182 負けても諦められない
2セット目の出だしは、まさに絶好調というべき出来栄えであった。
とはいえ、相手は百戦錬磨のプレーヤーだ。
結局、3-2で重富と中川はリードしたものの、すぐに同点となり、そしてあっという間に逆転された。
そう、板を苦手としていた中野も徐々に慣れ、確実にボールを悦子に繋ぎ、どんどん点を重ねて行った。
現在、試合も中盤に差し掛かり、15-8と悦子らが大きくリードしていた―――
「重富よ」
中川が悦子らに背を向けて呼んだ。
「なに?」
「これ以上離されると、挽回はきついぜ」
「そうやな・・」
「助手も、おめーのボールに慣れてきたしよ」
「うん・・」
「なんかねぇかな・・うーん・・」
中川と重富が考えを巡らせている間、日置は思っていた。
これ以上の策は、もうない、と。
なぜなら、中野がミスをする間は、なんとか食らいついて行けたものの、中野はミスをしなくなった。
ボールを確実に悦子に繋ぎ、それを決める。
重富と中川が、どれだけブロックしようとも、苦手意識を払拭した百戦錬磨プレーヤーに対しては成す術がない、と。
「重富さん!中川さん!」
日置が呼ぶと、二人は振り向いて日置を見た。
「根負けしちゃダメだよ!」
二人は黙って頷いた。
「そうさね。重富」
「ん?」
「私らは、守ってなんぼのペアじゃねぇか」
「うん」
「とことん守り抜いて、食らいついてやろうじゃねぇか!」
「うん、わかった」―――
一方で悦子は、日置の「アドバイス」を聞いて、策がないことを悟った。
いや、たとえどんな策を講じようとも、それを中川と重富が忠実に熟すことなど無理だということもわかっていた。
なぜなら、彼女らには自分たちを超える技術がないからだ。
「おい、中野」
悦子はラケットで口元を隠しながら呼んだ。
「なに?」
「ここは、一気に畳みかけるぞ」
悦子は、絶対に二桁を取らせてなるものかと、強い眼差しで中野を見た。
「よっしゃ」
ここに来て、中野はもう悦子に怯えることはなく、平常心を取り戻していた。
そして試合は再開され、中野と悦子の怒涛の攻撃が彼女たちに襲い掛かっていた。
2セット目の前半のラリーも、まるで嘘だったかのように、館内は静まり返っていた。
一方で、館内の半分の観客席では、『たまたまおっさん』と『応見金属』との試合で盛り上がっていた。
そう、相沢、吉野対森上、阿部のダブルスの試合だ。
阿部と森上のコンビネーションは抜群で、たとえ相沢であろうと対応に苦慮していた。
なぜならペアは吉野だからである。
相沢と吉野とでは、その実力差でバランスに欠いた。
一方で、森上がスーパードライブを放つと、その返球に対し阿部は速攻でスマッシュを決めていた。
けれども『応見金属』は、ダブルスを取って次の森上が取ったとしても、ラストはどうなるかわからない。
その意味で、まだまだ勝敗の行方は神のみぞ知る、という戦況だった。
そして中川たちは、結局挽回できずに、21-9で負けた。
中川は思った。
むしろ男性の中野より、女性である悦子にとことんしてやられた、と。
これが三神の実力なんだ、と。
そう考えると、予選まで時間がない。
三神に勝つためには、今まで以上に死に物狂いで練習しなければ勝てない、と。
重富は思った。
守りだけでは勝てない。
おそらく三神は守っているだけではミスはしない。
打ち抜く力がないと、インターハイには行けないのだ、と。
「お疲れさま」
ベンチに戻った二人に、日置がそう言った。
「疲れてなんかねぇさ」
中川は悔しさが表情に滲み出ていた。
「竹林さん、どうだった?」
「ふんっ。ゼンジーめ。悔しいが認めるしかねぇよ」
「ゼンジー?」
「っんなこたぁいい」
「いい経験になったでしょ」
「おうよ!やってよかったぜ」
「重富さんはどうだった?」
日置は重富に目を向けた。
「なんというか・・打ち抜く力がないと勝てないと思いました」
「重富さん」
「はい?」
「確かに打ち抜く力があると、とてもプラスになるよね」
「はい」
「でもね、きみは板なんだ。きみはその「いらやしさ」をまだ出せてない」
「え・・」
「送るコース、これが大事なんだよ」
「・・・」
「予選まで、それを徹底的にやるからね」
「そう・・ですか・・」
「もちろん、打つ練習もする。きみが言うように、打ち抜く力も必要」
「はい」
「でもそれは、「いやらしさ」と繋がってるの。相手に嫌だな、と思わせてチャンスを作る。そしてそれを決める」
「はい」
そして双方のチームは台に整列し、審判が勝敗の旨を告げると互いに一礼した。
「よう、ゼンジー竹林さんよ」
悦子らが下がろうとすると、中川が声をかけた。
悦子は「ゼンジー」と呟いて、「あはは」と笑っていた。
「とてもいい経験をさせてもらった。ありがとな」
「せやけどあんた、めっちゃおもろいな」
「なにが面白いんでぇ」
「その言葉もそうやし、なにより、怯まんところがええわ」
「怯むってか。はっ、言ってくれるじゃねぇか」
「え?」
「怯んでしまえば、そこで終わりさね・・」
「え・・」
