2 「彩ちゃん」と「先生」
―――「小島さん」
日置は、たった今、小島が待つ場所へ到着した。
小島は日置の姿を見つけると、恥ずかしそうに一礼した。
そう、今日は、初デートの日なのだ。
小島は日置の教え子だった。
卓球部のキャプテンとして部員を率いてきた小島は、在学中、日置に想いを寄せ、紆余曲折を経て、卒業をきっかけに日置と恋仲になっていた。
「待った?」
「いいえ・・今来たところです」
「その服、かわいいね」
小島は、白のワンピースを着ていた。
「先生も、よく似合ってます」
日置は、白のTシャツに、紺色のヨットパーカーを着ていた。
ズボンはカーキー色のメンパンだ。
小島は薄化粧を施し、まさに、新社会人といった様相だった。
「お化粧も、上手になったね」
「そうですか・・」
小島は恥ずかしそうに俯いた。
「さて、行こうか」
「はい」
二人が向かったのは、西藤の店である。
日置は、まず、西藤に小島を紹介したかったのだ。
小島も日置に賛成した。
西藤は、日置の祖母であり、かつて日本を代表する一流プレーヤーだった。
日置は西藤によって鍛えられ、数々の栄誉を手にしている実力者だった。
「会社はどう?」
日置は歩きながら訊いた。
「はい、仕事はまだ慣れませんが、先輩方も親切で、卓球も、大久保さんたちがよく面倒見てくれますので、助かってます」
「そっか。よかったね」
「学校はどうですか?部員、入ってきました?」
「いや、まだ」
「そうですよねぇ・・先生の入部の条件は、素振り500回ですもんね」
「まあね」
「でも、このままやと、あの小屋が・・」
「まだわからないんだけどね、もしかしたら一人、入ってくれる子がいるかもしれないんだよ」
「へぇー、500回やったんですか?その子」
「それがさ、素振りは必要ないくらい、筋がいい子でね」
「それって、経験者とちゃうんですか」
「それが違うんだよ、素人なの」
「へぇー!」
小島は思った。
日置なら、絶対に手を抜くはずがない。
その日置が「素振りは必要のない素人」というからには、そうとう出来る子なのだ、と。
「その子、入ってほしいですね」
「うん、そうなるといいね」
そして二人は西藤の店に到着した。
「おばあちゃん、びっくりするだろうな」
日置は苦笑した。
小島も日置にあわせて苦笑していた。
そして日置は扉を開けた。
「いらっしゃい」
西藤はカウンターで座っていた。
「あらま、慎吾やったんか」
「おばあちゃん、久しぶりだね」
「え・・後ろの子は・・」
西藤がそう言うと、小島は日置の後ろから顔をのぞかせた。
「あれま、小島さんやがな」
「どうも、ご無沙汰してます」
「え・・二人でどないしたんや。まあこっち入り」
そして二人は店の中へ入り、カウンターまで歩いた。
「実はね、おばあちゃん」
「なんや」
「話があるの」
「ほーぅ、なんのや。いやっ、それよりあんた、だいぶ前に破談になったらしいやないか」
「うん、そのことと関係してるの」
「まあええわ。奥に上がり」
西藤は「よっこらしょ」と言いながら立ち上がって、さっさと奥へ入って行った。
「上がらせてもらおうか」
日置が言うと、小島も後に続いた。
そして二人は、和室に並んで座った。
「なんもないで」
西藤は台所に立ち、お茶を淹れていた。
「あの・・どうぞお構いなく」
小島が気を使って立ち上がろうとした。
「ええねや。あんたは座っとき」
そして西藤は、湯飲みを運んで二人の前に出した。
「で、話ってなんや」
「実はね、僕と小島さん、付き合ってるの」
「へぇ」
西藤はピンと来てない様子だ。
「おばあちゃん?」
「付き合ってるてか・・へぇ・・えっ・・えええええ~~!ほんまかいなっ!」
西藤は、仰天していた。
「そうなの」
「あらあら、まあ~~いやっ、待ちや。小島さん」
「はい」
「あんた、気は確かか?」
「え・・」
「っんな、こんなんおっさんやがな」
「あはは」
小島が笑うと、日置はむくれ顔をした。
「おばあちゃん、酷いな」
「せやけど・・あっ、破談の原因は、こういうことか!」
「うん」
「そうか、そらしゃあないわな」
「でね、おばあちゃんには知らせようと思って」
「そうかそうか。それでわざわざ」
「あの・・私、まだまだ頼りないですけど・・交際を認めてくださいますか・・」
「あはは、そんなもん認めるも認めんも、本人次第やし、むしろこっちが頭下げてお願いしたいくらいやで。なあ?慎吾」
