200 偵察その2
その後も中川は、彼女らの練習を目を皿にして見入っていた。
そして選手一人一人の特徴を、細かく書き綴っていった。
やっぱり天地だな・・
天地とは、野間のことである。
天地は間違いなくエースだ・・
だがよ・・おめーは森上のパワーにゃ及ばねぇぜ・・
体のでかさでも、森上が上さね・・
にしてもよ・・こいつら、休憩しねぇな・・
中川は腕時計を見た。
むっ・・もう昼前じゃねぇか・・
ああ~・・腹が減って来たぜ・・
なんか買って来りゃよかったな・・
その時だった。
突然、強い風が吹き、中川が開けた窓から風が中へ吹き込んだ。
すると台上のボールが、ユラユラと揺れた。
スマッシュを打とうとしていた山科は、タイミングが狂って空振りをした。
「あれ?どっか窓開いてるんか?」
仙崎がそう言うと、彼女らはそれぞれの窓を確認していた。
ああっ・・しまった・・
中川は慌てて窓を閉め、見つからないように身を隠した。
危ねぇ・・危ねぇ・・
ん・・?
ちょっと待てよ・・
あのB野郎・・空振りしやがったな・・
B野郎とは、山科のことだ。
ボールはユラユラと・・
おいおい・・これって使えるんじゃねぇのか・・
けどよ・・どうやってユラユラさせるってんでぇ・・
そんな職人芸・・できるのかよ・・
そう、中川が考えたのは、浅野が「魔球」として取り入れていた技だった。
台の下で素早くラケットを左右に動かし、相手コートにバウンドした時、どの方向へ飛ぶかわからないのである。
浅野は在学中、試合でこの技を何度も使い、窮地を脱したことがあった。
けれども浅野の場合、技は未完成であり、自身も左右どちらに曲がるのか、わからないまま使っていた。
ここはあれだな・・
チビ助に訊いてみるしかねぇな・・
そして中川は、このこともメモした。
中川は、またそっと窓を開けた。
そして中を覗くと、江と朝岡の前に彼女らが整列していた。
「江さん、朝岡さん、大変お世話になりました。ありがとうございました」
野間がそう言うと他の者も「ありがとうございました!」と、全員で深々と頭を下げた。
「いいか、お前ら。王者は絶対ね」
「はいっ」
「相手、どんなチームでも、必ず叩き潰すね」
「はいっ」
「応援してる」
「はいっ、ありがとうございます!」
「それと、ゼンジー」
江は、竹林と呼ぶより、ゼンジーの方が言いやすかった。
「なに?」
悦子は半笑いだった。
「お前、なに笑ってる」
「いや。で、なに?」
悦子は思った。
確か、中川も「なに笑ってやがんでぇ」と言ってたな、と。
「監督に、よろしく言っとけ」
「うん、わかった」
「朝岡、帰るぞ」
「みなさん、予選、頑張ってくださいね」
「はいっ、頑張ります!」
そして江と朝岡は三神を後にした。
うーむ・・どうすっかな・・
やつらの後をつけても・・意味ねぇしな・・
ここは・・午後からの練習も見るべきだな・・
にしてもよ・・腹減ったなあ・・
そこで彼女らは、窓という窓を全部開けて回っていた。
ああっ!
こっちに来る!
中川は開けた窓を閉める余裕がなく、慌てて身を隠した。
「あれ・・ここ開いてるやん」
「え・・そうなん?」
「さっきの突風、こっから入ったんやで」
「閉め忘れたん、誰やねん」
この二人は須藤と菅原だった。
「でもさ・・ここ出る時、必ず確認するやん」
そう、彼女らの戸締りは厳重で、必ず「閉めた」と口に出して確認するのだ。
「まあ、見落としの場合もあるしな」
「そうやろか・・」
もう、っんなこたぁいいだろがよ・・
とっとと向こうへ行けよ・・
中川はその場で動けずにいた。
「あんたら、どしたんや」
そこに悦子がやって来た。
げ・・ゼンジーだ・・
中川は声でわかった。
「ここ、開いてたんです」
「そうなんや」
悦子も戸締りの厳重さは知っている。
「ちょっと、外を確認してくるわ」
げ・・ゼンジー・・来るのかよ・・嘘だろ・・
「いえ、先輩、私らが行きます」
「いやいや、あんたらお昼食べに行き」
「でも・・」
「ええから。私はこの後帰るし。ほら、はよ行き」
「そうですか。すみません。ではお願いします」
そして彼女らは全員で食堂へ移動した。
悦子はその足で入口に向かった。
ど・・どうすんでぇ・・
このまま戻ると・・ゼンジーと鉢合わせだ・・
とりあえず中川は、奥へ進んだ。
けれども行き止まりだ。
うわあ~~・・
隠れる場所がねぇ・・
は・・早くなんとかしねぇと・・
慌てた中川は、あることに気付いてなかった。
そう、鞄の蓋を開けたまま乱暴に肩にかけた際、『愛と誠』が地面に落ちていたのだ。
くそっ・・あれに登るしかねぇ!
