18 自滅寸前の加賀見
―――「さて、森上さん、練習しようか」
翌日の午前七時四十分、やっと森上の練習を始めることになった。
日置は森上に素振りは必要ないと判断し「ラリーするからね」と言って台に着いた。
「はいぃ、よろしくお願いしますぅ」
森上もラケットを持って台に着いた。
そしてフォア打ちが始まった。
森上のボールは、ラバーの影響もあるが、スパーンと伸びて来るボールだ。
日置は、森上には男性も使用する、極厚のラバーを貼っていた。
極厚は、読んで字のごとく、スポンジが厚く、ボールのスピードもさることながら、ドライブの回転や威力は並ではないのだ。
日置は緩めにボールを送っていたが、なんなく打ち返す森上に、少しスピードを上げた。
さすがの森上も、ミスを連発していたが、それでも打ち返しはした。
そう、ラケットコント―ロールを間違えているだけで、空振りはしないのだ。
「試合に出るとね、今以上のスピードでラリーが続くから、今後は、もっとスピードを上げるからね」
「はいぃ」
「じゃ、100本続けるよ」
「はいぃ」
小屋の中には、まるで経験者同士が打っているかのような、スパーンという音が響き渡った。
日置は、まさに体が震える思いがした。
この子は、こんなもんじゃない・・
教えることは全部できるはずだ・・
日置は、森上の成長を想像した。
ショート、ツッツキ、カット打ち、サーブ・・
そして、ドライブだ・・
この子の武器は、ドライブなんだ・・
日置は、一日も早くドライブを教えたかったが、焦っては事を仕損じる、を肝に銘じて、とにかく基本であるフォア打ちを徹底的に行うと決めていた。
その他の基本も、もちろん徹底してやるべきと考えていた。
それらを習得した後は、1000本ラリーだ。
そして確実に狙ったところへボールを入れるよう、連打も必要だ。
部員が二人しかいないことで、他のラバーの対応も必要だ。
阿部はまだまだ素振り段階で、表の対応も無理だ。
それにカットマン対策だ。
日置は、自分がカットをしようと考えていた。
日置くらいの上級者ともなると、真似事ではあるがカットくらいはできるのだ。
日置は教えることが多すぎて、とても嬉しく思っていた。
選手は我が子であり、我が子の成長を見ることほど、幸せなことはないからである。
それでも日置は、練習時間の不足に頭を痛めていた。
森上が、あの子たちと同じくらいに練習できたなら、六月末の一年生大会では、間違いなく優勝できるであろう、と。
けれども、森上は土日にはアルバイトをすると言った。
試合は、概ね日曜日だ。
どうしたものか・・と日置はそんなことを考えながら、ラリーを続けていた。
「先生ぇ・・」
森上は打ち返しながら、日置を呼んだ。
「なに?」
「もう・・100回以上ですけどぉ」
「ああ、ごめん。でも続けるだけ続けよう」
「はいぃ」
そして259回目で森上がミスをした。
「ああ・・すみませぇん」
「いやいや、ぜんぜんいいよ。250回以上も続くなんて、まさか思ってなかったよ」
「そうですかぁ」
「もっと上達したらね、1000回ラリーやるからね」
「へぇ・・1000回ですかぁ」
「無理だと思う?」
「いえぇ、出来ると思いますぅ」
森上は平然とそう言ってのけた。
そう、森上は強がって言ったのではなく、本当にそう思っていたのだ。
そして八時二十分まで、練習は続いた。
「もしね、もう少し早く来れるようだったら、遠慮なくそう言ってね」
練習を終えた後、日置がそう言った。
「はいぃ」
「きみは、絶対に大きな選手に育つ。僕がそうしてみせるよ」
「そうですかぁ」
「それで、アルバイトはもう決めたの?」
「ああ・・商店街のパン屋さんで働こうかと思てるんですぅ」
「へぇー、いいね」
「まだ、決まってないんですけどぉ」
「そっか。あまり無理しないようにね」
「はいぃ」
「それとね、六月末に一年生大会があるのね。それにきみを出したいと思ってるんだけど、日曜日なんだよ」
「日曜日ですかぁ・・」
「アルバイトだもんね」
「はいぃ・・すみませぇん」
日置は、焦ってはいけないと自重した。
今年のインターハイ予選は、すでに終わっている。
森上の場合は、シングルのみだ。
阿部が成長すればダブルスを組めるが、阿部の成長も未知数だ。
日置は、どんな試合でも森上を積極的に参加させたいと思っていた。
地域のオープン戦であれ、小規模な大会であれ、とにかく場慣れをさせよう、と。
けれども現実は、森上家の事情が立ちはだかっている。
こればかりは、日置にもどうすることもできないのである。
―――「中尾さん、休み時間になったら職員室へ来なさい」
朝のホームルームが終わったと同時に、加賀見が中尾にそう言った。
