194 大失敗
中川は、とてもせっかちな性格だ。
試合展開も考えずに、開始からすぐに「必殺サーブ」を出した。
そう、試したくて仕方がなかったのだ。
多田は、その複雑な回転に対処し兼ね、あえなくネットミスをした。
「サーよし!」
中川は左手でガッツポーズをした。
「今のサーブ、ええな」
「ふふ・・名付けてナイフサーブさね!」
「あはは、ナイフサーブって、ナイスサーブに聞こえるで」
「むっ・・そうか・・それじゃ、由紀サーブさね!」
「ゆきって、降る雪のこと?」
「ちげーって。高原由紀さね。おめー知らねぇのか」
「ああ~愛と誠の」
「おうよ!」
「そういや、じぶん、早乙女愛に似てるな」
「っんなこたぁいい。行くぜ!」
そして中川は、再び「由紀サーブ」を出した。
その実、これはなかなかのもので、多田も三宅も一球目のサーブはまぐれじゃないとわかった。
そして多田は、二球目もミスをした。
「サーよし!」
「へぇ、すごいな」
「どうでぇ!」
「うん、ええと思うで」
「これでも私は、まだまだなんだぜ」
「そうなん?」
「うちのチームにはよ、私以上のサーブを出すやつがいるんでぇ。しかも三人もだぜ」
「どんなサーブなん?」
「例えばよ、右回転なのに左回転に見えたり、その逆も然りよ」
「へぇー」
「これは、ぜってー見破れねぇし、よっぽどうめぇやつじゃねぇと返せねぇんだ」
「じぶん、学校どこなん?」
「ふっ・・それを訊くのは野暮ってもんさね」
「えっ、なんでなん」
「っんなこたぁいい。さあー続きだ!」
中川は、日置が重富を隠す、と言ったことに乗じて校名を伏せたのだ。
けれども中川は、とんでもない大失敗をしたことに気が付いてなかった。
あの時、校名さえ報せておけば、という事態に陥るとは想像すらしてなかったのである。
「三宅くん」
樋口が中を覗いて呼んだ。
「はい」
三宅は立ち上がって返事をした。
「電話やで」
「あ、すみません」
そして三宅はロビーに出た。
「そこな」
樋口は電話を指した。
三宅は一礼して受話器を取った。
「もしもし、三宅ですけど」
「あ、数馬くん」
「えっ、くみちゃん、どしたん?」
相手は浅野だった。
「ごめん、行く予定にしてたんやけど、ちょっと用事が出来てな」
「ええええ~~!」
三宅はショックで叫び、樋口は唖然としていた。
「あんた、うるさいねん」
「用事て、なんなん!」
「母から会社に電話があってな、はよ帰ってほしいって」
「え・・なんかあったん」
「父が昇進してな。で、お祝いやて」
「そうなんや」
「私がおらんかってもええやんて言うたんやけど、ほら、日頃、練習ばっかりで家にいてないやろ」
「うん」
「だから、こんな時くらいはと思て」
「そうか。そらそやな。めでたいことやし」
「ごめんな」
「いや、ええねん。家族の方によろしく言うてな」
「あんた、多田くんと練習してんねやろ」
「あ、ああ~うん、そやで」
三宅は、中川と練習していることを言えなかった。
なぜなら、浅野を心配させたくなかったからだ。
もし、この時、浅野に用事がなくてセンターに来ていれば、中川は後輩であり、桐花の生徒だということもわかる。
そしてもし、浅野が来れなくても三宅が中川のことを報せていれば、中川という苗字とその話しぶりで後輩だとわかる。
いずれにせよ、校名がわかって、中川が「やらかした」大失敗をせずに済んだのだ。
その「大失敗」に至る事態は、数日後、起こるのである―――
―――そして数日後。
「お邪魔致します。本日もよろしくお願いします」
そう言って、三神の選手たちが入り口から入って来た。
ここは、多田と三宅が通っている関西明正大学の体育館だ。
そう、彼女たちは森上対策として、またここへ訪れていた。
今回は一年生だけではない。
新年度から三年生になる選手も参加していた。
つまり、真のエースは須藤ではないのだ。
「よろしく。早速、練習開始してください」
監督の大崎は、快く受け入れた。
「はい」
主将であり、エースの野間がそう言うと、彼女らは柔軟体操を始めた。
「それではみんな。練習をさせて頂きましょう」
体操を終えると野間がそう言った。
「はい」
彼女らはそれぞれラケットを手にして、「目当て」の男性に声をかけていた。
「お願いします」
三宅の元へ、二番手である山科が声をかけに行き、多田の元へは、三番手である向井が声をかけていた。
そう、まずは先輩たちから練習をするのだ。
一年生の彼女らは、女子部員に声をかけて各々練習を始めていた。