「ナイフが刺さってだな・・命は終わるんでぇ・・」
「あ・・あの、すみません。この子、時々、わけわからんことを言うんです」
中川の隣に立っていた重富は、慌ててそう言った。
「あはは。まあええ。ほな、またな」
悦子は軽く手を振って、朝倉の元へ行った。
「うむ。ゼンジー・・なかなか出来た人だぜ」
「え・・」
「人間がぶっといって言ってんだよ」
「それって、余裕ってことやんな」
「おうさね。強ぇから余裕をかませられるんでぇ」
「私らも頑張らなな」
そして二人はベンチに下がった。
「きみら・・」
大村が声をかけた。
二人は黙ったまま大村を見た。
「すごくええ試合やった」
「そうでもねぇさ」
中川は優しく微笑んだ。
「いや、ほんまにええ試合やった」
すると山内ら三人も「大村の言う通りや」と言った。
「負けちまって、済まねぇ。でも出来るだけのことはやったつもりだ」
「そんな・・負けたことなんて何でもないで・・」
「僕らだけやったら・・そもそも勝ち抜くことすらでけへんかったし・・」
「なんか・・きみらの試合観てて・・自分が恥ずかしなったわ・・」
彼らは、今までの自分たちを悔いていた。
「もう試合は終わったんだ。それ以上言うんじゃねぇ」
「あの・・これからも頑張ってください」
重富は彼らにそう言った。
「うん、ありがとう」
するとそこで「文子~~~!」と観客席から昌朗が呼んだ。
重富は観客席を見上げて手を振った。
「お前、ようやった!」
「うん、ありがとう~」
「バイト代、弾んだるからな!」
「あはは。ほんまにそうしてや~」
「中川さん!」
昌朗は中川を呼んだ。
「おうよ!」
「きみも、よう頑張った!これからも文子のこと、頼むで!」
「あたぼうよ!」
中川はそう言って右手を高く突き挙げた。
「さて、きみたち」
日置が呼んだ。
「阿部さんと森上さんの応援に行くよ」
「おおっ!それだ!」
「はいっ」
そして日置ら三人は、試合が行われているコートへ向かい、大村ら四人は観客席へ向かった。
「そういや先生よ」
歩きながら中川が呼んだ。
「なに?」
「ゼンジーのこと、何度もえっちゃと言ってたけどよ、えっちゃってなんでぇ」
「あはは、っていうか、ゼンジーってなんなの?」
「先生、聞いてなかったのかよ」
「なにを?」
「ゼンジー竹林は、ゼンジー北京の真似をしたのさ」
「へぇー」
「で、えっちゃってなんなのさ」
「ああ、実は竹林さんは大学の同期なの」
「え・・」
「昔っからの知り合いなんだよ。で、名前は悦子。だからえっちゃんって呼んでるの」
「なんだよ、それ。どうして黙ったてんでぇ」
「別に隠すつもりはなかったんだけど、先入観無しにっていうか、そんな感じかな」
「ふーん」
「先生」
重富が呼んだ。
「ん?」
「森上さんと阿部さん、クラクラに勝てますかね」
「こればっかりは、やってみないとわからないけど、面白い対戦になると思うよ」
「ゼンジーと森上をあたらせてぇな・・」
「そうだね」
「っていうかよ!私が応見に入りてぇぜ!」
「あはは、いくらなんでもそれは無理」
「私かて・・もっかいやりたいです」
日置は思った。
桐花のメンバーで対戦すれば、本当にどうなるかわからないぞ、と。
勝てないにせよ、相手を追い詰めることはできる、と。
例えば森上が朝倉と対戦すれば、勝てる可能性は低くない。
そして阿部と森上のダブルスなら、中野と悦子といい勝負ができるに違いない。
これで2点取れば、残りは三人の誰かが1点取ればいいわけだ。
けれども実際、そう上手く事が運ぶわけでもない。
相手は何といっても実業団の現役プレーヤーなのだ。
それでも来る予選に向けて、これ以上の実戦経験はないであろう、と。
「気持ちはわかるけど、きみたちは文久で出たんだから、それは無理。というか、ルール違反」
「くっ・・ルールには逆らえねぇよな」
「そらそうやな・・」
中川も重富も、ガクッと肩を落とした。
「焦らなくても大丈夫。きみたちはえっちゃんたちと対戦できたんだし、とてもいい経験をした」
「そりゃそうだけどよ・・」
「精一杯、応援しよう」
「先生よ・・」
「ん?」
「ゼンジーと誼なんだよな」
「へ?」
「ダチなんだろ」
「は?」
「かぁ~~察しのわりぃやつだな」
「やつ・・」
「いやっ・・済まねぇ。っていうか、私の言いたいことわかってんだろうがよ」
「きみ、口を利けって言ってるの?」
「おうよ」
「そんなこと、できるわけないでしょ」
「中川さん、それはあまりにも無理やで」
重富もそう言った。
中川の考えとは、こうだ。
自分と重富が『応見金属』に、助っ人として入る。
けれども『文久薬品』として試合に出た二人が、別のチームで参加するのは違反だ。
そこで、『クラクラチーム』に事情を話して、桐花の四人で試合をしてもいいかと説得を試みる。
日置と悦子が友達であれば、それが可能だろうと中川は思ったのだ。
「くそっ・・指を銜えて見てろってのか・・」
「仕方がないよ」
日置は困った風に苦笑した。
けれども中川は、まだ諦めていなかったのである。




