173 「いらない人間」
その後、中川と重富は『腕男』を圧倒し、『文久薬品チーム』は二回戦にコマを進めた―――
「おーい、文子!」
観客席から昌朗が呼んだ。
重富は観客席を見上げた。
「さっき、大変やったみたいやけど、大丈夫なんか?」
昌朗は中川のことを言った。
「うん、大丈夫」
「それにしてもお前、めっちゃ強いな!」
「ああ~、うん」
重富は、勝ったことは嬉しかったが、中川のことが気になっていた。
「優勝したら、五千円にアップしたるで!」
「あはは、ありがとう」
「次も、頑張れよ!」
重富は「うん」と頷いて、中川の元へ行った。
中川は、ラケットをしまいながら、一点を見つめていた。
「中川さん」
重富が呼んでも中川は返事をしなかった。
「中川さん、どうしたん?」
重富は中川の肩に手を置いた。
「え・・」
そこで中川は、ようやく重富を見た。
「どうしたん・・?」
「なにがだよ」
「いや・・なんか考え込んでる風やったし・・」
「別に、どうもしねぇさ」
その実、中川はチームメイトに不満を抱いてた。
なぜなら、廃部がかかった試合だというのに、重富と中川に任せっきりだったからである。
中川は、別にそれでもいいと、無理に自分を納得させようと努めた。
けれども、腕男の「威嚇」になんら異議を唱えることなく、大村は勝ったにせよ、どう見ても部を存続させるという覚悟が伝わってこない。
中川は、大村たちに檄を飛ばそうと、言葉が喉まで出かかっていたが、さっきの日置の言葉が胸に引っかかっていた。
そう、助っ人の役割だ。
勝つのが役割であり、勝つために参加した。
けれども大村たちは、即興チームであれ、今はチームメイトだ。
大人とか高校生とか関係ない。
言うべきは言わないと気が済まないぞ、と。
「大村さんよ」
呼ばれた大村は、何を言い出すのかと不安になった。
「なに・・?」
「他の者もそうだが、ちったぁ、自覚したらどうなんでぇ」
すると山内も代田も小松も、黙ったまま中川を見た。
「私と重富は、おめーさんらのために試合に出る。そして勝つ」
そこで重富は、また不安になり、中川の服を引っ張った。
「けどよ、どうにもおめーさんらには、勝つ意気込みが見えねぇ。伝わってこねぇのさ」
「あのな、こんなん言うたらあれやけど」
大村が口を開いた。
「なんでぇ」
「きみらが勝ってくれて一勝できた。それはありがたいと思てる。せやけどな、なにもそこまで言われる筋合いはないで」
「どういうこった」
「そもそも、重富さんだけ入ってもらうところに、きみが参加すると希望した。僕らは助かると思たし、歓迎した」
「おうよ」
「はっきり言うけど、きみ、横暴過ぎるで」
「え・・」
「まるで自分のチームみたいに指図してやな」
なんなんだ・・こいつは・・
誰のチームとか、関係ねぇだろうがよ・・
いや・・そもそも、おめーらのチームだろうがよ・・
それを・・人任せにしやがって・・
それでも男かよ・・
中川は大村の言葉に憤りを覚えた。
思わず怒鳴りそうになったが、懸命に堪えた。
「私が気に入らねぇってのか」
「はっきり言うて、そうやな」
「そうかよ。わかった。んじゃ、私は抜ける」
「ちょっと・・中川さん・・」
重富はさらに服を強く引っ張った。
「重富、おめーは頑張んな」
「そ・・そんな・・」
中川は重富の手を振り払って、この場を去って行った。
「う・・嘘やろ・・中川さん・・」
重富は、どうしたものかと中川の後姿を見ていた。
「重富さん」
大村が呼んだ。
「はい・・」
「ちょっと、あの子な・・」
「・・・」
「さっき、審判に頭下げてた人、きみらの先生なんやろ?」
「はい・・」
「えらい怒っとったみたいやけど、指導はうまいこといってるんか?」
「え・・」
「手を焼いてるんちゃうかなと、気の毒に思うで」
「いえ・・あの・・中川さん、悪い子やないんです」
「それはわかってるけど、僕らに対するあの態度は、あり得へんで」
「そ・・そうですか・・すみません・・」
重富は、中川はあんなだが、けして悪い子ではないし、リーダーシップも人一倍あって、と説明したかったが言葉には出来なかった。
なぜなら、度が過ぎた態度を取ったのは事実だからだ。
そこで重富は、二回戦までの時間を利用して、日置の姿を探すことにした。
―――その頃、日置は。
『応見金属』の試合を、12コート後方の通路で観ていた。
対戦相手は、『腕男』と同等の弱小チームで、日置が口を挟むまでもなかった。
それにしても・・阿部さん・・試合に出てるし・・