「なんだよ・・」
「あんたなあ~この子、まだ十八やろ。それをよくも、おっさんのあんたが」
「僕だって、若いよ」
「泣かしたら、承知せんぞ。叩くからな」
「あの・・」
小島は二人を制するように、小声で言った。
「なんや」
「実は、私がずっと先生のこと好きやったんです。私の思いに応えてくれはったんが先生なんです」
「まあ~~・・なんちゅうええ子や」
「いえ、ほんまなんです」
「そんなん、どっちでもええ。とにかく、あんたはまだ十代。よーーう、考えや」
「考える・・」
「男は慎吾一人やない、っちゅうことや」
「え・・」
「もっと視野を広げて、よーう見なあかんで。そやないと、親御さんに申し訳が立たんわ」
「いえ、私は先生以外、考えられません」
「小島さぁ~ん」
西藤は小島の手を握り、そして擦った。
「あんた、ほんまええ子やなあ」
「あ・・いえ・・そんな・・」
「こら、慎吾!」
「なっ・・なんだよ」
「あんた、果報者やということ、よーう、肝に銘じときや」
「わかってるってば」
「そうかそうか、あんたらがなあ。よう知らせてくれた。ありがとうな」
「それと、母さんに何か訊かれたら、おばあちゃんが言っといてね」
「なんでやねん!自分が言わんかいな」
「うるさいんだよ、母さんは」
「まあ、それは言えてるけどな。わかった、言うといたる」
「あの・・西藤さん」
小島が呼んだ。
「ちょっと~西藤さんやなんて、水臭いで。おばあちゃん、でええで」
「え・・でも・・」
「慎吾のこと、よろしく頼みます」
「そんな・・こちらこそ」
「で、こんな辛気臭いとこおらんと、はよデートしぃ」
二人は顔を見合わせ、苦笑していた。
「っんなもん、その服装でわかるっちゅうねん」
「うん、おばあちやん、ありがとう」
「ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
小島は手をついて頭を下げていた。
「ほらほら、そんなんせんでもええ。はよ行き」
「じゃ、小島さん、行こうか」
「はい」
「おい、慎吾」
「なに?」
「小島さん、て。恋人を呼ぶ呼び方やないな」
「え・・」
「下の名前で呼ぶんやがな」
「・・・」
「私な、あんたのじいさん、三郎にな、はっちゃんって呼ばれてたんやで」
「そ・・そうなんだ・・」
「小島さん、下の名前なんて言うんや」
「彩華・・です・・」
「彩ちゃん、おおっ、ええがな、彩ちゃん」
「おばあちゃん・・そこは僕に任せてくれないかな」
「あはは、こら野暮やったな」
西藤は、とても嬉しそうだった。
元々小島のことを気に入っていたこともあり、西藤は小島の人間性も知っている。
慎吾の嫁は、この子しかいてへん、そう思う西藤であった。
ほどなくして店を後にした二人は、なんばの繁華街を歩いていた。
「小島さん」
「はい」
二人は並んで歩いてるだけだ。
そう、単なる「知り合い」のように。
「おばあちゃんさ、僕が考えてたこと、先に言うんだもんなあ」
「なにをですか」
「その・・彩ちゃんって呼び方」
「ああ・・」
「おばあちゃんに言われて、それに従うわけじゃないから」
「はあ・・」
「僕は、とっくに考えていたことだから」
「あはは、先生、そんな言い訳せんでも」
「言い訳じゃないよ」
「あはは」
「彩ちゃん」
小島は、恥ずかしくて返事が出来なかった。
「彩ちゃんって、呼ぶから」
「はい、わかりました」
「きみは、僕のこと、なんて呼んでくれるの?」
「えっと・・うーん・・」
「まさか・・先生のままじゃないよね」
「いえ、先生と呼びます」
「ええ~、それはないよ」
「なんか、慎吾さんとか、慎さまとか、慎吾とか、ちゃう気がします」
「さま・・」
「先生。うん、やっぱりこれが一番。ね、先生」
「はあ~、まいったな」
小島はニコニコと嬉しそうに笑っていた。
「彩ちゃん」
「はい」
「手、出して」
「え・・」
「ほら、早く」
日置はそう言って、左手を出した。
「はい」
小島は嬉しそうに、右手を出した。
そして二人の手は、しっかりと握られた。
後日、日置は小島の家へ出向き、交際の報告をした。
その際、両親とも、まだ若い小島の年齢を気にしていたが、相手が日置なら、申し分ないと快諾した。
両親は、日置には絶対的な信頼を置いていた。
そして「わがままな子ですが、彩華をよろしくお願いします」と頭を下げるほどだった。