174 日置の策
中川は、そのままフロアへ入り、文久メンバーのいるところまで向かった―――
「大村さんよ」
中川が声をかけると、重富は安堵した表情になった。
そう、日置が引き止めてくれたのだ、と。
大村は、少し困惑しながらも「なんや」と答えた。
「さっきは抜けると言ったが、撤回する」
「え・・」
「私はもう、おめーさんらには何も言わねぇ」
「・・・」
「文久は、おめーさんらのチームで、私と重富は助っ人だ」
「・・・」
「だから好きに使ってくんな」
中川は、どうしても「すみませんでした」という言葉が出なかった。
「こんなん言うたら、あれやけどな」
「なんだよ」
「もう一勝したし、次は負けても廃部とは関係ないから、きみに戻って来てもらわんでもええんやけど」
大村は、高校生相手に大人げないと思ったが、「戻る」と言った中川の言いぶりに気分を害していた。
一体、何様のつもりだ、と。
「え・・」
「僕らが助っ人として頼んだんは、重富さんだけや」
重富は、ハラハラしながらも思った。
あの中川が、日置に引き止められたとはいえ、おそらく自分の意思で戻って来たに違いない。
そしていつもの中川なら、「私がいねぇと勝てねぇだろがよ!」くらいのことは言っても不思議ではないところを、かなり自制した言いぶりだ。
中川は、懸命に我慢している、と。
その我慢の原因は、一体、なんなのだろう、と。
一方で、こうも思った。
その我慢がいつまで持つのかわからない、と。
なぜなら、中川が戻って来たにもかかわらず、大村は迎えるどころか突き放した。
いつもの中川なら、じきに糸が切れるはずだ、と。
中川は思った。
先生は言った・・
重富のために頭を下げろ、と・・
そうさね・・頭を下げるんでぇ・・自分・・
こんなくだらねぇ大人に腹を立ててる場合かよ・・
クラクラ野郎を叩き潰さねぇとな・・
「大村さんや、他の者たちにも、無礼な口を叩いてすみませんでした」
中川はそう言って頭を下げた。
先生よ・・
これでいいんだろ・・
「中川さん・・」
重富は中川の意外な言葉に、驚愕していた。
口にするのは「うるせぇよ!」ではないのか。
どうしたんだ、と。
「助っ人として頑張りますので、戻してくれますか」
大村は、他の者たちと顔を見合わせていた。
「どうする?」
大村が訊いた。
「まあ・・ええんとちゃうかな」
山内が答えた。
そして代田も小松も同意した。
「みんなこう言うてるし、戻ってもろてもええけど、言動には気ぃつけや」
大村は釘を刺した。
こうして中川は文久に戻ったが、この後、中川は彼らと口を利くことがなかった。
大村に言われたからではない。
こんな奴らとは、口を利く値打ちもないと思ったのだ。
けれども中川は、自分と重富の試合は、どこまでも声を出して頑張り続けた―――
一方で、森上と阿部を擁する『応見金属』も順当に勝ち上がっていた。
こちらのチームは、なんとも和気あいあいとして、チームの者は、森上と阿部を絶賛していた。
とはいえ、ここまで二人が「本気」を出すほど、手強いチームなどいなかった。
悦子と朝倉は、時々、森上の試合を観ていたが、それゆえ、まだ森上の「本気」に気が付いてなかった。
そう、森上がドライブやスマッシュを打つまでもなく、相手がミスをしていたからだ。
「えっちゃん」
朝倉が呼んだ。
「なに?」
「森上さんも上手いんだけど、あの阿部さんって子、あの子もなかなかよ」
「ああ、確かにな」
「あの二人、ダブルス組んでるけど、もしかして桐花なのかな」
「さあ、どうなんやろ」
「えっちゃん」
そこへ日置がやって来た。
「おう、慎吾」
「ねぇ、日置さん」
朝倉が呼んだ。
「なに?」
「あの阿部さんって子、もしかして桐花なの?」
「そうだよ」
日置はニッコリと笑った。
「やっぱり・・」
「どうしたの?」
「森上さんも上手いけど、阿部さんも上手いなって話してたのよ」
「そうなんだ」
悦子は二人の会話を聞いて、心中、穏やかではなかった。
なぜなら、予選まで3カ月余り。
普通なら、時間に余裕がないとも言える期間だ。
けれどもなにせ、監督は日置だ。
あの素人集団だった小島らを、一年生大会とはいえ、たった半年で準優勝させるまでに成長させた。
目の前の森上と阿部は、素人どころか、かなり上手い。
3か月の間に、きっと恐ろしい選手に育てるであろう、と。
