187 相沢と日置のダブルス
吉野は悦子にコテンパに叩きのめされ、これでゲームカウントは1-1のイーブンとなった―――
「さーて、日置くん。行こか」
相沢はラケットを手にして、立ち上がった。
「はい」
日置はニッコリと微笑んで応えた。
「それにしても、きみと組むん、久しぶりやな」
「そうですね」
「足引っ張ったら、ごめんやで」
「とんでもないです。精一杯、頑張ります」
男性陣は「頑張ってや!」と励まし、彼女ら三人は「先生!ファイトです!」と後押ししていた。
そんな中、中川だけは相沢と日置をじっと見ていた。
中川は、悦子らと対戦し、実力のほどを思い知った。
果たして相沢と日置で大丈夫なのだろうかと、心配していたのだ。
「よーう、先生、相沢さんよ」
中川は二人の前に立った。
彼女らは、また何を言い出すのかと不安になったが、箱崎と三木は興味津々で中川を見ていた。
声をかけられた相沢は、半笑いになりながら中川を見た。
「なに?」
日置は平然と答えた。
「いいか、よく聞きな」
日置と相沢は、思わず顔を見合わせた。
「ゼンジーと助手では、ゼンジーの方がうめぇんだ」
「助手って、中野くんのこと?」
日置が訊いた。
「そうさね」
「助手・・」
相沢は思わずクスクスと笑った。
「なに笑ってやがんでぇ」
「あ・・いや、すまん。ほんで?」
「でだ。攻めるなら助手であり、ゼンジーには繋がせるんでぇ」
「ほーう」
「それともう一つある」
「・・・」
「おめーらの中でゼンジーだけが女だ。いくらうめぇからと言って、力ではこっちが断然有利さね」
「きみ、またおめーって言ったね」
「ああ・・つーか先生よ」
「なに」
「っんなこたぁ、今はどうでもいいだろがよ」
「まったく・・」
日置は、また呆れていた。
「まあまあ、日置くん。ええがな。ほんで?」
「ここは、ラリー勝負さね」
「ほーう」
「相沢さんと先生は、ドライブをかけまくるんだ。そしたらよ、ゼンジーは繋がざるを得ないってわけさね」
そこで中川は「フッ」と笑った。
そう、どうだ私の策は、と言わんばかりに。
「なるほどな」
相沢は中川の策にも一理あると思った。
けれども相沢は、そんなことはとっくにわかっていたのだ。
当然、日置もわかっていたが、中川自身で考えた策に、この子はどうやれば勝てるか、ということを真剣に考えたのだと感心していた。
「いいか。あやつらは強ぇ。対戦した私が一番よく知ってんだ。だからよ、ぜってー気を抜くんじゃねぇぞ」
「うん、そうやな」
「それと先生だ」
「ん?」
「緊張すんじゃねぇぞ」
「わかってるよ」
日置はニッコリと微笑んだ。
「ったくよー、まあ、ニコニコと」
「じゃ、相沢さん、行きましょうか」
「おう!」
そして二人はコートに向かって歩いた。
「先生って、なんでいつも笑ってやがんでぇ」
中川は腕を組んだまま、日置の後姿を見ていた。
そんな中川を、重富は呆れて見ていたが、ふと、あることを思い出した。
そう、中川と大村が対立し、挙句、中川は「いらない」と言われ、チームを抜けた。
その後、日置が引き止めてくれたおかげで中川は戻ったが、「あの」強情な中川が大村に頭を下げたことを。
あれは、一体どういうことなのだろう、と。
あの時、なぜ中川は下げたくない頭を下げたのか。
この謎は、後で日置に訊いてみようと重富は思っていた。
そしてコートでは3本練習も終え、試合が始まろうとしていた。
「相沢さん」
日置はコートに背を向けて呼んだ。
「なんや?」
「ドライブラリーもありですが、えっちゃんは引き合いには応じないです」
引き合いというのは、互いに台から下がってドライブを打ち合うことを言う。
「そやろな」
「きっと前でカウンターを打つはずです」
「うん」
「ここは、前の対応に弱い中野くんを攻めましょう」
「よっしゃ」
―――一方で悦子は。
「と、考えてるはずや」
悦子は、まさに日置の策を言った。
「なるほど」
「だからな、あんた。後ろに下がったらあかんで」
「うん」
「下がるんは私や」
「え・・」
「最初から下がるんとちゃうで」
「どういうことなん?」
「向こうはドライブ打って来るやろ。それをあんたは前で止めるんや」
「竹林さん、引き合いするつもりなんか?」
中野は威力のことを心配した。
「まあこれは、ずっと通用するわけやない。出鼻をくじくためや」
「そうか」
「あかんかっても、本来に戻せばええこっちゃ。まずは向こうに、あれ?と思わせるんが肝心や」
「うーん、まさにゼンジーやな」
「あはは、あんたまでなに言うてんねん。助手め」
「またそれ言う・・」
