177 相手を許す
その後、重富は日置の指示通り、カット打ちを混ぜながら、板倉を前後に揺さぶっていたが、ストップが甘く返り、スマッシュを決められていた。
けれども一方では、重富は板倉のフォアドライブを止めていた。
来る日も来る日も、日置のドライブを受け続けて来た重富は、けして台から離れず、バウンドしてすぐに返球していた。
板倉自身の威力が残ったまま返るボールに対して、板倉はカットせずにスマッシュを打ったが、ミスも多かった。
板のボールは独特なナックルなので、どうしてもミスをしてしまうのだ。
「重富~~!ナイス守りでぇ~~!それだ~~~!」
中川は、俄然興奮していた。
「そうそう、それだよ!」
日置も大きな声援を送った。
うーん・・この重富さん、やりにくいな~・・
俺のドライブ・・あんな返すんや・・
板倉は、呑気にこう思っていた。
「こらーー!板倉!」
悦子が叫んだ。
板倉は黙ったまま振り向いた。
「ドライブ、バックに送ってどないすんねん。フォアや、フォア」
板倉は「うん」と頷いて、コートに向きを変えた。
「板倉くん、バックだと重富さんは回り込まないと思ってるのよね」
「そんな消極的な安全策で、どないやねんっちゅう話や」
「板倉くん!」
朝倉が大声で呼んだ。
「なに?」
再び振り向いた板倉は、朝倉には返事をした。
「おめー、タラタラやってんじゃねぇわよ!」
なんと朝倉は、中川の言葉を真似たのである。
「えっ・・ひなちゃん・・」
悦子は唖然としたまま、朝倉を見ていた。
それは板倉も同じだった。
中野も「朝倉さん・・」と呟いていた。
「チームメイトには、おめーって言ってもいいわよね」
朝倉は、何事もなかったようにニッコリと笑った。
―――一方で、日置らは。
「えっ・・朝倉さん、今、おめーって言ったよね」
日置は独り言のように呟いた。
「あはは!朝倉さんとやら、おもしれぇじゃねぇか。気が合いそうだぜ!」
「こらこら、中川さん」
「いやいや、あれくれぇじゃねぇと、いけねぇぜ」
「重富さん!ここは我慢だよ!」
カウントは後半を迎え、18-16で板倉がリードしていた。
「重富~~!ここは離されんじゃねぇぞ~~!」
中川は、より一層大きな声を挙げた。
そんな中、館内ではか弱い女子高生が男性相手に互角に戦っている様子を見て、徐々に「重富~~頑張れ~~」という声援が起こり始めていた。
それは父親である昌朗も同じだった。
「文子~~!粘れ~~!頑張れ~~!」
昌朗は、観客席から必死の声援を送っていた。
「なあ・・僕らも応援せな・・あかんのとちゃうか・・」
代田は、周りを見回しながらそう言った。
「そ・・そやな・・」
小松がそう答えた。
「重富さんが勝ったら・・僕まで回って来る・・どうしょう・・」
山内は、まだそんなことを言っていた。
「そやな・・重富さん、頑張ってるんやし・・応援せなな・・」
大村もそう言った。
そこで四人は一歩前に出て、「重富さん!頑張れ!」と声を出し始めた。
彼らを見て、黙っていなかったのが中川だ。
中川は彼らの方を向いた。
「おめーらの、薄汚ねぇ応援なんざいらねぇぜ」
中川の言葉に彼らは口を噤んだ。
「中川さん」
日置は強い口調で制した。
「きみ、僕の言ったこと、まだわかってないの」
中川は日置を見上げた。
「腹を立てるな」
「わかってる」
「じゃ、重富さんを応援することだけ考えて」
けれども中川は話を続けた。
「おめーらは、負けるために来たようなもんだ。そんなおめーらが応援すっと、重富の「ツキ」が落ちてしまうんでぇ」
「・・・」
「縁起が悪いっつってんのさ」
そして中川はコートに向きを変えた。
「きみって子は・・」
「先生よ。堪えてくんな。でも、もう何も言わねぇ」
「ほんとだね」
「ああ。男に二言なんて、ありゃしねぇのさ」
「男・・」
「おらあ~~重富~~ガンガン行けぇ~~!」
―――一方、重富は。
日置と中川の声援を背中で受けながら、どうするかと考えていた。
よし・・この1本取ったら・・サーブチェンジや・・
19-16になるんと、18-17とでは、えらい違いや・・
