209 ズボールへの道
―――そして翌日。
この日の練習を終えた彼女らは、それぞれ交代しながら部室で着替えていた。
「よーう、郡司」
順番を待っている中川は、和子の後ろから覆いかぶさった。
和子は一瞬驚いたが、逆らわなかった。
「はい」
「おめー、クラスではうまくやってんのか」
「はい、みんな、仲良くしてくれてます」
「そうか。そりゃよかった。でもよ、またなんかあったら言えよ。私が締め上げてやるからよ」
「はい、ありがとうございます」
「おめー、素直でかわいいな」
中川はそう言って和子の頭を撫でた。
そして部室から、阿部が出て来た。
「郡司、おめー先に着替えろ」
「いえ、先輩、お先にどうぞ」
「なに言ってやんでぇ。いいから行け」
そう言って中川は和子の背中を押した。
「すみません、では先に着替えます」
和子は軽く一礼して部室に入った。
「おい、チビ助よ」
「なに?」
「おめーに相談があんだけどよ」
「なによ」
「ズボールさ・・なかなか練習できねぇだろ」
「ああ~とてもやないけど、時間が足りんもんな」
「でよ、センターって手もあんだけどよ、誰かに見られちゃあまずいってもんよ」
「ああ・・まあなあ」
「でもよ、予選まで時間がねぇだろ。どっかいい場所、おめー知らねぇか」
「ああ、それやったらここで居残りしたらええやん」
「えっ」
「先輩ら、ずっと居残りやってはったんやで」
「なるほどさね!その手があったか!」
そして中川は「よーーし」と言って、着替えるのを止めて台に向かった。
そこへ森上と重富も着替えを済ませて出て来た。
「あれ、中川さん、着替えへんの?」
重富が訊いた。
「重富よ。天地やオスカルやアンドレ、そしてイカゲルゲとクチビルゲに勝つためにゃあ、ズボールを完成させなきゃならねぇんでぇ」
「えっ」
重富が「えっ」と言ったのは、単に驚いたわけではなかった。
「ちょ・・中川さん、今、なんて言うた?」
「なにって、ズボールさね」
「ちゃう、その前やん」
「イカゲルゲ」
「それもちゃう」
「クチビルゲ」
「ちゃうって。あんたオスカルとアンドレって言うたやん」
「それがどうかしたのか」
「中川さん、愛と誠だけやなかったんやね!」
重富は、なぜかとても喜んでいた。
「おいおい、どうしたってんでぇ」
「私、ベルばら好きやねんっ!」
重富は『ベルサイユのばら』が好きというより、宝塚歌劇団の大ファンだったのだ。
重富が演劇に興味を持ったきっかけが『ベルばら』だったというわけだ。
「へぇ・・」
「へぇって・・中川さん、好きなんちゃうの?」
「いや・・そもそもベルばらって知らねぇし」
そう、中川は少女漫画には全く興味がなかった。
オスカルとアンドレの名前は、どこかで聞いた覚えがある程度だったのだ。
「えぇ~~そうなんやあ。っていうか、オスカルとアンドレに勝つってなんなんよ」
「おうよ、それさね!」
「いや・・イカゲルゲとクチビルゲとかも、言うてたで」
阿部が言った。
「天地ともぉ、言うてたよぉ」
「ふふふ・・森上、さすがだぜ」
「え・・なんでなぁん」
「五人のうち、四人がカタカナ、漢字の苗字は天地だけということはだな、つい聞き逃すってもんよ」
「そうなんかなぁ」
「っていうか、その五人、誰なん?」
阿部が訊いた。
「いや、阿部さん、そもそもイカゲルゲとクチビルゲは誰とか言う問題ちゃうし。っていうか人間ちゃうし」
「オスカルとアンドレかて、ある意味、人間ちゃうで」
「いやっ!この二人はれっきとした人間!」
「うわあ~~・・とみちゃん、すごいな・・」
「まあまあ、おめーら、落ち着けって」
「オスカルとアンドレ、人間やんな!?中川さんやったら、わかるやろ?」
「うーん・・そもそもベルばらってなんでぇ」
「もし、誠さんが人間ちゃうとか言われたら、中川さん、嫌やろ?」
「いやっ、誠さんは人間を超えた神でぇ!」
「オスカルとアンドレかて、神やし!」
「っんなこたぁいいやな。私は今から居残りをしてズボールを完成させるんでぇ!」
そして阿部ら四人は先に学校を後にして、中川は一人で「ズボール」を完成させるべく、ボールを出し続けた。
けれども一向にボールは曲がることなく、真っすぐ飛ぶばかりだった。
コツさね・・コツ・・
もっと・・こう・・瞬間的にボールを擦らねぇとな・・
しかも・・鋭くだ・・
コーン・・コンコンコン・・
コーン・・コンコンコン・・
こうして繰り返し出し続け、ボールがバウンドする音だけが、小屋に響いていた。
ガラガラ・・
そこで小屋の扉が開いた。
中川が振り返ると、阿部が顔をのぞかせていた。
「チビ助、おめー帰ったんじゃなかったのかよ」
「駅まで行ったんやけどさ、なんとなく引き返したて来た」
「あはは、なんだよ、それ」
そして阿部は靴を脱いで中に入った。
「それにさ、ズボールってカットやん。やっぱり打つ相手がおらんと」