「よーし!始めるで!」
そして四人は台に着いた。
サーブは相沢で、レシーブが悦子だ。
相沢は、台の下で日置にサインを送った。
日置は黙って「うん」と頷いた。
相沢は下回転の短いサーブを、ネット際に出した。
悦子は日置に打たせまいと、ストップをかけて返した。
日置もそれをストップで返した。
中野もストップで返したが、少し長く入った。
相沢は、待ってましたと言わんばかりにドライブをかけて入れた。
悦子は、ここは下がるのではなく、前で対応した。
バウンドしてからすぐに打つ悦子のボールは、とてつもなくスピードが速い。
けれども日置は、悦子の対応など織り込み済みだ。
あらかじめ予測していたコースに来たボールに日置は飛びつき、後ろから思い切りドライブをかけて返した。
するとどうだ。
中野は引き合いをするかと思えば、前にピッタリ着いているではないか。
日置は、しまった、と思った。
そう、コースが甘かったのだ。
中野は日置のボールをカウンターで返した。
相沢も、中野はドライブで返すと思い込んでいたため、ボールは後ろへ抜けた。
「サーよし!」
中野と悦子は互いを見ながらガッツポーズをした。
「すみません」
日置が相沢に詫びた。
「いやいや。それにしても中野くん、前やったな」
「そうですね」
「これは下がらんっちゅうことやな」
「僕、前に着きます」
「え・・」
「コースを狙って、中野くんには打たせません」
「よし、わかった。わしが抜いて見せたるで」
「頼みますよ、相沢さん」
「任せんかい!」
そして相沢は、ミドルラインぎりぎりのところへ長い斜め回転のサーブを出した。
これは日置の指示だった。
悦子は日置に打たせまいと、バックコースへ素早いミート打ちで返した。
コースを読んでいた日置は、抜群のプッシュでバッククロスへ送った。
前に着いている中野は、体を詰まらせ、オーバーミスをした。
これが下がって待っていたなら、なんとかドライブで返せるはずだった。
「よーーし!」
日置と相沢は互いを見ながらガッツポーズをした。
「ナイスボールーー!すごいーー!」
「ひゃあ~~あの速さときたら!」
「あっれは、取れんで!」
吉野らは、やんやの声援を送っていた。
「っしゃあ~~~~!先生よ!おめーやるじゃねぇか!」
「ナイスボールですーー!」
「先生~~すごい~~」
「ええプッシュやなあぁぁ~~」
彼女らも興奮していた。
「先生よ~~!緊張すんじゃねぇぞーー!」
中川の声に、日置は振り返ってニコッと笑った。
―――一方で悦子らは。
「は?慎吾が緊張てか」
悦子は中川の言葉に呆れていた。
「あれかな。僕が前に着いたままやから、混乱してんのかな」
「はあ?」
「いや・・その・・」
「混乱してて、あのプッシュができるかい!」
「そらそうやな・・」
「これも、慎吾が中川さんに言わせたんかもわからん」
「緊張ってこと?」
「そや」
「日置が、そんなことするかなあ」
「あほ言え。あいつは勝つためなら、なんでもする」
「僕、前に着いたままでええんか?」
「序盤はそれで行こか」
「わかった」
そして相沢は3本目のサーブを出した。
ネット際に入った、短いナックルサーブだ。
これも日置の指示だった。
悦子は、当然のように叩いて入れた。
けれども後ろに下がらない日置は、フォアへ入ったボールに飛びつき、その勢いでフォアクロスへ叩き込んだ。
これも、ボールが逃げて行くような、とても厳しいコースだ。
しかも抜群のスピードの速さだ。
中野は対応に間に合わず、空振りをした。
「よーーし!」
日置と相沢は、再び大きな声を発した。
「日置くん、ナイスボールや!」
「相沢さんも、ナイスサーブです!」
―――『たまたまおっさん』ベンチでは。
「やっぱりコースや・・」
阿部がポツリと呟いた。
「うん、私もそう思た」
重富が答えた。
「送るコースさえ間違わんかったら、ボールは抜けるんやな・・」
「私、ドライブは無いし、スマッシュかて威力がないやん。だから徹底してコースを狙わんとあかんな」
「そやな」
そんな中、森上は台に着いてプレーする日置の技に見入っていた。
板倉との対戦でも1セット目は前で対応していたが、板倉はカットマンだ。
つまり、ラリーの速さが違うのだ。
そうか・・
ドライブだけやなくて・・
いざとなったら前に着いて、相手をかく乱させる・・
こんな方法もあるんやな・・
先生・・すごい・・
大勢の観戦者は、コートに釘付けになっていた。
この四人はすごいぞ、と。
そんな中、とある人物がフロアの隅で、静かに試合を観ていたのである。