「また、あの話ですか」
「そうです!」
「もう、私ら行ってませんて!ほんで、なんで私だけなんですか」
中尾は立ち上がり、自分だけが呼び出されたことに不満を抱いた。
「木元さんも、石川さんも、昨日は家にいてました」
そう、加賀見は木元と石川にも、昨日、電話をかけていたのだ。
「私かて、いてましたやん!」
「あなたは、あの後、いかがわしい所へ出かけたでしょう!」
「だから、行ってませんて!」
「いいです。授業が始まりますから、とにかく後で来なさい」
加賀見はそう言って教室を出て行った。
その実、木元と石川は、「あの店」に行ったことが学校にバレたことで、「委縮」していた。
行ったのも、たまたまであったし、不良男子のことも、怖いと思っていたのだ。
けれども、「また行こうや」という中尾の前では、強がりを見せて同調していたのだ。
そう、逆らえなかったのである。
そして昨日、家にまで電話がかかって来たことで、両親から問い質されていた。
その際、こっぴどく叱られ、二人は懲りていたのだ。
そして休み時間。
「りっちゃん、職員室、行かへんの」
木元が訊いた。
「誰が行くか」
中尾は木元を睨みつけた。
「でも、行かんかったら、加賀見・・またうるさいで」
石川がそう言った。
「あんたらさ、なんか知らんけど、免除してもろてええやろけどさ、なんで私一人なんよ」
中尾がそう言うと、二人は黙っていた。
「とにかく私は行かへん」
中尾は席に座ったまま、立とうとはしなかった。
―――職員室では。
「なにやってるんよ・・」
加賀見は独り言を呟いた。
「加賀見先生、どうしたんですか?」
隣の席に座っている、小谷が訊いた。
「いや・・中尾さんを呼び出したんですけど、来ないんです」
「ああ・・」
小谷は「あの件」かと察した。
「あの子、私を舐めてます」
「もう行ってないんと違うの?」
「そんなんわかりません」
そこに「ひおきん~~」と言いながら、三人の女生徒が入ってきた。
「どうしたの?」
「これ、食べてください~」
女生徒たちは、日置に弁当箱を渡していた。
赤やピンクのハンカチに包まれた、なんとも女子らしい可愛い箱だ。
「え・・」
「私、朝から作ったんです~」
「私も~」
「私も早起きして作りました~」
「そうなんだ。ありがとう」
日置はニッコリと笑って、弁当箱を受け取った。
すると三人は「きゃ~~」と頬を赤く染めていた。
「それ、食べても洗わなくていいですから~」
「そうそう、持って帰りますから~」
「私、箸は、保存します~きゃ~」
「まさか。洗って返すよ」
「ええんです~、ひおきんが食べてくれはるだけで~嬉しいんです~」
「むしろ、洗ってほしくないんです~」
「そうそう、洗わんといてください~」
日置は、参ったな、という風に苦笑した。
「中に~手紙も入れてありますので、読んでくださいね~」
「ええ~さっちゃん、そんなんずるいい~」
「抜け駆けやん~」
「わかったわかった。手紙も読むし、これも洗わないから。もうすぐ授業が始まるから教室へ戻りなさい」
「はーい!」
そして三人は慌ただしく職員室を出て行った。
他の教師たちは、ある意味「日常」のことなので、さして気にかけることもなかったが、その様子を見ていた加賀見は、無性に腹が立っていた。
「日置先生」
加賀見は日置の席へ行った。
「なんですか」
「女生徒からお弁当をもらうやなんて、どうかと思いますけど」
「は・・?」
「ああいう場合は、断るべきやと思いますけど」
「せっかく作ってくれたのに、どうして断らないといけないんですか」
「教師として、他の生徒に示しがつきませんよ」
隣で話を聞いていた堤は、うんざりしていた。
「あのな、加賀見先生」
堤が口を挟んだ。
「なんですか」
「こう言うたらなんやけどな、僕かて、こないだ生徒から弁当もろたで」
「え・・」
「きみ、その時、おったがな」
「そ・・そうでしたっけ」
「僕はよくて、日置くんはあかんのか」
「そ・・そういうわけじゃないですけど・・」
「きみ、なんでそこまで日置くんに拘るんや」
「拘ってなんかいません!」
加賀見は図星を突かれて、思わず怒鳴った。
「きみもな、生徒から弁当貰えるようになってくれよ」
「わ・・私は、弁当なんていりません!」
「はあ・・僕の言うてる意味もわからんのか。もうええわ」
そこで堤は教材を抱えて、日置の肩をポンと叩いて職員室を出て行った。
日置も体育館へ向かうべく、席を立った。
「ひ・・日置先生」
「なんですか」
日置は迷惑そうに返事した。
「人気があるからと言うて、ええ教師やとは限りませんからね」
「そうですか」
日置は加賀見を見ずに、そのまま職員室を後にした。




