21 『よちよち卓球クラブ』
―――「あのぉ~すみませぇん」
森上は、慶太郎を連れて『よちよち卓球クラブ』の扉を開けた。
台で打っていた、初老の男性二人と、椅子に座ってる中年女性一人が森上を見た。
男性らは打つのを止めた。
「きみ、なんか用か」
森上に声をかけたのは、ここの住人である秋川だった。
秋川は、六十代の初老だった。
「あのぉ、ここで練習したいんですけどぉ・・」
「きみ、高校生か?」
「はいぃ」
「ほんで、その子は?」
秋川は慶太郎のことを訊いた。
「弟の慶太郎ですぅ」
慶太郎は、森上の後ろに隠れてモジモジしていた。
「悪いんやけどな、ここは老人クラブなんや。練習やったら、学校でやってくれるか」
「そ・・そうですかぁ」
「まあまあ、秋川さん」
そこで中年の女性が口を開いた。
「別に、ええんと違う?」
「そんなん言うたってやな、わしら、年寄りばっかりやがな。若い子はなんぼでも学校で練習できるがな」
「学校に卓球部、ないん?」
女性が訊いた。
「あるんですけどぉ・・私、この子の面倒を見なあかんのでぇ、早よ帰らなあかんのですぅ」
「え・・ということは、この子も連れて練習するってことかいな」
秋川が訊いた。
「ダメですかぁ・・」
「子供はな、邪魔なだけやし、ケガでもされたら大変やからな」
「まいど~」
そこにまた、一人の初老男性が扉を開けて入ってきた。
「おう、後藤はん、まいど」
この後藤とは、『ササクレ』というクラブチームに所属していた人物だ。
後藤はかつて、オープン戦で日置と対戦したことがあった。
当時の日置は、優勝賞品の卓球台を得るために『たまたまおっさん』というチームに臨時で参加していた。
その時、後藤は、日置にコテンパに叩きのめされていた。
「あれ、この子、誰や」
後藤が訊いた。
「なんや、ここで練習したい言うてな」
「へぇー」
「それより後藤はん」
「なんや」
「ササクレが解散になって、他の人ら、どないしとんや」
「ああ~、まあ、みんな年寄りやさかいな。わしも引っ越したさかいに、あんまり連絡取れてないんや」
後藤が所属していた『ササクレ』は、年寄りチームだった。
病気で辞める者、妻の介護で辞める者、といった具合に、存続は不可能になり、解散となっていた。
そんな中、後藤も引っ越しを機に、『ササクレ』を去っていたのだ。
「せやけど後藤はんが、よちよちに入ってくれて、チーム力も格段に上がったで」
「っんなこと、あるかいな」
後藤はそう言いながらも、まんざらでもなさそうだった。
その実、後藤は、『よちよち』に入ったとたん、トップに君臨していた。
後藤の「伝家の宝刀」である、投げ上げサーブの前では、他の者は手も足も出なかったのである。
そして後藤は、ラリーも上手だった。
『よちよち卓球クラブ』には、主将の秋川の他に、後藤、水沢、江崎の男性四人と、中島、柳田の女性二人がいた。
椅子に座っていたのは、中島だった。
中島と柳田は、共に五十代だった。
「お姉ちゃん~、もう行こう~」
慶太郎は、退屈そうだ。
「ああ・・そやなぁ・・」
「あんた、名前は?」
中島が訊いた。
「森上ですぅ」
「そうか。森上さん、よかったら打って行かへんか?」
「中島さん、あかんて」
秋川が止めた。
「なんでよ」
「っんなもんやな・・」
その実、秋川は子供が嫌いだった。
秋川は、慶太郎を横目でチラチラと見ていた。
慶太郎は秋川の意を察し、ベーッと舌を出して、走って逃げた。
「ああ~慶太郎!」
森上は、「すみませぇん」と彼らに頭を下げながら、慶太郎を追いかけた。
「ちょっと、秋川さん」
中島が呼んだ。
「なんやねん」
「別に、ええんとちゃいますの」
「ここは、老人クラブやで」
「失礼な。私はまだ老人とちゃいますよ。柳田さんかてそやし」
「っんなもん、見た目や、見た目」
実際、中島は老け顔だった。
「まあ~酷いこと言うなあ」
「それより、練習や」
後藤が言った。
後藤は、まさか森上が日置の教え子などと、夢にも思わなかったのである。
―――そしてこの日の夜。
ピンポーン
小島は、日置の部屋の呼び鈴を鳴らした。
「はい」
日置はそう言いながら、玄関のドアを開けた。
「こんばんは」
小島はニッコリと笑って立っていた。
「彩ちゃん、どうしたの?」
「これ」
