207 頭ボール
―――「あああ~~中川さん!」
こう叫んだのは、三宅だった。
「いやあ~、あんたら来てたんや」
浅野はすぐに彼女らに駆け寄った。
重富は、慌ててメガネを外した。
「こんばんは!」
「こんばんはぁ」
「よーう、浅野先輩じゃねぇかよ」
「あはは、中川さん、相変わらず元気やな」
「先輩よ、なんで三宅といんだ?」
三宅はまだ入り口付近で立っていた。
「数馬くん、なにやってるんよ」
浅野は振り向いて呆れていた。
三宅は仕方なく彼女らの傍まで歩いてきた。
「あの・・中川さん・・ほんで、きみら・・」
深刻な表情の三宅に、彼女らは顔を見合わせていた。
そして阿部と森上と重富は、この人が先生が話していた三宅なんだ、と。
「俺・・ごめん。サーブのこと・・三神に喋ってしもて・・」
「いいえ、そのことは、もうええんです」
阿部が答えた。
「そうですぅ。だから謝らんといてくださぁい」
森上が言った。
「そうですよ。なにも気にしてません」
重富もそう言った。
「舐めてもらっちゃあ困るぜ、三宅よ」
「え・・」
「サーブなんざ、単なるご愛敬。つまり、おつまみさね。メインディッシュはラリーと決まってんでぇ。っんな、三神如きにやられるわけがねぇのさ」
「・・・」
「いやっ、そもそもよ、私が調子に乗ってペラペラと喋っちまったのがいけねぇんでぇ。だから、もう詫びは必要ねぇやな」
「そ・・そうか・・ありがとう・・」
「で、浅野先輩よ」
「なに?」
「なんで三宅と」
「私と数馬くん、付き合ってるんよ」
「なにーーーっ、そうだったのかよ。あっ、だから先生は三宅のこと知ってたんだな」
「そやで」
「かぁ~~、世間ってのは、狭めぇもんだぜ」
「あはは、あんた、ほんまにおもろいな」
―――その頃、センターの外では。
大河は中に入ろうか入るまいか、辺りを行ったり来たりしていた。
よう考えたら、なんで僕が中川さんと・・わざわざ・・
別に逃げたと思うんやったら、勝手に思たらええし・・
そやで・・行くことなんかない・・
そして大河は、駅に向かって歩き出した。
「おい、お前」
そこへ不良学生と思しき制服姿の三人が、大河を取り囲んだ。
大河は黙ったまま、彼らを見た。
「金出せ」
「え・・」
「ええから、はよ金出せ、言うとんねや」
「持ってないけど」
「嘘言え。なんぼでもええ。ほら、出せよ」
「こっちは急いどんねや。ほら、はよせぇよ」
「飛ばすぞ」
この男子は、大河をその場でジャンプさせて、小銭を鳴らさせることを言った。
「持ってないし」
「俺らに逆らう、言うんか」
「持ってないもんは、持ってない。逆らうとかちゃうし」
「よし、わかった。おい、身体検査や」
男子は他の者に、腕づくで金を奪うことを命じた。
―――その頃、センターでは。
中川以外の者は、フロアに入って練習の準備に取り掛かっていた。
「中川さん」
まだロビーで大河を待っている中川を、阿部が呼んだ。
「なんでぇ」
「大河くん、用事でもあんのとちゃうか」
「いや・・」
「そこで待ってても、練習しながら待ってても一緒やで」
「チビ助、ちょっと行って来る」
「え・・」
そして中川は、走ってロビーを後にした。
「中川さん!」
阿部は叫んだが、中川には届かなかった。
やがて外に出た中川は、三人の男子が「痛たたた・・」と、うずくまっているのを見つけた。
なんでぇ・・こいつら・・
中川は三人を無視して、大河が来てないかを探した。
あっ!あれはジャガイモ!
大河は、持ち手が半分ちぎれたスポーツバッグを、不格好に肩にかけて歩いていた。
あいつ・・来てたのかよ・・
でもなんで・・帰ってんだよ・・
にしても・・あの鞄は・・どうしたってんでぇ・・
中川は大河を追いかけようと思ったが、なぜか足が動かなかったのだ。
なぜなら、大河の背中は、呼び止められることを拒絶しているように見えたからだ。
そう、まるで誠が愛を拒絶するが如く。
「誠さん・・」
中川は、思わずそう呟いていた。
ああああ~~私は何を口走ってやがんでぇ・・
ジャガイモが誠さんなわけねぇだろが!
くそっ・・仕方がねぇ・・
とりあえず来たってことで、逃げてねぇと認めてやる・・
しかし・・次はねぇからな!
