175 挑発する相手
フロアには、準決勝二試合を行うための台が、二台になっていた。
中央にフェンスが置かれ、左右それぞれ一台ずつ使用するというわけだ。
だだっ広いフロアにポツンと置かれた卓球台。
一種異様な雰囲気と見たこともない光景に、文久の男性陣は圧倒されていた―――
「なんや・・この雰囲気・・」
代田は、今にも帰りたそうな様子だ。
「僕かて・・こんな中で試合したことないし・・」
小松も気が引けていた。
「観客席かて・・」
山内がそう言うと、四人は館内を見回した。
そう、観客席には、どのチームがハワイ旅行を手にするのだ、といわんばかりに興味津々で大勢の者がフロアを見下ろしていた。
それだけではない。
フロアにも、コートの後ろで見守る者たちが立ち見をしていた。
重富は、大勢の前で試合することは、ある意味平気であった。
なぜなら、元演劇部だった重富は、舞台に立つことが喜びたったからである。
しかも、昨年の団体戦とは違い、重富は実力をつけた。
臆する理由がないのである。
一方で中川も、言うに及ばず、誰が何人見ていようが意に介すわけがない。
『愛と誠』の芝居を行った時もそうであったし、合宿の際、宿泊客を前にしてもリクエストに応えては歌い上げていた。
そう、この二人は臨戦態勢は整っていたのだ。
彼らの言葉を聞いた中川は、それでも何も言わなかった。
自分は自分の仕事をする。
それだけでいいのだ、と。
「オーダーやけど・・ど・・どうする・・?」
大村は重富に訊いた。
「大村さんたちが決めてくれはったらええですよ」
「決める言うたかて・・」
大村は、彼らを見た。
彼らは腰が引けて、何も言えずにいた。
「な・・中川さん・・」
大村が呼んだ。
中川は黙ったまま大村を見た。
「オーダーやけど・・」
「おめーさんたちで決めてくんな」
「ま・・まあ・・そやな。ここまで勝ち進めたことが奇跡みたいなもんやし。別に負けてもええし・・」
「あの・・」
そこで重富が口を開いた。
「なに?」
「私ら、負けるつもりはありません」
「え・・」
「大村さんたちが決められへんのやったら、私らで決めてええですか」
「え・・ああ・・うん」
「中川さん」
重富が呼んだ。
「おうよ」
「私らで決めるで」
「おめーさんら、それでいいんだな」
中川は彼らに訊いた。
「うん・・かめへん・・」
「それでええで・・」
「きみらだけ・・出るっちゅうんは無理なんか・・」
中川は、彼らの返答に落胆さえしなかった。
「重富」
中川が呼んだ。
「うん」
「相手は男と女がそれぞれ二人ずつだ。ここは、女同士が有利だ」
「そやな」
「するってぇと・・向こうさんは先に一点取りに来ると見て、トップは男さね」
「うん」
「で、こっちも男で行く、と。まずは大村だな」
「それがええと思う」
「二番は重富、おめーだ」
「わかった」
「で、ダブルスは私らだ。問題なのが四番とラストをどうするかでぇ」
「どうするて?」
「もしよ、ラストまで回ったとしたら、あいつらじゃ勝てねぇ」
「そうやな。でもさ、四番まで回らんとしたら、中川さん、シングルできんと終わるやん」
「けっ、重富よ」
「なに」
「ダブルス、ぜってー負けるつもりはねぇ。無論、おめーのシングルもさね」
「ほんなら・・やっぱりラストまで回ると想定して、ラストは中川さんやな」
「よし。四番は山内だ。これで行くぜ」
そして重富は、彼らにオーダーを報せた。
すると大村は「僕がトップ・・」と顔面蒼白になっていた。
山内に至っては「どうか回ってこないでくれ」と願う始末だった。
代田と小松は、自分たちが外されて胸をなでおろしていた。
そして無責任に「大村、頑張れよ」と言い放っていた。
中川と重富は、自分たちなりにオーダーを考えたつもりだったが、見事に外れていたのだ。
『クラクラチーム』のオーダーはこうだ。
トップ、竹林
二番、板倉
ダブルス、中野、竹林
四番、朝倉
ラスト、中野
挨拶を終え、ベンチに下がった重富と中川は「外れたな」と苦笑していた。
「トップの竹林が、三神出身でぇ」
「へぇ、そうなんや」
「くそっ・・あたりたかったぜ」
中川はシングルのことを言った。
「でもさ、ダブルスであたるやん」
「おうよ、それさね。体がウズウズしやがるぜ」
「私は板倉さんか・・」
「重富さん、中川さん」
コートの後方で、日置が呼んだ。
二人は顔を見合わせて、日置の前まで走って行った。
「重富さんの相手の板倉くんは、裏裏のカットマンだよ」
「そうなんですね」
「それと中野くんは裏のペンドラ。竹林さんは裏ペンのオールラウンド」
「オールラウンドたぁ、なんでぇ」
「前陣も中陣も後陣も、何でも熟せるオールラウンドプレーヤーだよ」
「ほーう」
「きみたち、頑張るんだよ」
「はいっ」
「あたぼうさね」
―――コートでは。