小島はスーパーの袋を、日置に見せた。
「え・・」
「ご飯、作ってあげます」
「ええっ」
「ささ、お邪魔しま~す」
小島はそう言いながら、強引に部屋へ入った。
そして日置は、ドアを閉めた。
「彩ちゃん、僕もう食べたよ」
「はいはい、わかってます。これは今日のやなくて、保存する分です」
小島は、テーブルに袋を置き、中から食材を出していた。
「いや、そんな、悪いし、いいよ」
「先生て、菓子パンばっかり食べてるでしょ」
「ああ・・まあね」
「それやと、栄養が偏ります。森上さんと阿部さんの練習、みんといかんのに、先生が倒れてしまいますよ」
「僕の体は頑丈なの」
「先生、今年、三十になるんですよ」
小島は手を止めて、日置を見た。
「なんだよ・・」
日置は少しむくれた。
「ま、ええです、ええです」
そして再び小島は手を動かしだした。
「彩ちゃん、気持ちは嬉しいけどね、きみだって練習で疲れてるのに、こんなことさせたくないよ」
「私はまだ、十八ですから~」
小島は、プププと笑った。
「まったく・・きみって子は・・」
日置はそう言いながらも、小島の気遣いが嬉しかった。
小島もまた、日置のために料理を作れることが、嬉しくてたまらなかった。
そして小島は、慣れた手際で次から次へと作った。
出来上がった料理は、野菜の煮物、ほうれん草のお浸し、豆腐と薄揚げの味噌汁、煮魚、ビーフシチュー、フルーツサラダと、色とりどりだった。
小島はそれらを冷蔵庫、あるいは冷凍室へ入れるため、テーブルの上で冷ましていた。
日置は、ダイニングの椅子に座り、せっせと動く小島の後姿をずっと見ていた。
そして、幸せだな、と思うのであった。
「さ、これでよし、と」
小島はエプロンを外し、バッグの中へ仕舞った。
「とても美味しそうだね」
「ビーフシチューとみそ汁は、温め直せばいいですからね。火を入れておくと結構長持ちしますよ」
「そうなんだ」
「今度は先生に、作り方教えてあげます」
「ええ~、僕に?」
「自分で作れたら、私が来んでもええでしょ」
「いや・・まあそうだけど」
「あはは、面倒ですか」
「いや・・きみに負担をかけるよりはいいから、作るよ・・」
それでも日置は、嫌そうだった。
自分にこんなのが作れるはずがない、と。
「あ、わかった」
「なに?」
「私に来てほしいんですね」
小島は、わざとそう言った。
「彩ちゃん・・」
日置は、困った風に呼んだ。
「ああ、嘘です、嘘」
「きみ、僕をからかって楽しいの?」
「え・・」
「来てほしいに決まってるでしょ」
「先生・・」
「きみが来るたびに、僕は帰したくなくなるんだよ」
「・・・」
「でも今日は、ありがとう。とても嬉しいよ」
「先生」
小島はそう言いながら、日置の胸に顔を埋めた。
「彩ちゃん・・」
日置は小島を、優しく抱きしめた。
「きみは、僕を困らせるのが上手だね」
「そんなつもりは、ありません」
「ほんと、悪い子だね」
日置はそう言いながら、小島の唇を塞いだ。
小島も日置にゆだねた。
そして、幸せだと思った。
ほどなくして二人はソファに並んで座った。
「その後、森上さんと阿部さんはどうですか?」
日置に肩を抱かれたまま、小島が訊いた。
「少しずつだけど、前に進んでるよ」
「ドライブも、もう教えてるんですよね」
「そうなんだよ。森上は、ほんとに筋がいいんだよ」
「阿部さんは?」
「阿部にはボールを送ってるよ。一球ずつね」
「ああ、まだフォア打ちは、出来ないんですね」
「でもあの子も頑張ってるよ。なんせマンツーだから、時間はたっぷりとあるしね」
「そうですか。これからですね」
「ああ、そうだ」
日置が何かを思い出したように言った。
「なんですか」
「今月末にね、シングルの一年生大会があるんだよ」
「ああ~」
「でもね、森上はアルバイトがあるから、多分ムリ」
「えっ・・それやったら、今後も無理なんちゃいます?」
小島は、試合が日曜日だということもわかっていた。
「そこなんだよ。試合に出られなければ、練習も何も意味がないからね」
「それは困りましたね」
「どうしたもんかなぁ」
「森上さん、どこでバイトやってるんですか」
「町内のパン屋さんだよ」
小島は考えた。
一度、そのパン屋へ行ってみよう、と。
そして森上と、話をしてみよう、と。




