202 新学期
―――「和子、大丈夫か?」
母親の郡司節江は、和子の初登校を、とても心配していた。
「大丈夫」
「田舎もんじゃけに・・いじめられたりせんかのぉ・・」
「そがなこと、ありゃせんじゃろ」
「言葉も・・直した方がええけに・・」
「まあ、そのうちな」
節江と和子は、春休み中に大阪へ引っ越していた。
節江は、母であるトミを一人置いて出ることをとても気にしていたが、それ以上に和子を一人にするのはもっと心配だった。
「じゃ、行ってきます」
そう言って和子は家を出た―――
学校は今日から新年度だ。
乙女たちの元気な声が、学園内に戻っていた。
新入生らは、真新しいセーラー服を身に着け、これから始まる学園生活に、期待と不安が入り混じった気持ちを抱えていた。
その中に、和子もいた。
けれども和子は、卓球部に入るため入学したのだ。
そう、ちゃんとした目標を持って桐花へ来たわけだ。
その意味では、他の子たちよりも気持ちは前に向いていた。
やがて全校生徒が校庭に集まり、始業式が始まった。
生徒が見守る中、校長の工藤が朝礼台に上がった。
「えー、全校生徒の皆さん、おはようございます。今日から新年度です。新入生の皆さんはなにかと不安もあるでしょうが、きっと素晴らしい学園生活が待っています。今日から三年間、勉強にスポーツにと、精一杯頑張ってください」
そしてこの後、工藤の話は、十分続いた。
「なげぇよ」
中川がそう言うと、周りの者は、クスクスと笑っていた。
中川ら四人は、また偶然にもクラスは同じで、二年六組だった。
「えー、それでは、きみたちの先生方を紹介します」
工藤がそう言うと、朝礼台の横に並んで立っている教師らは、名前を呼ばれるごとに一礼していった。
「そして、保健体育の日置先生です」
日置が一礼すると「きゃあ~~~」と新入生から、早速、黄色い声が挙がっていた。
「日置先生は、卓球部の監督もしておられます」
日置先生じゃ・・
人気があるんじゃのぉ・・
そりゃそうよの・・
和子は、久しぶりに見る日置に、懐かしさを覚えていた。
「あの先生、かっこええよね」
和子の横に並んでいる女子が声をかけてきた。
「うん・・そうよの・・」
和子の言葉に、女子は少し驚いていた。
「あんた・・大阪と違うん?」
「私は・・四国から来たんじゃけに」
「四国・・またなんで?」
「まあ・・色々と・・」
「ふーん」
和子は、なんとなく嫌な気がしていた。
これからも、方言のことを言われるだろう、と。
「私、神田咲良」
「私は・・郡司和子・・」
「郡司さん、一緒のクラスやんな」
「ああ・・うん」
「これからも、よろしく」
「こ・・こちらこそ・・」
和子と神田は同じクラスで、一年五組だ。
二人は友達になったように見えたが、神田は次第に和子の「優柔不断」な性格に苛立ちを覚え始める。
―――ここは二年六組。
「あはは、おめーら、また同じクラスかよ!」
中川が彼女ら三人に言った。
「それやん」
阿部は、わざとうんざりした風に返した。
「ったくよー、どこまで面倒かけやがんでぇ」
「こっちのセリフやっちゅうねん」
「チビ助、おめーほんとは嬉しいんだろ」
「なんでやねん」
「中川さぁん、私は嬉しいでぇ」
「おうよ!森上は素直でいいやな」
「ところでさ、中川さん」
重富が呼んだ。
「なんでぇ」
「あんた、昨日、なんで休んだんよ」
「まあまあ、私にも都合ってもんがあってよ」
「先生、めっちゃ心配してはったで」
「また今日から頑張るからよ、勘弁してくんな。それよりさ」
「なによ」
「今週の土曜日さね・・」
中川は、突然深刻ぶった。
「土曜日が、なんなんよ」
阿部が訊いた。
「決闘さね・・」
「えっ!」
「ちょ・・決闘て・・あんた、とうとう・・」
