183 対戦相手は選べない
『たまたまおっさん』対『応見金属』は、ラストの箱崎と皆川が大接戦を繰り広げていた―――
コートに到着した日置ら三人は、阿部と森上の決勝戦のことだけが頭にあったが、それどころの話ではないぞ、とカウントを見て唖然としていた。
そう、現在3セット目も終盤を迎え、19-18で箱崎が辛くも1点リードしていた。
「よう、慎吾」
通路で観ている八代が声をかけた。
「おう、秀幸」
「中川さんたち、どうだったの?」
「3-0で負けちゃったよ」
「そうか・・相手はなんと言っても、竹林さんたちだもんなあ」
「それにしても競ってるね」
「うん」
「阿部と森上、どうだった?」
「阿部さんは相沢さんに負けたけど、ダブルスは抜群だったよ」
「そっか」
「それと森上さんのシングルもね。圧倒的だったよ」
「うん」
日置は、当然だと思った。
「箱さん!1本やで!」
コートの向こう側のベンチから、相沢が懸命に檄を飛ばしていた。
「1本ですよ!箱さん、粘りますよ!」
相沢の横では吉野も大きな声を発していた。
「おいおい・・じいさんよ。なにやってんでぇ」
中川は通路から、ベンチに移動した。
その後を重富も続いた。
「皆川さん!粘れ~~」
「挽回や~~!」
「ああ~~、ヒヤヒヤする~~」
メンバーである、古賀、榎本、小堀も必死に応援していた。
「皆川さぁん~~、挽回ですよぉ~~」
「1本!」
森上と阿部は、中川と重富が横で立っていることさえ気が付かなかった。
「おらあ~~皆川さんとやら!ぜってー負けんじゃねぇぞ!」
その声に、阿部と森上は思わず中川を見た。
それは男性三人も同じだった。
「試合、どうやったん?」
阿部は重富に訊いた。
「3-0で完敗」
重富は苦笑した。
「そうなんや・・」
「阿部さんらが決勝いくと思てたけど、これ・・わからんな」
「そうやねん」
「おーい!皆川さんとやら!タイム取れ!」
中川が叫んだ。
なぜなら皆川の表情は、明らかに気持ちが引いているように見えたからだ。
皆川は、見知らぬ中川を見て不思議に思ったが、審判に「タイム」と言ってベンチに下がった。
通路で見ている日置は、「ナイス」と呟いていた。
横で立っている八代も「うん」と頷いていた。
「皆川さんとやら」
中川が呼んだ。
「きみ・・誰なん・・」
「私はこいつらのチームメイトで、中川だ」
「学校の?」
「そうさね。でだ」
「ちょっと、中川さん」
阿部が引き止めるようにそう言った。
「なんでぇ」
「あんた、何を言うつもりなん?」
「なにってよ、アドバイスさね」
「いやいや、あんた、今来たとこやん。戦況、わかってないやろ」
「っんなもん、知ったこっちゃねぇよ」
「はあ?」
「差が開いていれば、戦況云々も大事だろうがよ、ここは1点差だ」
「そうやけど」
「ようするに、気合いさね、気合い」
「気合いて・・」
「で、皆川さんとやら」
中川は皆川を見た。
「向こうさんも追い詰められているはずでぇ」
「うん」
「ここはぜってー引くんじゃねぇ。相手をキッと睨んでだな、大きな声を出して向かって行くんでぇ」
「・・・」
「それとだな、何か作戦を思いついたって顔するんでぇ」
「え・・」
「だよな、重富」
中川は重富を見た。
「え・・私?」
「おめーよ、演劇部だったんだろうがよ」
「あ・・ああ」
「このじいさんに演技指導をしな」
「えっ・・い・・今っ?」
「つべこべ言ってんじゃねぇよ。時間がねぇんだ。ほら、指導しな」
「えっと・・あの・・そうですね、まず、こんな策があったとはな、とか言って、相手の人を見てフフフと笑ってください」
「ほ・・ほう・・」
「それで、もう勝ったようなもんや、とダメ押ししてください」
「ダメ押し・・」
「じいさんよ」
中川が呼んだ。
「試合ってのは心理戦でもあるんでぇ。特に今の状況はまさにそうさね。気持ちが引いた方が負けさね」
「そ・・そやな・・」
「いいな、今言ったこと、徹底してやるんでぇ。後悔しないようにな」
「まあ・・なんや知らんが・・きみら、気迫に満ちとるな」
「おうよ!こちとら、なにがなんでもおめーさんらに勝ってもらわなきゃなんねぇ、やんごとなき事情があるんでぇ」
『応見』の男性三人は、中川の話しぶりに仰天していた。
まるで時代劇か任侠映画のようだ、と。
「なんや知らんが、よし、わかった。せっかくここまで勝ち抜いたんやしな。どうせなら決勝まで行かなな」
「おうよ!それでこそ男ってもんよ!」
そして皆川は、コートへ向かって歩いた。
「中川さん・・」
阿部は、いよいよ呆れた風に呼んだ。
「なんでぇ」
中川は不満げに答えた。
「あんたはもう、すぐにそうやって・・」