日置は阿部にも呆れていた。
けれども今更、なにを言ったところで試合はもう始まっている。
仕方がないと思いつつも、その実、日置は悦子らとの対戦をすでに頭の中に描いていた。
阿部さんと森上さんが、必ず三点取る・・
となると、決勝まで勝ち進むに違いない・・
えっちゃんと朝倉さん・・そして中野くんと板倉くんだ・・
これは、面白い対戦になりそうだな・・
「先生!」
日置を見つけた重富が、慌てて駆け寄って来た。
「重富さん、どうしたの?」
「あの・・ハアハア・・実は・・」
「なにかあったの?」
日置は、また中川が原因だと直感した。
「実は・・中川さん――」
重富は、オロオロしながら事情を説明した。
すると日置は「まったく・・あの子は・・」と呆れ返っていた。
「先生、どうしたらええですか・・」
「それで中川さんはどこ?」
「多分・・ロビーやと思います・・。でも、帰ったかもしれません」
「わかった」
日置はそう言って、ロビーに向かった。
ほどなくしてロビーに出た日置は、中川の姿を探した。
すると中川は、重富が心配した通り、体育館から出ようとしていた。
「中川さん!」
日置は中川に駆け寄り、腕を掴んだ。
「なんだよ」
中川は振り向いて、力のない声で答えた。
「きみ、なにやってるの」
「離してくれ」
「・・・」
「手を離してくんな」
それでも日置は離さなかった。
「きみ、助っ人を放り出して帰るつもりなの」
「いらねぇって言われたんだよ」
「きみさ・・」
日置は呆れていた。
そして中川から手を離した。
「なんだよ」
「文久薬品を廃部にしたくないんでしょ」
「一勝したから、廃部は免れたんだよ」
「あのね、よく聞いて」
「なんだよ」
「このまま勝ち進むと、クラクラチームってところに準決勝であたるの」
『クラクラチーム』とは、悦子たちのチーム名である。
朝倉と板倉の苗字に由来して名付けられた。
「それがどうしたのさ」
「ここね、ものすごく強いチームなんだよ」
「へぇ」
「中でも、竹林って人は、三神出身だよ」
「えっ・・」
三神という校名を聞いて、中川の表情が変わった。
「きみと重富さんがいれば、必ず準決まで勝ち進む」
「・・・」
「対戦したくないの?」
「っんなこと言ったってよ・・私はいらねぇって言われたんでぇ」
「きみらしくないな」
「え・・」
「相手は三神出身だよ。他の三人もかなりの実力者で、今も実業団の現役としてプレーしている人たちだよ。ワクワクしてこない?」
「・・・」
「血が騒ぐでしょ」
日置はいたずらな笑みを浮かべた。
「でっ・・でもよ、いらねぇって言われたんだっての」
「頭を下げればいいじゃないか」
「え・・」
「すみませんでしたって、言うだけだよ」
「っんなこと・・できるわけねぇだろ・・」
「僕、きみを見誤ってたのかな」
「なに言ってんでぇ」
「重富さんのためなら、頭を下げるくらいなんでもないでしょ」
「重富のため・・?」
「えっちゃ、いや・・竹林さんと対戦すると、三神の力を体で感じることができるよ」
「・・・」
「すなわち、インターハイ予選で、とてもプラスになる」
「・・・」
「インターハイ、行くんでしょ」
「あ・・あたぼうよ・・」
「じゃ、戻らないとね」
「・・・」
「いらないって言われたことに拘る暇なんてないよ」
「・・・」
「いいかい。自分のために頭を下げるんじゃなくて、重富さんのためにそうするの」
中川は思った。
確かに日置の言う通りだ、と。
自分のプライドに拘るより、竹林を初めとする『クラクラチーム』と対戦することの方が、何倍も大事だ、と。
いや、プライドと比較するまでもない、と。
そうだ・・
重富のために頭を下げるんでぇ・・
そして・・クラクラ野郎と対戦して勝つんだ・・
くっそ~~なに帰ろうとしてんだよ!
バカめ!私のバカめ!
「よーーし、わかったぜ!私は文久へ戻る。そしてクラクラ野郎をぶっ倒す!」
「そうでなくちゃ」
日置はニッコリと微笑んだ。
日置は中川の気持ちはわかっていた。
中川は、何事においてもやると決めたらとことんやる子だ。
それゆえ、やる気のない男性たちと中川との間で気持ちの差が生じている。
中川が怒るのも無理はないが、ここで帰すと悦子らとの対戦を逃してしまう。
男性たちとの「諍い」より、クラクラチームと対戦することの方が、よっぽど中川のためになる。
ここは我慢して頭を下げろ、と。
自分のためではなく重富のため、ひいては桐花のために、と。