中川は1本の桜の木によじ登った。
幸いにも桜は満開だ。
は・・早くっ!
くそっ・・
登れ・・登るんでぇ・・
中川は、懸命に手と足を動かした。
そこへ悦子がやって来た。
来たっ・・ゼンジーだっ!
中川は寸でのところで、ようやく身を隠せた。
悦子は辺りを覗いながら、窓を確認していた。
「別に・・怪しい感じはないしな・・やっぱり単なる閉め忘れやな。あれ・・?」
そこで悦子は『愛と誠』が落ちてあるのに気づいた。
「愛と誠やん・・なんでこんなとこに・・」
悦子はそれを拾い、何気にページを捲っていた。
「えっ・・これなんなん」
そう、悦子が見たのは落書きだった。
それは、こう書かれてあった。
――試合とは・・命のやり取りさね・・
これ・・中川さんとちゃうんか・・
しかも・・吹き出しで誠に言わせてるやん・・
そう、中川は誠の口に吹き出しを書き足し、そう言わせていたのだ。
でもなんでこれが・・ここに落ちてるんや・・
悦子は思わず、辺りを見回した。
「中川さん!」
そして叫んだ。
えっ・・なんで私の名前を・・
中川からは、桜の花びらで悦子は見えなかった。
そして『愛と誠』を落としていたことも、まだ気が付いてなかった。
もしかすると・・見られてたのか・・
いや・・見られてねぇはずだ・・
私は寸でのところで身を隠した・・
「中川さん、いてないの?」
動揺した中川は、足が少し動いた。
すると桜の枝が揺れた。
あっ・・しまった・・
中川は焦った。
あはは・・あんなところに隠れてるんやな・・
ここは・・いっちょ・・締めたらなな・・
「こらーー!中川っ!無駄な抵抗は止めて出て来なさい!」
げ~~~・・ばれちまったぜ・・
ど・・どうすりゃいいんでぇ・・
「里のお袋さんも、泣いてるぞ!かつ丼食わせてやるから出て来なさい!」
げ~~ゼンジー・・面白すぎんだろ・・
いけねぇ・・声が出ちまうぜ・・
「中川ーー!今出て来れば、情状酌量の余地もある。抵抗するならお前は死刑だ!」
くそっ・・もう腕も疲れてきたし・・
仕方がねぇ・・
そして中川は観念して木から飛び降りた。
その際、地面に転がった。
「痛ててて・・」
中川を見た悦子は、その風貌に爆笑していた。
「あははは、あんた、それなんなん」
「ゼンジー・・」
「これ、動かぬ証拠」
そう言って悦子は『愛と誠』を見せた。
「なっ!ええーーっ」
中川は慌てて鞄の中を確認した。
「ない・・」
「あはは」
「そうか・・ゼンジー、その本で私だと気づいたんだな」
「まあ、それはええとして、訊きたいことが山ほどあるんやけど」
「・・・」
「なんで、ここにいてんの」
「そ・・それはだな・・なんちゅーか・・」
「その風貌・・偵察やな」
「そっ・・そんなわけあるかよ・・」
「まあ、健気なあんたに免じて、今回のことは不問に付すけど、来るんやったら正面から堂々と来んかい」
「え・・」
「三神は逃げも隠れもせんで」
「お・・おうよ・・」
「で、うちの子ら、見てどうやった?」
むっ・・ここは・・かますしかねぇな・・
「あっはは、ゼンジーさんよ、三神の野郎なんざ、てぇしたことねぇよ」
「ほーう」
「まあ~うちの敵じゃねぇってことはわかったぜ」
「そうか」
「今度来る時は、おめーが言うように、正面から堂々と来てやらぁな」
「おーう、それでこそ中川さんや」
「んじゃ、私はこれで。邪魔したな」
中川は軽く手を振って悦子の横を通り過ぎようとした。
「あんた」
悦子が呼ぶと、中川は立ち止まった。
「なんでぇ」
「これ」
悦子は本を渡そうとした。
「あ・・ああ・・済まねぇ」
中川さん・・精一杯、虚勢張ってるな・・
そして悦子はニヤッと笑い、「ほな、またな」と言って、先にこの場を後にした。
悦子は思った。
中川は、ほんとに面白い子だと。
チームのために、三神に勝つために、変装してまで偵察に来た。
見上げた根性だ、と。
そして悦子は、ますます中川を好きになったのである。