「なに言ってんだ。ここでタイムを取らねぇと、じいさん、あのままナイフが刺さって終わりさね」
「・・・」
「おめーよ、決勝に行かねぇと、この試合に出た意味なんざありゃしねぇんだよ」
「え・・」
「決勝の相手、クラクラ野郎、知ってんだろうがよ」
「まあ・・時々、試合は見てたけど」
「だったらよ、何がなんでも勝って、クラクラ野郎をぶっ潰さねぇとな」
阿部は、悦子が三神出身者で日置と友達という事情をまだ知らなかったが、『クラクラチーム』の実力は相当なものだということはわかっていた。
―――一方、たまたまおっさんベンチでは。
「箱さん、あと1本取ったら、向こうは崖っぷちや。1点取られてもまだ同点や。いずれにせよこっちが有利やで」
相沢が言った。
「うん、そやな」
箱崎の表情は、平静そのものだった。
「せやけど箱さんー、大活躍ですねー」
吉野がそう言った。
「っんなアホな」
「だって、見てくださいよー。この大観衆の中、箱さん、試合してるんですよー」
「こんな経験、初めてや。案外、血が騒ぐもんやな」
箱崎は「あはは」と笑った。
相沢は、箱崎の肝っ玉の太さに、この試合は勝てると確信した。
「よし、箱さん。頼むで!」
「箱さんー、ハワイですよーハワイ」
「ハワイかあ・・夢のようやな」
三木は、ホノルル空港でレイをかけられている自分を想像していた。
そして箱崎もコートに着いた。
すると皆川は、重富の指導通りに「フフフ・・」と箱崎を見て笑った。
そして「こんな策があったとはな」と続けた。
箱崎は、多少不気味に感じたが、気に留めるそぶりを見せずにボールを手にした。
「もう勝ったようなもんや・・」
皆川はレシーブの構えをしながらそう言った。
それでも箱崎は意に介することなく、サーブを出した。
下回転の短いサーブが、皆川のバックコースに入った。
皆川は、なんなくツッツキで返したが、ボールは少し高く上がった。
よし・・これを打って決める!
箱崎は力一杯スマッシュを打った。
するとボールはネットインして、皆川は完全にタイミングを狂わされた。
それでも皆川は、ふらつく足で踏ん張りながら、懸命にボールを拾った。
おっ・・返したか・・
箱崎は驚いたが、返球は再びチャンスボールだ。
そして箱崎はもう一度スマッシュを打った。
フォアに入ったボールを皆川は懸命に追ったが、無情にも間に合わず、20-18と箱崎はラストを迎えた。
「よーーし!」
箱崎はガッツポーズをした。
「箱さん!ナイスボールや!」
「箱さーーん!あと1本!」
「ひゃあ~~すごいで~~」
相沢らは、やんやの声援を送っていた。
「じいさん!今のはしょうがねぇ!ここ1本だーーー!」
中川も懸命に檄を飛ばした。
「皆川さぁ~~ん、ここからですよぉ~~」
「しっかりーー!」
「1本、1本!」
日置は思った。
サーブをバックに返球すれば、たとえ高く返っても箱崎に回り込みはない、と。
それは皆川とて同じだが、まずは箱崎に打たせないことだ、と。
「バック勝負だよな」
八代が言った。
「そうなんだよね」
「慎吾、アドバイスしたら?」
「まさか」
日置は、自分がアドバイスするのは違うと思った。
なぜなら相手は『たまたまおっさん』であり、自分は『応見』の監督でも何でもないからだ。
しかし、決勝へ行くには皆川に勝ってもらわねばならない。
日置は、どうしたものかと困惑したが、黙って見守るほかないと気持ちを抑えた。
―――その頃、悦子と朝倉は。
遠くで試合を観ていたが、『たまたまおっさん』が勝ち上がって来ることには、歓迎ではなかった。
いや、相手が『たまたまおっさん』なら、余裕で優勝は出来る。
けれども、森上や阿部といった、せめて「これから」の選手と対戦したいと望んでいた。
この二人は日置の教え子であるから、尚更だ。
「たまたまおっさん・・」
朝倉がポツリと呟いた。
「そやねんな・・」
悦子は朝倉の意を理解していた。
「この大観衆の中よ・・決勝戦よ・・」
「あのおじいさん、挽回してくれんかな」
「でもね・・ラスト1本よ。無理だと思うわ」
「まあなあ・・」
けれども日置や彼女ら、悦子と朝倉の願いもむなしく、『応見金属』は負けたのだった。
これで悦子らと、完全に対戦できなくなった中川は、「ぐぬぬ・・」とまだ諦めきれない様子だった。
日置も彼女らも、こればっかりは仕方がないと納得し、「きみたち、学校へ行く?」と訊いた。
そう、練習のことだ。
「でも、クラクラの試合、ちゃんと観たいですし、それが終われば練習に行きます」
阿部が答えた。
「うん~私も観たいですぅ~」
「そうだね。クラクラは観た方がいいね」
そして八代を交えた日置ら一行は、観客席へ向かった。
するとそこへ「日置くん」と相沢が声をかけてきたのだった。




