189 誰のため
その後、2セット目も一進一退の展開で試合は進んだが、悦子がどれだけ一流であろうと、日置と相沢という男性ペア相手では不利が生じていた。
それこそ、日置は悦子に対してスーパードライブをお見舞いし、悦子は成す術もなかったのだ。
一方で、悦子のボールを受ける相沢は、その妙技に何度も翻弄されていた。
一瞬で相沢の動きを見抜く悦子の判断は、常に相沢の裏をかいていた。
かと思うと、真正面からの攻めもありで、まさに「マジシャン」のようだった。
デッドヒートを繰り広げる彼らの試合に、観戦者は驚嘆していた。
これぞ決勝戦だ、と。
それに「あんな人、おったか」などと、今さらながら日置のことを言う者もいた。
結局、このセットも21-18で日置らが取り、これでゲームカウントは2-1と『たまたまおっさん』が一歩リードした―――
「やった~~~!」
「よう頑張った!すごかったで!」
「いやあ~~ほんま、きみら、どえらいペアや!」
吉野ら男性は、これ以上ないくらい二人を称えていた。
「ああ~しんどかった」
相沢はホッとした様子で、明るく笑っていた。
その横で日置も微笑んでいた。
「先生!すごかったです!」
阿部が目を輝かせて言った。
「ほんまですぅ~もう~興奮しましたぁ~」
森上が言った。
「相沢さんも、めっちゃうまいですね!」
重富が言った。
すると相沢は、嬉しそうに「おおきにな」と答えた。
「よーう、先生、相沢さんよ」
中川は、また二人の前に立った。
「わしらの試合、どうやった?」
相沢は、中川が何を言うのかと楽しみだった。
「いやっ、見事だ。ご苦労だった!」
「あはは、それだけかいな」
「なんでぇ」
「もっと、なんちゅうんかな、ケツ叩くというか」
「いやっ、私はあやつらと対戦したからわかるんでぇ。相沢さんよ、おめーさん、見上げたもんだぜ。男さね!」
「あはは、おおきにな」
「中川さん」
日置が呼んだ。
「なんでぇ」
「僕は?」
「先生よ・・ここに来て、やっと緊張が解れたんだろ」
「え・・」
「しっかしよー、ダブルスの2セット目でやっとかよ」
そこで日置は、たまらず「ぷっ」と笑った。
「笑ってる場合かよ。でもま、いいさね」
「ん?」
「ゼンジーペアは本物だ。そこに勝ったんだからよ、てぇしたもんだぜ!」
「ありがとう」
「おめーらは、もういい。三木さんとやら!」
中川は次に出る三木を呼んだ。
呼ばれた三木は「なに?」と半笑いで答えた。
「朝倉ってねぇさんは・・あっ、先生よ」
「なに?」
「あの人、タイプはなんでぇ」
「ああ・・裏と一枚のカットマンだよ」
「なにっ!私と同じじゃねぇか!」
そこで中川は「三木さんとやら、よく聞きな」と言った。
「そもそもカットマンってのはな、前後の動きに弱いんでぇ。だからよ、前後で動かしな。それと一枚は変化がないぜ」
「うん」
「それと、中途半端なところに送ると、向こうさんは打って来るから気を付けな」
「うん」
「おめーさんが勝って、ハワイへ行くんでぇ!いいな!」
「おう!」
「よーし!徹底的に叩きのめして来な!」
中川はそう言って三木の背中をバーンと叩いた。
三木は思った。
なんの役にも立たない自分は、こうまで真剣にアドバイスされたことなどない、と。
いや、励まされたり、後押しされたことは何度もあったし、実際に今日もそうだった。
けれども中川の、その「熱意」は、また別だ、と。
そやな・・
もうあかんと思てたけど・・
ここは僕も頑張らんといかん・・
いつも相沢くんに頼ってばかりやったけど・・
よーし、いっちょやったろうやないか!