「あのさ、えっちゃん」
日置が呼んだ。
「なんや」
「頼みがあるんだけどね」
「え・・」
「えっちゃんたちと準決であたる、文久薬品ってチームね。僕の教え子が助っ人として入ってるんだけど」
「うん。そう言うてたな」
「気が進まないかもしれないけど、挑発してくれないかな」
「はあ?」
悦子は、当然ながら意味がわからなかった。
「いや、実はね――」
そこで日置は、中川の性格と、一回戦での「事件」の話もした。
そう、日置は中川を試そうと考えたのだ。
大事な試合であれはあるほど、自身をコントロールできなければ勝てる試合も勝てないからだ。
「えぇ~・・そんなん気が進まんわ」
「うん、わかってるんだけど」
「せやけど、その文久の男ども、ちょっと、どんならんな」
「ああ・・まあね」
「中川さんの言動も、問題ありだとは思うけど、なんか、あまり間違ってないような・・」
朝倉が言った。
「中川は、やる気のない者を見ると、どうにも我慢がならなくてね」
「そうなのね」
「でも、我慢すべきは我慢をしないと、成長しないからね」
「確かにそうね」
「わかった。やってみるけど、どうなっても知らんで」
「うん。後は僕が何とかする」
―――ここはロビー。
準決勝を次に控えた彼女ら四人は、短いインターバルを利用して弁当を食べていた。
「もしかすると、私ら決勝であたるかもしれんな」
阿部は嬉しそうに言った。
「ほんまやなぁ。とみちゃんと中川さぁん、調子はどうなぁん」
森上も嬉しそうだった。
「うん、絶好調やで」
重富が答えた。
けれども中川は何も言わずに、もくもくと弁当を食べていた。
森上と阿部は、顔を見合わせ戸惑いの表情を見せた。
「中川さん」
阿部が呼んだ。
中川は、黙ったまま阿部を見た。
「どしたん?」
「なにがだよ」
「いや・・なんも言わへんな、と思て」
「なんて言ったんだ」
そう、中川は阿部と森上の言葉が耳に入ってなかった。
「いや、このままやと、決勝であたるな、て」
「ああ・・確かにそうだな」
「中川さぁん、元気がないみたいやけどぉ、どうかしたぁん」
「なに言ってんだ。元気ありまくりさね」
中川はニッコリと笑って、森上の肩をポンと叩いた。
阿部と森上は、当然ながら「事件」のことは、まだ知らなかった。
それゆえ、中川の様子がおかしいぞ、と。
重富は、「事件」のことを話すのは、今ではないと思っていた。
なぜなら、中川から『クラクラチーム』の事情を聞いていたからだ。
今、「事件」の話を持ち出すと、中川の気持ちに水を差すと思えたのだ。
「よし」
中川はそう言って、弁当箱をバッグにしまった。
「重富、行くぜ」
「ああ、うん」
重富は、慌てて弁当を平らげ、バッグにしまって立ち上がった―――
準決勝の対戦は『文久薬品』対『クラクラチーム』と、『応見金属』対『たまたまおっさん』だった。
ちなみに『ミツダクラブ』は、八代が中野に勝ち奮闘したものの、悦子らの前では勝てるはずもなかった。
山崎らママさんは、全国出場しているとはいえ、所詮はママさんレベルだ。
クラクラの強さに、成す術もなかったのだ。
「おっ、森上さん」
相沢ら『たまたまおっさん』のメンバーが、森上と阿部の前に現れた。
「ああ、相沢さぁん」
森上は慌てて立ち上がった。
「かめへん、かめへん」
相沢は、弁当を食べろと言いたかった。
「お久しぶりですぅ。あの・・以前は、慶太郎を助けてくれはってぇ、ありがとうございましたぁ」
森上は、慶太郎が誘拐されたことを言った。
「あはは、そんな昔の話、もう忘れとったけど、慶太郎くん、元気にしてるか?」
「はいぃ、もうすごく元気にしてますぅ」
「そうか。それがなによりや」
そこで相沢は、阿部に目をやった。
「今から対戦やな」
相沢は準決のことを言った。
「はい」
阿部も立ち上がった。
「わしら、負けるつもりはないで」
「私らも、負けるつもりはありません」
「おおっ、気合い、入ってるな」
「はいっ」
「ほな、コートで待ってるわな」
相沢はそう言って、メンバーの者たちと中へ入って行った。
「相沢さんてぇ、すごく上手い人なんよぉ」
森上は弁当箱をバッグにしまって肩にかけた。
「そうなんや」
「でもぉ、私も負けるつもりはないでぇ」
「あはは、恵美ちゃん。うん、頑張ろな」
阿部もバッグを抱えて、二人はフロアへ入って行った。