そして中川は、うずくまる男子らを横目で見ながら、中へ戻って行った―――
その実、大河は小学校に上がってからすぐに柔道を習い始めた。
柔道家の父を持つ大河は、あっという間に頭角を現し、大会では何度も優勝を果たしていた。
そして大河が小学六年生の時のことである。
大河はくだらないことで、クラスメイトとケンカになった。
柔道を習っている大河にとって、素人相手に投げ飛ばすことなど造作もない。
その際、相手は机に頭をぶつけ、脳震盪を起こした。
これを知った父親は、「柔道をケンカの道具に使うな!」と大河を叱りつけた。
この時、大河は自分の体は「武器」なのだ、と言うことを知り、大けがさせたことのショックもあって、柔道を辞めた。
中学へ上がった大河は、友達に誘われて卓球部に入った。
部は、たまたま強豪チームであったことも幸いし、大河はここでもすぐに頭角を現し、現在に至る。
ああ~・・ケンカの道具にしてしもた・・
あれほどお父さんと約束したのに・・
そして大河の父は、こうも言い聞かせていた。
「己のために技を使うな。誰かを助けるために使え」と。
でもなあ・・さっきのは・・仕方がなかったんや・・
こんな風に考えていたところを、中川は見たというわけだ。
―――そしてフロアでは。
中川は大河のことを頭から消し、練習に没頭していた。
そして三宅といえば、阿部のサーブに仰天していた。
「これが・・中川さんが言うてたサーブなんや・・これはすごいぞ・・」
三宅は阿部のサーブを全く見破れずにいた。
「阿部さん、すごいやん!」
「ありがとうございます!」
「あの・・こんなん言うたらあれやけど、サーブのこと三神にバレてても、これなら通用すると思うで」
「はい」
「多分、こんなんやと思てないはずや」
「はい」
「もっかい出して!」
そして三神が来てないと確認した重富も、みんなに交じって練習をしていた。
「浅野先輩よ」
中川はボールを打つのを止めて、浅野を呼んだ。
「なに?」
「ちょっと訊きてぇことがあんだけどよ」
「うん」
「ないしょうあたまって、知ってっか」
「ない・・え、なんて?」
「ないしょうあたまさね・・」
「ないしょうあたま・・いや、全く知らんし、聞いたこともないけど」
「でもよ、卓球日誌には書いてあったんでぇ」
「それって、部室の日誌のこと?」
「そうさね」
「ないしょうあたま・・なあ・・」
無論、浅野には心当たりがあるはずもなかった。
そして、自分のことだとは思いもしなかった。
「書いたのは、蒲内先輩だよな」
「ああ、うん」
「蒲内先輩に訊けば、やつの正体がわかるってことか・・」
「その、あたまがどうかしたんか」
「それさね!そのないしょうあたま野郎は、とんでもねぇ技を持ってやがんでぇ」
「へぇ・・」
「なんでもよ、台の下でラケットを素早く動かし、ボールに変化をつけて、挙句、相手は空振りさね・・」
「え・・」
「これぇやあ~~、すげー技だぜ。だからよ、私はそのないしょうあたま野郎を、この目で見てぇんだ」
「ぷっ・・」
浅野はここで、自分のことだと気が付いた。
「なに笑ってやがんでぇ」
「いや・・ほんで、どうやって見つけるん?」
浅野は「内匠頭」を「ないしょうあたま」と読み間違えてる中川が、可笑しくてたまらなかった。
そして、もう少し「遊んでやろう」思ったのだ。
「それさね。やつはどこにいるのか、先輩、知らねぇか」
「うーん、どこなんやろなあ」
「そもそもよ、なんでぇ、ないしょうあたまってよ。これ、苗字なのかよ」
「どうなんやろ」
「それでよ、私はその技を身に着けてやろうと思ってんだ。しかもだ!ないしょうあたま野郎の遙か上を行ってやるんでぇ!」
「中川さん」
「なんでぇ」
「あんた、カット打ちできるやんな」
「あたぼうよ!」
「ほな、カット打ちやって」
「おうよ!ないしょうあたま野郎のことは、蒲内先輩に訊くぜ!」
そして中川がカット打ち、浅野がカットというラリーが始まった。
何球目で・・出したろかな・・
浅野は、中川がどんな表情を見せるのかが、楽しみでならなかった。
そして中川がフォアクロスへカット打ちをした時だった。
浅野は台の下でラケットを素早く左右に動かし、ミドルに高いボールが返った。
おいおい・・浅野先輩よ・・
こんな高けぇボール・・
舐めてもらっちゃあ困るってんだ!
中川は、思い切りスマッシュを打ちに行った。
ところがである。
ボールはバウンドしたと同時に、右へククッと曲がり、中川はあえなく空振りをした。
「なっ!」
中川は、自分の目を疑った。
「ま・・曲がった・・」
浅野はニヤニヤと笑っていた。
「えっ・・ちょっ・・おいおい、浅野先輩よ!今のはなんだってんでぇ!」
「あはは」
「あはは・・って・・」
「ないしょうあたま・・」
「そ・・それがどうしたってんでぇ・・」
「私が、その、ないしょうあたまさね・・」
浅野は中川の言葉を真似た。
「なっ・・なにーーーーっ!」
「ふっふっふ・・今頃わかったのかい。おめーも焼きが回ったもんさね」
「ぐっ・・浅野先輩・・おめー、なにもんだ・・」
「あはは、あんたさ、浅野内匠頭って知らんの?」
「た・・たくみ・・え?」
「浅野内匠頭」
「知らねぇけど、それがなんだってんでぇ」
「ないしょうあたま、と書いて、たくみのかみって読むんやで」
「えっ・・」
「私、浅野って苗字やん。ほんで名前は多久美っていうねん。浅野内匠頭って江戸時代の殿様の名前やねん。で、私のあだ名は内匠頭」
「なっ・・なんだとーーー!ないしょうあたまじゃねぇのかよ!」
「あはは、そやで」
「ったくよーー、先輩も人が悪りぃぜ。途中からわかってたんだな」
「あはは」
「っんなこたぁいい!先輩、頭ボールのこつ、教えてくんな!」
「頭ボール?」
「ないしょうあたまの、頭を取って、そう名付けたんでぇ!」
「あははは、あんた、ほんまにおもろいわああ」
そして浅野は、丁寧に「頭ボール」のこつを中川に教えたのであった。