「おいおい、チビ助。それって私のために引き返したってことかよ」
「別にそういうわけやないけど・・」
「あはは!照れんなって。そーかそーか、私のために」
「それよりさ、天地とか、オスカルとか、なんなん?」
「おうよ、それさね!」
中川は理由を説明しようとしたが、練習を休んで三神に偵察へ行ったなどと言おうものなら、阿部は怒り爆発になるだろうと、思い留まった。
当然、阿部は、中川の言葉を待っていた。
「ふふっ・・チビ助よ・・」
「なによ」
「聞いて驚くんじゃねぇぜ・・」
「うん」
「あれはいつだったか・・」
中川は、なぜかあさっての方を見た。
「私が一人でセンターへ行った時のことさね・・」
「・・・」
「そこにやつらはいやがった・・」
「やつら・・」
「おうよ。やつらは、とんでもねぇ集団よ・・」
「・・・」
「髪は茶色に染め、耳にはピアスよ・・」
中川は、大河を探しに出た時、地面でうずくまっていた男子高生の「なり」を咄嗟に出した。
「そのなりときたら、まさにスケバングループさながらでよ。ところがどっこい。やつらはとてつもねぇ実力者の集団さね・・」
「へ・・へぇ・・」
「ありゃあ、三神の野郎より上だぜ・・」
「えっ・・三神より上・・?」
「いいか!天地はペンドラ、オスカルは前陣速攻、アンドレはシェイクの攻撃、イカゲルゲは前陣、クチビルゲはカットマン・・という布陣さね・・」
「でもさ・・そんなに強かったら、先生は知ってはるやろし、私らにかて言うてくれると思うで」
「ふっ・・チビ助、あめぇぜ」
「え・・」
「そいつらは、最近引っ越して来やがったんでぇ」
「ひ・・引っ越し?」
「細けぇことはいいんだよ」
「でもさ、その名前、なんなんよ」
「それさね。私はやつらの名前を調べようとした。でもよ、こればっかりは、さすがの私でもわからなかったのさ。で、私は呼び名を付けた・・そういうことさね・・」
「へ・・へぇ・・」
「いい呼び名だろ?」
「ああ・・まあ。ほんでその集団、学校はどこなん」
そう訊かれ、中川は焦った。
どこってよ・・
チビ助・・おめー細けぇんだよ・・
えーっと・・
大阪・・
誠さんと愛をくっつけてだな・・
そうさね、大阪誠愛高校ってのはどうでぇ・・
これさね!
こう考えた中川だったが、誠愛高校は実在したのである。
「お・・大阪誠愛高校さね」
「誠愛・・聞いたことないな・・」
「おめーが知らねぇだけさね」
「そうか。ほなその誠愛も試合に出て来るんやな?」
「たりめーさね。だから私はズボールを完成させてぇんだ」
「なるほど」
阿部は半信半疑だったが、中川の「ズボール」に対する執着からすると、あながち嘘でもないと思っていた。
たとえ嘘だとしても、三神という大きな壁が立ちはだかるのは事実。
いずれにせよ「ズボール」を完成させることに、迷いなど無意味だった。
「じゃ、私がカット打ちするから、あんたはズボールな」
「おうよ!さすがチビ助さね!おっ始めてくんな!」
こうして阿部と中川は、毎日居残りをして「ズボール」完成のために汗を流し続けるはずだったが、ある「事件」が発生し、居残りは禁止となるのである。
―――ここは桂山の体育館。
小島ら八人は練習後、更衣室で着替えていた。
「それでさ、中川さん、めっちゃおもろいねん」
浅野はセンターでのことを話している最中だった。
「蒲ちゃんが書いてくれてた日誌を読んだまではええんやけど、内匠頭のこと、ないしょうあたまって言うてな」
「ないしょうあたま?」
蒲内が訊いた。
「内匠頭って、ないしょうあたまって読もうと思えば読めるやん?」
「あはは、そういうことか!」
為所が笑うと、他の者も「ないしょうあたまて!」と爆笑していた。
「ほんでさ、魔球のこと、頭ボールとか言うててさ。あははは」
「頭ボールて、なんなん」
井ノ下が訊いた。
「ないしょうあたまの「頭」を取って、頭ボールて付けたらしい」
「あははは、めっちゃおもろいやん!」
外間が言った。
「でも偉いよな」
小島がそう言った。
するとみんなは小島を見た。
「なんとかして三神に勝とうという努力。頭ボールでもなんでもええ」
小島はそう言いながらも笑っていた。
「確かに、あの子は根性あるわ」
岩水が言った。
「あれちゃうかな、サーブのこと自分が喋ってしもたという責任を感じてるんかもな」
小島がそう言うと、「ああ・・確かにな」と、みんなは辛そうな表情に変わった。
「せやけど、頭ボールて~。おもろいわあ~」
「あはは、蒲ちゃん、もう言わんといて」
杉裏がそう言った。
「でもな~中川さん、私の日誌読んでくれて~それで内匠頭の魔球のこと知ったんやもんな~嬉しいわあ」
「うん、蒲ちゃんのおかげやな」
「そうや。蒲ちゃんがずっと書いてくれてたから、役に立ったんやな」
「でも・・頭ボールて・・」
為所がそう言うと、またみんなは爆笑したのである。