「中川さぁん・・そんなこと危ないよぉ」
「私は、あの野郎を呼び出したんでぇ」
「あの野郎て、誰なん?」
「呼び出したて、どこに!」
「あの野郎・・来ない場合は・・逃げたと見做す!」
「ちょっと、中川さん!」
阿部が怒鳴った。
「なんでぇ」
「暴力事件とか起こしたら、卓球部は廃部やで!」
「おいおい、チビ助よ」
「なによ」
「誰が暴力って言ったよ」
「だって、決闘て言うたやん」
「おうよ、命のやり取りでぇ」
「え・・あんた、それって卓球のことなん?」
「けっ、決まってんだろうがよ」
「呼び出したて、誰なん?」
重富が訊いた。
「ふふっ・・ジャガイモさね」
「ジャガイモ?」
重富は、まだ大河に会ったことがなかった。
「あ、おめーは知らねぇんだな」
「中川さぁん・・またジャガイモて・・あかんと思うよぉ」
森上はあだ名のことを言った。
「おうよ、そうだった。そいつは大河って野郎だ」
「で、その大河って人と、決闘すんねや」
「そうさね」
「わかった。私も行く」
阿部が言った。
「なんでだよ」
「あんた一人やったら、またなにするかわからんしな」
「ったくよー、保護者かよ」
「私も大河って人、見たいし行く」
「重富よ・・」
「なによ」
「気持ちはわかる、わかるぜ・・でもよ、おめーは秘密兵器なんでぇ」
「え・・」
「おめーの正体、ばらしちまったら、先生の計画がお釈迦だ」
「見学やったらええやん」
「あ・・そういや、そうだな」
中川がそう言うと、「あんた、しっかりしてそうで、おっちょこちょいやな」と阿部が突っ込んだ。
その後、一年五組では、和子と神田は一緒に教室を出て下校していた。
「郡司さん」
神田が歩きながら呼んだ。
「なに?」
「もうクラブ、決めてるん?」
「うん」
「え、何部なん?」
「卓球部」
「あ、わかった」
「え・・?」
「日置先生やな」
神田はいたずらな笑みを見せた。
「ああ・・そうなんじゃけど・・違う・・」
「違うて、なにが?」
「ここの卓球部は、ものすごく強ょおて・・」
「あはは、嘘って顔に書いてあるで」
「いや、ほんまじゃけに・・」
「まだ決めんでええやん」
「え・・」
「明日、クラブ紹介があるって言うてたし、その時でええんちゃう?」
「うん・・まあ・・」
「郡司さん」
「なに・・」
「同じクラブに入ろな」
神田は優しく微笑んだ。
―――この日の夜。
「学校、どげなかった?」
食事をしながら節江が訊いた。
「うん、特になんちゃありゃせんかったよ」
「友達は?」
「神田さんていう子と、友達になったんよ」
「あらま、よかったなあ」
「うん」
和子はそう言って笑った。
「それで、日置先生は?」
「ああ・・私が入学したこと、まだ知らんのよ」
「あらら、話しかけんかったんかいの」
「日置先生、人気があって」
「そりゃそうよの。ハンサムなんじゃけにの」
「お母さん、仕事はどげな?」
「あはは、心配せんかて、もう慣れとるよ」
節江は、近隣のスーパーで働いていた。
家賃と学費はトミの仕送りで賄えたし、食費もろもろは節江の稼ぎでも、贅沢さえしなければ食べていくには十分だった。
「明日は、先生に話しかけたらええが」
「うん、そうしてみるけに」
「驚くじゃろうの、先生」
「なんで来たんじゃって、言われたらどうすりゃええかの・・」
「あはは、あの先生は優しい人じゃが。そげなこと言やぁせん」
和子は神田に「同じクラブに入ろう」と言われたことが、心に引っかかっていた。
やや強引な気質の神田の誘いを断れるだろうか、と。
それより、自分が神田を誘えばどうかと。
そうじゃ・・
それがええが・・
一緒に卓球部に入って・・
インターハイを目指しゃあええんじゃ・・
こう考えた和子だったが、事態は反対の方向へ動くのであった。




