じゃけに」
「そうか~、卓球部は強いし、これからやな」
市原は優しく微笑んだ。
「市原さんは、何部じゃった?」
「私さ~、とりあえず新聞部に入ってるんやけど、これもただ入っただけやねん」
「そうなんや」
「ほら、校則ではどっかに入らなあかんってなってるやん。それで」
「頑張りゃええのに」
「まあなあ・・」
この会話を近くで聞いていた神田は、なんとも面白くなかったのである。
そして和子は視線を感じ、チラリと神田を見た。
すると神田は「ふんっ」とソッポを向いた。
和子はとても嫌な気持ちになったが、気にしないでおこうと努めた。
―――そして放課後。
「今日は、大変な日だったね」
練習前、日置がみんなに向けてそう言った。
「でもよ、ここの窓が壊されていたら、練習もなにもあったもんじゃなかったぜ」
「確かにそうだよね。それで、その練習のことなんだけどね」
「なんでぇ」
「阿部さんと中川さん、きみたち最近、居残りやってるよね」
「おうよ」
「実は、職員会議で決まったんだけど、教師不在の練習はしばらく禁止になったの」
「ええええええ~~~!」
中川は思わず叫んだ。
ズボールはどうなるんだ、と。
「これは卓球部だけじゃないの。全クラブでそう決まったの」
「あのよ、んじゃ朝練ってのはどうでぇ」
「それもダメ」
「なっ・・なんだとおおおお!」
「とにかく、少なくとも犯人が捕まらないうちは禁止。捕まっても、模倣犯が出ないとも限らないってことで、しばらくは禁止」
「くっそぉ~~~!おのれ、泥棒め!コソコソ逃げ回ってんじゃねぇよ!」
「そういうことだから。じゃ、練習始めるよ」
小屋は、ずっと施錠はしてなかった。
まさか、泥棒が入るとも思わなかったし、施錠をしていると、鍵を持っている者が来ない限り中には入れないし、なにかと不便だったからである。
これは小島らの時代からそうだった。
この日を境に帰る時は施錠し、鍵は小屋の裏手の土の中に隠すことになったのである。
―――この日の練習後。
「チビ助よ」
歩きながら中川が呼んだ。
「なに?」
阿部もすっかり落ち着きを取り戻していた。
「ズボール・・どうすんでぇ・・」
「ああ・・それやんな・・」
「居残りができねぇとなると・・場所がねぇぜ・・」
阿部はガレージに卓球台を置いてあることは、まだ報せてなかった。
特に隠していたわけでもないが、サーブを編み出すまで言いたくなかったのだ。
その後、言おうと思えば言えたが、単に忘れていただけなのである。
「あのさ、中川さん」
「なんでぇ」
「ズボールの練習、出来るかどうかわからんねんけどな」
「ん?」
「私の家のガレージに、卓球台、置いてあるねん」
「え・・」
中川は思わず立ち止まった。
「いや・・だからガレージに・・」
「おいおいおい、チビ助よ!なんで早く言わなかったんでぇ!」
「いや・・まあ、特には・・」
「おめー、それを使えっつってんだな!」
「それがさ、言うてもガレージやん?だから狭いねん」
「っんなこたぁ構わねぇさ!やらねぇよりはマシさね!」
「ほんなら、今から行く?」
「あたぼうよ!」
こうして阿部は、中川を連れて自宅へ向かったのである。




