204 大喧嘩
結局、和子は神田に言われるがまま、演劇部に入った。
けれども母親の節江には、打ち明けることができなかった。
なぜなら、ここへ来たのは卓球するためであり、そのことで祖母を一人にしてしまった。
演劇部などと話してしまえば、「なんのためにここへ来たのか」と責められるであろうし、なにより日置が自分のことを全く憶えていなかったという事実を知られたくなかったのである。
―――そして二日後。
放課後になり、和子は神田と共に部室へ向かった。
部員は、三年生の田沼、石垣、大川、三波の四人と、二年生の村田が一人と、そして和子と神田の、計七人であった。
「えー、まだ新学期が始まったばかりやけど、うちの部は文化祭がメインです。文化祭は十月で、まだまだ先ですが、去年は反響がすご過ぎて、今年はそれに負けへんくらいのものを作りたいと思てます。そこで、それぞれみんなに芝居の脚本を考えてもらうことにしました。これはすぐに出来そうでなかなか難しいです。だから十月までにじっくりと考えてほしいと思てます」
新部長の田沼がそう話した。
「日頃の活動としては、体力づくりや発声練習と滑舌の訓練、それと演技の稽古などをします」
田沼が説明している間も、和子は気が沈んでいた。
なぜ自分がここに座っているのかさえ、不思議だった。
「郡司さん?」
田沼が呼んだ。
「はい・・」
「私の話、聞いてる?」
「あ・・はい・・」
「郡司さんは、なんでここを選んだん?」
「それは・・」
「あの、この子、地方から出て来て、まだ慣れてませんけど、やる気はあるんです」
神田は、よかれと思ってそう言った。
「そうなんや。地方て、どこなん?」
「香川です・・」
「へぇー四国やん」
副部長の石垣が言った。
「まあ、慣れてないならしゃあないね。でもグラブ活動はチームワークが大事やから、一人でもやる気のない子がおると、輪が乱れるからね」
「はい・・すみません・・」
「うん、ええよ。これからやし。そしたら今からベランダに行くからね」
これは、発声練習をするためだ。
そして部員らは部室を出て、ベランダに向かった。
和子は思っていた。
まるで自分は操り人形のようだ、と。
やりたくもない発声練習や、今後始まるであろう演技の稽古を思うと、自分が自分でないようだ、と。
ほどなくして発声練習が始まったが、和子には全くやる気が見られなかった。
けれども田沼や他の者たちは「こうするんよ」と何度もアドバイスをしていた。
神田は、和子のやる気のなさに、苛立ちを覚えていた。
嫌なら、なぜ断らなかったんだ、と。
そこへ重富が、猛ダッシュで走って来た。
「おっ、重富さんやん」
村田が声をかけた。
「村田さん~!先輩~!」
重富はニコニコと笑って手を振った。
「慌ててどないしたん?」
田沼が訊いた。
「教室に忘れ物しまして~」
「あはは、そうなんや」
「先輩~村田さん~頑張ってください~」
「あんたも卓球、頑張りや~!」
「はーい、ほな、行きます~」
そう言って重富は走り抜けて行った。
今の人・・卓球部なんじゃな・・
とても楽しそうに・・
顔も・・輝いとった・・
和子は、また気持ちが沈んでいた。
―――そして下校時。
和子と神田は、駅に向かって歩いていた。
「なあ、郡司さん」
「なに?」
「あんたさ、なんで演劇部に入ったんよ」
「え・・」
和子は唖然とした。
誘たんは、あんたじゃろう、と。
「嫌やったら断ったらええのに」
「ほなけんど・・私は卓球じゃ言うたけに・・」
「私はさ、あんたが地方から出て来て可哀そうやと思たから、誘ったったのに」
「え・・」
「まったくやる気もないしさ」
「そげなこと言うても・・」
「あんた、クラスでなんて言われてるか知ってるか?」
「・・・」
「芋ねぇちゃんて、言われてるんやで」
「・・・」
「その言葉、直したらどうなん」
「うん・・」
「あんた、私以外に友達かて、いてへんのやで」
「うん・・」
「で、どうするんよ」
「なにが・・」
「演劇部!」
「うん・・頑張る・・」
和子はそう言ったものの、芋ねぇちゃんと言われてることや、神田の強引さや、卓球部に入れない悲しみで気持ちはますます落ち込むばかりだった。
―――そして金曜日の昼休みに「それ」は起こった。
「ちょっくら食堂へ行って来るぜ」
今日の中川は、弁当持参ではなかった。
「パンなん?」
阿部が訊いた。
「いや、向こうで食ってくる」
「私らも一緒に行こか」
重富は弁当箱を手にしてそう言った。
「あはは、ガキじゃあるめぇし、一人で食ってくらあな」
「中川さぁん、私らも行くよぉ」
「森上、いいってことよ!んじゃな!」
そして中川は一人で食堂へ向かった。
あっ・・そういやあれだな・・
日誌を読まねぇとな・・
フラフラボール・・ぜってー成功させてやんぞ!