ここは・・絶対に引き離されたらあかん・・
板倉さんは・・絶対にドライブで勝負してくるはずや・・
となると・・サーブはロングやな・・
フォアへ送ると・・ドライブかけられる・・
そしたら・・コースはバックやな・・
そして板倉は、バックコースに上回転のロングサーブを出した。
バックに入ったボールを、重富はそのままバッククロスへ返した。
そこで板倉は、待ってましたと言わんばかりに、すぐさま回り込みドライブをかけに行った。
そう、板倉はこのボールを待っていたのだ。
ボールはフォアストレートに入った。
バックに打って来ると思っていた重富は、裏をかかれて対応が遅れた。
思わず重富は、下がりそうになった。
――絶対に台から離れないこと
重富の頭に一瞬、日置の言葉が浮かんだ。
そうや・・離れたらあかん・・
そして重富は台に着いたまま、動きは遅れつつも懸命にラケットを出した。
バウンドしてすぐに打ったボールは、そのままフォアクロスへ入った。
板倉は返って来るとは思わず、慌ててフォアへ移動した。
そしてもう一度、ドライブをかけに行った。
体勢が十分でなかった板倉のドライブは、山なりに重富のコートに入った。
これ・・打った方がええのか・・
重富はそう考えたが、相手は男性のドライブである。
山なりとはいえども、回転は恐ろしいくらいかかっているのだ。
そこで重富は、打つと見せかけつつ、バウンドしてすぐに、絶妙なラケットコントロールでネット前に落とした。
再び慌てた板倉は、全速力で前に駆け寄ったが、一歩間に合わなかった。
「サーよしっ!」
重富は、渾身のガッツポーズをした。
「おおおお~~~!」
館内は、重富の技に歓声が響き渡った。
「文子~~!お前、すごいぞ~~!」
昌朗も興奮していた。
「重富~~~!よく取った!おめーー最高だぜっ!」
中川は右手を大きく挙げた。
「ナイスボール!」
日置も拍手を送っていた。
―――一方で、クラクラベンチでは。
「板倉ーーー!なにやってんやーー!」
悦子は怒り心頭だ。
「板倉、ここは1本やぞ!」
中野は手を叩きながら、落ち着けといわんばかりだ。
「おめーーしっかりしなくちゃ、タダじゃおかないわよ!」
朝倉は、また「おめー」と言っていた。
板倉はその場で「ふぅ~」と息を吐いていた。
重富さん・・うまいなあ・・
あれをストップするか・・
板倉は、こう思いつつも焦りはなかった。
なぜなら「本業」のカットがあるからだ。
よし・・ここは、重富さんに打たせよか・・
板倉はツッツキとカットに専念することに決めた。
その頃、大村たちは、今しがたの重富のファインプレーに驚愕していた。
いや、これまでも何度も驚いた。
到底、自分たちでは出来るはずもない技を見て来た。
けれども、今のはなんだ、と。
男性のドライブを、あんな風に返せるのか、と。
大村は思っていた。
たかが女子高生やない・・
重富さんも・・中川さんも・・僕らとは住む世界が違う・・
違うけど・・
僕らは・・このままでええんか・・
後ろに引っ込んで・・
僕なんか・・棄権までして・・逃げた・・
そこで大村は、中川の元へ行った。
「中川さん」
中川はチラリと大村を見た。
「僕・・いや、僕ら、悪かった」
「え・・」
「きみらに任せっきりで・・ほんで勝つ気もなかった」
「・・・」
「僕は棄権して逃げた・・そやけど・・」
「・・・」
「そやけど・・重富さんの必死なプレーを見てて・・情けないと思たんや・・」
「・・・」
「せめて・・応援だけでもさせてくれへんかな・・」
「大村さんよ」
大村は黙ったまま中川を見ていた。
そして、何を言われても仕方がないと思っていた。
「よーーし、それでこそ男ってもんよ!おうさね!全力で重富を応援してくんな!」
そして中川は「おめーさんたちもだ!」と他の三人にもそう言った。
日置は中川を見て、ニコニコと微笑んでいた。
偉いよ、中川さん・・
僕は、わかってたよ・・
相手が頭を下げると・・きみは許す人間だ、と・・
「一緒に、応援しましょう」
日置もそう言うと、彼らは「重富さん、頑張れ~~!」と重富の背中に声援を送った。