そして三木は、みなに後押しされてコートへ向かった。
―――クラクラベンチでは。
「ああ~慎吾、やっぱり強いわ」
悦子は、さっぱりとした表情でそう言った。
「相沢さんも、なかなかだったわよ」
朝倉が答えた。
「そやな。まあこればっかりはしゃあない」
「そうね」
「ひなちゃんは問題ないとして、ラストやで、中野」
「相沢にやったら勝てる」
中野は自信ありげだった。
「そらそやな。向こうは、いうてもクラブチームや。こっちは実業団の現役。負けはあり得へんで」
「わかってる」
「じゃ、行って来るね」
朝倉はラケットを手にした。
「ひなちゃん、頑張ってな」
板倉は、優しい口調でそう言った。
「おめーの分まで取り返すわよ!」
「おめー・・それ、やめて」
「あはは。冗談よ」
「ほらほら、そんなんは二人っきりの時にやって」
「やだ、えっちゃんったら」
朝倉は苦笑してコートに向かった。
三木対朝倉の試合は、気の毒なほど三木は何もできなかった。
そもそも朝倉のカットをスマッシュする技もないし、ましてやストップなどやったこともなかった。
それでも三木は、ミスを繰り返すも、「どんまい!」と声を出しながら向かって行った。
三木の様子を見て驚いたのが、『たまたまおっさん』の者たちだった。
そう、三木は試合で声を出すことなど、まずなかったのだ。
「三木~~~!引くんじゃねぇ!」
中川は一番大きな声を出して、三木を励まし続けた。
「そうや~~!三木さん、こっからや!」
相沢も檄を飛ばした。
「三木さーーん!挽回ですよーー!」
「1本やで!」
吉野も箱崎も声を張り挙げていた。
そして日置と彼女らも「頑張れ~~~!」と応援した。
けれども声援もむなしく、三木は21-4、21-6と大差で負けた。
「あかんかったわ。すまん」
ベンチに戻った三木は、そう言って頭を下げた。
「よーう、三木の字さんよ」
「えっ・・」
変な名前で呼ばれた三木は、この子はほんまにおもろいな、と思った。
「謝ることなんてねぇぜ」
「え・・」
「おめーさんは、よく最後まで頑張った。それでいいじゃねぇか」
「でも、きみのアドバイス、なんもでけへんかったし」
「っんなこたぁいいんでぇ。ようはここさね、ここ」
中川は自分の胸を叩いた。
「ここ・・」
「おめーさんの試合は、心の臓に響いたってんでぇ」
「そうなんかな」
「そうさね。だから謝ることなんてねぇのさ」
「うん、ありがとうな」
「いいってことよ!」
中川は三木の肩をポーンと叩いた。
「きみ・・ほんまおもろいな」
相沢は、笑いながら言った。
「なにが面白れぇんだ」
「心の臓とか、三木の字とか」
「こちとら真剣も真剣さね。面白れぇって意味がわからねぇぜ」
「相沢さん」
日置が呼んだ。
「ラストですよ」
「おう!そやったで」
相沢は慌ててバッグからラケットを取り出した。
「それだ!相沢さんよ、ハワイはおめーさんの肩にかかってんだ。助手をぶっ倒してやんな!」
「おう!任せんかい!」
相沢はそう言って立ち上がった。
「よーし、徹底的に叩きのめして来な!」
中川は相沢の背中をバーンと叩いた。
「うわっ・・結構痛いな」
「すみません」
日置が詫びた。
「ええがな。よーし、力、もろたで!」
相沢はそう言ってコートへ向かった。
「中川さん」
強張った表情で阿部が呼んだ。
「なんでぇ」
「あんた、ちょっと出しゃばりすぎちゃう」
「はあ?」
「このチームは、たまたまおっさんのチームやで。もうちょっと遠慮するとか」
「けっ、なに言ってやがんでぇ」
「なによ」
「どこのチームとか、っんなこたぁどうだっていいだろうがよ」
「なんでよ」
「応援すると決めたからにゃあ、全力で後押しするのが男ってもんよ」
「私ら、男とちゃうし」
「チビ助!おめー、いちいちうるせぇよ。応援してなにが悪いってんでぇ」
「ちゃうやん。出しゃばり過ぎやて言うてんねん。他の人かていてはるんやし、アドバイスやったら先生がいてはるやん」
阿部は思っていた。
日置が自分たちに見せてくれた試合の内容を、中川は勘違いしたままだ、と。
しかもその中川は、自分がアドバイスをしたから、先生は言う通りにやって勝ったんだ、と。
おまけに先生が緊張してるとまで言い放ち、その後も「アドバイス」なるものを押し付けた。
それどころか、先生にとどまらず、吉野や三木や相沢にまで、まるで監督が如く振る舞っている、と。
なんなんだ、あんたは、と。
「阿部さんやったかな」
箱崎が口を挟んだ。
「はい」
「わしらは、この子の気迫に最初はびっくりもしたけど、こんな子いてないで」
「え・・」
「なんの縁もゆかりもないわしらに、これだけ熱意のこもった応援してくれるやなんて、なかなか出来ることとちゃうで」
「・・・」
「わしらのことを思ってきみが言うてくれたんは、ようわかってる」
「そう・・ですか・・」
「だから、わしらのことでケンカするんはやめてな」
「ケンカやなんて・・そんな・・」
「じいさん、気を使わせて悪かった。この件は、ここで終わりにするぜ」
「うん、そうしてな」
そして中川も阿部も「一旦」引いた。
そう、二人の胸の内には、まだ言いたいことがあったのだ。
「箱崎さん、すみません」
日置が詫びた。
「いやいや、かまへんかまへん」
その実、箱崎は「いいケンカ」だと思っていた。
なぜなら、阿部も中川も自分のことではなく、チームのことを考えるがあまりの衝突だったからだ。
ベンチで揉めている最中、相沢と中野の試合はとっくに始まっていた。