中川は、こんな風に思いながら、やがて食堂へ足を踏み入れた。
ひゃあ~~混んでやがるぜ・・
食堂では、厨房の前に並んだ生徒たちの、長蛇の列でひしめき合っていた。
中川も列に並び、やがて中川の後ろにも列ができていた。
ったくよー、みんな弁当持って来いってんだ・・
「ちょっと、どいて」
中川の何列か後ろで、誰かがそう言った。
「え・・」
「芋ねぇちゃんのくせに・・」
「ほんまや、どきぃさ」
「私・・並んどんじゃけど・・」
中川は思わず振り向いた。
「あんた、邪魔やねん」
「そ・・そんな・・」
「芋ねぇちゃんは、芋がお似合いよ」
「・・・」
「その方言、ダサイわ」
和子は、三人のクラスメイトから嫌がらせを受けていた。
「おい、おめーら」
中川が呼んだ。
和子も女子らも黙ったまま中川を見た。
「なにがあったか知らねぇけどよ、っんなとこで揉めてんじゃねぇぞ」
「揉めてないで」
「あ?」
「揉めてないって」
「嘘言ってんじゃねぇよ!私はこの耳でちゃんと聞いたんでぇ!」
「なによ、あんた。汚い言葉やな」
「おめー・・今、なんつったよ」
「汚い言葉!」
「おーう、上等じゃねぇか!表に出やがれってんだ!」
中川は、その女子を引っ張って列から離れた。
当然、この場は騒然とし始めた。
和子も、どうしていいかわからず、オロオロするばかりだった。
「あの子、二年の中川さんやん」
「ほんまや」
「ちょっと、先生呼んだ方がええんちゃう」
中川は、校内では有名人だった。
その美貌もあり、文化祭では早乙女愛を演じ、一躍時の人となっていたからである。
「汚ねぇ言葉とは、どういうこった」
「そのままやん」
「おめー、一年坊主だな」
「そうやったらなんやの。悪い?」
「そもそもおめーよ、そっちのガキ、いじめてたんじゃねぇのか」
中川は、和子のことを言った。
「まさか」
「芋ねぇちゃんとか言ってたよな」
「だからなによ」
「あっはは、言っちゃあなんだがよ、そっちのガキより、おめーの方がよっぽど芋だぜ」
「なっ・・なんでよ」
「よってたかって一人をいじめるってのは、芋のすることだと神代の昔っから決まってんだ!」
そこで中川は、他の二人も睨んだ。
すると二人は、すぐに目を逸らした。
「ケンカならかまわねぇさ。けどよ、いじめるってのは、最低のクソ野郎のするこった」
「・・・」
「こちとら、地球の裏側で話す人間の声も聴こえるくれぇ耳はいいんでぇ!おめーらの不埒な悪行、全部聞いてんだよ!」
「なによ、時代劇みたいに」
「おうよ!こちとらお白洲の上では裁かれねぇ悪党どもを、地獄に突き落とす藤枝梅安でぇ!」
藤枝梅安とは、『必殺仕掛人』の登場人物の一人で、針を突き刺して絶命させる闇の殺し屋の名前だ。
「おめーら!とっとと最後部に並びやがれ!」
―――その頃、二年六組では。
「ちょっと、阿部さん!」
食堂から慌てて戻った一人が、そう叫んだ。
「どっ・・どしたん!」
阿部は思わず席を立った。
重富も森上も、何事かと驚いていた。
「中川さんが大変や!食堂で大喧嘩してる!」
「えええええ~~~!」
三人は同時に叫び、一目散に食堂へ向かった。
ほどなくして食堂に着いた三人は、まだ騒然としているこの場を唖然として見ていた。
阿部は、しくしくと泣いている三人を見つけた。
そしてこの三人が、中川の「餌食」だと直感した。
「あんたら、どしたんや?」
阿部はそう訊きながら、中川の姿を探した。
すると中川は、和子の肩を抱いて平然と列に並んでいるではないか。
「中川さん!」
「あ?」
「ちょっと、どういうことなん!」
「ふんっ、ピーチク泣いてやがる、そいつらに訊けよ」
「もう、あんたは!とうとうやってしもたな!」
「千賀ちゃぁん、中川さん、そんな子やないよぉ。これにはわけがあると思うよぉ」
「さすが森上さね。おめーはいつも冷静だな」
「なあ、あんたら、どうしたん?」
重富が三人に訊いた。
けれども三人は何も答えなかった。
するとそこへ、遅れて日置がやって来た。
「中川さん」
「なんだよ」
「なにがあったの?」
「そいつらに訊いてくんな」
そこで日置は、中川に肩を抱かれて立っている和子を見た。
あれ・・確かこの子は・・泣いてた子だ・・
「中川さん」
また日置が呼んだ。
「だからなんだよ」
「この子、どうしたの?」
「そっちの三人に、いじめられてたんだよ」
「え・・」
「ほらほら、おめー、順番が来たぜ」
中川は和子に、注文するよう促した。
「ちょっと、中川さん、こっちに出て。きみも」
日置は、中川と和子に列から外れるよう促した。
「こちとら、クソ野郎に飯の時間を奪われたんでぇ。飯くれぇ食わせろよ」
「それはあとでね」
「ちっ・・やってらんねぇぜ」
中川は、そう言いつつも、和子を連れて列から外れた―――