悦子と大村がフォア打ちを始めていた。
けれども大村は、足が地につかず、悦子のボールの勢いに押されラリーが続かない有様だった。
「なんや。ラリーも出けへんのかいな」
悦子は大村を嘲笑した。
「え・・」
「続けてくれんと練習にならんのやけど」
「・・・」
「よう準決まで勝ち進めたな」
「・・・」
大村は、悦子の挑発に何も言い返せないでいた。
そう、悦子は中川にではなく、男性を挑発してやろうと決めていた。
その実、悦子は男性陣に腹を立てていたのだ。
曲がりなりにも男だろう、と。
それを、中川が無礼を働いたとはいえ、自業自得じゃないのか、と。
「え・・えらい・・無礼な女やな・・」
大村は、やっとのことで言い返した。
「まあええわ。とっとと始めよか」
「えっちゃ~ん、相手は男性よ。かなり強いんじゃない~」
朝倉が後方からそう言った。
そう、朝倉も挑発してやろうと思っていた。
「ああ、確かにそうや。舐めとったら痛い目に遭うとこや」
「どんなにすごいのか、見せてもらいましょうよ~」
「よーし、気合いを入れ直さんと」
悦子はそう言って「1本!」と大声を挙げた。
すると大村は、自分がサーブにもかかわらず、呆然と立ち尽くしたままだった。
「大村さん」
悦子が呼んだ。
「え・・」
「はよ、すごいサーブ出してぇな」
悦子はレシーブの構えをしながら、また嘲笑していた。
大村は、何とか気を取り直し、バッククロスへロングサーブを出した。
すると悦子はすぐさま回り込み、矢のようなスマッシュをフォアストレートに打ち込んだ。
大村は唖然としたまま、一歩も動けなかった。
「サーよしっ!」
悦子は左手で力強くガッツポーズをした。
「えっちゃ~ん、今のはまぐれかも~。次はきっと、すごいサーブを出すはずよ~!」
「おーう」
悦子は背中で答えた。
大村に、悦子に通用するサーブなどあるはずがなかった。
その後、大村はサーブを出すも、全て悦子にスマッシュで返されていた。
カウントは、当然のように5-0になっていた。
そして次は悦子のサーブだ。
悦子は一切手を抜くつもりなどなかった。
徹底的に叩きのめしてやる、と。
悦子のサーブを、大村は1本も返すことができずに、カウントは10-0だ。
「タ・・タイム・・」
大村は審判にそう言って、トボトボとベンチに下がった。
「大村、大丈夫や」
山内が言った。
「もう負けてもええやん」
「そやで。ここまで勝ち進めただけで、ええがな」
代田と小松は、試合に出ることがないので、あり得ないことを言い放った。
中川は、彼らの言葉を聞いていたが、なにも言うことはなかった。
「あの」
そこで重富は、強い口調で彼らを呼んだ。
「なに?」
代田が答えた。
「もう負けてもええとか・・それって、違うんとちゃいますかね」
「え・・」
「大村さん、負けても応援するべきやと思いますけど」
「せやけど、どう見ても大人と子供やん。大村かて、カッコ悪いと思てるで」
重富は思った。
昨年の団体戦の時、自分はど素人で試合に出て、さんざんな負け方をした。
けれども、「チームメイト」であった阿部、森上、中川は、全力で応援してくれた。
負けるとわかってても、全力で。
それを、この男性たちはなんなんだ、と。
廃部が免れたから、あとはどうでもいいのか、と。
「あの・・こんなん言うたら失礼やとわかってて言いますけど」
「重富、やめな」
中川が制した。
「中川さん・・」
「私らは、私らの仕事をすればいいだけだ」
「せやかて・・」
「おめーは次に出るんだ。アップしな」
「うん、わかってるけど」
「大村さんよ」
中川が呼んだ。
大村の顔は引きつったままだ。
「一言だけ言っとくが」
中川には、言いたいことがあった。
「この試合、ぜってーラストまで回してくんな」
大村は、自分が勝てるはずがないと、唖然とした。
それは山内も同じだった。
「ラストまで回してくれたら、私は助っ人として、ぜってーに仕事をする。勝つ。だからそうしてくれ」
「そんなん・・無理やん・・」
大村は力なく呟いた。
「言いたいことはそれだけだ」
―――一方で、クラクラベンチでは。
「えっちゃん、相手は挑発に乗るどころか、試合にならないわよ」
「そうやねん。それにしても、情けないやっちゃで」
「もう挑発はいいんじゃない?」
「そやな。無駄なだけやしな」
この二人を見て、中野と板倉は「女て、怖いなあ・・」と小声で言った。
「あ?なんか言うたか」
「いえっ、何も言ってません」
中野は、わざと怖がって見せた。
「ほな、ラブゲームで叩きのめすわ」
ラブゲームとは、相手に一点も与えずに勝つことだ。
そして悦子は台に着き、大村を待っていた。
大村は、このままだと0点で負けてしまうという恐怖心に襲われていた。
大観衆の中で、大恥をかいてしまう、と。