そして約二時間が過ぎ、休憩をとることになった。
多田と三宅は二人で床に座り、お茶を飲んでいた。
「それにしてもさ、こないだの子、めっちゃおもろかったな」
三宅は中川のことを言った。
「そうそう。あの子な」
「でもさ、実力は本物やったで」
「カットもよかったけど、やっぱりサーブやな」
「あれはすごかったな」
「なあ、数馬・・」
多田は小声になった。
「なんやねん・・」
「あのサーブやったら、三神にも通用するんとちゃうか・・」
「どうなんやろな・・三神は別格やからな・・」
「せやけど、中川さん、チームにはもっとすごいサーブ出す子がいてるて言うとったで」
「ああ、そう言うとったな・・」
この会話が耳に入った須藤は、中川という苗字に少しだけ反応した。
「あの・・」
そこで須藤は三宅らに声をかけた。
「お訊きしてもいいですか」
「え?」
三宅が答えた。
「サーブがすごいと仰ってましたが、どんなサーブですか」
「ああ・・なんか、ラケットを複雑に動かして、回転が見分けられんようなサーブやねん」
「へぇ・・」
「その子はカットマンやったけど、なんでもチームの他の子らはもっとすごいサーブ持ってるらしいで」
「カットマン・・」
「その子な、超美人なんやけど、喋り方がめっちゃおもろいねん」
この時点で須藤は、あの中川だと確信した。
「もっとすごいサーブとは・・?」
「なんかさ、右回転やのに、左回転に見えるとか言うてたで。な?」
三宅は多田に確認した。
「うん」
多田は、あまり喋りすぎるな、と思っていた。
「ぜーって見破れねぇぜ、とか言うてさ。あはは」
三宅は呑気に笑っていた。
「右回転なのに左回転に見える・・すごいですね」
「そやねん。まあ、ほんまか嘘かわからんけど、その子が出したサーブからすると、ほんまやと思う」
「すみません。ありがとうございました」
須藤はそう言って、元の位置に戻った。
そう、中川の大失敗とは、まさにこのことだったのだ。
三宅と多田が、中川が桐花の生徒だと知ってさえいれば、三神の彼女らには口が裂けても話さなかったはずである。
あの日、中川が「野暮なこと」と言わずに「桐花」と言ってさえすれば、須藤らは予選当日まで必殺サーブのことは知ることがなかったのだ。
日置は、阿部をはじめとする彼女らのサーブは、必ず三神に通用すると確信していた。
そして打倒三神が、夢ではなく現実になるであろうことも。
けれども中川本人も、日置も彼女らも、まさかこんなことになっていようとは、夢にも思わなかったのである。
―――ここは三神の体育館。
「ほう、サーブですか」
翌日、野間は皆藤に昨日の話をしたところだった。
「はい」
「回転が逆に見えるとは、なかなかですね」
「まだ真偽のほどは定かではありませんが、あながち嘘でもないようです」
「なるほど。わかりました」
そうですか・・
日置くん・・
なにがなんでも、うちに勝つつもりなのですね・・
いいでしょう・・
受けて立ちますよ・・
皆藤の頭の中には、ある考えが既に浮かんでいた―――
帰宅した皆藤は、夜になって大崎に電話をかけていた。
「いつもうちの子たちが世話になって、ありがとう」
「なに言うてんねん。こっちもええ練習になってるで」
「それで、また相談なんやけど」
「うん」
「大阪の大学に、中国人選手、いてたやろ」
「いてるけど、誰のこと?」
「ほら、去年こっちに来た、女の子」
「ああ、天長大学の江さんな」
「ああ、それそれ。江さん」
「それがどうかしたんか?」
「ちょっと、うちの子相手してほしいんやけど」
「ええ~、僕、知り合いとちゃうで」
「まあまあ・・そこはお前の人徳で、なんとでもなるやろ」
「声かけろって言うてんのか」
「うん」
「うんて・・」
その中国人女性の名前は、江美友といった。
江は中国から日本へ来た留学生である。
天長大学チームに所属し、エースとして活躍していた。
「でも皆藤」
「ん?」
「なんで急に」
「本気でうちに勝とうとしてるチームがいててな」
「三神に・・か?」
大崎は唖然とした。
なんと身の程知らずなんだ、と。
「そや」
「もしかして、あの子らをうちで練習させてることと、繋がってるんか?」
「うん」
「まあ・・向かって行く気持ちだけは評価するけど、それにしても三神に、て・・」
「大崎」
「ん?」
「頼むわな」
「うん、わかった」
こうして大崎は伝手を使って、江は間もなく三神に訪れるのであった。




